閑話 1.残された者たち
――時は少し遡り、勇者達が異世界に召喚された二日目の夕刻。
召喚された《勇者》の一人が行方不明という報告を聞き、《ルーペンス城》謁見の間では、第一王女ロベリア・カディーナ・フランドルの手により、緊急の会合が開かれていた。
「それで? 何か申し開きくらいはあるのでしょう?」
告げられた王女の言葉に、反応を返す者はない。
謁見の間に集められた城の兵士達は、皆が一様に膝を付き、石像の様に下を向いて固まって動かなかった。
「なんとか言ったらどうです? それとも、皆で魔物の餌にでもなりたいと?」
「「…………」」
――第一王女は本気だ。
背筋が凍り付く様な冷たい視線と声音で告げられ、城の兵士達は直感的にそれを悟った。
かつてその眼差しを向けられたこの城の前城主が、どういう末路を辿ったのか知っている城の兵士達は、それだけで恐怖に縮こまり動けなくなってしまう。
領主というこの町で一番の権力者すらも、平気で切り捨てたこの女であれば、まして一介の兵士に過ぎない自分達の事など、それこそ平気で魔物の餌にでも何でもするだろう。
次に僅かでも彼女の機嫌を損ねる様な言動を取れば、その瞬間に“極刑”を言い渡されてもおかしくないと、城の兵士達は肌で感じ取っていた。
「い、依然! 失踪した勇者の足取りは掴めず、目下捜索中であります!」
「……はぁ~」
広間に響く、重い第一王女の溜息。
これ以上彼女の機嫌が悪化する事を恐れて、怯えながらも、勇者達の城下町視察の際に警備隊長を務めていた男が口を開いたが、結果、彼女の口から溢れたのは、唯々重い失望の溜息のみだった。
震える声でどうにか報告を上げた警備隊長のその男も、段上からまるで蛆虫を見るかの様な目で自分達を見下ろす彼女への恐れから、最早顔を上げる事すら儘ならなかった。
――使えない。本当に使えないゴミ共だ。
どこまでも使えないこの町の無能な兵士達の態度を前に、私、ロベリア・カディーナ・フランドルは、深い落胆の溜息を漏らした。
逃げ出した勇者が一人いる、くらいまでならまあいい。
あれだけ大勢の勇者を召喚したのだ。一人くらいそういった行動に出る者がいるのも、最初から想定内だった。
しかし、問題はその後。
事もあろうに、この町の無能な兵士達は、事が明るみになり自らが叱責されるのを恐れて、事態の隠蔽を計ろうとしたのだ。
昼食時、トイレに立って以来、戻って来ない勇者がいる。
そんな事、当時会場の警備に携わっていた者であれば、気付けない筈がなかった。
にも関わらず、連中はその事実を秘匿した。
いつまでも仲間の一人が戻って来ない事を、不審に思った勇者達が城のメイドへと相談し、そこから更に、兵士達へ何度報告を上げても一向に事態が改善されない事を疑問に思ったメイドの一人が、直接私の元まで報告を上げてきた事で、ようやく私は事態を把握したのだった。
……これを無能と言わずして、何と言う?
思えば、この町はそれを治める領主からして、碌でもない人間だった。長年に渡り国へ収める筈だった税の大部分を秘匿したばかりか、それを私腹を肥やす為に利用する。
市民を守る役目を担っていた筈の兵士達は、当然の様に警備や鍛錬の仕事をにサボり、代わりに役人という立場を利用した、住民達への恫喝紛いの行為が平然と蔓延っていた。
町の有力な商人達は、そのほぼ全員が領主達とグルで、賄賂や横流しなどもこの町では日常茶飯事だった。
町へ赴任して早々、私は目にしたこれらの現実を前に、暫し頭を抱える事になる。
王都から離れた町は腐敗も酷いと、噂には聞いていたが、この町の惨状は予想以上だった。
本来なら、町の治安の事など多少は無視してでも、この町に来た当初の目的である《勇者計画》の方に、強引にでも取り掛かるべきだったのだろうが、流石にここまで腐敗し切った町の現状を目の前にして、私もこの国の王女として見て見ぬ振りは出来なかった。
ちょうど都合良く、儀式の生け贄として使う予定の魔術師達の輸送が遅れているとの事だったので、私はそれが届くまでの数日をこの町の調査へと当てる事にした。
そうして調査に取り掛かるや否や、湯水の様に出て来る不正の証拠の数々。
町の連中としても端から隠す気がなかったのか、それとも見付かった所で、この町の領主様が揉み消してくれると思い、端から何の対策もしていなかったのか、とにかく私は行く先々で、不正の証拠の数々を山と手に入れていった。
