第20話 強襲
「何だ何だぁ? 敵は一人って聞いてたんだけどなぁ? 一人増えてんじゃねぇか! ……ったく、アイツら報告も碌に出来ねぇのかよ! つっかえねぇ連中だなぁ!」
夜の森で、口うるさく喚き散らす男を前に、僕達は臨戦態勢に入っていた。
無事に《ルーペンス城》での王女襲撃を成功させ、その後は衛兵達に見付かる事もなく、町からの撤退にも成功した僕らだったが、隣国の《フォルシア》への帰還を目指し、国境沿いに広がる《クユリナの森》を進み続けること程なくして、何処からか現れた王国の兵士達に捉まってしまっていた。
「ぶっ殺していい奴が一人増えたのはいいんだけどよぉ? 肝心の王女さんは、どこ行っちまったんだよ!? ……テメェらあれか? ひょっとして、オトリって奴か? もしかして俺、ハズレ引いちまいましたかぁ?」
「「…………」」
ベラベラと一人で喋り続けるその男の言動は全て無視して、僕達は二人で沈黙を保ち続ける。
彼の背後に控えている他の兵士達の動向も窺いながら、僕達はこの状況について、更なる周囲の警戒に当たった。
――敵の数は全部で九人。
彼らの一番前で喚いているこの男が、恐らくは敵のリーダーと見て間違いないだろう。
リーダーの彼も含めて部隊の全員が、若い王国の兵士達で構成されていた。
「ちっ、無視かよ! うざってぇ連中だなぁ!? 揃いも揃って妙なダッセェ仮面なんて付けやがってよぉ!? カッコいいとでも思ってんのかぁ!?」
素顔を隠す為に付けていた僕達の仮面を見て、リーダーの男が尚も口うるさく喚く。
出所をハッキリさせない為に、偶々《イウムの町》を訪れていた行商人から適当に買っただけの品なので、その外見的な良し悪しなど、こちらも端から気にしてはいなかった。
「まぁいい! どうせまとめて、ぶっ殺すだけだからなぁ!」
「あの……、マサヨシ様。せめて一人は生かしておいて下さらないと……、行方不明となった王女への手掛かりが――」
「わぁーってるよ! この能無しが! 言葉の綾っつーもんがあんだろうが! そんぐらいテメェで察しやがれっ!」
「も、申し訳ありません!」
如何にも頭の悪そうな暴言を繰り返すそのリーダーの男に対し、至極真っ当な意見を口にした部下である彼の言葉は、しかし理不尽な八つ当たりによって黙らされてしまった。
こんな器の小さい男に仕えなくてはならないとは、敵ながら彼らにも同情する。
「さっさと片付けましょうか」
まともに統率が取れていなさそうな敵の動きを見て、ルイスが億劫そうに口にした。
「……いや、ここは僕がやるよ」
「それは……、どうして?」
「お前、今日はもう結構な量の魔力を使ってるだろ? それに見た所、敵で遠距離攻撃が出来そうなのは、リーダーの彼奴一人みたいだし、それくらいなら多分、僕一人でも何とかなるでしょ」
敵のリーダーであるあの男は、僕が元の世界で通っていた中学時代の同級生。
顔に覚えがあるので王国の《勇者》と見て間違いない。
さっき部下達からも、“マサヨシ”とかその名前を呼ばれていた筈だ。
加えて彼が引き連れている部下達は、どうにも皆、腰が引けていて頼りない。
部隊を構成している者は誰もが、王国の若い兵士達ばかりで、恐らくはまともに実戦経験もない者が殆どなのだろう。
でなければ、あんな奴に隊長が任されたりはしない。
身に付けている装備に関しても、胸部の板金や肩当てくらいしかまともな物を装備しておらず、町の貧民街の警備に当たっていた衛兵達にすらも劣るような有様だった。
集団で取り囲まれない様にさえ注意すれば、これくらいなら僕一人でも勝機はある。
「ふ~ん? ま、貴方がそう言うなら良いけど。くれぐれも無茶はしないでね」
「安心しろ。勝てないと思ったら、尻尾巻いて逃げるから」
「……それを聞いて安心したわ。じゃ、あとは任せるわね」
「おう」
仮面の下でクスリと笑ってから、後方に離れて行くルイスの姿を、僕は横目で見送った。
遠慮のない物言いが却って僕の本心となって、控えに回った彼女を安心させていた。
こちらとしても、引き際を間違えるつもりは無い。
