第25話 首都《フォーレン》
――続きです。
第1章では作品世界への導入や、ヒロインであるルイスの復讐が話のメインだったこともあり、人物関係を巡ってのお話が中心であまり物語にファンタジーっぽさを出せていなかったので、第2章ではそこら辺を補強できたらなと思っております。
――《アトランダ大陸》南方に位置する小国、《フォルシア》。
国の北側に聳える四、五千メートル級の山々、《フォーレウン山脈》によって大陸の他の国々とは隔てられ、そこから流れ出す豊富な地下水を資源に、国の東側にある《ディモル平原》は、大陸でも有数の農業地帯として名を馳せていた。
そんな豊かな平原地帯を、幾つかの町を経由しながら、僕とルイスの二人は二週間ほど掛けて西へ向かって歩き続け、この国の首都である《フォーレン》へと辿り着いていた。
「…………」
町の入り口に立って見上げる先では、今も多くの人々が街道を行き来している。
ここ首都 《フォーレン》は、国の西部から北部へ向かって連なる山脈地帯と、東の平原地帯のちょうど入り口に切り開かれた都市であり、交易の要衝的な役割も果たしていた。
「私も、行きにちょっと立ち寄っただけだから、町を見回ったりとかはしてないのよね」
「ああ……」
僕達《勇者》が最初に召喚された町 《ルーペンス》も、町の真ん中に城があって、かなり大きな街だとは思っていたが、やはり小国とはいえ一国の首都ともなると、その大きさも町に溢れている活気も段違いだった。
東の平原地帯を進む旅の途中では、農村らしく田舎っぽい雰囲気の町ばかりを巡ってきたので、この国の首都がこんなに活気溢れる場所だとは予想もしていなかった。
精々農業が盛んな、ちょっと大きな地方都市だろう程度にしか思っていなかったのだ。
「先に、泊まる宿を決めちゃいましょうか?」
「ああ……」
山の谷間に沿って、斜面を丸ごと切り開いて出来たような巨大な都市の中を進む最中も、僕は人々が賑やかに行き交う首都 《フォーレン》の雰囲気に飲まれて、半ば放心状態だった。
隣を歩いているルイスの言葉に対しても、話半分で返事をしていた。
綺麗に石のタイルで舗装された道を歩き、人並みに飲まれそうになりながらも、僕達は谷の底部にある中央通りからは道を逸れて、町の南西側の区画へと入った。
「いつまでボーッとしてんのよ。ほら、コレあげる」
呆けながら町を歩いていると、目の前に香ばしい匂いの串焼きが差し出された。
笠に厚みがあるキノコと、何かの肉が交互に挟んである品だった。
「これ、何の肉?」
「鹿だって」
「鹿……」
牛肉や豚肉の場合、元の世界での感覚もあり、特にこれといった感慨は湧かないのだが、それが鹿の肉と言われると、途端にジビエ肉っぽい感じがしてくる。
与えられた串焼きを無心で頬張り、僕達は町のそこら中にある階段や坂道を上ったり下りたりを繰り返しながら、やがてはルイスが行きの旅路でも使っていたという、これといって特徴のない一軒の宿屋まで辿り着いた。
そこで適当に二人部屋で宿を取った後、僕は改めて一人で町へと繰り出す。
……まあ正確には胸元のポケットに、例の《ミテラの指輪》の力で、新しくリスの姿へと外見を変えられた奴隷の元王女様を連れているので、僕の完全な一人ではないのだが。
そんな中でも、武器屋の店先に並べられている品や、露店から漂ってくる食べ物の良い匂いを嗅いでいるだけでも、僕のテンションはかつてない程にまで高まっていた。
こういう純粋な観光みたいな経験だけでも、僕にとっては今日が初めてだったのだ。
高まるテンションのままに町を彷徨い続け、観光気分に任せては、店先で人間でもリスの姿でも食べられそうな木の実を買って、それを胸元の王女様に食べ与えたりもした。
