閑話 2.ある男の話
「御意」
短い返答の声があった後、すぐに近衛兵の一人が、槍を構えて玉座の前へと進み出る。
カツカツと階段を下る音が広間に響き、ただ黙々と標的との距離を詰めていった。
誰を殺せだとか、本当に殺して良いのかなどと、余計な問答をする必要すらない。
簡潔な指示から、正確に私の意図を汲み取ったその近衛兵は、先程まで口うるさく喚き散らしていたその小太りな勇者の前までやって来ると、僅かな逡巡の暇すらも無く、容赦なくその手に持っていた槍を、ぶくぶくと肥え太った男の腹へと突き入れたのだった。
「な、なんだっ!? 何のつも――」
言い終わる前に、槍が男の腹を貫く。
「あ……、あ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁっ!?」
臓腑を抉って深く捻じ込まれた槍が引き抜かれると、腹の傷口からは大量の血液が溢れ出し、醜い豚の様な断末魔が謁見の間に木霊した。
「あがっ……、あ―――」
暫くは腹の傷口を押さえ、床で醜くのた打っていたその男も、やがては血の池が大きくなるにつれて動きも鈍くなり、最後には藻掻き苦しみながら息を引き取ったのだった。
「……ゃ、……ぃや、いやあぁぁぁああっ!?」
「うわぁあああぁ!?」
絶叫する女の悲鳴を皮切りに、勇者達の間で凄まじいパニックが広がっていく。
それはまさしく、阿鼻叫喚の地獄絵図。
蜘蛛の子を蹴散らした様にパニックになって逃げ惑おうとする勇者達を、少しだけ先に正気を取り戻した城の兵士達が、力尽くで取り押さえていた。
そんな中ただ一人、男の腹を槍で貫いた近衛兵だけが、狂乱に包まれた勇者達の動向の一切を無視して、冷徹に何事もなかったかの様に淡々と私の元まで歩いて戻って来た。
「聞けっ!」
段上の玉座から騒動の全てを見ていた私は、機を見計らって声を張り上げる。
「貴方達に逃げ道はありません! 我々の要求に従えないのなら、全員“死”あるのみです! 無駄な抵抗は止め、大人しくこちらの指示に従いなさい!」
私の口から発せられた“死”という言葉に、勇者達の動きが止まる。
眼前で、既に物言わぬ屍となって転がる仲間の死体が、私の言葉が決して冗談などではない事を雄弁に物語っていた。
「は、話が違うじゃないか! 昨日は、王国への協力が無理な者は、元の世界に帰してくれると! そう言っていたじゃないか!」
「ええ、言いましたが? それが何か?」
「なっ――」
さも当然の様にそれを言い放つ私を見て、勇者達の瞳が驚愕に見開かれる。
「元の世界に帰す? 馬鹿な事を。そんな事、我々が許すとでも思ったのですか? 貴方達《勇者》を、この世界に呼び出す為だけに、我々が既にどれだけの犠牲を払ったと思っているのですか? なのにそれを、ただ持て成しただけで帰すなんて……、そんな馬鹿な話が、本当にあるとでも思ったのですか?」
「くっ!?」
「ああ……、そういえば自らの運命を察して逃げ出した者が、貴方達の中にも一人居ましたね? 今頃彼は、何処でどうなっている事やら」
「……殺したのか」
「さあ? それを貴方達が知る必要はないでしょう?」
正確には、彼の事は今も行方知れずで捜索中なのだが、それをわざわざ連中に教えてやる理由もあるまい。
その行く末だけ匂わせて、今は最大限その存在を利用させて貰うとしよう。
「さて、次は貴方達の番です。大人しく我々に協力するというのなら、今からでもそれなりの待遇は保証しますが、あくまでも抵抗する道を選ぶというのなら……、命の保証までは致しかねませんね」
「「…………」」
ここで殺されるか、それとも自分達が生き残る為に、王国の戦争に協力する道を選ぶか。これまで戦争とは無縁の世界で生きてきたらしい彼らにとって、これはある意味、究極の選択だろう。
実際、この場で協力を断られたとしても、今すぐに彼らをどうこうするつもりはない。
あれだけの犠牲を払ってまで呼び出した異世界の《勇者》達を、全員ただ無意味に死なせたとあれば、逆に王国から無能の烙印を押されるのは私の方だった。
なに、最初の懐柔策こそ失敗してしまったが、他に幾らでも手はある。
酒や女など分かり易く報酬で釣ったり、いっそ連中の中から人質を取ってやったりしても良い。要は適当に、元の世界へ帰れる為の条件をチラつかせて、その間に洗脳してやれば良いのだ。
どうしてもこちらに従わぬ者は、最悪、人体実験の材料にするという手もあった。
我々こちらの世界の人間と比べて、優れた魔力適性を持っているという彼ら《勇者》の肉体は、さぞかし研究材料としての価値がある事だろう。
今はとにかく彼らを王国の資源として、最大限活用する方法を考えなければ。
「――なぁ」
「………?」
なんとなく覚えのある声と、不作法な口調に思考を遮られて、私は顔を上げた。
「アンタらに協力したら、俺らは具体的に何が貰えんの?」
相も変わらず、空気を読まない間の抜けた男の声。
