第10話 初めての依頼
「これで全部ですか?」
「はい。ハンター登録をされてない方でも受けられる依頼ですと、これで全部ですね」
「う~ん……」
木製のカウンターの上に並べられた書類を見比べて、僕は一人うんうんと唸っていた。
町の通りすがりの人に教えて貰った情報を元にやって来た、《ギルド》と呼ばれる施設。
そこで僕は、日雇いの仕事を探すべく残っている依頼を物色している所だった。
「ここは小さな町ですからね。住民の殆どがお互いに顔見知りなんです。ですから、もし人に依頼する様な仕事があっても、大抵はちょっと知り合いに声を掛けるだけで解決してしまいますし、その上でわざわざ、ギルドに依頼が出される様な物ともなりますと……、この町の人達だけでは解決出来ない面倒な依頼や、何か特殊な事情があって、この町の人達が依頼を受けたくないと思ってしまう様な、事情の込み入った依頼ばかりなんです」
「そうか……」
確かに、納得の理由である。
普通に知り合いに少し頼めば解決する程度の事を、わざわざギルドにまで赴いて、お金を払ってまで他人に解決して貰おうなどと考える理由もないだろう。現にこうして、残されている依頼の数々を見てみても、無理難題だと感じるものばかりだった。
一ヶ月以上も前に出された行方不明になった飼い犬の捜索依頼とか、突拍子も無さ過ぎて、最早何を手掛かりに探したら良いのかすら分からなかった。
「あっ、でも、これなんかは良いんじゃないですか?」
カウンターの上に並べられた成功の見込みすら怪しい依頼たちの中から、僕は目に付いた一枚の紙切れを引っ張り出す。
――依頼の内容は、教会の裏庭に生えた雑草の処理。
この達成報酬の二千 《リア》というのが、具体的にこちらの世界でどれだけの価値を持っているのかは僕にはまだ分からないが、例え他の依頼と比べて報酬の金額が少なくとも、こちらの努力次第で、ちゃんと成功の見込みがあるだけマシに思える内容だった。
「その依頼でしたら、えっと……」
「何か、あったんですか?」
その気になれば、誰にでも熟せそうな簡単な依頼なのに、何故か受付を渋る職員のお姉さんの反応が気になって僕は訊ねた。
「その依頼を出された方、数年前にこの町へやって来た教会のシスターさん何ですが……、最近ちょっと、この町の町長さんと問題を起こしまして」
「問題?」
周囲の視線を気にしつつ、カウンターの向こうから職員のお姉さんに、ちょいちょいっと手招きされたので、僕も無言で身体を寄せて聞き耳を立てる。
「はい。その……、痴情の縺れと言いますか、身体の関係を迫られたみたいで」
「あ~……」
「それで彼女、お酒の席で余りにも堂々と、町長さんからの誘いを断ってしまったものですから、周りの人達からもかなり注目を集めてしまって……、この町の人はちょっと、そのシスターさんからの依頼、受け辛いんですよね。提示された依頼の報酬額も、相場よりかなり安いものですし」
職員の姉さんからの説明で、僕も事情は大凡理解した。
確かに町の人たち皆が顔見知りというその状況で、わざわざ町で一番の権力者に目を付けられてまで、安い金額で慈善事業に励みたいと思う物好きはそう居ないだろう。
若干、町の人達のことを薄情だなと思わなくもないが、こんな狭い町だからこそ、村八分にされては生き辛いという特有の事情もあるのだろう。
それを部外者の僕が責めるのは、酷というものだった。
「なら、その点、僕には関係ないですね」
「……え?」
職員のお姉さんの困惑した反応を余所に、僕はカウンターの前で少し腕を広げ、自身の薄汚れた格好をアピールしながら続ける。
「僕はほら、こんなんですし、所詮は流れの余所者ですから。この町の人達に恨まれても、特に関係がないな~、と」
「確かにそうかもですが……、でも本当に宜しいんですか? 依頼の報酬だって――」
「確実に手元にお金が入るなら、何でもいいです」
彼女の反応から察するに、この報酬金額の二千リアというのは、本当に大した事のない金額なのだろう。だが手元の所持金がゼロで、少しでも目先の稼ぎが欲しい僕にしてみれば、確実に収入を得られる機会があるのなら、それを逃す手はなかった。
「……分かりました。そこまで仰るのでしたら、こちらの依頼、受領させて頂きます。では新しく受付書類を作りますので、こちらの受領書にサインを頂いても宜しいですか?」
慣れない羽根ペンとインクの扱いに、最初はかなり戸惑ったが、僕はどうにかして渡された紙面に自分の名前を書き入れて、受付の書類を完成させた。
「受付の手続きは、これにて完了です。依頼者の方が居られる町の教会は、このギルドの建物を出て、道なりを北東へ向かった先にあります。薄い水色の屋根が目印ですので、一目見て頂ければすぐに分かると思います」
「えっと……、北東って、どっちの方向ですか?」
「そこの正面の入り口を出て、左斜め前の方向ですね」
肝心の方角が分からなかったので、正直に職員のお姉さんに聞くと、今度は指でしっかりと方向を指し示し、分かり易いジェスチャー付きで教えて貰ったので、この町に来たばかりで土地勘に疎い僕でも、流石に間違える事はなさそうだった。
「その……、ありがとうございます」
「……?」
依頼者の居場所も分かったので、僕がお礼を言ってギルドを立ち去ろうとすると、何故か僕の方が先に、職員のお姉さんからお礼を言われてしまった。
……なんだかよく分からないが、とりあえず僕の方もペコリと彼女に一礼してから、ギルドの建物を後にしたのだった。
教えて貰った通りに町を歩いていると、目的地らしき教会は思いの外すぐに見つかった。
この《イウムの町》は、町の中心街を少し外れてしまうと、あとは広大な畑や牧草地の合間に点々と家が建っているだけで、半分は草原と一体化している様な状態だった。
その分視界が遠くまで通るので、あとは目的の建物さえ見失わなければ、道に迷う心配もない。
「…………」
……しかし、本当に見渡す限り畑と牧草地しかない。
これだけ広大な畑があるという事は、同時にそれを補えるだけの大きな水源も必要だと思うのだが、この近くには川らしきものは流れていなかった。
ひょっとして町の地下に、地下水でも通っているのだろうか?