途中、何の気もなしに眺めていた露店の店先で、実際は何の役に立つのかも分からない変な道具を売りつけられそうにもなったりもしたが、そういった旅先での雰囲気を味わえたのも含めて、楽しいと思える一時を過ごしたのだった。
――その後は散々道に迷って、辛うじて覚えていた串焼きの匂いを頼りに、泊まっていた宿へと戻ってきた時には、もうその日の夕陽が完全に西山の向こうへと落ちた後だった。
「遅いじゃない。大丈夫だったの?」
「迷った……」
宿の入り口で僕を待っていたルイスにも、呆れ半分に怒られてしまう。
気を遣って今日は僕を一人にしてくれた彼女にも、余計な心配を掛けてしまったようだ。
せめて自分が泊まっている宿の場所くらいきちんと覚えてから、町へ出掛けるべきだったか。
――夕食を食べに行く為に、今度は二人で連れ立って宿を発った。
この辺りにある安宿では、宿で食事が出ない事の方が一般的なのか、夕食の為に訪れた路地の一画にある町の酒場は、想像以上の賑わいを見せていた。
酒場の隅にあるテーブル席に僕達は二人で座り、食事をしながら今後の予定について話し合った。
「前にも話した通り、暫くはこの街に拠点をおこうかと思ってるの」
「ああ……、お金が無いんだっけ?」
《イウムの町》で過ごした一ヶ月間の滞在と、最後にそこで泊まっていた宿の家具代を諸々と弁償させられた件もあって、僕と出会う前にルイスが、大陸を横断する一人旅の間に色々と無茶をして溜め込んでいた資金も、そろそろ底を尽きかけているとの事だった。
なので暫くは、この国で最も大きな町である首都 《フォーレン》に拠点をおいて、旅の資金に余裕が出来るまでお金を稼いでから、次の場所を目指したいという事だった。
「何か、当てはあるの?」
僕達のような定職に付いていない旅の人間が、手っ取り早くお金を稼ごうと思えば、それはハンターギルドで魔物の討伐依頼を受けるのが一番である。
他にもっと安全に稼ぐ為に、町で日雇いや短期の仕事を探すという手もあったが、せっかく僕もルイスも、殊魔法に関しては人より恵まれている部分があるので、そっちを活かした方が断然効率的だった。
「狙い所は、《ゴブリン》ってとこかしら?」
「……ゴブリン? 名前だけは聞いた事あるけど、それってお金になるの?」
その名前を口にした途端、酒場に居る周囲の人から、僅かに視線を集めた気がする。
しかし先に事情を知っているルイスは、特にその様子を気にせず話を続けた。
「普段はあんまり。けれどこの国では、今ゴブリンの襲撃が頻発しているらしくって、その対策としてハンターギルドの方でも、今は依頼の報酬料に上乗せがされているらしいのよ」
「ほ~ん? 具体的には、どれくらい上がってるの?」
「昼間、ギルドを覗いてきた感じだと、ざっと一.五倍から二倍くらいって感じね」
「二倍か……、結構美味しいな」
《アトランダ大陸》の中でも南方に位置するこの辺りでは、そもそも土地の魔力量が少なく、危険な魔物自体があまり生息していないので、単価が高い仕事というのは元々数が少なかった。
単純にその稼ぎが二倍になると思えば、それだけでもかなり美味しい仕事である。
「でもゴブリンって、元の報酬が、実はあんまり美味しくないのよねぇ……」
「あ、そうなの?」
「ええ。別に肉が食用になる訳でもないし、他に何か素材自体に価値がある訳でもないから、魔物を倒した後の、ギルドへの持ち込み分なんかも込みで考えるなら……、正直、増額分込みでも、他の依頼とは大差ないって感じ?」
「ルイス自身も、過去にゴブリンの依頼を受けた事はないの?」
