第十三話:広がり続ける絶望の始まり
病院内での大混乱を招いた“搬送作業の失敗”――その惨状を目の当たりにした研究者や医療スタッフは、もはやこの怪異的な「肥大化した穴」をコントロールできる手だてがないことを痛感していた。
もとはといえば、ただ一人のおじさんの尻に生じた奇怪な病変が発端である。そう信じたいが、実際にはすでに「尻の穴の肥大」という言葉では括りきれない異常な惨劇と化し、周囲を脅かす“存在”へと変貌を遂げていた。
もはや彼の肉体は死亡後何週間もの時を経て、形も何も原型を留めていない。頭部や上半身の一部がかろうじて塊の端にこびりついている程度で、他はすべて黒紫の「穴」を中心とした塊に飲み込まれ、あるいは溶解し、あるいは異形の肉を増殖させている。細胞組織がもはや人間の死体の範疇を超えた現象を見せるいっぽう、どれだけ切除や吸引をしても、その穴を消滅させることは適わない。刺激すればするほど際限なく滲み出る腐敗液や血液、そして黒ずんだ粘膜の破片が床や壁を汚し、建物の空気をも蝕む。
特に、この「穴の肉塊」を誤って崩壊させた際に噴出した液体の威力は、想像を絶するものだった。防護服ですら一部が侵され、肌に触れた者は激痛を訴えた。原因不明の灼熱感と痺れが同時に襲い、皮膚が赤く腫れ、ただれていく。さらには、吸い込んだだけでめまいや嘔吐をもたらす異様な悪臭が漂い、一度嗅いだ者はその刺激臭がしばらく鼻や喉に焼き付いたまま離れない。
医師や看護師、さらに事態収拾を手伝おうとしたスタッフは、次々と体調を崩し、病棟の機能は急激に麻痺していった。もともとこの病院には数多くの患者が入院していたが、次々と転院を余儀なくされ、急遽院内の封鎖エリアが拡大される。やがてこの施設自体を完全に閉鎖するしかない――そんな最悪の判断が下されるのは時間の問題だった。
だが、閉鎖といっても問題は山積みである。
閉鎖すれば、この「穴の塊」を何とかしなければならないが、その処分の仕方がわからない。放置すればさらに拡大し、やがては建物を突き破って外部へと漏出する可能性がある。焼却するにも、まともに移送できないのだ。封鎖したまま放置していても、いずれ施設全体が腐敗液と悪臭に包まれ、どこからか液が浸み出して地下や周辺へ広がる恐れすらある。
病院関係者のみならず、行政当局も頭を抱え、明確な対策は一向に打ち出せない。まるでじわじわと時間をかけて落ちていく泥沼のように、事態は沈殿しながら拡散していた。