第七話 脱出
レア・ルコントとアンドロイド、そしてロシュ軍曹は氷上車を駆って、氷原を逃げる。
軍曹が伝える市内の様子は、惨憺たるものだった。
「お嬢ちゃん。裏門を塞いでいる奴らをジェットエグゾスのレーザー砲で撃つ。そしたら出発だ」
ロシュ軍曹が無線で指示をだした直後、殺到している暴徒数十人が白熱して炭素の塵となった。
私は、アクセルをベタ踏みして氷上車を発進させる。そのままハンドルを切って駐車場をでると、警察署の裏門に突進した。
警官の援護射撃を受けながら裏門を抜けると、群衆が悲鳴をあげて逃げまどう。
踏み潰さないことを祈りつつ、私は氷上車を加速させる。もう一度曲がると車道に乗せた。
――カッカッカッ
運転室の扉に物が当たる音がして私は怯えた。轢いてしまっただろうか。
「お嬢ちゃん平気か、今与圧室を撃たれたぞ」
ロシュ軍曹が心配して通信を入れた。
ライフルを連射しながら喋っているので、所々聞きづらい。
「大丈夫」
私は人を殺していない。根拠無く安堵すると、宇宙服のヘッドセットにささやいた。
暴徒を振り切り、何回か通りを曲がると、エアロックに繋がる大通りを走った。このまま、エウロパの氷上にでれば安全だ。
アクセルをさらに踏み込むが、氷上車の重さゆえ加速は遅い。
「レア、追跡されているようです」
助手席で後方カメラを監視していた紅は、拡大映像を運転席のコンソールに転送した。青と緑の普通車が、車線変更を繰り返しながら、氷上車を追ってくる。
「軍人さん、追跡されてる」
私は心配になって、無線でロシュ軍曹を呼び出した。
「ああ、標的にされている。撃ってきたぞ」
氷上車の後部カメラからでも、青い車が銃撃しているのが見える。
「エアロックを抜ければ」
「エアロックで追いつかれるんだぞ」
「はい」
考えればわかることだった。自分の浅はかさを反省した。
「いいか、お嬢ちゃん。エアロックの特例開放操作を行う。最高速で通り抜けろ」
ロシュ軍曹がとんでもないことを言い出した。引きつった笑いが、おもわず漏れる。
エアロックは内外二枚の扉を、同時に開けないのが大原則だ。それをあえて行うのが特例開放操作で、当然都市の与圧がエウロパの大気に逃げていく。エウロパ市では、今まで実施されたことはない。
「紅。私の宇宙服を確認して」
荒ぶる氷上車に忙殺されていたので、紅に気密確認を依頼した。
「わかりました」
紅は助手席から身を乗り出すと、私の宇宙服を引っ張って損傷がないか確認した。
エウロパ市の西端で、三番エアロックの内扉が上がりはじめた。
「レア、百十キロまで速度をあげられませんか。与圧の損失を最低限に抑えるためには、速度が必要です」
宇宙服の点検を終えた紅は、コンソールで通過タイミングを計算する。運転席のコンソールにその諸元が表示された。
私は氷上車の最終リミッタをオフにすると、モーターの電圧をあげた。車軸が甲高い悲鳴をあげる。これでオーバーホール確定だ。
それでも氷上車は遅いので追いつかれた。氷上車と併走する青い車が、ロシュ軍曹と撃ち合いを始める。
現役の軍人とテロリストでは勝負にならないのか、車は運転手を失い、たちまち後退した。
「ふん、俺は選抜射手だぞ」
ロシュ軍曹が勝ち誇る声が無線から聞こえる。
それでも気圧変動緩和帯を追跡してくる車が二台いた。氷上車以外でエアロックを使う車は存在しない。だから今追ってきている一般車は、確実に暴徒のものだ。
「軍人さん。エアロックに入るから、荷台から降りて」
私はロシュ軍曹に車内に入るように促す。
「ああ、わかっている。掴まれ! ミサイルだ!!!」
軍曹がそう叫んだ直後、車体が震えて後部が滑った。私はハンドルに顎をぶつけて、コントロールを失った氷上車が左に撚れる。
紅はハンドルを右手で握ると、カウンターステアを切った。
「つうっ、軍人さん、平気?」
「ああ、なんとかな。お嬢ちゃん、もっと速度をだせ。次弾を撃たせるな」
軍曹はそう言うが、既に全リミッタを解放しているので、私は困惑した。
「もうすぐ百十キロ。荷台は平気?」
「ああ。たぶん40ミリHEAT弾頭だ。荷台の内部に爆風が拡散しただけだ」
