第64話 VSケルベロス7
小柄な身体から繰り出される豪快な打撃。
リーリエルの拳がケルベロスの右前足を捉える。
鋭い打撃音が鳴り、ケルベロスの体勢がわずかに崩れる。
「どうした、動きが鈍くなってきているぞ?
あくびが出るな」
ケルベロスが反撃のブレスを放つが、すでにリーリエルはその場にいない。
休むことなく動き回り、幾度も方向転換をし、ケルベロスを翻弄する。
「貴様の力はこんなものか?
とんだ期待外れだな! このままなぶり殺しにしてやる!!」
リーリエルは跳躍し、拳でケルベロスの顔面を捉えた。
ケルベロスは大きく頭を揺らし呻き声を漏らした。
圧倒的に攻め立てるリーリエルと、防戦一方で一向に反撃を当てることのできないケルベロス。
すでに幾度もそのような攻防を繰り返していた。
「…………くくくく」
しかし余裕の笑みを浮かべて笑うのは、ケルベロスだった。
「何がおかしい」
「声高に吠える割に、献身的だな汝は」
「献身的だと? この俺が? はっ!」
鼻で笑うリーリエルは、続くケルベロスの言葉にぴくりと眉を動かした。
「そろそろ限界が近いのではないか?
我を殴打するたび、一撃ずつその威力は軽くなっているようだが?」
「……貴様の不利に変わりはない」
「今はまだ、そうとも言える。
だが、汝の無理はいつまで続くかな?」
「…………」
リーリエルが沈黙する。
ケルベロスの瞳に迷いはなく、確信していた。
リーリエルはこのわずかな時間における、すべての行動に全力を注いでいた。
踏み込み、走り、躱し、殴る。そのすべてに全霊をかけていた。
それは無茶であり、当然のごとく限界は訪れる。
限界がくればリーリエルは勢いを失い、今のようにケルベロスを翻弄することなどできはしなかった。
「汝の立ち回りは心地よいものだった。
すべてをかけ、すべてを捧げる。
特攻、とでも言えばよいか。
僅かな時間とはいえ錯覚したほどだ、汝が我と渡り合えるほどの実力を持つ存在なのかと。
人の身で、それは称賛に値する。
だが!!」
ケルベロスが自身の魔力を練り上げていく。
その目は、リーリエルではなくミーナへと向けられていた。
「この場における我の敵はただ一人。
我に対抗しうる者。それは、そこの女だけだ」
ケルベロスから発された威圧に、ミーナは激しく動揺する。
途中まで練り上げた魔力が霧散しそうになるが、どうにか制御を失わずに耐えた。
「あヴァヴァヴァヴァヴァ!?」
隣にいたガヴリーは、完全なパニック状態であった。
「どうしよ!? とうしよ、どうしよう!? 絶対やばいよね!?
逃げなきゃっ!? でも今更逃げても遅すぎるよね!? 無理だよね!? あーうー!?」
ひたすらあたふたするガヴリーの前に、ミーナが立つ。
ケルベロスの視界からガヴリーを遮るように、半透明の片翼を広げた。
「ガヴちゃんは私の後ろにいてね。
この姿なら、私の魔力防護ってすっごく頑丈だから。きっと大丈夫だよ」
「…………ミーナ」
リーリエルが跳躍する。
「隙だらけだぞ!」
棒立ち状態のケルベロスに、リーリエルが拳を振るう。
ケルベロスの顔面に連撃を叩きこんで体勢を崩すが、それだけであった。
ダメージを負いながらも、ケルベロスに怯む様子はない。
「やはり汝の役割は時間稼ぎだったか。
この女の力は脅威だ。
だが、残念ながら足りなかったようだな」
ケルベロスはすでに、リーリエルへの興味を失っていた。
左首の口を開く。
口内は漆黒ではなく、紅く燃えていた。
「……長き眠りより目覚めて早々にこの力、『紅蓮』を使うことになるとは」
ケルベロスの周囲から魔力の残滓が立ち込める。
赤いもやが、ケルベロスを包み込むように浮遊していた。
それは、高位魔法を使用する魔法使いに起こる現象であった。
紅蓮は、ケルベロスの攻撃手段の中で、最も威力の高いブレスである。
