5-後 引きこもり令嬢と攻略対象
「はい、こっちねー」
「っ!」
楼閣の荘厳な入口をくぐり、遠い目で螺旋階段を眺めていたわたしは、突然グイッと手を引かれてヨロリ、よろけた。
「んー、さっきも思ったけど、もうちょいグラマーな方が好みだなぁ」
真正面から抱き留めたその言葉に、「わざとか!?」と歯噛みする。なんなのホント、この鬼畜なイジメっ子。
「素質は悪くないんだけどなー……。あ、お肉食べよ、ね、アニー?」
ゾワリと鳥肌が立った。
蕁麻疹出てても鳥肌って立つものなのか。なんて要らない新発見。
そのままラムールライトに手を引かれ、ガガトに後ろから見張られたまま、なