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6 陰キャ娘と悪役令嬢

「……でしょう!?」


「……え過ぎ……」


「…………だ!!」


…………うるさい。

どこか、そう遠くないところから言い争いが聞こえ来る。


ううん……、と寝返りをうって、わたしははたと目を開けた。

……ここ、どこ……?

硬いベッドに、明るい室内。やけに白の多い部屋だった。広いけれど……どことなく、日本の病院の特別室なんかを彷彿とさせる、清潔感。


「……にしたいの……?」


ふいに聞こえた単語に、耳を澄ませた。なんだか、不穏な単語だった気がする。


「戦争を望んでるのは…………!!」


「殿下!!」


所々聞き取れないが、この声。マーロウとラムールライトの言い合いを、ガガトが諌めようとしているらしい。


戦争だなんてとんでもない単語、いくらわたしでもスルーし難い。……が、それより何より……つまり……まだ、わたしは物理的に、四面楚歌の最中さなかなのか……。

がっくりと、横たわったままの肩が落ちた。


不調のあまり倒れたんだろうな、ということと、目が覚めた今でも本調子とは言い難いことは、わかっている。できることなら、自宅の、自室で目覚めたかった。なのに。それがなんだって、こんな状況……。


さっきのひどい頭痛を思えば、意識を外に向けるのは躊躇われる。

とはいえ、ずっと寝ているわけにはいかない。さほど経たずに、あの恐ろしい三人組がやって来そうだ。


「…………」


ゆっくりと息を整えてから、仕方なくまた、辺りの様子をそっと、探る。

壁……扉? その一枚向こうに、攻略対象三人の気配を感じた。案の定、良い雰囲気とは言い難い。

他に出口は……。


どうもここは、あの高い楼閣の一室ではないようだった。閑散としたあの場所には、他の人間の気配はなかったはずだ。けれど、ここは……少し遠くや斜め上に、やたら雑多な気配がある。


──保健室……または医務室なのかもしれない。

そう考えると、納得がいった。校舎の一角にある部屋だとすれば、周りに数多の人間がいても当然だろう。


もう一度扉の向こうを伺うが……今のところ、平行線の話し合いが終わることはなさそうだ。

わたしは緊張のあまり唾を飲むと、息を潜めて身体を起こした。


窓があるはず……。


恐らくここは、一階だ。

横にも、上にも気配があるのに、下にはない。で、あれば、きっと脱出の糸口がある。


やはり、病室なのだろう。天蓋ではなく、ベッドの周りをぐるりと可動式のカーテンが囲んでいた。

そうっと、扉とは違う方に隙間を作り、こっそり這い出る。乙女ゲーム定番の近代的な制服があるわけではないけれど、通学用のドレスは普段のものより装飾が少ない。ラインもすっきりとしている分、多少は動きやすい……気がする。


窓はすぐに見つかった。燦々と降り注ぐ日差しをいっぱいに取り込む、両開きの大きな窓だ。

框の高さが胸まであるが、頑張れば出られないことはないと思う。昨今の運動不足はあるものの、元々この身体のポテンシャルはなかなかで、小さなアニーは「お転婆」だった。


窓の向こうは明るい森。

お義兄様と探索した遺跡部分の森と似ている。しかも、案の定、地面はすぐそこで。……これはもう、逃げるしかない。


──ごくり。

もう一度唾を呑んで、覚悟を決めた。

よし。帰ろう。


馬車に辿りつければ、なんとかなる。デウシスの神殿でも、そうだった。


遠くに見える幾つかの楼閣。

間違いなくここは学園内で、しかも、入口からそう遠くない校舎のどこかだ、と推測が立つ。最大限、周りに注意を払って歩けば、時間はかかっても必ず馬車乗り場までたどり着けるはずだ。