爆裂系のブレスは一見して圧倒的なものであるが、狙いがつけづらく、威力も分散しやすい。
ケルベロスが本気で対象を仕留めるのなら、炎系ブレス、とりわけ紅蓮の威力は段違いで、狙った相手を骨も残さずに焼き尽くすものであった。
「光栄に思い、消え去るがいい」
ケルベロスの口内に紅が広がる。
すでに凄まじい熱量で、今にもミーナへと向かって紅蓮が放たれようとしていた。
ミーナは紅蓮に対抗するため、一時的に魔力防護を強化する。
ガヴリーは目を閉じて、手を前に突き出して叫んだ。
そしてリーリエルは、
『地獄の門番、炎帝ケルベロスとも称される、恐ろしく凶悪な魔獣です。
操る炎は圧倒的熱量で、当時の魔王様ですら容易には倒せなかった相手と聞いています』
「……炎帝ケルベロス、か」
副官の言葉を反芻し、安堵していた。
(この世界は、俺のいた世界とは異なる。
魔石などというものがあり、人と魔族が共存している。
言葉を理解する魔物や魔獣が存在している。
それゆえ……)
「炎帝ケルベロス、もしも貴様の形も異なっていたら……属性が炎でなかったならば、どうしたものかと頭を悩ませたぞ」
「……なに?」
リーリエルは不敵な笑みを浮かべて、ミーナの前に立った。
「リー君!?」
「ミーナ、お前は余計なことに気を紛らわせるな。
お前の魔法技能は明らかに未熟だ。
魔力防護など強化していては肝心の魔法は確実に失敗する。
雑音など気にせず、自分のことだけに集中していろ」
「で、でも……」
「こんな犬コロの攻撃、どうということもない」
きっぱりと言い切るリーリエルに、ミーナは呆気にとられて、
「………………あはは」
笑みをこぼすと、魔力防護を解いてすべての意識を魔法の発動に集中させた。
ケルベロスが怒りの声をあげる。
「舐められたものだ。
これほどまでに、我が愚弄されたことなどあったか。
……汝ら、塵も残さんぞ」
「やってみるがいい、できるものならな」
鼻で笑い、リーリエルは意識を集中させて魔力を練り上げる。
その様子を見たケルベロスが激怒した。
「その程度の魔力で、我と渡り合えると思ったか!!
愚か者が、死ね!!!」
ケルベロスが吠え、紅蓮を放った。
紅き炎は竜巻状になり、リーリエルを、そしてその先のミーナとガヴリーを食い破るように迫る。
「蒼氷嵐!」
リーリエルが左手を突き出して水魔法を放った。氷の粒子が前方へと発射される。
それは中級の魔法で、威力も優れたものとは言えない。紅蓮とは比較するまでもなかった。
蒼氷嵐はケルベロスの紅蓮を一瞬だけ抑えたが、見る間に炎に飲み込まれていく。
その様子を見て、ケルベロスが嗤う。
そしてそれは、驚愕の表情と変わっていく。
「蒼氷嵐!!」
リーリエルが続けて二度目の魔法を放つ。
一度目の蒼氷嵐とは比較にならないほどの規模で放たれ、紅蓮を迎え撃った。
蒼氷嵐と紅蓮は互いを相殺し合い、均衡を保とうとする。
未だ紅蓮が押していたが、
「蒼氷嵐!!!」
リーリエルがノータイムで三度目の魔法を放った。
蒼氷嵐は紅蓮を押し返し、完全に均衡を保った。
「馬鹿な!?
紅蓮に対抗できる魔法など、汝の矮小な魔力で出来るはずがない!?」
「くはははっははははははははははははははは!!!!」
驚くケルベロスに対して、リーリエルは哄笑した。
腹の底から笑っており、その声はどこまでもこだましていくようだった。
「…………すご…………リー君、本当にケルベロスの攻撃、止めっちゃった……ひゃっ!?」
ミーナは突風に一瞬目を閉じた。
紅蓮と蒼氷嵐が一定時間相殺し合うことで生じた風だった。
そして、再び目を開けたミーナの目の前に、それは墜ちてきた。
「え? ……何これ。星?」
いつの間にか、辺りにはいくつもの輝く星が舞っていた。




