第三話 停戦
四年半にわたって続いた火星戦争は終結した。
家に置いていたアンドロイドの胸部ユニットは、ニュースに反応して突然しゃべりだす。
彼女は火星に連れていってほしいと、頼むのだが。
「四年半にわたって続いた火星戦争が終結します。太陽系統合軍参謀本部によれば、さきほどオリンポス同盟軍が停戦条件を受諾しました。アナキア攻略作戦に勝利した統合軍は、一昨日同盟軍に停戦勧告を送致しました。それを受けての、同盟軍の事実上の無条件降伏です」
目覚まし代わりのビデオニュースが、先程から同じことをずっと喋っている。
私は寝室のベッドの中で、苦悶とともに寝返りをうった。ポール・デ・ラ・メヌエから帰った後も気持ちが晴れなかった私は、昨晩ビールを痛飲した。安アルコールは、てきめんに頭痛を引き起こす。
今日はアンドロイドの胸部ユニットについて、コーチン巡査に連絡しなくてはならない。私が起きるのを渋っていると、ニュースは火星戦争の歴史を振り返りはじめた。
四年半前の西暦二四○七年三月、火星都市アナキアで暴動が発生した。それを切っかけに火星独立勢力オリンポス同盟軍は、同調しなかった他の火星都市に攻め込んだ。それが火星戦争の始まりだ。
火星が独立戦争を挑んだ理由は分からないし、知りたくもない。
泥沼の戦争の結果、火星の軌道エレベーター一つが倒壊し、数千万の人命が失われた。
エウロパの氷殻を貫通する漁労井戸を一つ掘削するのに十万クレジットかかる。相当な金額であり、エウロパの漁師がそれだけの大金を借りられるのは、漁労井戸がそれだけの収益をあげるからだ。
一方、火星の軌道エレベーターを修復するには、気が遠くなる五百億クレジットの費用と、十年もの工事期間が必要となる。戦争に疲弊した火星だけでは賄えない。外惑星圏の住民が払う税金からも支出されるのだ。
火星の住民のあまりの身勝手さに、私は怒りが湧いてきた。
「火星なんて、勝手に滅びればいい」
私は寝室から居間まで、ディスプレイ端末のリモコンを放り投げた。
「滅びてもらっては困ります」
リモコンが転がるより先に、澄んだ女性の声が聞こえてきた。
「誰?」
私は心底びっくりして、悲鳴をあげた。
両親が死んでから、ずっと一人暮らしだ。昨日誰かを家に招いた覚えはない。
ベッドから跳ね起きると、サイドテーブルの引き出しから自動拳銃を取り出した。脈動する血管が頭蓋骨を圧迫する。
「それでも、火星には十億の人間が暮らしているのです」
謎の声は火星の住民を擁護する。
拳銃に弾倉を入れたが、手が震えてうまく操作できない。間違えてスライドを二度引いてしまい、実包が床を転がった。
私は深呼吸をすると、拳銃の使い方を思い出す。
両親が死んだ後、漁労井戸を引き継いで一人で漁をするという私に、エウロパ警察の担当官が銃の扱い方を教えてくれた。それでも従軍経験がない私は、銃の扱いが上手ではない。
人差し指をトリガーガードに置くが、指先が震える。
「大きな間違いを犯しましたが、火星はやり直せます」
侵入者?はわずかにくぐもった声で話した。宇宙服のヘッドセットごしに話しているのかもしれない。エアロックから屋内に入ってきた火星独立主義者だろうか。
もし火星の過激派だとして、交渉に乗ってくれると良いのだが。
寝室と居間を区切る柱の影に隠れると、銃口だけを突き出した。侵入者はまだ視認できない。
「要求を言え、火星人。両手をあげろ! 動いたら撃つ」
私は拳銃の引き金に指をかけると、声を張り上げ虚勢を張った。
「撃たないでください。動力として対消滅炉が組み込まれています。それに残念ながら動けません。両手もありません」
居間に共鳴する謎の声は答えた。
「つ、対消滅炉!」
予想外の単語に、私は上ずった悲鳴をあげた。