問題は付随する頭痛だけれど……帰宅後の発熱はもはや確定事項。となれば、意識の残るギリギリまでは攻められる。


細心の注意を払って窓を開けた。レースのカーテンがひらりと揺れるも、外の風が強くないのは確認済み。隣の彼らに気づかれることはないだろう。


「……っ」


無意識で漏れかけた掛け声をなんとか飲み込み、不格好ながら必死で框を乗り越えた。こんな姿、心配性の義家族かぞくには絶対に、見せられない。


窓から森まで、5メートルくらいの芝生を横切る。

隣の部屋の窓も大きいから不安だったが、王族が在室中のせいかカーテンがしっかり下ろされているようだった。木々の合間、ビクビクと様子を探ってみたものの……動きは特に感じられない。ホッと胸を撫で下ろし、校舎に沿って、森の浅い場所を移動する。


正直なところ、ゲームの細かい内容までは記憶に薄い。多分、簡単なマップくらいあったようにも思うが……基本、選択肢を選ぶだけだったわたしのあやふやな記憶に頼るのは止めておいた方がいい気がした。

抜き足差し足忍び足。と言うには鈍臭いものの、できるだけこっそりと、校舎の外周を巡る。こうしていれば、いつかは校門に着けるはずだ。


外周の森は奥の森に比べると格段に歩きやすかった。ヒールが土にめり込むのは如何ともし難いが、なんというか、段差が少ない。

これも、お義兄様の言っていた、魔力の更新と関係あるのだろうか。そう思って休憩中に、立ち止まった辺りをじっくり探る。

わかる範囲に人気ひとけはほぼない。校舎の中に数人、森には……小動物らしき気配が少し。普通教室のある区画ではないのかもしれない。

……うん、これなら怖がらなくても大丈夫。


「……ぇ……?」


顔を上げ、改めて周囲を見て……瞬きを繰り返す。頭痛のあまり、視力がおかしくなった可能性は……。


「…………」


あるかもしれない。偏頭痛とかだと、目の見えがおかしくなるって、瑠璃母の仕事仲間さんが言ってたし。それかもね。


「…………ハァ」


何度目を擦っても変わらない。本格的にマズイ気がする。


なんだろう、これ。

不思議なことに、地面が、校舎が、淡く輝いて見えていた。水溜まりが陽光を反射して光るが如く、月が昼の空に浮かぶが如く、薄ぼんやりとあちらこちらが輝いている。


…………気色悪っ。

さすがに声に出して騒ぐわけにはいかないから、心の中で独り言ちる。脳外科も眼科もない世界。早く帰って、お義兄様に癒しをかけてもらった方が良さそうだ。……お義兄様が無事、帰って来てくれてれば、だけど。

またしても無意識に、幻石ペンダントを握り込む。


ハァ。出口、どこ?


こんな恐ろしい所、居たくない。


「……?」


やけに眩しい世界に目が慣れて来た頃、ふいに、その光がゆったりと流れていることに気が付いた。快晴の日の雲より遅い。

なんとはなしに、流れを辿った。


広大な学舎をぐるりと巡る流れに、しばし歩いてようやく気付く。これ……渦巻だ。

恐らく、校舎の中心部。そこを起点に、緩く渦を巻きつつ、外に向かって広がっている。

その証拠に、校舎傍も森の奥も流れの向きは同じなのに、流れの濃さにはっきり差がある。前世、天気予報で見た台風の衛星写真を思い出した。

……ということは、だ。

わたしは一つの方向に狙いを定めると、気合いを入れて歩き出した。


……フゥ。

途中に休憩を挟むこと数度。引きこもりには距離的にも十分キツいが、それより何より、メンタルがゴリゴリ削られたのがキツかった。

だって、今日はここに来てからずっっっっと、周囲を気にしながら過ごしている。見ず知らずの場所、恐ろしいヒト達、見ず知らずだけど間違いなく「恐ろしいヒト達」の味方に違いない群衆。


……でも、その苦労もあとちょっと。ついに、視線の先に馬車乗り場が見えていた。

よくわからない渦巻きだったが、大いに役に立ってくれたのは確かで。眩しいのはいただけないが、とりあえずは感謝しよう。


中心と外縁がわかれば、当然外縁部に向かって歩けばいい。森の奥に迷いこまないためには、意を決して、ヒトの気配のある方に進まなければならなかったが……おかげで、広い馬車の停車場まで辿り着けた。