「まあね。報酬が美味しくない物を、わざわざ受ける理由もないし。意外と似たような理由で、ゴブリンを相手にした事がないってハンターは、この国でも多いんじゃないかしら?」
「で、そしたらどういう訳か最近は、其奴らから人間への被害が増えていると」
「大変よねぇ……。ま、私達はこの国の人間じゃないし、特にそこら辺を解決する義務も無いから、明日またギルドを覗いてみて、報酬次第でどうするかを決めましょ?」
この国の人達には申し訳ないが、こちらにも生活というものがある。
安い依頼料で慈善活動に勤しむ義務は、僕達ハンターには無いのだった。
そういうのはもっと、普段国から給料を貰っている正規の軍人などの仕事である。
※※※
――夕食を済ませ、帰ってきた宿の自室にて。
もう一人の同居人であるルイスが、所用を足しに部屋を離れているタイミングを見計らって、一時的に《ミテラの指輪》の効力を解いて、人の姿へと戻してあげていた王女様が、僕に話し掛けてくる。
「何故……、手を出してこないのですか?」
「……手を出す? それは僕がアンタにってこと?」
この場合、彼女の言う手を出すとは、恐らく性的な意味での事だろう。
実際、僕が彼女と《魔法契約》を結び奴隷としてから、既に二週間の時が経っているが、その間僕は彼女に性的な意味での手を一切出していなかった。
「……そうです」
「別にこっちは、そういうのがしたくてアンタを生かした訳じゃないしなぁ……」
「ならば何故、私をわざわざ生かしたのですか」
「……言っとくけど、こっちだってそういう行為に、興味がない訳じゃないからな? むしろ自分の純粋な欲望のままに振る舞って良いっていうんなら、アンタみたいな綺麗で可愛い娘を相手に、手を出さない方がどうかしてる。……アンタだって男の癖に、『自分はそういうのに一切興味ありません』なんて巫山戯た事を、堂々と口にする奴の言葉を、信じるほど馬鹿じゃないんだろ?」
「それは……」
僕のその自らの醜い欲望を隠そうともしない物言いに、彼女は少し考え込む様子を見せた。
「……ま、それでも敢えて僕がアンタに手を出さない理由があるとすれば……、それはやっぱり、元の世界での両親の事があるからじゃないかな?」
「貴方の……、ご両親ですか」
「ああ。あっちの世界に居た頃、僕は半ばあの人達の奴隷みたいなものだったんだ。……もっとも、こっちの世界の本物の奴隷と比べれば、それでも全然マシなものだったんだろうけどさ。……けれど自分が、過去に似たような目にあった経験があると、それを自分が他人にしたいとは中々思えないもんだよ」
「……偽善ですね。人をこうして、奴隷にまで堕としておいて」
「それは仕方ないだろ。あの場ではアンタを殺すか、こっちの奴隷にするしか選択肢がなかったんだ。確実に自分を恨んでいるだろう相手を、何の首輪も付けずに連れ歩ける程、僕だって愚かじゃないよ。……何ならアンタだって、一度はこっちの事を殺そうとしたんだ。 なら、これでおあいこだろ?」
「…………」
「もしあの時アンタが、本当は自分はどうしても死にたかったっていうんなら、どうしてこっちの言う事に素直に従ったんだよ? これから面倒な魔法契約を結ぼうって時に、それでも尚アンタが命懸けで暴れるようなら、こっちとしては諦めて殺すしかなかったっていうのにさ?」
部屋の中で黙り込み、言葉を返さない王女様に、僕は構わず話を続けた。
「理由は、別に話してくれなくてもいいさ。こっちだって無理に聞き出すつもりはないからな」
「……甘いんですね。私が、何か企んでいるとは思わないんですか?」
「いや? 十中八九、何かを隠してるとは思うよ? ……それとも、力尽くで聞き出して欲しいの?」