対消滅炉は物質と反物質が対消滅したときに生成する、二個から三個のγ線を電気に変換するエネルギー機関だ。放射線遮蔽を無視すれば小型化できるが、炉が破損するとトラップしている陽電子がすべて対消滅して爆発するので怖れられている。テロリストにわたれば自爆装置と変わらないため、民間での使用は原則禁止されている。
「何者?」
私は謎の声に向かって、誰何する。
「私は紅。地球のフランス州で作られたアンドロイドです。昨日、貴女がエウロパの海から引き上げました」
彼女は変わった名前を名乗った。フランス製にも関わらずアジア系設定だろうか。
「武器を下ろせ」
「武器は持っていません。火星における戦争終結のニュースを聞きました。火星に行かせてください」
私は柱から半分顔を出して、居間を見まわした。作り付けのダイニングテーブル脇に、売れ残りから回収した胸部ユニットが無造作に置いてある。おそらくそれが喋っているのだろう。
アンドロイドのAIと動力は胸部に収めるのが一般的だ。四肢と頭部がないからと油断していた。まさか対消滅炉で稼働しているとは。
私は陰から歩み出ると、アンドロイドに歩み寄った。対消滅を怖れて撃てるわけがないのだが、それでも銃の狙いは外さなかった。
「火星になにか用が?」
私は、カメラもスピーカーも見当たらないアンドロイドの胸部に質問をした。毛穴に偽装したピンホールセンサーだろうか。
「火星の戦争が終結しました。双方の戦争指導者に対して、責任を問う法廷が開かれるはずです。主からの証言を預かっています」
アンドロイドは、どこからともなく声を出す。
「主? あんたの相続者は全員死亡か、行方不明と聞いた」
私は目を伏せると、コーチン巡査から聞いた消息情報を彼女に伝えた。
彼女の言う法廷で、なにが行われるのかは理解できない。ただ、なにかが心にひっかかった。
「そうですか……私の場合主と、所有者は異なります。ですが、誰も生き残ってらっしゃらないとは予想外でした。実は主、中川 武史氏は六年前に暗殺されました。残念ながら、暗殺も戦争も予想されたことです。そこで中川氏は、証言を私に託したのです」
正直半分も理解できなかった。おぼろげに分かったのは、彼女とその主には敵がいるということだけだ。
「ナカガワって、誰?」
「ヨナ市にある鉱山会社、火星十津川重工業の所有者、そして惑星開発論の研究者です」
「分からない、私はエウロパから出たことがない。それに木星の鉱山は全部公団だ」
どれほど有名だろうと、生活に必要がなかったので、火星の鉱山会社を知らない。
「太陽系統合議会は、主の論文を参考にして外惑星開発における経営主体を公団方式に切り替えたのです」
「知らなかった」
外惑星圏の統治機構において軍の存在は大きい。どの惑星や衛星であれ環境が厳しいので、若者はまず軍に志願して人脈とスキルを得る。退役後は軍を相手に商売を行い、困ったことがあれば軍を頼る。それが当たり前だ。
「ところで、相続人全員が行方不明というのは、どんな理由ですか?」
アンドロイドは話題を区切ると、心配そうに質問した。
「軌道エレベーターが一基倒壊した」
私は停戦に繋がる一連の流れを、アンドロイドに説明した。
軌道エレベーターから落下したケーブルに打たれて、オリンポス同盟軍の盟主であるヨナ市は火星の地表から消滅した。
「何と言うことでしょうか。みんな亡くなっただなんて」
アンドロイドは、悲痛な声をあげる。
私は彼女に対する敵意を失って、拳銃を下ろした。
そして、床から胸部ユニットを持ち上げると、椅子に置き直した。
彼女はエウロパの海に沈められても、火星に行こうとする。
認めたくないが、私はその境遇に同情した。
おにまいと、ぼざろって省力塗りだけど、えげつないほど動くのね。
おにまいのOP、月中の兎とバニーガールだけど、杵が緩急を付けて動いてるのを見てそこまで拘るかと驚いた。