③
試乗は総距離四キロメートル。公園を一周するように走って終わりだ。川越たちテレビクルーは四キロ走りきる間に早川の説明を交えて、レポートを終わらせた。
「いやあ、まさに家族向けのファミリーカーといった乗り心地でした」
ファミリーカーから降りた川越が、車の全景をバックに〆のコメントを発した。早川はカメラから見切れる位置でその様子を見ていた。
「続いては、広報の早川さん一押しの車はどれになりますでしょうか?」
川越が、カメラから見切れていた早川の隣に駆け寄ってきた。カメラのレンズも川越の動きに合わせて早川の方向へ振られた。
事前にそんな段取りでカメラをふられると説明を受けていた早川は躊躇せずに答えた。
「そうですね。私の一押しは、」
早川は左肩から振り返り、テント前のピットに並べられた数台の試乗車をゆっくりと目で舐めた。早川の瞳はある車で大きく開かれた。早川の右腕は肩の高さまでゆっくりとあげられて、指先は瞳を拡張させた車の方角を指した。
「あのツーシーターのCR1という車ですね」
早川は満面の笑みで答えた。その笑顔は子供のようだ。
「あの、スポーツタイプの車ですね。それでは早速試乗してみましょう」
川越はカメラ目線で告げると、しばらくレンズを見つめた。そして自分で「はいカット」と告げて、一度撮影を止めた。
「どうしよう?あれ二人乗りだから、俺がカメラ持って助手席に乗って早川さんに運転してもらおうか?」
川越が確認するようにカメラマンに尋ねた。
「そうですね。ハンドマイクは川越さんが持って、ピンマイクを早川さんにつけていただいてになりますかね」
カメラマンの大宮も、川越の意見に賛成した。
「じゃ、そういうことで、早川さんお願いします」
川越は自分のピンマイクを外すと、レシーバーと共に、音声の深谷へ渡した。深谷は受取ったレシーバーとピンマイクを早川に取り付けた。ピンマイクは小型のマイク。レシーバーはマイクに発せられた音声を信号に変換して、レコーダーにとばす役目を担っている。カメラマンはENGカメラと呼ばれる、片手でも撮影のできる業務用小型カメラを川越へ渡した。
試乗するCR1の助手席側シート下に、レコーダーのスイッチをONにして滑り込ませた。念のためヘッドホンをつけた深谷が確認する。このレコーダーはワイヤレスマイクからの信号をひろって、録音をするためのものだ。
「ちょっと、話してみてください」
深谷の言葉に反応して、川越が口を開いた。
「あ、え、い、う、え、お、あ、お」
「はい、大丈夫です。次、早川さんお願いします」
深谷にうながされ、早川も口を開いた。
「あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ」
川越も、深谷も笑った。おそらく早川は川越の言葉の真似をしたのだろうが、口から出た言葉は違っていた。早川は緊張しているのか二人の笑いの意味には気づいていない。
「はい大丈夫です」
深谷はヘッドホンをはずして首に掛けると、助手席下のレコーダーからヘッドホンのジャックをはずした。
「録音はONになっています。いつでも始めてください」
深谷は川越へそう告げると車から離れた。川越はうなずくとハンドマイクへ向けて話し始めた。
「続いての車は広報の早川さんお勧めのCR1です。運転は早川さんにお願いします。早川さん、この車の魅力、テレビを観ている方に余すことなく伝えてください」
「解りました。この車は最近では少なくなったスピード感が売りです。車輌が軽く小さい分、瞬発力に優れています」
前置きを終えると早川はエンジン始動ボタンを押して、アクセルをふかした。西門先の市道に通じる信号は青だ。早川は左足でクラッチペダルを踏み込み、ギアをローに入れた。右足ではサイドブレーキペダルを強く踏み込んだ。
「それでは行きます」
早川は助手席の川越に笑みを見せた。川越も笑みを作ってうなずいた。
「いつでもいいですよ。行きましょう」
川越の言葉に早川はアクセルを踏み込んで、クラッチペダルを引き上げて答えた。CR1は重たい排気音を残して、青信号の交差点へ向けて加速していった。
交差点へ進入する直前にギアは再びローに戻された。CR1はタイヤのスリップ音を残して公園外周を回る試乗コースへ姿を消して行った。
つづく