これはちょっと、意地悪な質問かも知れなかった。
「……いいえ」
「なら聞かないよ。それでお互い良いじゃないか。僕は別に、アンタを幸せにしたい訳でも、特別不幸にしたい訳でもないんだからさ。自分の良心が許す範囲で、精々アンタの事は好きにさせて貰うつもりだよ。……そのうち本当に、色々と我慢が出来なくなるかも知れないけど」
「…………」
「こんな自分を、不幸だと思うか?」
「…………」
下を向いて黙ったままで、彼女は言葉を返さない。
王族から、いきなり奴隷の身分にまで堕とされて、その胸中にはさぞ複雑な思いが渦巻いている事だろうが、それも全て自らの行動が招いた結果でもあるのだ。
「……結局さ、アンタは王族だから恨まれたんだ。王族であるが故に背負っている、その責務の所為でルイスを含めた色んな人から恨みを買って、今はこんな目にも合わされてる。……けれどそれと同時に、アンタが今生きているのだって、自分が王族であるからだろ?」
「……何が言いたいんですか?」
「……つまりだ。僕は確かに、アンタが王族だから助けた訳じゃない。……というか自分の身の安全を考えたら、本来なら直ぐにでもアンタの事は始末して、自分の過去の罪の証拠隠滅を図るべきなんだとすら思うよ。……けど実際、僕は男で、アンタは女だから助かった。それもまた否定出来ない事実なんだろうさ。……仮にアンタが王国の第一王子とかで男だったとしても、あの時自分が同じ行動を取ったとは、僕自身にも思えないからな。……けど、それって悪い事なのか? おかしな事なのか? アンタが王族であるが故に他人から恨まれたっていうのなら、男の僕にそれを思わず死なせたくないと思わせる程の美貌を、アンタが持って生まれたのだって同じ理由じゃないか」
「……?」
尚も意味が分かっていないのか、彼女は怪訝な表情でこちらを見る。
「……考えてみりゃ分るだろ。王族でしかも男なんてのは、大体見て呉れの良い女を嫁に迎え入れるもんだからな。アンタのお父さんも、そのまたお爺さんだって、過去に何代も美人の嫁を王族に迎え入れ続けてきた訳だ。そうやって何代も世代を重ねた末に生まれてきたのが、アンタという見た目超エリートのサラブレッドなんだよ。……だから本質的には、第一王女であるアンタがルイスから恨まれて殺され掛けたのも、逆に男の僕にこうして助けられて今生かされているのだって同じ理由なんだ。……なのに、その片方だけを恨んだり、疑問に思ったりするのって、おかしな事だと思わないか? いっそ自分のその外見の良さで、いつの間にか男の僕を誑し込んでいたくらいに思っときゃ良いんだよ」
「…………」
「……ま、折角の機会だ。アンタもこの機に自分の目で世界を見てみたら良い。自分の生まれた国に閉じ籠もっているだけじゃ、見えてこなかった物もあるだろ。その目で実際に、この世界の色んな物を見て考えた末に、それでもどうしてもっていうなら、改めてこっちの暗殺を考えるなり、僕を籠絡して国へ連れて帰って貰う方法でも考えたら良い」
……長々と喋り過ぎた所為で、最後の方は自分でも何が言いたいのか良く分らなくなってしまったが、それでも僕の言いたい事は彼女に伝えられたと思う。
結局の所、彼女が自分の今の境遇を、どう胸の中で処理出来るかが大事なのだ。
「…………」
最後まで無言のままで彼女に返事はなかったが、それでも多少の納得はしてくれたのか、彼女は夕飯用にこちらが買ってきたパンに静かに手を付けてくれた。
「……我ながら、自分でも面倒な性格してると思うよ」
――その言葉は彼女に向けてではなく、他ならぬ自分自身へと向けた物だった。
その後も無言でパンを食べ続ける彼女の様子を、僕も只黙って見守り続けた。