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復讐の狂想曲  作者: 路傍の小石
第1章
22/29

第19話  闇夜の暗殺者

「幸運を」


「お互いにな」


 互いの健闘を祈り、二人が同時に、その指へと《ミテラの指輪》を(あて)がった。


 指輪の変身を行う際の、淡い発光現象が夜の森を包み込み、人気のない森の中に一瞬だけ二人のシルエットが照らされる。

 その光の中、瞬きの瞬間にも視線がぐんぐんと低くなり、自分の身体の感覚が不思議と曖昧になっていった。


 そうして重力の(かせ)から解き放たれた身体が、風を感じてふわりと宙に浮き上がるのを感じた瞬間、僕らは力強く羽根を羽ばたかせ、夜の空に大空へと舞い上がるのだった。


 漆黒(しっこく)の闇に包まれた夜の森を飛び出し、眼下に(とも)る無数の町の明かりを視界に捉えながら、僕達は羽根の羽ばたき一回毎に、夜の空に高度を上げていった。


 子供の頃、鳥になって自由に空を飛びたいと願った事が、誰しも一度はあるだろう。


 その夢がまさかこんな形で叶うとは、夢にも思わなかった。


 指輪の力で鳥に変身しても、視覚や聴覚が人間の頃のままだったのは幸いだった。


 でなければ、眼下に広がる美このしい景色を、視界に収める事は出来なかっただろうから。

 ただ点々と(とも)る家々の明かりでさえも、今の僕には美しいと感じられた。


 先頭を行く、ルイスの背中を追い掛ける。


 暗闇の中、大空を舞う小さな鳥の姿を、視界だけで捉えるのは困難だったが、先を行く彼女が作り出した風の軌跡(きせき)が、僕にその行く手をハッキリと教えてくれた。


「「…………」」


 辿り着いた《ルーペンス城》の上空で、僕達はほんの数秒、鳥の姿でお互いを見つめ合う。


 空中で羽ばたきながら、お互いの存在と無事を確かめ合った後、僕達は作戦に沿って、暗殺対象である王女の寝室を探しに城の外周を左右へと散っていった。


 ……さて、どうやって王女の寝室を探し出そうか?


 当てもなく城中の部屋を順番に探し回っても良いが、窓から明かりが漏れている部屋の数は、一つや二つではない。

 これを上空で姿勢を制御しながら、一つ一つ中の様子を確認していくというのは、かなりの手間だった。


 どうせなら、ある程度の当たりを付けて捜索にあたるべきだろう。


 まず偉い人の部屋という事で、城の低い階層にそれがあるとは思えない。

 警備面の問題を考えても、最低でも城の二階、もしくは三階以上に王女の寝室はあるとみるべきだ。


 それから、日当たりが悪い城の北側の部屋も、恐らくは候補から外して良い。


 常識的に考えて、王族の部屋に日が差さないなどという事はあり得ないし、《ルーペンスの町》の北側外周には、景観の悪い貧民街が存在するというこの町の構造的な問題を考えても、それが視界に収まるような配置で、王族の部屋を用意したりはしないだろう。


 ――となると探すべきは、城の南側の上階か。


 最初はこの辺りの窓を、重点的に探していこうと思った。


 探し始めて一つ目の窓は、普通にハズレ。

 これは部屋ではなく通路の窓で、階段を歩いて塔の警備に当たっている兵士の姿が、燭台(しょくだい)の明かりに照らされた通路の奥に見えた。


 そして二つ目の窓も、結果は同じ。

 今度は(いし)(づく)りの通路だけで、奥には兵士の姿も見えなかった。

 蝋燭(ろうそく)に照らされた影の()らめきが、非常に紛らわしかった。


 流石に探す窓の場所が高過ぎたかと思い、今度は城の上の方を細く伸びている(とう)の部分ではなく、建物がちゃんと横に広くなって、居住区になっているであろう辺りにまで、僕は飛びながら高度を落とした。


 それから二つほど続けてハズレを引き、ようやくそれらしい部屋を発見する。


「……っ!」


 目を()らして部屋の様子を(うかが)う中、その奥に見つけた見覚えのある銀髪のシルエットに、僕の鳥の小さな心臓が大きく()ねた。


 緊張しつつも僕はもう少しだけ距離を()めて、落ち着いて中の様子を確認する。


 この距離から見える範囲では、部屋の中には他に人影は見当たらない。

 半開きになったカーテンの奥では、特徴的な銀髪を(たた)えた女性が、薄いピンクのネグリジェにその身を包み、机に向かって何か一人で作業をしている所だった。


 ―――間違いない!