ライフルが奏でる金属音に紛れて、軍曹の声が聞こえない。
エアロックから五百メートルに近づくと、エアロックの外扉に白い筋が現れた。いよいよ特例開放操作だ。唸る音が車体をゆらす。
「えっ、横風?」
私はハンドルを惑わす強風に毒づきながら、氷上車を直進させる。
「時速百十キロを超えました」
「間に合え!」
私はアクセルの遊びを無駄に踏み込む。氷上車はテロリストの車を引き離し始めた。
エアロックの外扉が完全解放される。
私達はエアロックの中に飛び込んだ。車体が壁に擦れて、双方の塗装が舞い散る。
漁労用の氷上車は、車両用エアロックの幅に合わせてある。余裕はほとんどない。
ロシュ軍曹を荷台の屋根に載せたまま、氷上車はエウロパの氷原にでた。
背後でエアロックの特例開放操作が終わり外扉が閉じられる。
驚いたことに追跡してきた二台の車も、エアロックを抜けた。緑色の車と、新たに追跡してきたパールレッドの高級車だ。
疑いようがない自殺行為だ。彼らが着ている軽作業用宇宙服では、放射線を遮断出来ない。
「軍人さん、追跡者がまた」
「すぐに始末する」
荷台に乗ったままエアロックを通過したロシュ軍曹は無事なようだ。けれども早く車内に収容しないと、木星の放射線帯は彼にも致命的だ。
「軍人さん、どこに行けばいい?」
「お嬢ちゃん、良く聞け。外惑星方面軍第三機動艦隊司令アレクサンドラ=シモノヴァ中将からの指示だ。エウロパ市駐屯隊隊長バーミンガム中尉は戦死した。エウロパ市は無政府状態に陥り、軌道エレベーターも一部損壊した。氷原を出来るだけ遠くに逃げろ」
二十分前、話をしたばかりのバーミンガム中尉が戦死したことに、私はショックを受けた。警察署に籠ったコーチン巡査は大丈夫だろうか。
「第三機動艦隊ってカリストの?」
「ああ、降下艇を発進させるが、カリストからエウロパまで艦隊の移動に時間がかかる。必ず助けが来るから絶望するな」
「軍人さんがいるから大丈夫、だよね」
ロシュ軍曹の言葉に不穏なものを感じる。
「ああ、出来るだけ援護する」
彼は言葉を濁し、確約を与えてくれなかった。
「レア、追跡者との距離が離れました。この速度をどれほど維持出来ますか?」
紅は、助手席のコンソールで追跡車との距離を測っている。
氷上車の時速は八十キロだ。市内より落ちているが、これは氷原の路面状況のせいだ。追跡者の車にとっては、より条件が厳しい。
「わからない。リミッタ全解除したからオーバーホールなのは間違いないけど」
ついでに、ミサイルを撃たれたから保険はでない。まだローンも終わっていない。
「お嬢ちゃん、ライフルの射程を越えたが、ミサイルは来るからな」
雑念で集中力を失った私を、ロシュ軍曹が喚起した。
「荷台がバラバラになる。早く運転室に」
「相手にミサイルがあるとわかれば、手立てはある」
ロシュ軍曹が這いずる音がしたので、荷台の上で移動しているのだろう。私は冷却液を放熱するための配管切り替えに忙しくなった。
「追跡者の一台、高級車の射手がミサイルランチャーを取り出しました」
後方を監視していた紅が、警告を発する。
「へっ、こっちもミサイルがあるんだぜ!」
軍曹のミサイルが先に発射された。
追跡者も、あわててミサイルを発射する。
双方のミサイルは、相手を撃ち落とそうと真っ正面からぶつかった。
対消滅の閃光が雪を照らしだす。エウロパの大気は薄く衝撃波は僅かだが、それでも地面の氷を巻き上げた。
運転室内にもかかわらず、私の宇宙服から太陽フレア警告がでた。
一方テロリスト達の高級車にとって、その光芒とγ線は致命的だった。暴徒の車は運転を誤って、氷原に横転した。
「危なかった。ありゃ対消滅弾頭だな。火星人め」
ロシュ軍曹は深く息を吐いて、安堵する。
「お嬢ちゃん、しばらくは目標なしに走れ」
ロシュ軍曹は指示とともに、咳き込んだ。
「軍人さん、そろそろ限界では」
「見えなくなったが、もう一台追跡者がいる。そいつを始末するまでが仕事だ」
対消滅グレネードってかっこよさそう。
いや自爆兵器だろ。
てあたりが、プロットの源流だったりします。