仲間内から死者が出て、己の生死すらも怪しいこの状況にあっても、その男は昨日と少しも変わらぬ調子で、この空間の支配者である私へと話し掛けてきた。
「あなた方の協力……にも拠りますが、《勇者》としての活躍次第で、大抵の願いは叶えて差し上げるつもりです。地位に名誉、酒に女。それから勿論お金も。今後も王国に従順な態度を取り続けると誓って頂けるのであれば、およそ王国に叶えられる範囲の望みで、叶わないものはないかと」
今私が言った事は、決して嘘ではない。
私は彼ら《勇者》などという人種を信用してはいないが、今後もモチベーションを維持して貰う為に、それなりの成功報酬を用意するのは、施政者として当然の事だった。
「……っ! じゃあ、じゃあさ!? ―――っていうのはありなの!?」
「「っ!?」」
ただ――、彼が口にした望みは少々特殊で、同じ仲間内の勇者達からは疎か、この私ですらも、一瞬は面食らってしまう内容のものだった。
「……それが貴方の望みであるというのなら、まあ好きにすると良いでしょう。我々王国の利益とも一致しています。あくまでこちらの指示に従って貰う点には変わりありませんが、その範囲内であれば、多少の自由裁量の余地は認めます」
「いよっしゃあ!」
「…………」
……この男、果して馬鹿なのか大物なのか。
周囲から自分に向けられる蔑みの視線など、まるで意にも介していない様子だった。
「確認となりますが、貴方には“我々に協力する意思がある”という事で宜しいですね?」
「ああ! そうだ! 仲間にしてくれて構わねぇ!」
決して好ましい男ではなかったが、その協力の申し出自体は有り難い。
今の勇者達は、私達王国という共通の敵を前にして、自分達の身を守ろうと集団心理が働いてしまっている。互いの身を守る為にも、集団の意に反する行動を取ってはならないと、皆が無意識でその行動を制限されてしまっていた。
そういった集団心理を突き崩す上で、この男の存在は役に立つ。
一人でも例外となる者が現れれば、ならば次は自分もと、それに続く者が現れるかも知れないからだ。
この際、あの男の醜悪な望みなど、私の知った事ではなかった。
「お前正気かよっ!? 自分が何言ってんのか、本当に分かってんのか!?」
「んなもん、分かってんに決まってんだろうがっ!」
これでようやく、話が前に進むかと思いきや、今度は彼ら勇者達の間でまた新しく仲間割れが始まってしまう。
今まで黙っていた彼と同年代の勇者の一人が、こちらに協力を申し出たその勇者の男の胸座へと掴み掛かると、まさに怒り心頭といった様子で食って掛かっていた。
対して掴み掛かられたその男の方も、直ぐさま自分を掴んでいた彼の手を力尽くで払い退けると、逆にそれ以上の調子で彼に向かって怒鳴り返していた。
「そもそも何でテメェに、んな事とやかく言われなきゃならねぇんだよ!? さっきまでビビリ散らして、ぶるぶる震えてただけの臆病もんのゴミが! 俺のやる事に一々文句付けてんじゃねぇよ! このチキン野郎っ!」
「んだとぉ!?」
お互い一歩を引かずに睨み合い、彼らは今まさに殴り合いの喧嘩を始めようとしていた。
「……はぁ、面倒です。彼をさっさと別室に通しなさい。続きの話はそこで」
「ハッ!」
町の無能な兵士達の相手に続き、これ以上勇者達の低レベルの争いに巻き込まれるのは御免だったので、私は適当に彼らの近くに控えていた兵士達へと指示を出し、無理矢理にでもその二人を引き剥がしたのだった。
こんな事で、王都から連れてきた精鋭の近衛兵を使うのも馬鹿らしい。
「ちっ!」
「ふんっ!」
喧嘩相手から引き剥がされるついでに、仲裁に入った兵士からも一発殴られたもう一人の方は、さぞかし不満そうにしていたが、やがてその相手二人が揃ってこの部屋からも居なくなってしまった事で、彼はふて腐れながらも大人しくなった。
「「…………」」
気不味い沈黙が勇者達の間で蔓延し、話を切り出し辛い雰囲気が続く。
……まったく面倒な。私は子守に宛がわれた母親ではないのだぞ?
この町に来てからというもの、つまらない面倒事ばかりだった。
第一王女の仕事が聞いて呆れる。これでは城のメイド以下の仕事ではないか。
……そもそも、こんな風に勇者達を一箇所にまとめているから話が進まないのでは?
先程の、集団心理云々の話の続きにもなるが、いっそ勇者たち個人をバラバラに隔離してさえしまえば、余計な自制心も働かなくなって幾分か話がし易くなるかも知れない。
一人一人を個別に相手しなくてはならない分、相応に手間も増えるが、ああいった不毛なやり取りを幾度も繰り返す事に比べれば、余計な気苦労がないだけ上策に思えた。
「ふっ……」
段上の玉座で、嘲り混じりに微笑んだ私を見て、勇者達が不安に彩られた瞳を向ける。
最初こそ気乗りしなかったこの《勇者計画》にも、ようやく光明が見えてきた。
怯える無数の眼差しをその身に受け、私は微かな悦に入りながら、背後で控えている直属の近衛兵たちを呼びつけて、ひっそりと次の指示を伝えるのだった。