 僕の記憶にある王女様の姿と、部屋の中に居る女性の顔が完全に一致する。


 驚きのあまり、僕は上空で姿勢を崩して落っこちそうになりながらも、急いで城で一番高い塔の頂上部まで移動した。


 そしてその塔の周りを、バタバタと必死になって飛び回ってアピールして、他の場所でまだ部屋を探している筈のルイスに、自分の存在とその発見を、全力で(しら)せたのだった。


 ――遅れて三十秒程、こちらのサインに気付いたルイスが、塔の頂上部まで合流してくる。


 自分と同じ外見の小鳥が下から()がってきたので、僕も直ぐにそれに気が付いた。


 目の前に飛来した彼女に()かされるまま、僕は彼女と連れ立って発見した部屋の前まで移動すると、その部屋の前の上空を素早く三回旋回して、自分が発見したこの部屋が、目的である第一王女の寝室で間違いない事を、彼女に伝えた。


「………っ!!」


 こちらの意図を理解したルイスは、開かれたカーテンの隙間から、自分も部屋の中の様子を窺う。


 そして部屋の中に居る銀髪の女性のシルエットを、じっくりと確認した彼女は、それが事前に自分が町で集めていた情報とも、過去に僕が話した証言の内容とも一致している事を、改めてその目で確かめたのだった。


 戻って来た彼女が下す決断を、僕は固唾(かたず)()んで見守る。


 合図された旋回(せんかい)の回数は――、一、二……、二回っ!


 どうやら彼女は、この小さな小鳥(ことり)姿のままで部屋への侵入を試みるつもりらしい。


 ……けれど、一体どうやって?


 この無力な小さい鳥の身体では、頑丈(がんじょう)な城の窓ガラスを突き破る事など不可能だろうし、変身時の代償として、今の僕達は魔法も使えなくなっている。


 本当に一体どうやって、部屋への侵入を果たすつもりなのだろうか?


 こちらがその動きを注視(ちゅうし)する中、彼女は華麗な滑空(かっくう)と、上空での姿勢制御を決めて、狭い城の外壁と部屋の窓ガラスの隙間へと、完璧に着地を収めてみせたのだった。


 ……マジか。


「ピィ……」


 自分にあんな真似が出来るとは思えないが、先に窓辺に()り立ったルイスが、片方の羽根を上げて、(あん)にお前も早く来いと(うなが)してくるので、僕には躊躇(ためら)う事も許されなかった。


 仕方なく僕も覚悟を決めて、上空からその地点への滑空と着地を試みる。


 ――――ゴンッ!


 そして、鈍い音が鳴った。


 滑空の勢いを殺し切れず、正面から部屋の窓ガラスに頭突きをかました僕は、激突時の衝撃で意識を失いかけて、狭い窓部の上をフラフラと彷徨(さまよ)った。


 その場で直ぐに尻餅を付き、(かろ)うじて窓辺からの落下コースだけは回避したが、それで力尽きた僕は、ぐったりと狭い外壁の上に身体を横たえる。


「…………」


 隣から、何か冷たい視線を感じる。


 お互い鳥の姿で、表情など分からない筈なのに、近くからは妙なプレッシャーを感じた。


 この肝心な時に、何やってるんだコイツは?とでも言わんばかりの圧である。


「ビ……」


 とりあえず倒れたまま片羽根を動かして、僕は意識だけでも残っている事を彼女に伝えた。


 ……鳥の姿で飛ぶ練習をしていた時間は同じ筈なのに、この技術力の差は何だ?

 隣から自分を見下ろしてくる彼女の存在に、僕は()も言われぬ敗北感を感じた。


 ――しかし、こうやって僕が無様を(さら)した事が、結果として(こう)(そう)した。


 部屋の窓に何かがぶつかった音を聞いた王女様が、それで異変を感じて、自分から状況を確かめに窓辺(まどべ)までやって来てくれたのだ。


 彼女は警戒しつつも窓のカーテンを押し開けて、慎重に部屋の中から周囲の様子を確認していた。


「あら……」


 窓の下に視線を向けた王女様と、目が合った。


 窓辺の狭い外壁(がいへき)の上に、力無く横たわっていた僕は、窓()しに自分を見下ろしてくるその存在に気が付いて、蛇に(にら)まれた(ねずみ)の様に固まってしまう。