あとの問題は、森のふちに近い所は下位の家、中心の通路に近い所に上位の家の馬車が停められていることだけだ。オルナメントゥ侯爵家はなかなかに高位の一握りに属するから、残念ながらここから遠い。

みんなが帰宅して、馬車が減るのを待つしかないか……。

とはいえ、多分時刻は昼下がり。緊張のあまりお腹はまったく空かないものの、太陽の位置からすると、間違いない。下校時間までは数時間ある。


さてどうしよう、と思う間もなく、足が限界を訴えてへたりこんだ。明日の筋肉痛は確定だが、それより何より、靴擦れが痛い。

今更ながら、よくこんな華奢な靴で森を歩いたものだ。まぁ、それだけ必死だったのは事実か……。


「あなた、何してらっしゃるの?」


突如、声が降ってきた。

ビクリと身を竦め、弛んでいた気持ちを引き締める。


「仮にも聖女と呼ばれる者が……はしたなくてよ」


……え?


声から、同世代の令嬢なのだとわかる。凛とした張りのあるアルト。ただ、声の聞こえる位置が……高い?

慌てて外向きのアンテナを最大感度で張り直す。……どうやら彼女は馬車の窓越しに声をかけて来ているらしかった。


そういえば、さっきから何台かの馬車が通り過ぎている。徒歩でかち合うのと違って、馬車で通るだけなら木陰のわたしは見えないだろうと、気にも止めていなかった。


「……返事もしないなんて失礼な子ね。それとも死にかけなのかしら。嫌だわ」


誰だか見当もつかないが、相手はわたしの素性を知っている。それでこの口調ということは、よほど高位の貴族令嬢に違いない。


と、ご令嬢が従者にわたしの生死を確認するように言っているのが聞こえた。確かに俯いたままだけど……こんな震えてるのに、それ、必要なのか? これ以上誰かに触られたら本気で瀕死。

仕方なく、のろのろと立ち上がって礼をとる。


「……何かしらこの子。気色悪いわ。あぁ嫌だ。殿下も何を考えてらっしゃるのか……。あなた、ここで何をしていて?」


はっきりとした物言いは、キツいけれど裏がない。不思議と、「懐かしい」と感じる喋り方だった。


「……道が……」


「何? 聞こえないわ。もっとはっきり喋りなさいな。わたくしに察してもらおうだなんて烏滸がましい。きちんと自分で主張なさい」


あ。

懐かしいと感じた理由がわかった。香澄ちゃん……瑠璃の母だ。瑠璃の母に似ている。


気性の激しい女性だった。決して、自身が子持ちだと見られることを許さない、出産や年齢を言い訳にしない、苛烈で美しい女性。瑠璃は……そう、いつも彼女を「香澄ちゃん」と名前で呼んで……彼女をより輝かせるために存在していた。

その彼女が、よく言ってたっけ。「アタシに察してもらおうなんて何様よ」と。


「道に迷ってしまいました。教えてください」


香澄ちゃんだ、そう思ったら、すんなりと言葉が出た。

瑠璃わたしは香澄ちゃんに逆らえない。瑠璃わたしは香澄ちゃんに逆らいたいとも思わない。

だって香澄ちゃんが、瑠璃わたしを構築してくれているから。


「あら。喋れるじゃないの」


「はい。グズグズしてごめんなさい」


顔を上げた先にいた彼女の姿に驚いた。豊かな若草色の巻き髪に、艶やかに引き結ばれた唇。射るように真っ直ぐ見下ろす、真紅の瞳。このヒト……知ってる。

超小顔でグラマラスなゴージャス美女。その名もローザリー。このゲームの悪役令嬢ポジションを担う、どこぞの公爵家の一人娘だ。


「ふぅん。確かに整ってはいるわね。けれど……殿下が弱々しい娘を御所望とは……予想外ね」


香澄ちゃん……もとい、ローザリー様が無遠慮に睨めつけてくるが、なんというか……それでこそ、香澄ちゃん。やけに心が真っ平らに凪いでいく。


「あなた、貴族令嬢としての教育が遅れているのではなくて? 高位の者がそのようにオドオドと醜態を曝してみっともない。矜恃と冷静さなくてしてお役目が務まると思わない方がよろしくてよ」