せっかく城での襲撃を成功させて、ここまで逃げて来たというのに、余計な格好を付ける為に大怪我を負うとか殺されるなんて、そんな間抜けを晒すつもりは毛頭なかった。
そんな事になるくらいなら、恥を掻いてでも全力で逃げてやる。
それに元々、ここで王国の兵士達を待ち伏せていたのは僕達の方だ。
何も別に、奇襲を受けた訳じゃない。
だからいざという時の合流地点も、戦いに利用出来そうな周囲の地形も、改めて打ち合わせをせずとも、最初から全部頭の中に入っていた。
「おいおいおい! だーれが逃げて良いっつったんだよ!? 勝手な事してんじゃねぇぞ!? テメェらも何ぼさっとしてやがる! さっさとあの逃げた女を追い掛けねぇか!」
「ハ、ハッ!」
男に焚き付けられた部下の兵士達は、僕を迂回する様にして森を回り込み、後方へ去って行ったルイスを追い掛けようと、空間の左右を走り抜けていった。
『モベント・テレジア、スーレ・ヴィア・テレジト。メメント・グール・ドーヴァ、ヘイム・ライエ・オラクト!!』
敵が二手に分かれたのを見て、僕も素早く魔法の詠唱を開始する。
ルイスを追い掛けようとしていた兵士の動きを足止めするべく、僕は詠唱の完了と共に、有りっ丈の魔力を込めた足で強く大地を踏み付けた。
足先を伝わり、魔力が大地を浸透していく。
グラグラと周囲の地面が鳴動し、僕を避け後方に走り抜けようとしていた兵士達の眼前に、巨大な岩の壁が迫り上がった。
「な、なんだっ!?」
「魔法か!? くそっ!」
突如として目の前に現れた巨大な岩の壁に、兵士達は恐れ戦き戸惑っている様子だった。
壁の高さは精々四、五メートル。しかし横幅は数十メートルにも及ぶそれは、夜の森で兵士達の視界を完全に塞ぎ、逃げ道のない牢獄となってその進路上に立ち塞がった。
元は追い掛けてくる兵士達を足止めして、自分が逃げる為に覚えた魔法なのだが、何の因果だかこれも、当初の想定とは全くの逆の使い方をされてしまっている。
「ふぅ……」
見た目の派手さ通り、僕が覚えている魔法の中でも一番の魔力を使う荒技なのだが、これであの兵士達も僕を無視して、簡単にはルイスを追い掛ける事など出来ないだろう。
誰にも見られていない仮面の下で、僕は少しだけ一人で良い気になっていた。
「……っと!」
足止めをしていた兵士達とは逆の方角から、不意に魔法の気配を感じて僕は振り返る。
『シーネラス・ディート・マグナ!! ベッド・フェルヌ・イテラ、シーム・カーダ・ムードゥ・ゲヘナ!!』
男の詠唱が終わると同時、正面から凄まじい熱量を秘めた炎の魔法が飛んで来た。
荒々しくも膨大な量の魔力が込められ、空間を焼き尽くしながら迫り来る火炎の渦。
それを瞬時に、自分に受け止められる物ではないと判断した僕は、横に跳躍しての回避を試みる。
視界を横切って通り過ぎていく灼熱の業火を、僕は余裕を持って見送った。
「ぎゃああぁぁああぁ!?」
「――っ!?」
完全に攻撃を避けたと思っていた軌道の先から、突如、身の毛もよだつ様な悍ましい叫び声が響いて来て、僕は驚いて声の方を振り返った。
「あ、熱いぃぃぃ!?」
「誰かぁぁ! 水ぅぅ!?」
――地獄だった。
業火によって焼かれた王国の兵士達が、火達磨になって地面をのたうち回り、赤熱した自分の鎧を剥がそうと藻掻いては、あまりの熱さで手を触れられずに苦しんでいる。
また、彼らの目の前にある岩壁の存在も、その地獄の原因だった。
逃げ道を失った魔法の業火が、その場で逆巻きながら燃え留まり、壁を伝って左右に燃え広がっては、行く手を塞がれていた兵士達の身を、その有り余る膨大な火力で何度も焼いていったのだ。
兵士達が登りにくいよう、岩壁を反しの構造にしていたのが仇になった。
壁の前一面に広がった焦熱の地獄が、若い兵士達の命を容赦なく焼き尽くしていった。
「ぁ……、ぁ………」
そして最後の一人も、ついには黒焦げとなって崩れ落ちる。
人の肉が焼ける、吐き気を催す様な匂いが辺りには充満し、目に見えない何かに向かって、縋りながら手を伸ばして崩れていった彼の姿を見て、僕達は全員言葉を失っていた。
