第57話 決意
リーリエルとガヴリーはギルドを出て走っていた。
目的地は宿屋だった。
「……ねぇ、リー。
ミーナは大丈夫なのかな?」
「知らん。適当なところで戦闘を切り上げて逃げるにしても、ケルベロスがそれを易々と許すとは思えん」
「そっか……そうだよね」
ガヴリーが肩を落とす。
「ガヴリー、荷物をまとめておけ。
街を出る用意をしろ」
「街を? ……なんで?」
「ここが戦場になる可能性が高いからだ」
「…………」
「ケルベロスが街に降りてくるのは時間の問題だろう。
ギルドを見ても、アレと渡り合えるような者はいなかった。
事情を説明して応援を呼んだとしても、間に合うとは……」
「おや、リーリエルさんではないですか。こんにちは」
声をかけられ、リーリエルは足を止める。
声の主は、街はずれの教会の神父バルビナだった。
両手に小さな男の子と女の子を連れていた。
「バルビナか。
どうした、こんな場所で」
「はは、私もたまには外出しますよ。
今日はこの子たちを連れて買い物です。
育ち盛りな子たちですから、食料はいくらあっても足りません」
バルビナと手を繋いでいる子供たちは、ガヴリーに気づくとぱっと顔を明るくした。以前に教会で遊んだことを覚えていたのだ。
子どもたちがガヴリーに近づいたが、リーリエルを見て「ぴゃあぁッ!?」っと悲鳴を上げて、ささっとバルビナの後ろに隠れた。
子供たちはリーリエルのことも覚えていた。
前にリーリエルが教会を訪れた際、滅茶苦茶に子供たちをガンつけており、未だ恐怖の対象であった。
(軟弱だな)
リーリエルは自分に怯える子供を前にして思った。
何の力も持たない、人の陰に隠れることしかできない子供たち。
「ちぃっ!」
無意識にリーリエルは舌打ちする。
ひどく苛立っていた。
その様子に、バルビナはいつもニコニコと閉じていた目を薄く開けた。
「何かありましたか?」
「バルビナ、お前もこの街を出るんだな」
「街を、ですか?」
「死にたくないのであればな」
リーリエルは山に目を向ける。
「今、あの山で強大な魔獣が暴れている。
アレが街までくれば、ひとたまりもないだろう」
「魔獣?」
「そうだ。
信じる信じないは、お前の自由だがな」
唐突で突拍子もない話だ、おそらくバルビナは信じないだろう。
リーリエルはそう思いながら言ったことだったので、続くバルビナの言葉に虚をつかれた。
「その魔獣は、今ミーナがさんがあなた方といないことにも関係していますか?」
「…………」
「なるほど」
バルビナが眉を寄せて考え込む。
バルビナは、以前にセルビオから伝えられていたことを思い出していた。
(護衛の冒険者は、強い人がいい。
強くて、お人好しだとなおいい……でしたか。
まったく、いつも厄介ごとをこさえてきましたが、今度は一体何をやらかしたというのでしょうか、彼は。
…………いえ、今はそれよりも……)
熟考するバルビナの視線は遠くに向けられていた。
「困りましたね。やはり、難しい」
「難しい? 何がだ?」
「街を出たとして、私が教会にいる子供たち全員の面倒を見ることは容易ではありません。
いえ、実質不可能と言えるでしょう。
では次善策として、どうするべきか考えなくてはなりません」
「…………お前は、信じるのか?」
驚くリーリエルに、バルビナが相好を崩す。
「だって、本当なのでしょう?」
「嘘だとは、荒唐無稽だとは思わんのか」
「思いませんね。
貴女はくだらない嘘を吐く人ではありませんし、貴女のその目は信用できます。
であれば、備えるに越したことはないでしょう」
「……ならば街を出ろ。
命あってのことだろう」
リーリエルの言葉に、バルビナは苦笑した。
「正論です。
ですが私は、その後のことも考えずにはいられないのです。
仮に街を出たとして、この手の子たちは救えても、あの子たち全員は救えない。
私はそこまで強くはありません」
「手に余ることを考えても仕方があるまい」
「ええ。ですが、それでも考えてしまいます」
穏やかな口調の中に、確かな力が込められていた。
「神父にあるまじきことですが、こう見えて私は強欲なのです。
あの子たちの誰一人として、欠けることを望みません」
その強い意志に、不思議とリーリエルは気圧される感覚があった。
バルビナの薄く開いた目が、リーリエルを捉える。
「ミーナさんはあの場にいて、魔獣と戦っているのですね?」
「……おそらくな。まだ生きているか、死んだか、それとも逃げおおせたかは知らんがな」
「彼女は絶対に退きませんよ。そういう方です」
「…………」
リーリエルは、ミーナと別れたときのことを思い返す。
口調は緩かったが、堅い決意が明らかであり、その瞳に迷いは感じられなかった。
だからこそ、リーリエルは説得を即座に放棄し、早々に離脱することを決めたのだ。
「彼女が退けば、子どもたちが傷つき命を失うかもしれない。
そういう状況であれば、彼女は決して退かないでしょう。
たとえその結果、彼女が死んでしまうとしても」
「なぜそんなことが断言できる?」
「おや、それは私よりもリーリエルさんの方が理解していると思っていましたが?」
「何を言う。あいつのことなど、俺はロクに知らん」
「ではリーリエルさんは、想像できますか?
彼女が、逃げると」
バルビナの言葉に、リーリエルは拳を握る。
別れ際のミーナの顔が脳裏に浮かんだ。
(……ミーナはこの神父と、ガキどもがよほど大事らしい。
自身の命と天秤にかけ、傾くほどに。
到底理解はできんが)
そうですか?
ふいに響いた言葉に、リーリエルがはっとする。
目の前のものを見て、リーリエルは固まった。理解した。
そう。
リーリエルは理解していた。とっくに理解してしまっていた。
「…………っ!」
リーリエルが走り出す。それは宿とは異なる方向だった。
それまで黙っていたガヴリーが慌てて聞いた。
「ちょっとリー、どこ行くの!?」
「用事が出来た! お前は街を出ろ!」
「用事って……あ、ちょっと、リー!?」
ガヴリーの質問には答えず、リーリエルは走った。
時間が惜しい。
わずかな時間すらも、これ以上無駄にするわけにはいかなかった。
◇ ◇ ◇
冒険者ギルド内。
リーリエル達が去った直後に、コリンの眼が鋭さを増した。
「…………プレメア、ちょっと受付変わってくれ」
「うん、わかった。
お父さん、何かあったの?」
「少しな。しばらく戻れんと思うから頼んだぞ」
コリンは早足で奥へ行き、扉を開けて部屋に入る。
机に設置された魔導器具を稼働させた。
「ヘシュワラから首都フォンディーヌ。
ヘシュワラから首都フォンディーヌ。
先ほどの案件だ、改めて応援部隊を要請する。
対象は魔獣ケルベロスと推定、冒険者が視認したようだ。
依然として、こちらの魔力計器は振り切ったままだ。
相手はAAAランク級の魔獣だ。
半端な者では歯が立たん。相応の者を選抜し十分な装備を整えさせてくれ。
こちらも多少の時間は稼ぐ」
続けて二、三言会話を交わして通信を切った。
「クソッたれが!!」
思わず机を殴打する。
このまま罵詈雑言をわめきたいところだったが、どうにか衝動を抑え込んで別の街への通信を開始した。
極力冷静さを失わないよう努めるが、汗は噴き出し、喉は乾ききっていた。




