8.
寂れた公園で一人の男が何かに火を付けて、燃え盛る炎を眺めている。
「……まさか!例の不審火の犯人じゃ……!!」
静也がそう叫んだ時だった。
ハリケーンがその男に向って勢いよく走りだす。
「ハリケーン!!」
静也の手からリードが離れてハリケーンがその男に一直線に駆け出していく。颯希たちが慌てて後を追う。
――――ワンッ、ワンッ、ワンッ!!
ハリケーンが男の所まで行き、吠える。
「あれ?お前あの時の……」
男がその鳴き声に気付き、ハリケーンの頭を撫でる。
――――クゥゥゥン……。
ハリケーンが頭を撫でられて嬉しそうな鳴き声を上げる。
「「え……?」」
その様子を見た颯希と静也が呆気にとられる。そして、男のところまで駆け寄り、男に問いただす。
「あなた……、放火犯じゃ……」
「……は?」
颯希の言葉に男が「何の話だ?」というような顔をする。火を見るとどうやら何かを燃やしているだけで放火ではないらしい。
「……誰だよ、お前ら……」
ハリケーンに向けた表情を一転させて険しい顔で颯希たちに言葉を発する。
「この犬の飼い主だよ」
静也が答える。
「あぁ……。良かったな、お前、飼い主が決まったんだな」
ハリケーンの頭を撫でながら男がそう言葉を綴る。その顔はどこかホッとしたようにも見える。
「あの、ハリケーンのことを知っているのですか?」
颯希が恐る恐る尋ねる。
すると、男はまたハリケーンに向けていた優しい顔から険しい顔になり、颯希たちを睨むように淡々と言葉を発する。
「……いつだったか、フラフラになっているところを見かけてエサを与えただけだよ」
男がぶっきらぼうに喋る。
「あの……、何を燃やしているのですか?」
「……あんたには関係ないだろ」
颯希の言葉に男が怒気を孕んだ声で言う。
「……これ、卒業アルバムとかそういう類よね?」
楓が燃やされているモノをみてそう言葉を発する。確かに、燃やされているのはアルバムや写真といった類だった。
「なんでそんな事を……!!」
颯希が驚いて声を上げる。男がその言葉に何かを言おうとする。
その時だった。
「嫌な記憶を忘れたいから……だよね?」
楓がそう言葉を綴る。男がその言葉に一瞬固まる。
そして、楓が静かに言葉を綴った。
「私も過去に同じことしているからね……。嫌な事の方が沢山あったから忘れたかった……。だから私もある時に文集とか卒業アルバムやその時の写真を全て燃やしたわ……。葬り去りたかったから……」
「……楓さん」
楓が過去に男と同じことをしていたことに颯希は驚きを隠せないと同時に悲しい気持ちにもなる。
「あんた……一体……」
男が楓の言葉を聞いて上手く言葉にならない言葉を発する。
「ねぇ。君さ、もしかして私と同じなんじゃないのかな?」
楓が男の方に顔を向け、優しい表情で言葉を綴る。
「君も私と同じ生まれつき障がい者なんじゃないかな?多分、私と同じタイプの発達障害で、それ故に周りから奇異な目で見られたんじゃない?」
楓の言葉に男が目を見開く。
「だ……だから何だって言うんだよ!あんたなら俺の苦しみが分かるって言うのかよ!ふざけんな!あんたは俺ほどまでにいかなかっただけだろ?!何もかも見透かしたような事を言うんじゃねぇよ!!」
男が息を荒くしながらそう叫ぶ。
「……じゃあ、証拠を見せようか?」
楓がそう言って着ていたカーディガンを脱いだ。そして、両腕を男の前に晒す。
「……これが、私が確かに苦しんだって言う証拠だよ」
「っ……!!」
楓の両腕を見て男が声を詰まらす。颯希と静也もその腕に驚きを隠せない。
楓が晒した腕は、付け根から手首までびっしりと自傷行為で切り刻んだ跡があった。
「この傷痕が証拠だよ。私は私でかなり苦しかった……。自分で切り刻んだこの傷は腕だけじゃない。両足にもあるの。私の身体は過去に切り刻み過ぎてボロボロだけど、今は、この傷痕たちが愛おしくもあるんだ。私の過去は確かに苦しくて辛いものだった。でも、私はそこから前を向けたんだって、この傷を見るたびにそう思える。だから、私は過去の私に会えるなら会いたいって思う時もあるんだ。『あれだけ苦しくて死にたくなるくらい辛かったのに、それでも生きていてくれてありがとう』って……」
楓がそう言いながら傷痕を優しく撫でる。その表情から、その傷痕たちが確かに愛しいのだなという事が伝わってくる。ボロボロだった頃は今の楓では考えることができないくらいの苦しみや辛さがあったのだろう。でも、楓はその苦しい状況を乗り越えている。きっと、そこには沢山の努力と葛藤があった事だろう。
「俺……は……」
その話を聞いて、男は絞り出すように声を発する。そして、ゆっくりと話しだした。
「……俺もあんたと同じだよ。生まれつき発達障害でそれ故に周りとうまく合わなくて、周りからもおかしな奴って言うレッテルを貼られて奇異な目で見られた……。時には周りと違うというだけで酷いいじめも受けた……」
男の言葉に楓が男の肩を叩く。
「人ってね、諦めたらそこで終わりだけど、いくつになっても諦めなかったらそこが前に進むためのスタートラインなの。君も信じればいつか優しい光が見れるはずだよ?私が長い時間をかけてやっと優しい光が見えたように……」
楓が優しく言葉を綴る。
『諦めなければ、いつか優しい光が見える』
楓だから言うことができるセリフかも知れない。
沢山の苦しみを抱え、それでもいつか優しい光を見るために必死で努力してきた。きっと、生半可な気持ちではできなかっただろう……。挫けそうになった時や諦めかけそうになった時もきっとあったはずだ。でも、それでも諦めずに必死で頑張ってきたのだろう……。
いつか、優しい光を見るために……。
「私、杉下楓って言うのだけど、君は?」
「………田所 悠里」
「悠里くんって言うんだね。私、今は障がい者福祉施設で職員をしているの。心に傷を負った人に寄り添って社会に出る為のお手伝いをする仕事なんだけど、良かったら悠里くんもそこに来ない?」
「……え?」
楓の言葉に悠里が戸惑った表情をする。
「良かったら私の職場の名刺を渡しておくね。裏に私の携帯番号も書いてあるから良かったらまた連絡してよ」
楓がそう言って悠里に名刺を手渡す。悠里はその名刺を受け取ると、「気が向いたら連絡する」と言ってその場を去っていった。
「なに?あの放火事件を調べている中学生がいる……?」
ある一室で二人の男が話をしている。
「はい……。どうしますか?」
一人の男が言う。
「……始末しろ」
もう一人の男がそう命令するような口調でそう言葉を綴った。
「沢山食えよー」
静也がハリケーンにご飯をあげるとすごい勢いでご飯を平らげていく。沢山お散歩してお腹が空いたのだろう。
「静也ー!夕飯だよー!」
拓哉が家の中から声を掛けてきたので、静也は返事をすると家に入っていく。そして、いつもの和やかな夕飯を過ごした。
あの後、颯希たちは帰路に着いた。楓の腕は衝撃だったが、それと同時に尊敬も颯希の中にはあった。楓の強さや優しさに感動が広がる。
「楓さんは凄い人なのです……」
颯希がそう呟く。
「夕飯よー!」
佳澄が階段の下から声を掛け、颯希が返事をする。そして、夕飯のひと時を過ごした。
颯希たちは気付いていない……。
自分たちに魔の手が伸びていることを……。