 まだ身体の自由がきく状態でもない上に、思考までも完全なフリーズ状態だった。


 混乱する頭の中、間近(まぢか)まで迫った(かたき)の存在に、彼女はどういう反応を取るのだろうと視線に隣を向けると、ルイスは何故か不思議そうに、窓の向こうに居る王女様の存在を見上げながら、透明な窓ガラスを(くちばし)でノックしたりしていた。


 小鳥らしい仕草があざと過ぎて、一瞬、隣に居るのが誰だか分からなくなる程だった。


 頭の切り替えの速さも()る事ながら、自分のお兄さんを殺した(かたき)の存在を前に、迫真(はくしん)の演技力である。


 この透明な窓を開けてくれと(うった)えかける様なルイスの仕草に、すっかり騙されてしまった王女様は、ついには実際に警戒を解いて、片方の窓を開け放ってしまう。


 しかもルイスは、窓が開かれるその動きに反応して、一度は窓辺から飛び立つ仕草まで見せて、これで中身は人間だと見破るのは無理な程の、完璧な演技力を発揮していた。


 そんな彼女の演技力に脱帽(だつぼう)している中、窓辺に横たわっていた僕の身体が、窓の向こうから王女様に拾い上げられる。


 そのまま介抱(かいほう)でもするつもりなのか、王女様はぐったりしていた僕の身体を拾い上げると、それを柔らかい自分の部屋のベッドの上まで移動させたのだった。


 その(すき)を見てルイスもまた、窓の隙間から部屋へと飛び込んでくる。


「……心配ですか? 軽い脳震盪(のうしんとう)だとは思いますけれど……、こういうのって、放っておいて大丈夫なものでしたかしら? 念の為、誰かを呼んできた方が良いのかも」


 部屋の中をキョロキョロと警戒しているルイスの様子を見て、ふと王女様がそんな事を口にする。


「「――っ!」」


 しかし、こちらの心中(しんちゅう)としては、そんな言葉を聞かされてはとても穏やかではいられなかった。

 激突の衝撃で、意識が朦朧(もうろう)としていた僕も、計画を思い出して一気に思考が冴え渡る。


 折角(せっかく)、およそ完璧な状態で部屋へ侵入出来たのに、他に人を呼ばれたら面倒な事になる。


 最初に部屋に着地した机の上から、急いで僕が乗せられているベッドの上まで飛んできたルイスは、弱って倒れている僕の事などお構いなしに、(くちばし)で早くしろとばかりに、横から容赦なく僕の身体を突っついてきた。


 時間に余裕が無いのは僕も分かっている事なので、寝かされた姿勢のままでも、どうにかして彼女の足下へと口を伸ばし、その右足に()められていた小さな金色の指輪を、これまで何十回と重ねた練習の通りに、(くちばし)で器用に(はさ)んで取り外したのだった。


「なっ――!?」


 ――そして部屋の中を、閃光が包む。


 僕達にとっては、もう何十回と見た光景だ。


 ベッドの上で、もう一匹を心配そうに小突(こづ)いていた小鳥の身体が、突如として謎の発光現象に包まれたかと思うと、その白い光の中で、小鳥の身体はみるみるとシルエットを変えていき、やがては人の形になって部屋に現れたのだった。


 ――全ての時間を合せても、それは(わず)か五秒足らずの出来事だった。


 指輪の変身が解除された途端、ルイスが素早く魔法の詠唱を完了させ、そして彼女が放った渾身(こんしん)の一撃が、無防備(むぼうび)だった王女の腹部へと炸裂(さくれつ)していた。


『フラクトォ――・テレブレアッ!!』


 衝撃が、部屋を突き抜ける。


 その進路上にあった全ての物が吹き飛び、短い詠唱ながらも確かな魔力を込めて放たれた一撃が、まさに万感(ばんかん)の思いを持って、この国の王女である彼女の腹を貫いていた。


「…………」


 (もの)()わぬ身体となって、王女が崩れ落ちる。


「はぁ……、はぁ……っ!」


 それを肩で息をしながら支える、ルイスの荒い呼吸音だけが、(あるじ)が居なくなった部屋で印象的に響いてた。


 ―――終わった。

 たった今、全てが。


 予定通り奇襲は完全に成功し、ルイスは自分のお兄さんを殺した(にく)(かたき)を、たった今、ここに()ったのだ。


 最初はあれだけ、荒唐(こうとう)無稽(むけい)に思えた王国への復讐劇も、今ここに全てが成就(じょうじゅ)してしまった。


 自分が大事(だいじ)を成し遂げた事への達成感と、同時に犯してしまった罪への意識に(さいな)まれながら、僕は部屋の床に倒れて動かなくなった王女様の姿を、先程まで座っていた彼女の(ぬく)もりがまだ僅かに残るベッドの上から、何とも言えない思いを胸にじっと(なが)めていた。


 部屋の窓辺で倒れていた小鳥を助け、それを心配する優しい彼女の姿と、僕達《勇者》を(おとし)め、ルイスのお兄さんまでも自分の国の為に殺した、厳格な施政者(しせいしゃ)としての彼女の姿。


 彼女にとっては、果してどちらが本当の姿だったのだろうか?