――ただ一人、その魔法の業火を放った張本人である、あの男を除いて。
「ちっ、役立たず共が!」
あまりの凄惨な光景に、亡くなった彼らの敵である僕でさえ、言葉が出なくなっているというのに、その地獄を作り出した当の本人である彼だけが、まるで何事も無かったかの様に、平然と死んでいった部下達へ侮蔑の言葉を投げていた。
『シーネラス!!』
たった今亡くなった部下達の事は気にも留めず、マサヨシはまた同じ魔法の詠唱を始める。
そんな彼の姿を見て、僕は激しい嫌悪感を覚えたのだった。
『ウィル・ロッソ・ディア・フェスティオ』
素早い詠唱と共に、軽く足先で地面を蹴り、魔法で土の弾丸を地面から作り出した僕は、それをマサヨシに向けて発射する。
指先に狙いを定めて発射されたそれは、真っ直ぐな軌道を描き、空中で高度を落とす事なく彼の元まで飛来した。
「あ゛?」
――が、弾丸は衝突の直前に弾かれてしまう。
魔法の詠唱に集中していたマサヨシへと弾が直撃する寸前、彼の背後から進み出てきた部下の一人が、その身を挺してこちらの魔法から彼を守ったのだ。
鎧でも盾でもなく、自分の身体そのものを使って壁役となった彼は、殆ど自分の顔に魔法が直撃する様な形で、それでも背後で詠唱を続けるマサヨシの事を守っていた。
……この後に及んで、なんとも健気な忠誠心である。
「ちっ!」
悔しいが、これでは彼の魔法を中断させるのは不可能だ。
僕は直ぐに思考を切り替えて、二度目の攻撃も回避に専念せざるを得なかった。
一回目と寸分違わぬ威力で、灼熱の業火が飛来し、僕のすぐ真横を通り抜けていった。
「あの馬鹿っ! 森を火事にする気か!?」
背後に魔法が通り過ぎていった場所から、火の手が上がっているのを見て僕は叫ぶ。
水分を多く含んだ森は、そう簡単には火事にならない筈だが、あれだけの業火で二回も焼かれたとなれば話は別だ。
発火を防ぐ水分ごと奪われた森の木々からは、順次火の手が上がっていた。
このままでは、森が火事になるのも時間の問題だった。
手元に残っていた土の弾をバラして、僕は砂を掛けての簡易的な消火活動を試みる。
しかし、如何せん灯っている火元の数が多すぎて、僕一人では手が回りきらなかった。
仮にこの後、僕がマサヨシに勝てたとしても、森を火事にしていったのでは後味が悪過ぎる。
だから何としてでも、これ以上は森に火事が広がるのを食い止めなければ。
「くそっ! こうなったら、もうさっさとアイツを始末するしかないか!」
敵の動きに警戒しながらの作業では、埒が開かない。
消火活動の方に全力を注ぐ為にも、まずは敵のリーダーであるマサヨシを始末して、もう二度とあの魔法が使えないように黙らせるしかない。
そうして僕が、隠れていた木の陰から飛び出し、一気呵成にマサヨシの奴を叩こうと動いた時のこと――、
「――っ!!」
森の辺り一帯を、細かい水気を含んだ、霧雨の様な風が吹き抜けていった。
それによって、森に無数に灯っていた火の種は瞬く間に消えていき、風が通り過ぎていった後の森の木々は、表面を小さな水滴で覆われ、一雨降った後の雨上がりのような様相を呈していた。
これでもう火事の心配はないと、人知れず誰かに言われんばかりに――。
「彼奴……」
この場でこんな芸当が出来るのは、彼奴一人しか居ない。
彼女が得意とする《水》と《風》の属性を考えても、これが誰の仕業かは明らかだった。
……まったく、何という体たらくだ。
これまで作戦の本番から、脱出後の索敵まで、全部彼女に頼りっきりだった分を返そうと、僕がこうしてここへ残ったというのに、結局はまた彼女に迷惑を掛けてしまっている。
これでは何も出来ていないのと同じじゃないか。
何の為に僕がここへ残ったのか、分かったものではない
「……よしっ!」
僕は自分の両頬を思いっきり引っぱたいて、再度気合いを入れ直した。
――ここから先は、もう二度と彼女に迷惑は掛けない。
その強い決意を胸に、僕は再び戦場へと向き直った。