君を殺すのは、僕の役目
「こうなれば、最終手段だ……。彼女を呼ぶ」
部屋の中にいる全員が、司令官を仰ぎ見た。そして、その全員の表情は、絶望一色だった。
沈黙する室内。誰一人、身じろぎ一つしない。
「最終兵器を作動させる」
司令官は最終兵器に必要な彼女の出撃命令を下した。
「ま、まだ、何か手はあるのではないでしょうか!」
部下の一人が、やっと声を上げる。それではっとしたのか、部下たちから同じ趣旨の言葉が次々に上がる。
しかし、司令官は机を思い切り叩き、全員の口を噤ませた。
「我々は、できることは全てやった。全てだ。ミサイルも、核も、水爆も。人類が持つあらゆる武器を総動員して戦った。だが、及ばない。敵は我々以上の叡智を持ち、我々以上の技術を有している。もう、打つ手はない」
司令官とて、彼女を呼びたいわけではない。彼女を使った最終兵器の作動により、全人類の八十パーセントは壊滅する。あまりの威力の高さから、この場所の反対側にある場所以外は、全て消し飛ぶ。
「だから、彼女を呼ぶ。彼女を呼ぶしかないんだ……」
もはや迷っている場合ではなかった。このままでは、宇宙からの侵攻者によって、全人類が壊滅する。
そして、一時間後には、侵攻者はこの星へと到達する。
「いいから、彼女を呼べ……」
四十歳になったばかりの若い司令官は、うなだれ、弱弱しい声で部下に命じた。
「……お休みのところすみません」
「あら、珍しい。寝ているところを起こすなんて」
天蓋のついた豪華なベッドから、ピンクのネグリジェ姿の一人の年齢不詳の女性が絨毯の上に降り立った。
すらりと伸びた四肢。白磁の陶器を思わせる白い肌。腰辺りまで伸びたさらさらの黒髪。豊満な胸。切れ長の瞳。薄い唇。
彼女を呼びに来た、世話係である司令官の部下は、彼女に目を奪われた。
美しい。
その一言がこれほどまでに似合う人は他にいないだろう。
部下は、思わず見惚れていたが、首を横にぶんぶん振り、自分の役目を思い出す。
あと一時間を切っている。呆けている暇など、一切ない。
「出撃命令が下りました」
「ついにその時が来たのね。じゃあ、準備しちゃうわね」
部下は唖然とした。彼女がまるで、これから楽しいピクニックでも行くかのようにあっさりとしていたから。
そんな部下の反応をよそに、彼女はクローゼットを開けていた。そこから、あれでもない、これでもないと言いながら、ベッドに服を投げていく。
部下はそれを見ながら、更に唖然としていた。
この人は何を呑気に服なんて選んでいるのだろう。
「どうして、服を選んでいるのですか?」
事の重要性がわかっていますか、とはさすがに言えなかった。
「ふふ。あなたの言いたいことはわかるわ。だけど、もう死ぬってわかってるんだから、今更暗い顔したってしょうがないじゃない。だったら、最後の瞬間まで、生を楽しまないと!」
彼女はハツラツとした笑顔で言う。そこに嘘が含まれていないことは、誰でもわかるだろう。
「……どうして、そんな風に思えるんですか?」
部下は死ぬことが怖くなっていた。この仕事に就いた時から、覚悟は決めていた。けれど、実際、その時が訪れて、自分の覚悟が決まっていなかったと思い知った。今も、本当は逃げ出したい。最も、逃げ出したところで、死から逃れられる場所には到底行けない。
「まあ、わたしはこの時のために育てられてきたしね」
部下ははっとした。彼女はこの時のために生まれてきた存在だということを、すっかり失念していた。
彼女は宇宙からの侵攻者への対抗手段を失った場合に発射する最終兵器に乗り込むためだけに生まれた存在だ。
人との接触は限られた人間のみ。生活範囲もまた限られた範囲のみ。テレビやインターネットなど、外部情報は全て遮断されている。
物心ついた時からずっと、最終兵器の操作を徹底的に叩き込まれた存在。
それが彼女だった。
「でも、それを言ったら元も子もないよね。正直なところ、わたしだって死ぬのは嫌よ。だけど、わたしはこの世界を守らないといけないから」
彼女はワンピースを持ったまま、ぴたりと動きを止めた。
「ううん。そうじゃない。わたしはこの世界を守りたい。そう思えるようになったから、こんな風にしていられるのよ」
「……そう教え込まれたからですか?」
「……最期だから、君にはわたしの秘密を教えちゃおうかな。まだ時間はあるし、少し付き合ってよ」
時計を見ると、最終兵器の発射まで四十分あった。発射の準備のことを考えでも、あと二十分はここにいることができる。
彼女は手に持った黄色のワンピースに手早く着替えると、ベッドに腰掛けた。
「わたしは、この世界なんてどうでもいいと思ってた。少なくとも、この世界を救う理由はわたしにはなかった。だってそうでしょ。わたしの世界はこんなにも狭いし、会える人だっていつも決まった人だけ。そんな世界を救いたいとは思えないでしょ。わたしにとってはこの狭い世界が全て。外の世界にどれだけの人間がいようと、そんなのはわたしの知ったこっちゃない。だから、どうでも良かった」
彼女は体育座りになった。同時に、その頬が緩むのが見えた。
「だけど、わたしは彼と出会ったことでそれは変わった」
「彼?」
「あなたみたいに、わたしのお世話をしてくれた人の一人よ」