 その問い掛けに答える者は、もうここには残って居なかった。


「「…………」」


 ――三人分の沈黙が、重く部屋を包んでいた。


「――姫様! (いま)(がた)、部屋で大きな音がしましたが、ご無事ですかっ!?」


「「……っ!」」


 沈黙を(やぶ)り、部屋の外から大きな声がして、僕とルイスは同時に(とびら)の方を振り返る。


 ……マズいっ! さっきの騒動を聞き付けて、もう部屋に人がやって来た!


 声の(しつ)からして相手は女性で、恐らくは寝室の近くで控えていた王女の侍女か何かだと思われるが、この騒ぎでは直ぐに他に人が駆け付けてきて、城中が大事(おおごと)になってしまうのも時間の問題だった。


 考えてみれば僕達は、こんな所で落ち着いて感慨(かんがい)などに浸っている場合ではなかったのだ。


 一刻も早く、この場から逃げ去らなければ。


『クァーラ・グラシオ!!』


 外の声に反応したルイスが、大部分の詠唱を省略して、素早く魔法を放つと、部屋の扉が瞬時に氷に覆われて(こお)り付く。

 僅かだが、これで時間も稼げる筈だ。


「指輪は!?」


「ピッ!」


 近くに転がっていた指輪を持ち上げ、僕も小鳥姿で精一杯の声を張り上げる。


 流れるような動作で僕からそれを引ったくった彼女は、しかしまた何を思ったのか、それを自分ではなく、床で意識を失い倒れている王女様の指へと(あて)がうのだった。


「ピィ!?」


「分かってる! あとで説明するから黙ってて!」


 光の中、小鳥の姿となって縮んでいくその王女様の姿を見ても、あまりに当初の予定とは()け離れすぎていて、こちらも理解が追い付かない。


 早く逃げないと自分達の命までもが危ないこの状況下で、ルイスの奴は一体何をやっているんだ。


 小鳥の姿で僕が上げた情けない困惑の叫びも、意味も無く彼女に制されてしまう。


 変身の光が収まり部屋の床に散らばった衣服を、ルイスが乱雑に拾い上げる。


 持ち上げた衣服の隙間から、馴染み深い茶白色の小鳥が、ゴロゴロと部屋の床に転げ落ちた。


 襲撃の為に、指輪の効力を解いて素っ裸だったルイスが、強奪した王女の寝間着へと袖を通す。


「王族だけあって、良い生地使ってるわね!」


 薄いピンク色のネグリジェは、どう考えても外出向きの衣装ではなかったが、それでも全裸姿よりは幾分(いくぶん)かマシかも知れない。


 最後に、足下の床に落っこちていた()()を乱暴に拾い上げたルイスは、僕に向かって腕を伸ばして叫んだ。


「捕まって!」


 ……もう何が何やらだ。


 彼女の行動の意図を僕は何一つ理解出来ないままに、半ばヤケクソのような気持ちで、伸ばされた腕の中へと飛び込むのだった。


 薄い寝間着越しに、羽毛に覆われた自分の身体が、がっしりと彼女にホールドされる。


 胸元のそのポヨンとした柔らかい感触とは裏腹(うらはら)に、自分の身体が、彼女によって必要以上に強く固定されているというその事実が、僕の胸に嫌な予感を沸々(ふつふつ)と沸き上がらせるのだった。


 ……ちょっと待て。こいつ人の姿で、どうやってこの城から逃げるつもりなんだ?