町の北の遙か遠方には、青々とした山の影が見える。
もしかしたらそっちの方から、地下を通って水が流れてきているのかも知れなかった。
そんな事を考えながら歩いている内にも、目的地の教会まで辿り着いた。
薄灰色の外壁に、天辺に三日月を掲げた淡い水色の屋根。
ギルドからおよそ伝え聞いていた特徴と一致する。
ここが、依頼を出した例の教会で間違いないだろう。
「入っても、大丈夫かな?」
中途半端に開かれたまま放置された鉄格子の門を前に、僕は無断でどこまで入って良いものか判断に迷っていた。
奥にある建物の方からは、一応、中に人が居るらしき声もするので無人という事はないだろうが、代わりに敷地の入り口にある教会の門には呼び鈴の類も存在しないので、無断でどこまで入って良いものか中々に判断が難しい所だった。
「御免下さ~い?」
どう考えても聞こえる筈のない声量で、僕は恐る恐る門の向こうから呼びかけてみる。
「…………」
――返答は沈黙。
当然、いつまで待っても、それに応えなど返ってこなかった。
仕方がないので僕は無断侵入の方を選び、直接に教会の扉をノックする。
「はーい」
すると直ぐにでも、扉の向こうから返事がある。
若い女性の声だった。
内側から開けられた扉の先に立っていたのは、青と白の修道服に身を包んだ、どこか抜けた感じのある、二十代前半くらいの教会のシスターさんだった。
「どちら様でしょうか?」
「これ、ギルドの方で依頼を受けて来たんですが」
預かっていた受領書を見せて、僕は簡潔に自分がここへ来た用件を伝えた。
異世界の学生服という自分の格好を怪しまれるよりも前に、素早く行動を起こした。
「本当だ……。あっ、いえ、すみません! すぐに“マザー”を呼んで参りますので、ここで少々お待ち下さい!」
こちらが渡した受領書を確認すると、彼女は急いで建物の奥へと引っ込んで行ってしまった。
教会の入り口に、僕一人だけがポツンと残される。
残された部屋の中、並べられた椅子の隙間から、チラチラとその影に隠れてこちらの様子を窺っている子供達の姿が目に入った。
彼女達は、この教会で預かっている子供達だろうか?
小さい子供の相手が苦手な僕は、顔の表面にぎこちない愛想笑いを貼り付けて、ただ只管に、その受領書を持っていってしまったシスターさんが戻るのを待った。
「貴方が、依頼を受けて下さった方ですか?」
「はい……、そうですけど?」
暫くして、部屋の奥にある扉から二人のシスターさんが現れる。
一人はさっきも会った若いシスターさんで、もう一人は高齢のシスターさんだった。
若くてそそっかしい感じの彼女とは対照的に、年相応に落ち着いた雰囲気の女性だ。
こちらの女性が、ここの施設の責任者と見て良さそうだった。
「ギルドから、何か預かっていたりはしませんか?」
「えっと、それでしたら……」
……さっき貴方を呼びに行った彼女が、それを持って行った筈なんですが?
