第4話 脱出
――そして迎えた翌朝。
起きて早々、ちょっとした事件が起こっていた。
異世界で迎えた、二日目の朝。
寝室の大部屋に、迎えの兵士に来たタイミングで、昨日の夜から何やら話し合っていた大人達が、その兵士へと一斉に詰め寄りこんな事を言い出したのだ。
―― “城下町を見せて欲しい。自分達の目で実際に何も見ない内には、我々としても如何なる判断も下せない ”――、と。
昨日は確かに、あれやこれやと理由を付けて、結局この城から出しては貰えなかった。
この世界に来たばかりで、魔力のある環境に身体が慣れない内は、勇者様たちの身にもしもの事があるといけないから、とか何とかそんな感じの理由を付けて、連中は終始、僕達が城から出ない様に立ち回っていた。
そこには薄らと、連中の“僕達をこの城から出したくない”という意図が透けて見えた。
けれど、それも二日目。同じ言い訳は通用しなかった。
生憎と僕らの中で、魔力が原因と思しき理由で体調を崩した者は居ないし、大した理由もなく無理に城へ閉じ込め続けようと思えば、却って不信感を募らせるだけだった。
寝室まで僕らを呼びに来た兵士は、恐らく単なる使い走りだったのだろう。
そちらが頷いてくれるまで断固としてここを動かない、という強い意思を見せる勇者達の対応に困り果てた挙げ句、彼は逃げる様にして上司である王女様の元へと引き返して行った。
そしてその数分後、なんと驚くべき事に、王女様自らがこの寝室までやって来た。
今度はどんな理由をでっち上げ、城からの外出を拒否されるのかと思いきや、意外にも王女様は、アッサリと僕らの城下町行きを了承したのだった。
“折角ですから、この機会に王国の民の暮らしも知って欲しい。”
そんな感じで至極アッサリと、僕らの城下町行きが決定したのだった。
「たけぇー!」
城下町へと続く坂道の途中、隣を歩く元同級生たちの間から感嘆の声が上がる。
僕達がさっきまで居たルーペンス城は、周囲を断崖絶壁に囲まれた、高い崖の上に建っている。
城への侵入経路は、正面口へと続くこの坂道一本のみ。
他に遮蔽物となる物も存在しないので、下りながら眼下に広がる城下町を一望出来る光景だった。
まさに自然が生み出した天然の大要塞。脱出不可能の大監獄だった。
この恐ろしさが分からないとは、連中も中々に業が深い。
――町へ下りても、やはり自由にはして貰えなかった。
どこへ行くにしても王国の兵士達の監視の目が付いて回り、案内役である王女様自らの先導の下、予め決められたルートのみを巡回していく。
それでも異国情緒溢れるこのルーペンスの町並みは、元は別の世界の住人である彼らにとって魅力的に映ったのか、一緒に町を巡っていた他の勇者様たちは皆、終始目を輝かせて、流れていくレンガ造りの町並みを眺めていた。
「…………」
それにしても、本当に中々、兵士達の監視の目が途切れない。
こちらの人数が多い分、一人一人へと目を向けられるタイミングは散発的だが、周りをしっかりと王国の兵士達に囲まれている分、安易に逃げ出す事も出来なかった。
が、折角こうして、あの監獄みたいな城を離れる貴重な機会を得られた以上、このチャンスを逃す訳にもいかない。
連中が、たかが城下町の視察にこれだけの数の兵士を動員している事からしても、こちらの動きを相当に警戒している事は明らかだった。
そんな連中が、いつまでも僕達を自由にしておいてくれるとは思えないし、本気で逃走を企てるなら、今日辺りがタイムリミットだった。
この視察を言い出した大人達も、正直言ってあまり当てにはならない。
必要とあらば、仲間内から犠牲を出す事すら厭わない連中を相手に、話し合いだ何だと呑気な事を抜かしている時点で、彼らも大概考えが甘いのだ。
「陽も高くなって参りましたし、そろそろ昼食に致しませんか?」
逃げ出すタイミングも見出せないままに、数時間が経過する。
南の空に陽が高くなってきた頃合いを見て、先導する王女様が昼食の指揮を取った。
朝食を食べてから割とすぐに城を出た筈なのに、もうそんなに時間が経ってしまっていたらしい。