翌日、私は集めた証拠を領主の前へと叩き付けてやる。
改竄された店の帳簿に、住民達から直接寄せられた、衛兵からの暴行を訴える証言の数々。延いては、この国では取引が禁止されている禁制品の現物まであった。
これだけの物的証拠の数々を前に、最早言い逃れなど出来よう筈もない。
完全に白旗を揚げたこの町の領主に対して、私はその場で貴族籍の剥奪と、領主としての解任、及び残りの生涯を汚い牢獄の中で過ごす事を申し付けてやった。
長年に渡り町を腐敗させ、国へ収める筈だった莫大な税を着服し続けた事の罪は大きい。
私としては、その場で極刑を言い渡してやらなかっただけでも、かなりの温情だと思うのだが、何故か奴は自らの罪状が確定した途端、血相を変えてこの私に襲い掛かってきたのだ。
余程生涯の牢獄行きが嫌だったのか、奴は同じく不正を働いていた城の兵士達と結託し、この国の王族である私を手に掛けようと、本気で殺しに掛かってきた。
最後の抵抗を試みる愚かなその町の領主に対し、私は只哀れみの溜め息と共に、背後で控えている精鋭の近衛兵たちに指示を出した。
三倍近くの人数差があるこの状況でも、戦いは圧倒的。
迫ってきた十を超える城の兵士達を、私が王都から連れてきた精鋭の近衛兵たちは、瞬く間に切り捨てていった。
ものの数分と経たずに、ルーペンス城の謁見の間には、襲ってきた兵士達の屍の山が築かれていた。
そうして最後に、残された町の領主へと、近衛兵たちが槍を突き付ける。
王族である私に剣を向けた時点で、この男の罪は最早“反逆罪”。
例えどの様な恩赦が働いた所で、本来ならどうあっても極刑は免れ得ない状況なのだが――、町へ赴任して早々、前任者の首を跳ね飛ばすというのも対外的に見て受けが悪く、今後この町で活動する上で支障を来すかもと考えたので、私は特例的に、今回この謁見の間で起きた事件の事は公にせず、当初の予定通り脱税や収賄の罪で、この男を生涯の牢獄送りにするという形で手を打ったのだった。
この国の第一王女である私が、ここまでの慈悲を見せてやっているというのに、この町の無能な兵士達ときたら――、
「ひっ!」
いつまでもこうして私を見る度に、無様に怯えるばかりで、与えられた任務の一つも碌に熟せやしない。
少し私と目が合っただけで、こうも幼子の様に怯える自国の無能な兵士達の姿を眺めていると、いい加減、無性に腹が立ってきて仕方がなかった。
「ほ、報告致しますっ!」
「「っ!」」
重苦しい沈黙を破り、謁見の間に伝令の兵が飛び込んでくる。
俯いていた城の兵士達の肩がビクッと震え、飛び込んで来た伝令兵の方へと、一斉にその視線が向けられた。
「…………」
「何ですか? 報告があるのでしょう? 早くそれを言いなさい」
雰囲気に飲まれて、いつまでも報告をしようとしないその伝令兵に、私はなるべく苛立ちを隠して続きを促した。
「ハ、ハッ! 失踪した例の勇者の件ですが、北の貧民街の方で! それらしき人物の目撃情報があったとのこと! 詳しい行方は、現在も追って調査中ですが、その逃走経路からして! 恐らくはそのまま町を北へ抜けて、《クユリナの森》方面へ向かったのではないかと推測されます!」
「そう? では引き続き捜索に当たりなさい? それから、クユリナの森にある各監視塔にも、連絡を入れておくように。逃げ出した勇者は生け捕りにする必要はありません。見つけ次第、殺しなさい?」
「ハッ!」
淡々と告げられる、第一王女の命令。
去って行く伝令兵の背中を見送る兵士達の顔には、僅かながらに生気が戻り始めていた。
ここに来て初めての明るい報告である。このまま不機嫌だった第一王女の機嫌も治まるのではないかと、城の兵士達の間では淡い希望の様なものが広がっていた。
「……それで? 貴方達はいつまで、そこに突っ立っているつもりなのですか? 貴方達には先程、残っている勇者を全員ここへ連れてくるよう、命じておいた筈ですが? 何故、彼らはまだここへ来ていないのですか?」
「そ、それは……」
再び問い詰められ、たじろぐ城の兵士達。
彼らの勝手な思い込みとは裏腹に、第一王女が自分達へ向ける侮蔑の眼差しには、全く衰えなどなかった。
言葉の端々から滲み出る苛立ちの感情が、城の兵士達を再度恐怖に陥れる。
「も、申し訳ありませんっ! しかし、勇者達の中から行方不明者が出た事で、彼らの間にも動揺が広がっているようで! なかなか我々の指示に従ってくれないのです!」
