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青い「恋愛成就」お守り。

作者: 沙 励按

 子ども達がいない昼間の静かな家の中で、ゆっくり家事をこなす。外から聞こえる鳥のさえずりも、夏を向かえようとする窓から入る日差しもひとりで堪能できる。

 しかし、この平和な時間が少し物足りない、と感じるときがある。つまり、青春時代に感じたようなドキドキと、心を麻痺させるような刺激がたりないのだ。

 そんな時は、とりあえずAimerやヒゲダンを流しながら家事を進める。すると、昔むかし、わたしがまだ10代20代だった頃の出来事や出会った人達のことをよく思い出す。


 今日も好きな音楽をかけながら、家族のためにアイロンを当てる。ふと、フワリと洗濯物から懐かしく甘い香りを感じた。

 そうだ、昨日から柔軟剤を変えたんだった。その柔軟剤の香りだ、と気付く。しかし、どこかで匂ったことのあるような香りだ。そう思ったとき、20歳の頃に出会った男の子のことを思い出した。

 今となっては、なんであんな事が出来たんだろう、って自分の行動力が信じられない。思い出すと、首を左右に振って脳内から事実を消し去りたいぐらい恥ずかしい。そんな若かりし頃の私と、ある男性(男の子)の話だ。


 目立つのが嫌いな陰鬱で、いわゆるダサい大学2年だった私は、その冬、自動車学校に通い始めた。

 地元を離れ、一人暮らしをしていたので、一日を自由に使えた。大学の授業の合間に自動車学校に通い、大学の勉強は程々にこなし、残りの時間は大好きな読書の時間に当てていた。漫画や小説は恋愛物を好んで読み漁っていた。


 午後から大学の授業が無かったその日は、午後はまるまる自動車学校の予定を入れていた。乗車までの待ち時間、待合室の椅子に座り読書に勤しんでいた。

 すると、何やらすごくいい香りがしてきた。香水のようにキツく鼻を占領はせず、ただすごく私の心を惹きつけるフワリと甘い香りだった。

 その香りの出所を探るために、本から顔を上げてみると、目の前の席に男性の後ろ姿があった。周りを見渡すと、私の周囲数メートルの空間にいるのは私以外、目の前の人物だけだった。

 服装から、男性だと分かったが、少しだけブラウンがかった彼の髪は肩にギリギリ掛かるほどの綺麗な長髪だった。私と同じ歳ぐらいの大学生だろうか。そして、この香りはこの髪から香っているのだろうか。

 そう思っていると、彼の友人らしき男性ひとがやって来て、彼に話しかけた。


大洋たいよう、お前、今日いつ終わる?」


「俺、今日はラストまで学科だから」


「まじか、晩飯どうすっかなぁ」


 友人に返事を返した長髪の彼が横顔を見せた時、私は一瞬にして彼に恋に落ちた、ことを自覚した。長髪がマッチした綺麗な色白の横顔には黒縁のメガネがかかっていた。聞こえてきた彼の優しい話方、笑顔、全てが私の胸にいちいち天使の矢を刺してきた。まるで、恋愛小説や漫画の中の世界の様な出会いだ、と自分で浮かれてしまうほど、彼は私のタイプだった。

 そして、彼の名前は「たいよう」。で、その瞬間から彼は私の太陽になった。


 電話番号や住所も丸見えの時代だ。自動車学校学舎入口の近くにある、一人ひとりのファイルを見れば、名前と住所、電話番号まで丸見えだった。そのため、それらをこっそりみる事ができ、そして、私は彼の名前と住所、電話番号を知り得る事ができた。

 名前は「森安大洋もりやすたいよう」。住所は市内のデパート付近だと判明した。すぐさま、私はそれをスケジュール帳のメモページに書き写した。もちろん、誰にも気付かれないように、だ。


 それからというもの、自動車学校に通うのが以前より一千倍楽しみになった。いつも居るとは限らなかったが、だいたい居た。遠くから、近くから、横から、後ろからいつも彼を観察した。しかも、彼が目の前を通り過ぎると、また、あのいい香りがした。私はその度に、彼の匂いフェロモンにクラクラだった。

 いつも一人でいる私とは違い、彼は常に賑やかな友人に囲まれていた。しかし、彼自身は騒ぐのが好きなタイプではないように見えた。大学ではどうか分からないが、女の子と話しているのも、見た事がなかった。それでも大洋くんの周りにいつも誰かがいるのは、彼の穏やかな口調や性格が人を惹きつけるからだろう。少なくとも、私は彼のそういうところが好きだった。


 ダサい私がデパートに用事があるわけなかったが、わざわざデパートまで赴き、その彼の住所あたりをうろうろしたこともあった。住処を探ったわけではない。あくまでも、周囲を少しうろついただけだ。流石にメモした電話番号に電話はかけなかったが、いつもそのメモを持ち歩いていた。