空腹に導かれ、無垢な雛鳥の様に王女様の後を付いて行く他の勇者達に混じって、僕も仕方なく城下町にある一軒のレストランへと入った。
茶色を基調とした、落ち着いた雰囲気のレストランだった。
王族が選んだにしては下手な派手派手しさもなく、石レンガ造りの静謐な空気感も相俟って、ゆったりとした雰囲気が屋内には流れていた。
昼時だというのに、店内には他のお客さんの姿が見当たらない。
店へ入るなり店員さん達から総出でお出迎えされ、完全な貸し切り状態だった。
分かりやすい見事な貴賓待遇である。
今朝突然決まった予定で、一般の店がここまでの対応を出来るとは思えないので、このレストランも、ある程度はあの王女様の息が掛かった場所か、もしくは事前にこちらの行動を予測して、予め何らかの準備を済ませていたかのどちらかだろう。
何もかも、全ては連中の思惑通りという事か。
「……最悪。よりによって、何でこんな奴と」
――とはいえ、だ。
流石にこれまで完璧にこちらの動きを予測していた王国であっても、昨日今日出会ったばかりの人間の交友関係までは、まだ把握し切れていなかったらしい。
店に入って来た順番の所為で、不幸にも僕と同じテーブル席へと通されてしまった彼女達の間から、僕は隠す事の無い罵声の言葉を浴びせられる。
このテーブルには他にそれを咎める大人達も居ないので、彼女達も実に言いたい放題である。
「ホント、死ねばいいのに……」
僕としては、ここまで正面からハッキリ言われると、まあ多少は腹が立たない事もなかったが、この程度は元の世界に居た頃から慣れているので、一々目くじらを立てる程でもなかった。
……実際、同じテーブルを囲む相手としては、僕は自分でも汚いと思うし。
中学に通っていた頃の三年間、ガスの止まっていた家でお風呂に入る機会もなければ、着ている制服も、洗濯もクリーニングにも出していなかったのだから当然である。
「頂きます」
諸々の事はひとまず忘れて、僕は運ばれてきた料理に口を付ける。
香ばしい匂いを湛えた、ステーキ風の料理だった。
不器用ながらに握ったナイフで、僕がそれを切り分け口元へと運ぶと、口の中でほろりと肉の形が崩れた。噛んだ先から肉汁がじゅわりと溢れ出し、ほろ苦い若干のエグみを残した肉の味わいが、香ばしい匂いと共に口の中一杯に広がっていった。
続いて、野菜のスープにも口を付ける。
ニンジンとジャガイモと、これは玉ねぎだろうか? もしくはここは異世界なので、単に見た目と味が少し似ているだけで、実際は全くの別の野菜という事もあり得るか。
色々な野菜の味が染み込んでいて味わい深い。濃厚で、且つほんのりとした甘みのあるスープが、舌に残った肉のエグみと、絶妙な塩梅で絡み合っていた。
僕の様な素人舌でも、一口で美味しいというのが分かる料理の数々だった。
「…………」
――王国に協力すれば、毎日こんなご飯が食べられる?
そんな誘惑が、ふと胸に去来して、僕は料理に口を付けていた手を止める。
――《ロベリア王国》は信用出来ない。
これは僕の経験から来る、絶対とも言える確信だった。
実際に、それを裏付けるだけの証拠もある。
第一、王国に協力するという事は、連中の目的の為に戦争の道具となって人殺しをするという事であり、いくら日々の糧を得る為とはいえ、そんなこと出来る訳がなかった。
しかし、ここを逃げ出した所でどうなるというのだ?
僕にはここを逃げ出した所で、生きていく為の術がない。
《魔法》などという得体の知れない力が存在し、元の世界よりも遙かに危険な生物たちが跋扈するこの世界で、僕の様な非力な子供が一人逃げ出した所で、一体どうやって生きていけば良いというのだ?
………いや、元の世界に戻れた所で、それは変わらないか。
僕には元の世界に戻れた所で、それを温かく迎えてくれる家族も居なければ、生活を助けてくれる大人の知り合いも居ない。
子供が一人、孤立無援で日々を生きなければならないという点では、どちらの世界に残ろうがそれは変わらなかった。
……ならいっそ、こちらの世界でロベリア王国に恭順の意を示し、自分に《勇者》としての価値を見出して貰った方が、僕としてはマシなんじゃないのか?