「なら力尽くで連れてくれば良いでしょうっ!?」
「「「っ!!」」」
どこまでも消極的で無能な兵士達の態度を前に、ついに第一王女が吠えた。
城中の空気がビリビリと震え、偶然、部屋の前を通りがかっていた城のメイド達ですらも、一時は給仕の手を止めてその声に竦み上がっていた。
「大体っ! 端から抵抗の意を示す相手に、多少の説得を試みた所で! 相手が素直に従ってくれるとでも思ったのですか!? 馬鹿も大概にしなさい! どこまで無能を晒せば気が済むのですっ!? そもそもっ! 勇者達の中から最初の逃亡者が出たと分かった時点でっ! 貴方達が下手に事を隠し立てしようとせず、最初から素直に私へと報告を上げていれば! 初めからこんな事にはならなかったのです! それを分かっているのですかっ!?」
「ひ、ひっ!? も、申し訳っ……、申し訳ありませんっ!」
「謝っている暇があるのなら、さっさと行動に移りなさい! 死にたいのですかっ!?」
怒鳴り付けられた城の兵士達は腰を抜かし、ガチャガチャと互いの鎧をぶつけ合いながら、必死になって謁見の間から逃げ去っていった。
「………っ」
急に大声を出した所為か、私は頭痛がして頭を押さえる。
――情けない。
これがかつて大陸で栄華を誇った、誇り高き《ロベリア》の今の姿か。
王族とはいえ私の様な小娘を相手に、こうも無様に取り乱す自国の兵士達の姿を眺めていると、情けな過ぎて私の目には薄らと涙すら浮かんでくる。
「はぁ……」
こんな事で、衰退した帝国の復興など、本当に出来るのだろうか?
お父様もお父様だ。
衰退を続ける我が国の現状を憂い、一転して富国強兵を掲げ、帝国時代の栄光を取り戻そうというその志は理解出来るが、実際には国内の政治基盤すら安定していない。腐りきった地方行政の現実に目を背け、国外勢力との武力闘争にばかり心血を注いでいては、国の繁栄など夢のまた夢でしかない。
挙げ句の果てには、《勇者》などという得体の知れない存在にまで頼ろうとする始末。
第一王子であるお兄様も、何故かこの計画に賛同のようだったし、私にはあの二人が何を考えているのか、全くもって理解が出来なかった。
「おい、さっさと歩けっ!」
暫くして、部屋の外が騒がしくなる。
どうやら城の兵士達が、私の指示通り、力尽くで残りの勇者達を連れて来たらしい。
「…………」
私は、つい目元に浮かんでしまっていた涙を、背後で控えていた直属の近衛兵たちにも悟られないよう、額に当てた手でそっと拭い去った。
「くそっ! 何なんだよ急に!?」
無理矢理、謁見の間に引き立てられた勇者達の顔には、分かり易く恐怖や不安の表情が張り付いており、武器を手にした大勢の兵士達に囲まれて、ただ怯えながら互いの身を寄せ合い、突然の待遇の変更に戸惑っている様子だった。
「おい、お前たち! これは一体どういうつもりだっ!? 俺達は、お前達の国を救う勇者様とやらじゃなかったのか!? それをこんな風に扱って、一体どういうつもりだ!」
―――恫喝。
武器を手にこちらが圧倒的に有利なこの状況で、この男、馬鹿じゃないのか?
そんな風に虚勢を張られた所で、強がりにもならない。
「こっちの意思は、既にアンタ達に伝えた筈だ! アンタらの事は確かに気の毒だが、それはあくまで、アンタらの事情だ! 元々別の世界で生きてきた俺達には、何の関係もない! 俺達にだって、元の世界でやり残した事や、残してきた大切な家族が居るんだ! なのに、余所の世界でアンタらの戦争に手を貸すなんて! そんなこと出来る訳がないだろう!? 分かったら、俺達をさっさと元の世界に帰してくれ!」
「…………」
……うるさい男だ。
昨日は、もう少し話の分かりそうな老人が彼らの代表を務めていた筈だったが、一晩の内にそれも変わったか? 何にせよ、こんな風に自分達の置かれている状況も分からず、ただ感情のままに喚き散らすこの男が相手では、話をする気にもなれなかった。
「おい、なんとか言えよ!? こんなこと俺達の世界なら、脅迫罪でそっちが逮捕されるような事態だぞ!?」
どのみち仲間内から行方不明者が出た事で、彼らも既に我々へ不信感を抱いている。
今更、心優しい王女様を演じて、面倒な懐柔策を示してやる必要もないだろう。
「……やりなさい。ただし一人だけです」
しつこく喚き続けるその男の言動は全て無視して、私は椅子に座りながら軽く右手を挙げ、背後で控えている近衛兵たちに指示を出した。