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紅の惑星、白妙の衛星  作者: しーしい
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第二話 競り

レア・ルコントは久しぶりの大漁を称賛されたが、彼女の気分は晴れなかった。

エウロパの海に投棄されたアンドロイドは、明らかに不穏な代物だった。

扱いに困って警察に引き取ってもらったが、氷上車の中には渡しそこねた胸部が残っていた。

 木星から見てエウロパの表側、軌道エレベーターから少し西側にあるポール・デ・ラ・メヌエはエウロパの地殻を構成する氷の中に作られている。

 鉛とタングステンとナノカーボン強化ピーク樹脂ポリエーテルエーテルケトンの積層シートで編まれたモナカ状の構造は、効果的に放射線を遮断する。

 モナカは氷と同密度に作られており、不同沈下を起こさない。もっとも積雪により徐々に氷の中に沈んでいる。

 ここは周辺の漁労井戸(ウェル)から水揚げされた〈魚〉をさばく市場だ。 

 市場の片隅、アルコール臭いカフェで、私は二人の男性に署名を迫られていた。競り場を見下ろせる景観と、壁に貼られた木片がかろうじて瀟洒(しょうしゃ)らしさを主張していたが、いかんせん客は漁師だ。

 荒くれ者はコーヒーなどという高価な嗜好品は好まず、仕事が終わればビールを飲む。その成れの果てがこのカフェだ。

 先年成人したばかりなので、飲酒可能だが、今日は用事があるのでコーヒーを頼んだ。

「レア、大漁だったな。ほい、受諾のサインを」

 ポール・デ・ラ・メヌエ漁協のパウエル主任が、競売契約への署名を求める。競りの目玉は私の〈マグロ〉だ。びっくりするぐらい高い最低落札価格がついている。それを祝うために、わざわざ主任がコーヒーを奢ってくれたというわけだ。

 そこまでは良かった。

 主任の顔に奥さんがつけたらしい左頬の殴打跡がそれを台無しにしている。強面の髭面に遠慮ない拳跡が刻まれており、私は思わず口が緩んだ。

 もう一人は、エウロパ警察のコーチン巡査だ。氷下から引き揚げた人型遺失物に関して、エウロパ市からポール・デ・ラ・メヌエまで出張してきた。

「いただいた写真から製造番号を調べたのですが、遺失や盗難の届け出が出ていません。レアさんの拾得物として扱われます」

 巡査は自費で頼んだコーヒーをすすると、拾得確認書への署名を求めた。

 彼は顔の長い優男的な風貌だが、警官だけあって胸板は厚い。歳はまだ若いが、それでも私の一回り上だ。

「コーチンさん。何あれ? 確かにアンドロイドだけど」

 私はパウエル主任の携帯端末(スレート)に署名しながら、不審なしろものについて巡査に聞いた。

 氷上車から回収した部位は、発泡ナノカーボン製の四肢と頭部だけだ。左腕は肘の少し上で破損しており、胸部は脊柱を残して鎖骨・肩甲骨・腰部で切り離され見つからなかった。