 ここまで僕達が、どうやって辿り着いたと思っている。


 その疑問の答えは、彼女が新しく始めた魔法の詠唱で、直ぐに明らかとなった。


『クウィスト・ヴィンス・ワンダ、アール・トーラ・プロダー、キース・ア・バーナ、ヘイヴ・ヨ・アッセンディオ!!』


 魔法の詠唱を高らかに(とな)()え、ルイスが窓辺に足を掛けて、強く城の外壁を蹴ると、彼女の後方を中心として、先程の衝撃を凌駕(りょうが)する勢いで(すさ)まじい爆風が発生した。


 猛烈な爆風の勢いで僕達の身体が上空へと(はじ)き飛ばされ、その胸に強く抱き抱えられていて周囲の様子が分かり辛い僕の耳にも、ゴウゴウと五月蠅(うるさ)いくらいの勢いで、周囲を風が流れていくのが分かった。


 馬鹿げた話だが、本当に風を受ける()も羽根も無しに、ただ純粋な風の力だけで、人の身体が空を飛んでいた。


 こんな力技で強引に空を飛んで逃げようとするなど、やはり全くもって正気の沙汰じゃなかった。


 城を飛び立つ瞬間、後方で窓ガラス諸共(もろとも)に、部屋の物全てが弾け飛ぶような破砕(はさい)音まで鳴り響いていたし、もうとにかくやっている事が無茶苦茶だった。


『クウィスト・ヴィンス―――』


 上空で二度、三度と、同じ魔法の詠唱が繰り返される。


 その度に、周囲を吹き荒れる風の風量が強くなっていた。


 僕は加速の度に、自分が彼女の腕の間から転げ落ちるんじゃないかとヒヤヒヤして、風の勢いに比例して強く押し当てられる胸の感触を、味わっている余裕など何処にもなかった。


「着地! 備えて!」


 咄嗟(とっさ)の声に反応する間もなく、空を飛ぶ僕達の動きに急な制動(せいどう)が掛けられる。


 時速数十キロの豪速で飛んでいた身体に、突如として掛けられたその急な制動に耐えきれずに、僕の小さな丸い身体は、ゴロゴロと森の草むらの中を転がった。


 森に生い茂る雑草がクッションとなってくれたお陰で、大した衝撃は受けなかったが、代わりに懐かしくも土臭い森の匂いが、鼻の中一杯に広がっていった。


「聖一っ!?」


 ルイスがこちらを呼ぶ声が聞こえるが、頭上まで背の高い草で覆われていて、この暗がりでは何も見えそうにない。


 土臭い森の匂いに鼻が揉まれて、嗅覚まで麻痺しそうだった。


「ピ、ピィ……」


「聖一! 良かった! 無事だったのね!?」


 夜の森に響いた、か(ぼそ)い鳥の鳴き声を頼りに現れたルイスは、雑草を掻き分けて、草葉(くさは)に埋もれていた僕の身体を乱雑にだが急いで拾い上げる。


 本当に心配しているのなら、もう少し丁寧に扱って欲しい所だった。


「怪我してないわよね!? すぐに荷物の所まで戻るから、貴方も早く――」


 ――しかし、彼女のその言葉の先は、目の前を覆った閃光によって掻き消されてしまう。


 指輪による変身が解除される合間(あいま)、またしても五感(ごかん)を含む全ての感覚が一瞬だけ遠くなり、それらの感覚がまた戻って来た時には、僕は夜の森に素っ裸で立たされていた。


「ちょおーい!? 何でここで人に戻しちゃうのぉ!?」


「あっ……。ごめん……、忘れてた」


「くっそぉ!?」


 僕は股間(こかん)の物を反射的に両手で覆い隠し、情けなく内股(うちまた)になってそれを叫んだ。


 本当に忘れていたと言わんばかりの、彼女のキョトンとした態度が余計に腹が立った。


「うっ……」


 ダメだ……、まだ頭がクラクラする。


 ようやく、城で頭を打った脳震盪(のうしんとう)(なお)りかけた所に、さっきのあれだ。


 僕はその場で立っている事も出来ずに、片膝(かたひざ)を付いて地面に(くず)れ落ちた。


「えっと……、もう一回鳥に戻る?」


「いいよもう! 夜の森で何度もピカピカ光ってたら、余計に目立つわ!」


 民家に隣接(りんせつ)した暗い夜の森に、全裸の男と、薄い寝間着姿の女性が一人。


 どう考えたって事件である。


 心情的な事を言うなら、王女暗殺の現場を誰かに見られるよりも(はる)かに嫌だった。


「そ、そう……?」


「それよりほら! 荷物の場所、近いんだろ? さっさと行こうぜ!」


「えっと、その……、ごめんね?」


「いいから!」


 気不味(きまず)そうに何度も謝ってくるルイスを急かして、僕は一刻も早く、森に自分達の荷物を隠している場所へと彼女を追い立てた。


 時折(ときおり)、前方からチラチラと後ろを振り返ろうとするルイスに、(にら)みを()かせながら、僕は頼むから今だけは誰にも見付からないでくれと、必死の思いで夜の森を走るのだった。


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