宙
「殺し屋? 物騒な人を呼び込まないで欲しいわ」
と美里が言うと、
「そうですわよね。ここはお姉様の縄張りですものね」
とエイミが笑った。
「殺し屋に縄張りなんてあるの?」
「さあ、アキラがどういう知り合いかにもよりますわね。敵か味方か」
「黒龍会っていうのは何なの?」
「まあよくある暴力や脅迫によって利己的な目的を遂げようとする反社会的集団ですわね。黒龍といえば中華系マフィアですから質が悪いですわ。ですからお姉様、あの子を殺して中国マフィアを敵に回すのは止めた方がよろしいわ」
とエイミが笑った。
「やめてよ。あなたは私がすぐに誰かを殺すように思ってるのね?」
と美里が言うと、エイミがふふっと笑って、
「思ってますわ。それがお姉様のライフワークですものね?」
と言った。
「やあ、いらっしゃい」
と奥の厨房から藤堂が出てきた。
「あらぁ、藤堂さん、ご機嫌よう。モーニングセットのフレンチトースト、とっても美味しいですわぁ」
と言った。
エイミと藤堂が話すのを美里は見ていたが、ふと視線をはずした瞬間に何かが動いた。
それが宙の視線だという事に美里は気がつかない振りをしたが、確かに宙は藤堂をじっと見ていた。
美里はアキラを見た。
アキラが食べ終わった宙のトレーを下げてカウンターの奥に入って行ったので、美里はその後を追い厨房まで行った。
「アキラ」
「え?」
「あの宙って子、殺し屋ですって? エイミが言ってたわ。あんた、どういう知り合いなの? 店で余計な騒動を起こさないでよ?」
「あれは……違う方」
「違うの?」
「店で騒動っつうけど、いつだって真っ先に騒動を起こすのは美里じゃねえか。お前が手当たり次第に殺しまくるだけだろ。俺は人知れず上手くやってる。危険スレスレなのはお前だ」
とアキラに言われて美里は唇を尖らせた。
「一箇所に留まるなら考えろよ」
「分かってるわよ」
「分かってねえな。エイミや笹本がいるから安全に思ってるかもしれないが、別に味方じゃねえぞ」
「どうしたの? あたしの身を案じてるの?」
「別に、ただ、長生き出来ねえぞ、と思っただけだ」
アキラはぷいっと横を向いた。
「長生きはしなくていいから、アキラ、あんたが殺したいと思った時に私を殺してね」
と美里は言い、ふふっと笑った。
「先に殺してやりたい奴がいるからな。美里はその後だ」
とアキラが言い、また店の方へ戻って行った。
美里はポケットに大きなカッターナイフを持っていた。
動きやすいパンツ姿で働いていて、カフェの店員らしい短めのエプロンをしている。
そのエプロンの前ポケットにボールペンとオーダー表、そしてカッターナイフを入れている。
「お姉さん」
と言われて美里はびくっと振り返った。
いつの間にか宙が美里の背後にいた。
「ここはスタッフルームだからアキラの知り合いでもご遠慮くださる?」
と言いながら美里は前ポケットに手を入れた。
一瞬で宙の表情が変わった。
アキラに会った瞬間の無邪気な顔は消え、冷たいという感情すらない無の顔。
美里はポケットから手を出し、それを宙の顔の前で真横になぎ払った。
カッターの刃はすでに出ている。
まともに宙の顔を切り裂けば、目潰しくらいにはなるはずだった。
一瞬でダメだと悟った美里は手近の椅子を宙の身体の方へ蹴り飛ばした。
それは予測外だった宙はぴょんと飛んで椅子を躱し、美里に距離を置いた場所に着地した。
「なんでぇ、素人じゃん。アキラ君のお姉さん、結構やり手だって聞いたのに」
と宙が言った。
「そうよ。あなたはプロの殺し屋なんですってね? お金の為にやってるのね? でも私のは本当にただの趣味だから。こんな風にじゃれつかれても困るわ。ここへはチョコレートを食べる以外には来ないでちょうだい。アキラに会いに来たなら、外で会ってくれる?」
と美里が言った。
「へえ、あんた生意気。殺しちゃおうかな」
宙が笑った。
美里はぞくぞくとした。
ようやくより強大な悪に殺される番が来た、と思った。
今まで美里が潰してきたのは弱いクズどもだ。
だからいつか彼女が自身もより強い悪にひねり潰されるのは必然だ。
それが今なら最高だわ、と美里は思った。
夫がいて、弟がいて、妹がいる。
皆が美里の死を悲しむか、食材にしてしまうだろうか。
美味しく皆で食べるならそれはそれで幸いだ。