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馬と羊  作者: 光咲羽香
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 受付前ピットへ戻ってきた川越の顔は青白かった。逆に早川の顔は高揚していた。

「早川さん。子供みたいにはしゃいでましたね」

 川越が脂汗をハンカチで拭きながら、助手席から降りてきた。

「そうですか?どうです、すごかったでしょうこの加速感」

 早川は自慢げに運転席から降りてきた。

 車の運転をすると人格が変わる人がいる。早川はまさにその人である。


「お疲れ様でした。ありがとうございました。今日の夕方のニュースで流させていただきます」

 青白い顔をしながら川越は深く頭を下げた。早川も同じように深く頭を下げた。

「ぜひ、CR1の加速感を伝えてください」

 

 早川はテレビクルーを見送ると、テントの裏へパイプいすを持って歩いて行った。「カチャ」と音をさせてパイプいすは開かれた。早川は重い腰をパイプいすへ沈めた。スーツの内ポケットからタバコケースとライター、そして携帯灰皿を取り出した。携帯灰皿はそのままアスファルトの上に置かれた。

 タバコケースをトントンと叩いて、白くフワフワしたフィルターに自分の口を近づけた。一本だけ箱から飛び出たフィルターを歯で軟らかく噛むと「スッスッ」と音をさせてタバコを引き出した。

 早川は右手に握られたライターでタバコに火をつけると、ライターとタバコケースをスーツの内ポケットにしまった。

タバコの先からたなびく煙が、ゆっくりと秋空に吸い込まれていく。早川は「この煙もいつかは雲になるのかな?」などとバカなことを考えてみた。

 雲は水蒸気からできている。煙が雲になるわけはない。そんなやり取りを子供としている妄想に早川はかられていた。小学校低学年くらいの子供なら、そんな疑問をいだくだろうなと、早川は勝手に想像した。

 早川の視界には、芝生でお弁当を食べている家族連れの姿が入ってきた。もし、自分が馬ではなく羊だったとしたのならば、五十年間の人生において二度、あの家族連れのように公園でお弁当を食べる機会があったのかもしれない。

 一度目は自分が子供として、二度目は自分が親として。秋空の下、芝生の上に穏やかな幸福感を漂わせていたかもしれない。

早川は芝生の上で駆け回る親子を見て、大きくタバコの煙を宙に吐いた。

 小学校低学年くらいの女の子二人が早川の前を走りすぎていった。その足はブランコや鉄棒などの遊具が置かれたエリアへ向かっていた。

「ねえねえ、ギッタンバッコンやろう」

 女の子二人は、木製の長細い立方体の板に交互に別れて座った。板の先端付近に取り付けられた鉄製のT字型ハンドルを両手で握ると、板の上にまたがった。

「いくよ、せーの」

「ギッタン」

「バッコン」

 女の子が交互に効果音のように「ギッタン」「バッコン」と掛け声を駆け出した。

「ギッタンバッコン。懐かしいな。シーソーのことだ」

 早川は、板の上で上下する女の子の喜ぶ顔を見ながら呟いた。女の子二人は、空に近い位置へ自分の体が浮かび上がると「キャーッ」と甲高い声を上げてはしゃいだ。

〈子供が喜んで叫ぶ声と、F1のエンジン音。俺はF1のエンジン音のほうが好きだと思っていたが、子供の声もいいな〉早川はそんなことを考えながら、煙を口から小さく吹いた。

 生きがいを感じていた仕事が奪われると、今までの人生と今後の人生を天秤にかけてみたくなる。基点に対して九対一で左右に力点は発生した。九が過去で一が未来だ。五十年間も生きてしまうと、過去に重みがあると判断しても仕方がない。いや、自分で判断したのだから、間違いない。今までの人生に重みがある。

 天秤は弁護士バッチにもデザインされている。法の裁きを受ける法廷でも天秤は同じように傾くのだろうか?早川の過去が正しく、将来があやまちであると。

 一本目のタバコを携帯灰皿の中でもみ消したときに、テントの中から声が聞こえた。

「早川さん、新聞社の方が見えられましたよ」

「はーい。今行きます」

 早川は携帯灰皿を拾い上げて、スーツの内ポケットにしまった。〈天秤のことは後で考える事にしよう〉


 テントの支柱に結わかれたノボリ旗の影から早川は顔を出した。営業主任所沢の前には、カメラを首から提げた男性カメラマンと、ブリーフケースを手にした女性ライターの姿があった。

「お待たせしました。わざわざ、ご苦労様です」

 早川は名刺入れをスーツのポケットから取り出しながら、二人へ近寄って行った。

「広報の早川と申します」

 早川は名刺を自分の名刺入れの上において、女性記者の胸元へ差し出した。女性記者は早川の名刺を受取ると、自分の名刺も同じように名刺入れの上へ置いて、早川の胸元へ差し出した。

「戸田と申します」

 早川は受取った名刺を見て、何か心に引っかかるものを感じた。〈戸田奈津子?どこかで聞いたことのある名前だ〉

 戸田も早川の名刺を興味深く見ている。

「カメラマンの川口です」

 カメラマンの男性が早川へ名刺を差し出してきた。早川は我に返り、名刺入れから自分の名刺を一枚取り出して、カメラマンに渡した。

「もしかして、早川君?」

 女性記者の戸田が、捜していたイヤリングの片方をベッドの下から見つけ出したような喜びに満ちた声を上げた。早川はその飾らない声の音階を聞いて思い出した。

「戸田?中学生のときバレーボール部だった戸田奈津子?」

「そう、戸田。覚えていてくれたんだ」

 二十歳の頃に同窓会を開いたことがあり、それ以来だから三十年ぶりの再会である。

「ずいぶん成長したな」

 早川が声をかけると、戸田も言い返した。

「早川君も大きくなって」

 お互いに今年五十歳を向かえている。半世紀も生きてきたもの同士が「成長した」だの「大きくなった」だの十歳代の若者からみれば、いい歳して何を言っているんだろうと思うかもしれない。しかし、三十年ぶりにあった二人からすれば、その表現は決して恥ずかしいものではなかった。

「なーに?二人は知り合い?」

 カメラマンの川口が口をはさんできた。

「んっ?うん。そう」

 戸田が川口の横顔を確認しながら、小刻みに顔を上下に揺らした。川口は戸田の肩に手を置いて軽く二回叩いた。

「積もる話しもあるだろうけれど、それは仕事の後にしましょうよ」

 川口の言葉に「そうね。失礼しました」戸田はそう告げて川口に笑みを返した。

「そうですね。今日は弊社の試乗会を取材していただくためにわざわざ、足を運んでいただいたのですものね」

 早川も、仕事モードに気持ちを戻した。



つづく


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