第56話 逃走
「ちょ、リー!? ちょちょちょっと待って!?」
手を引っ張られながら走るガヴリーが、抗議の声を上げる。
リーリエルが手を放すと、ガヴリーはバランスを崩しかけるが、どうにか体勢を整えて山道を駆け下りていた。
「急げ。死にたくなければ、少しでも速く走れ」
「わかってるけど……ねぇ、あの人ってどうなったの? ハーフエルフの……」
「さてな。魔獣のブレスが放たれた直後から、俺の記憶は飛んでいる。
だが状況的に生きている可能性はほぼないだろう」
「……あんなだもんね」
隣を走るミーナが、目を伏せる。
「私も必死だったからはっきりとはわからないけど。
位置的にセルビオさんには、魔獣のブレスが直撃してたと思う」
「では即死以外ありえんな」
「即死……」
「ガヴリー、速度を落とすな!」
後方を確認すると、魔獣ケルベロスは悠然と山道を下っていた。
障害物となるであろう木々を関係ないとばかりにバキバキとなぎ倒し、まっすぐに駆け降りてくる。
「うわわわ、なにあれ無茶苦茶だよ!?」
「やり過ごすことは不可能だな。このまま撒くぞ」
「だ、大丈夫!?
追いつかれたりしない!?」
「幸いそれほどの速さではないようだ。
このまま突っ走る以外に道はない」
木々の間から先が見える。
降った先には街が見えていた。
「このまま……」
ミーナは呟いて考え込み、やがて足を止めた。
数歩勢いのまま走ってから、リーリエルとガヴリーが足を止めて振り返る。
「何してるのミーナ!?
あのでかいの、いくらそんな速くないからって、こんなところにいたらすぐ追いつかれちゃうよ!?」
「……うん、そうだね」
「だったら早く行こうよ!?
こんなところにいたら、あのデカブツに轢かれてペチャンコにされちゃうよ!?」
「…………」
「ちょっとミーナぁ!?」
ガヴリーがミーナの手を取るが、ミーナは動こうとしなかった。
リーリエルが問う。
「戦う気か?」
「……そうだね」
ミーナがくしゃっと笑うと、リーリエルは舌打ちして即断した。
「行くぞ、ガヴリー」
「え? でも、ミーナは……」
「そいつは残ると言っているのだ。
なんだ、お前も残ってアレに挑みたいのか?」
「うぇ!? そ、そんなの無理!!」
ガヴリーは魔獣ケルベロスを見て、ぶんぶんと首を振る。
ミーナは頬をかいて困ったように言った。
「私も、別に挑もうとか思ってるわけじゃないんだけど……」
「そうか」
それきり、リーリエルは背を向けて走り出す。
その背は見る間に小さくなっていった。
「え、あ、う……」
ガヴリーは、リーリエルとミーナを見比べる。
数秒間迷い、
「ボ、ボクも行くよ!」
リーリエルを追って走り出した。
離れていく二人の背に向けて、ミーナは小さく手を振る。
やがて、ミーナに影が差した。
地の底を這いずるような重低音が響く。
「恐ろしさに足がすくんだか?
それとも、蛮勇を胸に我に挑むか?」
「…………」
「答える気力も失ったか」
ケルベロスが左右の首の口を開いた。
後方の爆裂音を聞いて、ガヴリーは走りながら首を向けた。
山の中で、一部緑がなくなっている部分がある。
ガヴリーの顔色が青くなった。
「あれは、倒せん」
リーリエルが呟くように言った。
「地獄の門番とはよく言ったものだ。
あれだけのプレッシャー、宿した魔力、とてつもない破壊力のブレス。
なるほど、魔王が手を焼いたというのも頷ける」
「な、なんの話?
リーはあのでっかいの、知ってるの!?」
「聞きかじった程度だ。
アレに対する有効な手立ては知らん、役に立たない知識だけだ。
……ガヴリー、この国の名はなんというのだ?」
「え? デルムガルド王国だけど、それが何?」
ガヴリーの言葉に、リーリエルは自嘲した。
(迂闊だな、俺は。この程度の情報すら知らなかったとは。
……だが)
リーリエルは、顔を上げ歯を食いしばった。
◇ ◇ ◇
リーリエルとガヴリーはヘシュワラの街に戻ってきた。
門番の様子は変わりなく、むしろ全力疾走してきたリーリエルやガヴリーを訝し気に見ていた。
「衛兵どもは気づいていないようだな」
現在、魔獣ケルベロスがいる位置は、ヘシュワラの街から見える山の中腹あたりである。
ケルベロス自体は視認できず、時折起こる爆裂音も街までは届かなかった。
「……これからどうしよう?」
「門番の様子からして、事態を説明して即断できる状態ではないだろう。
よそへ応援要請をするとなると、さらに時間がかかるはずだ」
走りながらリーリエルは思考する。
(現実的に考えて、この街の衛兵どもがケルベロスを討つことなど不可能だろう。
戦力となる数も質も圧倒的に足りん)
「なら……まずはギルドに報告でいいのかな」
「それが無難だろう」
二人はギルドに向かって走る。
街中は平常時と変わらず、平和そのものだった。
リーリエルはギルドに着くと、まっすぐに受付に向かう。
コリンが声をかける前に、リーリエルはどんっと机を叩いた。
「魔獣ケルベロスについて何か知っているか!?
アレを討てる有効な手段はあるか!? 弱点は!?」
「ま、待て待てリーリエル、落ち着け!!」
身を乗り出すリーリエルに、コリンはどうどうと手を前に出す。
リーリエルが顔をしかめながらも戻ると、コリンはほっとため息を吐いた。
「今日はどうした、いつになく慌ただしいな」
「時間が惜しい、さっさと答えろ」
「まったく……ケルベロスなんてほとんど伝説上の魔獣だろ。
一応、AAAランク級とはされているがな、見るどころか聞いたことすらない奴がほとんどだろうよ。
古い本を探せば、昔々勇者様が悪い魔獣を倒しました、なんて昔話くらいは見つかるかもな」
「つまり情報はゼロか」
リーリエルは舌打ちし、周囲を見回す。
「ベルグとイレーヌは? いないのか?」
「うん? あいつらなら、デグレア殿と共に盗賊の討伐に行っているぞ。
この前の護衛依頼の際に捕らえた盗賊から、いくつか根城を吐かせていたらしい」
「……そうか」
間の悪いことだな、とリーリエルは歯噛みした。
「邪魔したな」
「え? リー? ちょ、ちょっと!?」
リーリエルが立ち去り、慌ててガヴリーが後を追った。