「ごめんなさい」


「……聞いていらして? 何に対しての謝罪なのかしら。慎みなさい。易い謝罪など平民のするものよ」


「……はい」


若草色の眉が吊り上がり、キツい印象がさらに強まる。その姿はまさしく……。

……あぁ、そうか。

ローザリー様のおかげで腑に落ちた。わたしがずっと怖かったのは……「自分で決めること」だったんだ。


香澄ちゃんのために生きていた瑠璃。その実、思考の基準は香澄ちゃんで、命じられるのが普通のことで。

スポットライトを浴びていたい母と、物陰にこっそり紛れたい娘。親譲りの外見でキッズモデルをこなしたたった一度で、二人の利害は一致した。香澄ちゃんの陰にいれば注目されない。目立たなければ、香澄ちゃんは怒らない。

だから、この世界で、優しい義家族かぞくに「アニーのしたいようにしてイイんだよ」と言われて混乱した。自分の思う通りに動いて、大切な義家族に嫌われたら……?


「聖女なんて言うからどれほどの女性かと思えば……子どもではないの」


呆れたようなローザリー様の言葉に、わたしはまた、内心で一つ、納得する。

トータルで生きた年数の中で、わたしは圧倒的に経験も、学びも少ない。幼いアニーの天真爛漫さも、瑠璃の面倒な性格も、全部「子ども」の一言で言い表せる。かもしれない。


すごいなぁ、さすが香澄ちゃん。……あ、ローザリー様だっけか。


条件反射と言われればそれまでで。

思考の放棄と言われれば反論のしようもなく。

依存と言われれば多分、それ。


自然と、前世で身につけた仮面が帰って来る。無表情という名の、強固な仮面。

感情豊かな香澄ちゃんに心穏やかに過ごしてもらいたくて、瑠璃は喜怒哀楽を仮面の下に閉じ込めた。元々起伏は少ない方だし、苦もなく馴染んだ、安寧のための鉄面皮。

オドオドと下を向く癖も、怯えて肩を揺らす癖も、辺りを窺う気弱さも。凪いだ心につられるように、世界が平坦になって行った。


そうか……こうすれば楽だったんだ。

心を閉ざして、凍らせて。そうすれば他人の目だって怖くない。いちいち怯える必要もない。


「……あなた、道に迷ったと言ったわね?」


ふいに遠くへと視線をやったローザリー様が、にっこり微笑んでわたしを見る。

真っ直ぐに見返せばすぐにわかった。あ、これ、何か企んでる。


「はい」


わかるけど、別に嫌だとは思わなかった。だって仕草が……表情が、あまりにも前世で身近なものだったから。

既にわたしの心は、波風一つ立たないくらいに凪いでいたから。


「送ってあげてもよろしくてよ。オルナメントゥ侯爵邸までで合ってるわね?」


「はい。ありがとうございます」


控えて会話を聞いていたのだろう従僕が、自主的にあるじの意志を察して扉を開けた。ステップを用意してくれる彼に、この世界で初めて、「仲良くなれそうなヒト」だと感じる。なんというか……同族嫌悪の逆だから……類友ってやつ?


「せっかくですもの。あなたのこと、いろいろ聞かせてくださる?」


うふふ、と微笑むローザリー様は毒々しいほどに美しい。


「まずはそうね。殿下との出会いについて、とか」


二人の王族に振り回されて疲れきった心と体に、呪縛がすっと染み込んでいく。前世で馴染んだ薄い毒が、違和感もなく広がった。

あぁ、このヒトといれば安心だ。彼女は何一つ、間違えない。一人で不安に苦しまなくてイイ。


「はい」


広々とした馬車に乗り込んだ時、胸元のロケットがリリ、と揺れた。けれど。


わたしはとうとう、屋敷に着くまで一度も、お義兄様を思い出すことはなかった──。



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