 エウロパの海から見つかったとは思えないほど無傷で、他には目立つ破損は見られなかった。

 アンドロイドは皆そうであるが、人受けのいい美人に造形され、髪も睫も神秘的なほど長かった。

「聞かれれば、話しますが……」 

 巡査は目を逸らして、詳細な説明を渋った。

「軍用?」

 怪しい部分は多々ある。胸部だけ取り外せるアンドロイドなんて聞いたことがない。

「軍用なら私が来ていません。富裕層向けカスタムアンドロイドです」

「カスタム?」

 青春を漁ですり潰した私には、即座に用途が思いつかなかった。

「そばに侍らせる奉仕用アンドロイドだろう。女性型か?」

 主任の発言が、巡査の配慮をぶち壊した。

「多分、でも胸が無いので分からない」

「あれがあって、あれがついてなきゃ、女性型だよ」

 主任は女性型アンドロイドの定義について荒ぶった。彼は今こそ殊勝にコーヒーを飲んでいるが、直前にビールをしこたま飲んでいる。

「おい、パウエル止めるんだ」

 コーチン巡査がパウエル主任の胸ぐらを掴んだ。

「両方ついているのも、あるらしいぞ」

 主任は酒気とともに、放言をかました。

 怒ったコーチン巡査は、彼の右頬に鉄拳を喰らわす。

 両頬に痣をつけたパウエル主任が同僚に引きずられていったあと、競りを見ながらコーチン巡査と話をした。

「意図的に漁労井戸(ウェル)に投入しないと、アンドロイドをエウロパの海に捨てる手段なんてない」

 私は拾得確認書に署名しながら、懸念する。

「確かに猟奇的なものを感じますね。実は登録されていた持ち主は相続人含めて全員死亡か行方不明になっています」

「全滅?」

 この落とし物は、ただでさえ寒いエウロパに怪談を持ち込もうというのだろうか。

「ええ、そうです。知っていますよね、火星の軌道エレベーターが倒壊した事件。それに巻き込まれました」

 この四年半ほど、火星で戦争が続いている。火星の一部都市が独立を求めてオリンポス同盟軍を結成、太陽系統合軍と対峙している。

 火星と木星の間は通信回線が細く、軍の公式配信しか見ていないが、火星は凄惨な状況だ。軌道エレベーターが崩壊して惑星規模の災害が発生している。

「公示期間終了後はどうするのですか? もし相続した所有者が現れなかった場合ですが」

 拾得物は九十日間、誰も名乗り出ないと自分のものになる。その取扱いについて、コーチン巡査は聞いている。

「売れるものなら廃品商に売るし、だめなら埋葬する」

 エウロパにもアンドロイドは居るが、多くが汎用型だ。高級アンドロイドに需要があるかは知らない。

「アンドロイドと分かっていても、埋葬する気持ちは分かります」

 巡査はコーヒーを空けると、カップを皿に置いた。私も冷めかけたカフェインを、喉に流し込む。

「だから、今日は気分が晴れない」

「そうですね。あっ、ほら来ましたよ、今日の大目玉」

 巡査が競り場の中心を指差した。ひときわ大きい〈マグロ〉が凍結したまま、パレットの上に並べられた。

 私は携帯端末(スレート)で、誰の〈マグロ〉か確認した。私のものだ。

「五年ぶりの超大型〈マグロ〉が水揚げされました、レア・ルコントに拍手を!」

 競り人の紹介に戸惑いつつ、私はカフェの窓越しに右手を挙げて応えた。

 競りが始まり、最低落札価格は千クレジットが提示される。値は急騰し、私は恐れを感じた。

「三千、四千五百、五千……、はい五千三百、五千三百」

「漁師って儲かりますよね」

 宮仕えのコーチン巡査が、大きな溜息をついた。

「それ以上に膨大な借金があるから」

 漁労井戸(ウェル)も氷上車もみな、借金の産物だ。

「私には想像できないことです。それでは何か分かったらまた連絡します」

 巡査は立ち上がると、愛想良く手を振りながら魚市場をあとにした。


 〈マグロ〉は氷上車のオーバーホール費用を軽く上回った。財布は潤ったが、気分は凍り付いたまま私は帰宅した。

 自宅はポール・デ・ラ・メヌエから氷上車で三十分ほど西にいった、ガレージつき漁師住宅だ。

 氷の中に設置され、圧力に耐えるため円筒状になっている。放射線への遮蔽は全周に施されているが、維持費を最小にするために与圧は一部だ。

 ガレージのドアをリモートで開けると、エルンストに車庫入れを任せた。

 車庫の閉鎖が確認されると、運転室の与圧を解放して扉からガレージの床に降り立った。仕事はあと一息だ。

 タイヤを一個ずつ視認点検しつつ、氷上車のまわりを歩く。まだ一年ほどは、持ちそうだ。

 そのあと、荷台のメンテナンスハッチを開けて、売れ残りの魚をスコップで掃き集めた。氷上車の荷台は閉鎖式なので照明をつけても圧迫感がある。

 一番奥をすくったときに、違和感があった。

 ――柔らかい? いや、この低温で魚が凍結しないはずがない。

「うわぁー」

 私はハッチまで逃げ出し、降りる寸前でかろうじて踏みとどまった。

「そうか、あのアンドロイドの胸部だ」

 私は荷台の内部に戻って子細に観察する。ちょうど鎖骨の下から、肋骨の下端までの胸部が切り離されていた。

「細かい所まで出来てるな。どこが柔らかいんだ」

 乳房の大きさはCカップ程度だろうか? 控えめだが先は上向きに尖り、その理想的な形状はかえって不自然なほどだ。

「網の圧力で胸部を切り離したんだ」

 私は両手でアンドロイドの胸部ユニットを抱きかかえる。低重力のエウロパだから平気だが、思った以上に重い。

 手袋で撫でると、皮膚はザラザラしている。産毛代わりにナノ構造が成型してあるようだ。網やウェル(漁労井戸)の壁面に感触が似ている。そのためか〈カキ〉などの付着生物は見当たらないのだろう。

「困ったな」

 私は深く溜息をつき、吐息がヘルメットのバイザーを盛大に曇らせた。

 アンドロイドの残りを持ち帰ったコーチン巡査は、既にエウロパ市の警察署に戻ったはずだ。

 疲れていた私は明日改めて連絡することにして、胸部ユニットと夕食にする小振りの〈タラ〉を自宅のエアロックに持ち込んだ。

*chatGPTについて。


SF書く上で、必要な数値や定数を得るのが凄く便利です。

ただし、たまに嘘をつきますのでWolfram Alphaで検算しています。


*お勉強


Cメジャーの伴奏付きで、キラキラ星をがんばっています。

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