「………っ」
そこまで考えた途端、僕は背筋にゾクリとした物が走り、即座にその血迷った思考を捨てた。
――ダメだ。自分に都合の良い様に考えるのは止めろ。
これではあの脳天気な連中と、何も変わらないじゃないか。
王国は、必要とあらば味方をも平気で切り捨てる様な連中だ。
自分達が召喚されたあの儀式の場で、僕はそれを目撃したばかりじゃないか。
例え王国に協力する道を選んだ所で、用済みとなれば捨てられるのがオチだった。
結局の所、どうにかしてここを逃げ出すしか、僕に生き残る道は無いのだ。
「………?」
机の正面からの視線を無視し、僕は気を取り直して、じっと店内の様子を窺った。
ここが屋内という事もあって、店の中にまで入ってきた兵士の数は、外で待機している兵士達に比べてもずっと数が少なかった。
さっきまで僕らを先導していた、あの胡散臭い銀髪のお姫様も、今は政務で一時的に城へと戻っているらしかったので、逃亡を企てるタイミングとしては、まさしく千載一遇の好機だった。
――行動に移すなら、今しかない。
初めの数口以外、殆ど手を付けていない目の前の料理に、どこか後ろ髪引かれるものを感じながらも、僕はタイミングを見計らって行動に出た。
「すみません。お手洗い、借りたいんですが」
「畏まりました。こちらです。ご案内致しますね」
丁度自分達のテーブルに、新しい料理が運ばれていきたタイミングを見計らって声を掛けたので、手の空いていた給仕さんは、率先してその案内を引き受けてくれた。
テーブル席から立ち上がり、僕が給仕さんの後ろに付いて食堂を離れようとすると、当然、この空間を見張っていた兵士の一人からも警戒して声を掛けられたが、その場で案内をしてくれていた給仕さんが自ら、「この方を只お手洗いにご案内するだけです」と説明してくれたので、僕達はそれ以上特に追求される事もなく、すんなりとトイレがある建物の奥の通路まで入れたのだった。
トイレの前で給仕さんにも別れを告げると、僕は途端に一人になる。
相変わらず食堂の方からは、大勢の人間達が騒がしく食事している音が聞こえるが、同じ建物の中でも、多少奥まった場所にあるこのトイレ付近には、見張り役らしき王国の兵士の姿も見当たらず至って静かなものだった。
「ふぅ……、落ち着け」
トイレの中に他に先客が居ない事を確認した僕は、ひとまず壁で仕切られている個室の一つへと身を隠し、気持ちを落ち着かせる為に深呼吸した。
いざ実際に、ここを逃げ出せるかも知れないという状況を目の前にすると、その緊張も一入。あまりの緊張感に、僕は軽い吐き気すら催していた。
今さっき換気用の窓から外を確認した限りでは、建物の外にも、見張り役らしき兵の姿は見当たらなかった。構造的に、この場所は丁度建物の裏手に当たる場所なので、王国側としても、流石にそこまで人員を割いてはいないらしかった。
何にせよ、こちらにとっては好都合だ。
トイレに行った人間が暫く戻って来なかった所で、怪しまれるには多少の時間が掛かるだろう。
もう一つの懸念点であった王女様も、政務でレストランを不在にしている今、この町からの逃亡を企てる上で、これ以上の好機は望むべくもない。
「……どうする?」
ここで進む事を選択すれば、もう後戻りは出来ない。
今でこそ懐柔策に訴え、優しい態度を装っている王国だったが、一度本気で逃亡を企てた人間を見逃してくれる程、連中も甘くは無いだろう。
最悪の場合、逃亡がバレてそのまま処刑という流れもあり得る。
ここで逃走に失敗するという事はすなわち、そのまま僕の“死”を意味した。
………やっぱり大人しく、ここで他の連中と一緒に残っていた方が良いんじゃ?
「……くそっ!」
僕はまたしても弱気になりかけた思考を、頭をぶんぶんと振って振り払う。
このままここに残っていた所でどうにもならないと、もう自分の中で既に何度も結論は出ている筈なのに、僕はどうしてこう肝心な所で決断が出来ないのか?
自分で自分が情けない。
進むも地獄、引くも地獄ならば、僕は自分の選択に後悔しない方を選ぶ。
昨日、そう決めたばかりじゃないか。
「…………よし」
今一度、決意を新たにして、僕はトイレの個室の壁にそっと手を掛けた。
壁側で段差が高くなっている便座の部分を足場にして、出来るだけ大きな音を立てないように注意しつつ、個室の壁をよじ登る。
仕切り板の上から個室の外の様子を確認し、他にまだトイレに誰も来ていない事を確認してから、僕は隣の空間へと飛び降りたのだった。
これで遠くから見た限りでは、自分がまだ個室の中に籠もっている様に見える筈なので、わざわざトイレの中にまで入って来て、下から個室の中の様子を確認しようとでもしない限りは、簡単にはこちらの逃走にも気付かれない筈だった。
入り口側に警戒しながらトイレの窓を押し開けて、僕は改めて建物の外の様子を確認する。
状況は先と変わらず、この窓から見える範囲では、建物の外にも逃走の障害となりそうな兵士達の姿は見当たらなかった。
これ以上状況が少しでも悪くなる前に動くべく、僕は押し開いた窓の隙間から身体を踊らせ、急いで下半身から外の地面へと着地したのだった。