彼女は遠い眼をした。昔を懐かしんでいるようだ。
「彼はわたしの大切な人なの。この際だから言ってしまうけど、わたしは彼に恋をされたの。好きですって告白されたの。といっても、当時のわたしは恋なんてものを知らないから、何を言われているのか理解できなかった。だけどね、そんなわたしに彼はずっと好きを届けてくれた。好きっていうのはどういうことか。毎日のように教えてくれたの。わたしは次第にその話を聞くのが楽しみになっていった。そしていつしか、彼のことを好きになってしまったの」
「でも、それって……」
「うん。まさに禁断の恋。ばれた瞬間、わたしたち……いえ、彼がどうなるかわからない恋。それでも、わたしたちは恋仲になった。そして、子供を授かった」
それは衝撃の告白だった。彼女に子供がいたなんて話は聞いたことがない。噂にすらなったことはないはずだ。
だが、次の瞬間、部下は理解していた。その子供がどうなる運命なのかを。気が沈む。
そんな部下の表情を見て、彼女は小さく笑みを浮かべた。
「大丈夫。あなたが考えているようなことにはなっていないわ」
「それって、つまり、お子さんは生まれているってことですか?」
「ええ、その通り。その辺りは、彼の計算の内だったみたいだけどね。お腹に子供がいるのに、それをどうにかしてしまえば、わたしの精神が崩壊してしまう。だから、どうにかしてしまうことはできない、って考えたみたい。そして、まさにその通りになった」
「でも、あなたに子供がいるなんて聞いたことがありません」
「トップシークレットだもの。それに、わたしとわたしの子が一緒に過ごしたのは、たった一日。生まれた日のたった一日だけ。その後は、外の世界で楽しく過ごしているはずよ。だから、ここのことなんて、あの子は知らない」
部下は言葉にならなかった。その子には新しい人生が与えられているのだから、このことを知らなければ悲観することではないのかもしれない。
だけど、彼女は彼女が子供を生んだという事実を忘れることはない。十月十日、お腹の中で慈しんで育てたという事実は消えない。やっと顔を見れたと思ったら、たった一日で引きはがされた事実は残り続ける。
部下は思わず涙が零れた。自分だったら、耐えられないだろう。子供がいる身ではないが、もしもそうなったら、発狂してしまうかもしれない。
「あなたは優しい子ね。わたしの子も、そういう子だったらうれしいな」
彼女の微笑みに、部下はさらに泣けてきてしまった。ぼろぼろと涙が溢れ出てくる。
しかし、不意にその涙が止まった。子供は良くても、相手はどうなったのだろうか?
「……あの、相手の方は、その、どうなったのですか?」
言葉が口を突いてから、しまったと思った。どうなったのかは、考えなくてもわかる。それを彼女の口から言わせるのは酷だ。
「あ、今のは、忘れてください」
「大丈夫。彼は生きているわ。それどころか、彼ったらすごいのよ!」
彼女は楽しそうにくすくす笑い出した。
「今は、あなたの一番上の上司になってるわよ」
一番上の上司となれば、司令官ということになる。
「……ん? 司令官?」
「ご名答!」
「ええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」
彼女はお腹を抱えて笑い出した。
「まあ、普通、驚くわよね」
「お、驚くなんてもんじゃないですよ!」
「いい反応してくれて、ありがとう。彼はわたしと引きはがされることにはなったんだけど、自分が死ねば、彼女がどうなるかわからない、とかなんとか言って、上手く立ち回って、ここに残れるように踏ん張ったみたい。さすがに直接会うことはできないけど、手紙のやり取りだけは続けてる」
手紙のやり取りに限定しているのは、おそらく検閲をするためだろう、と部下は容易に推察できた。
でも、まさか、司令官がそんな無茶をしていたのは驚いた。
「彼は言っていたわ。君を殺すのは、僕の役目だって。他の人にその権利を渡すつもりはない。だから、意地でもその立場に着くって。そして、それを成し遂げた。とんでもない人よね」
彼女はベッドから降り、大きく伸びをした。
「多分、わたしは彼と出会ってなければ、最終兵器として発射されても、最終兵器を作動させていなかったと思うの。だけど、大切な人ができて、大切な存在が生まれた。たとえその子がわたしのことを覚えていなかったとしても、わたしにとって大切な存在だっていうことは変わらない。わたしが守りたいっていう気持ちは変わらない」
部下は思わず見とれてしまった。彼女のあまりに美しい笑顔に。
「わたしはこの世界を守る。大切な人がわたしのために頑張ってくれたんだもの。わたしはそれに応えないと。わたしの愛を証明するためにも、わたしは最終兵器を作動させる。そして、大切な存在を守るためにも、最終兵器を作動させる。あの子は、生き残る二十パーセントの中に入っているって、教えてもらったから」
彼女は麦わら帽子を被り、部下の傍に来た。
「それじゃあ、いっちょ、この世界を守っちゃいましょうか」
部下は力強く頷くと、二人は扉を出た。
それから数十分後。全人類の八十パーセントと引き換えに、宇宙からの侵攻者を退けることに彼女は成功した。
~fin~