 「あわよくば、大洋くんと話がしたい」などと願いを込めて、「恋愛成就」お守りのお守り袋に、彼の個人情報を書いたメモ紙を小さく折りたたんで入れていた。そして、1ミリ程の希望を持って、そのお守りをトートバッグの持ち手に付けて持ち歩いていた。今、思い返すと、まるで小学生のする事だ、と自分でも笑えて来る。


 そのお守りのご利益だったのか、ある日突然、私に奇跡が起きた。


「これ、落ちたよ。違う?」


 差し出された物を見ると、「恋愛成就」のお守りだった。

 それは、大洋くんがいつも背負っている青いリュックの色に合わせて選んだ、青いお守りだ。

 これは、たぶん私のおまもりだろう。


「中を確認してもいいですか」


 俯いたままボソリと口にした時、あの甘い心地の良い香りを感じた。もしやと、見上げた視線の先にいたのは、大洋くんだった。

 その時、あまりに急に話しかけられたので、その声が、聞き覚えのある声だとすら気付かなかったのだ。

 そして、彼が私に話しかけてくれたという、驚きの事実に、私は数秒間、心肺停止状態になった。しかも、顔から耳までが熱くなっていく自分を見られたのも恥ずかしかった。


「もちろん。確認してみて」


 明らかに挙動不審でおかしい態度の私を軽蔑することもなく、彼は笑顔でそう言ってくれた。彼は、差し出した私の両手に、細く長い指からポトリとお守りを乗せてくれた。

 しかし、お守り袋を開けようとして、気が付いた。その確認すべき中身は、目の前にいる大洋くんの個人情報の紙切れなのだ。でも、一応確認はしなければならない。外にバレそうなほどに鼓動の音がうるさかった。

 震える指先でなんとか袋を開けた。そして、中の紙切れがいつものように存在していることだけを確認すると、紙を取り出すことなく、すぐにお守りを閉じた。


「だ……っ、大丈夫でした。私のです」


「よかった。いつもそれ、カバンに付けてるよね。青いお守りって、珍しくない?」


 こんな私に、雑談までしてくれるとは、なんてありがたい人だ。しかも、わたしのことを見てくれていただなんて……。やっぱり大洋くんは、私の太陽だ。


「そう……なんです。青いのが欲しくて。あの……、ありがとうございました」


 あまりに恥ずかしくて、もうその場に自分が存在するのが限界だった私は、そのままトイレに駆け込んだ。

 そして、その時、本当に神さまって居るんだな、って本気で思ったことを覚えている。


 それからというもの、彼は私に挨拶をしてくれるようになった。素直に嬉しかった。こんな私に挨拶をしてくれるのだ。さらに、彼はいつも何か一言、言葉を添えてくれた。「今日は寒いね」とか「僕、今から仮免受けるんだよ」とか。

 しかし、彼が何か話してくれても、私は彼に挨拶を返し、一度頷くだけで精一杯だった。大洋くんと雑談をし合うなんて、幸せ過ぎて世界が終わるんじゃないか、とさえ思っていたからだ。


 しかし、一方で私は調子に乗っていた。大洋くんが私を「知り合い」の部類にいれてくれている、ということに対してだ。

 調子をこいた私がしでかした事は、バレンタインで大洋くんにチョコを渡してしまった、という事だ。

 2月14日の当日は、時間がすれ違ったのか、彼に会うことはできなかった。渡せたのはその翌日だった。大洋くんがいつも挨拶をしてくれるタイミングでチョコを渡した。

 しかも、確か……そのチョコに変な手紙も付けてた気がする。今になって思い出すと、身震いするほどの失態だ。その手紙はラブレターではなく、渡したチョコの解説もどきを書いた記憶がある。チョコの味や栄養価やらをだ。

 そんな手紙を添えたバレンタインを渡した自分を後悔したのは、その日の夜、自動車学校から帰宅して冷静になってからだった。

 ただ、その頃の事を思い出すと、チョコに添えた手紙は、ただ一心に大洋くんの役に立ちたかった、という思いで書いたものだという結論に達した。いつも、地味で陰鬱な私に声を掛けてくれる彼に、少しでもお礼をしたかったのだ。


 大洋くんにバレンタインを渡してしまった私の後悔は、ひと月経っても消えなかった。その後も相変わらず、挨拶で声を掛けてくれる彼が、私のことをどう思っているのか気になった。かなり軽蔑されただろうか、とか。その私の変態さを彼の友人にも話しただろうか、とか。このひと月の間、自分がやらかした事が恥ずかし過ぎて、彼や彼の友人と顔を合わせるのが嫌で、自動車学校に通うのも億劫だった。

 しかし、それも今日で終わりだ。私は今日、無事、ここでの全過程を終了したからだ。これでここに通う事は無くなる。先生方に最後の挨拶をし、私はいつものように自転車小屋にトボトボ向かった。

