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序章:静寂の始まり

 おじさんの尻の穴――そこは暗黒に沈む、誰の目にも普段は触れられない部位である。人知れず闇に覆われた場所。穏やかな人間関係の網の目からは外れ、いつもは下着と衣服に隠される、いわば「秘密の器官」。にもかかわらず、その穴がゆっくりと、確実に肥大化していくという現象を、いったい誰が想像しただろうか。


 この物語は、一人の平凡なおじさんが迎える破滅のはじまりを、あえて直視するための長大な記録である。彼の名前は仮に「辻垣内(つじがいち)」と呼ぶとしよう。年齢は五十を少し超えたばかり。髪はすでに白髪が混じり始めており、薄くなった頭頂部を隠すように帽子を愛用していた。肥満気味の体躯を包むシャツとズボンには、いつも微かに汗の染みついたにおいがこびりついている。仕事は単調で、工場でのライン作業が主だ。そこに不満はあれど、強く声を上げることもなく、日常のこまごまとした苦労を抱えながらも、ささやかに生きてきた。


 彼の生活は凡庸そのものだった。朝起きて、顔を洗い、むっつりとパンをかじりながら牛乳を飲む。工場へ赴き、ひたすら機械に部品をセットし、決まった手順で梱包する。昼には社食で安い定食を啜り、また作業へ戻る。夕方に退勤し、家へ帰ると、ビールを飲んでテレビを見るか、ときどきは近所の小さな居酒屋でひとり焼き鳥をつつく。妙に油っぽく、口の周りがベタつくほどに肉汁が溢れる焼き鳥に舌鼓を打っては、他愛のない会話を店主と交わす。その繰り返し。見る者からすれば、まぎれもない「普通」の生き方である。


 しかし、そんなおじさんの身体が、ある日を境におかしな違和感を訴え始めた。「尻の穴がどうも気持ち悪い」――最初はごく小さな、不快感とも痒みともつかない感覚だったという。それが、ゆっくり、しかし着実に増幅していく。そこに何らかの災厄の前兆が隠されているなど、当初の彼に分かるはずもなかった。

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