「あっ! マザー、これ……」
僕が向ける疑問の視線で、ようやく自分が手にしている物の存在を思い出した彼女は、直ぐに取り繕って、それをマザーと呼ばれていた女性の胸元へと押し付ける。
「まったくお前は……、そういう物を預かっていたのなら最初に渡しなさい。お客様にも失礼でしょうに」
「すみません……」
謝罪としてマザーはこちらにも頭を下げてから、ギルドの受領書へと目を通した。
「ふむ、受領書は確かなようですね。先程はとんだ御無礼を働き、大変失礼致しました。わざわざこんな町外れの寂れた教会までご足労頂き、ありがとうございます。……ですが、本当に宜しいのですか? こちらの事情については、ギルドからも大凡伺っているのでしょう? 我々の依頼を受ける事で、貴方様にも何か、ご迷惑が掛かってしまうのではありませんか?」
「その辺は、まあ……、僕にも色々と事情がありまして」
ギルドでこの依頼を受けようとした時と同じく、やけに謙った対応をされる。
これまで人から、あまりそういった対応をされた経験がないので妙な気分だった。
「左様でございましたか。それでしたら、こちらから言える事は何もございません。改めてご依頼の件、よろしくお願い致します」
畏まった挨拶も程々にして、僕らは早速、依頼にあった教会の裏庭へと向かった。
――が、そこにあった想像以上の惨状を見て、僕は思わず固まってしまう。
「おぉう……」
「酷いものでしょう? 何せ長い間、ずっと手付かずでしたから。もし依頼の額に見合わないと思われるのでしたら、今からでもお止めになって頂いても結構ですよ?」
教会の裏庭に生え伸びた雑草は、既に人の背丈ほどの高さにも達しており、昨日まで散々《クユリナの森》の中で見てきた、森の無秩序な植物たちと比べても、何ら遜色ない状態だった。
生え伸びた雑草の背丈が高過ぎて、敷地の向こう側すら見えない。
「大丈夫です……、多分。どうせ根元を切れば一緒ですから。それと道具の方は、一応こちらで用意して貰えるんですよね?」
ギルドで見せて貰った書類には、雑草の処理に使う道具一式は、先方が用意してくれると書いてあった。
でないと僕は、手持ちのサバイバルナイフ一本で、この雑草の群れと戦わなくちゃいけない事になる。
流石にちょっと、希望が見えなかった。
「はい、少々お待ち下さいね。今、あの子が持ってくる筈ですから」
マザーに言われた通り、いつの間にか居なくなっていた、若い方のシスターさんが戻るのを待っていると、やがて雑草の奥、教会の裏手の方からガタゴトと大きな音が鳴った。
「…………」
「「………?」」
しかし、それからどれだけ待っても音沙汰がない。
疑問に思って、僕とマザーが顔を見合わせていると、暫くして何故か件のシスターさんは、僕達と同じ様に、教会の建物を側面から回って現れたのだった。
「ごめんなさい。裏口の扉、開かなくなっちゃってて……」
「…………」
……この教会、本当に大丈夫だろうか?
見た所、ここの職員は彼女たち二人だけみたいだし、他人事ながら何だか色々と心配になってきた。
教会に預けられている子供達の面倒だって、見なくてはならないだろうに。
「あと、スコップの方はともかくハサミの方は、留め金の部分までかなり錆びちゃってて……、あんまり使い物にならないかもです」
「……なんとかします」
実際に試してみたが、案の上ハサミの方は、開閉部が錆びていて使い物にならなかった。
非常に申し訳なさそうに去って行く二人のシスターさん達に見送られてから、僕は教会の裏庭で一人寂しく、雑草の群れとの戦いを開始した。
錆び付いて使い物にならなかったハサミは、まだ完全には錆びていない刃の部分を押し当てて、強引に植物の根を捻じ切る用途で使った。
明らかに本来の使い方ではないが、それでも刃渡り数センチのナイフ一本で、この山と化した雑草の群れ全てと戦うよりかは、幾分かマシな気がした。
他に制服の下に着ていたTシャツを、ナイフで切って軍手代わりにもした。
どのみち血と体液を吸って酷い有り様だったので、捨てる予定だった物だ。躊躇いはなかった。
持てる知恵と道具を総動員しての作業は、夜中まで続いた。
実際は自分の体力の無さが祟って、頻繁に休憩を挟みながらだった所為もある。
おかげで想像以上に時間が掛かってしまった。
純粋な力だけが頼りの重労働は、普通にキツい。
日が沈む前に一度、例の若い方のシスターさんが、差し入れを持って来てくれた。
彼女はこれから、町の中心街にある酒場の方へ、出稼ぎに出るらしかった。
子供も含めた五人分の食費を、教会への寄付だけで賄うのは厳しいのだから仕方がない。
町の人も人で、町長さんと問題を起こしたというそのシスターさんを、今も同じ酒場で雇い続けてくれている辺り、やはり完全には悪い人ではないのだろうと思った。
単に表立っての支援がし辛いというだけで、これといった悪意はないのだろう。
半日掛かりで続けた雑草処理の作業を、日を跨ぐ頃になってようやく無事に終えた僕は、その日は教会側の厚意で、泊めて貰える事になった。
流石に向こうも、あんな格安の賃金だけで働かせるのは申し訳ないとの事だった。
そして翌朝になり、ついでに朝食まで一緒に御馳走になった僕は、一宿二飯分のお礼をきちんと彼女たちに伝えてから、諸々とお世話になったその教会を後にしたのだった。