 すると、自転車小屋に大洋くんの姿が見えた。近くには彼の友人がひとり、一緒にいた。今日、自動車学校では、大洋くんを見かけなかった……今来たところだろうか。誰かと待ち合わせしているのだろうか。その辺り、よく分からなかった。

 話しかけられたら、普通に挨拶だけして帰ろう、と意を決して歩みを進めた。


「お疲れ様」


自転車小屋の目の前で、大洋くんが近付いて声を掛けて来た。


「お疲れ様です」

 

私はこれで最後かもしれない挨拶を、彼にした。そして、彼の顔を一瞥すると、急いで自転車を後ろへ引き出した。


「ちょっと……まって」


それが私を引き止めた言葉だと知り、彼の方へ顔を上げた。


「これ、受け取ってくれる?」


 彼は何を言っているのだろう。私に?

 小さな青い紙袋を差し出した彼も固まっている。自転車で私の両手が塞がっていたからだろう。


「バレンタイン、くれたから……そのお返し。あ、ここに入れとくね」


 彼は、その紙袋を自転車の前カゴに入れながら、そう言った。私はその彼の言葉で今日がホワイトデーだったことを知った。


「ありがとうございます」


 私は、ペコリと頭だけ前に傾けてお礼を言った。大洋くんは、私を軽蔑していなかった。そうだ、彼はそんな事で人を軽蔑するような男性ひとではない。


「じゃ、またね。バイバイ」


 彼は、片手を軽く振った。


「……バイバイ」


 私も彼に別れを告げた。これがお互いの最後の「バイバイ」だ。そう思った時、彼にどうしてもお礼を言いたい、という衝動にかられた。出会ってから今までのお礼を、だ。


「あのッ!」


 私の呼び止めに、背を向けていた大洋くんが再び振り返る。私は、肩から掛けたトートバッグに付いている青い「恋愛成就」お守りを片手で引っ張って、彼にかざした。


「あの……私……、お陰様で恋愛成就しました。あの時は拾って下さってありがとうございました」


 言った途端、支えが片手になった自転車がバランスを崩し、倒れかけた。すかさず大洋くんの力強い腕がそれを支えた。

 彼が動いたその反動で、フワリとやわらかな甘い香りが私の鼻をかすめた。私はその香りに気を取られた。

 しかし、私がその香りに気を取られているうちに、彼のおかげで自転車の転倒は、無事免れた。


 こうして意を決して、自分らしくない言動に走ると、大体は上手くいかないものだ。大洋くんのために勇気を振り絞って伝えたデタラメのお礼も、自転車が傾いたせいで、台無しだった。私は、その場でがっくり肩を落とした。

 しかし、大洋くんが次に私にくれた言葉で、それも一変した。


「恋愛成就、おめでとう。よかったじゃん」


 大洋くんの整った綺麗な顔が緩やかに微笑み、彼がその言葉を私にくれた事で、今の失態も、今までの後悔からも救われた気がした。

 「こちらこそ、ありがとう、大洋くん」とは恥ずかしくて言えなかったが、私はその場で一度大きく頷く事で返事をした。


 後から気付いたが、大洋くんはその日、友人と二人で、私を待ち伏せしてくれていたようだった。あの後、友人と二人でバスに乗って帰るのを目撃したからだ。私にホワイトデーのお返しを渡すために、わざわざ来てくれた、と知れた。

 その気持ちがすごく嬉しかった。私のためにお返しを選んでくれて、私のために友人に付き添いを頼み、私を待つために時間を割いてくれた。

 一方で、私の恋愛成就を笑顔で喜んでくれた彼には、私に対する恋愛感情がないことが明らかになった。

 ただ、そこで私の方も、大洋くんに対する想いにスッキリとケリをつけることができたように思う。


 恋愛小説や漫画のように恋愛なんて、そう簡単に成就しない。恋愛に限らず、人生って、色んな成就しないことの積み重ねで成り立っているものだ。20年も経つと、そんなおばさんくさい事も分かって来てしまう。


 地味な大学2年生だった私のために、ホワイトデーのお返しをしてくれた優しい彼は、今どこで、どんな生活を送っているのだろう。

 きっと、私より綺麗で、穏やかで、オシャレな奥様と幸せな家庭を築いているのだろう。いや、そうとしか考えられないし、そうであってほしい。

 あなたは、私の事なんて、全く覚えていないだろうが、私は今でもあなたの恋愛、家内安全、交通安全……などなどあなたの幸せを願っていたいと思う。

 そして、幸せな青春の時間ひとときをくれた彼と、今は無き、青い「恋愛成就」お守りに思いを馳せているところへ、我が子の声が聞こえてきた。


「たっだいまー!」


 靴下を脱ぎ散らしながら、傍に寄ってきた息子をランドセルごと「おかえり」と抱きしめた。

最後まで読んで頂きありがとうございます。


何か感じるものがありましたら、評価や感想などで教えて頂けると、大変喜びます。


宜しくお願い致します。

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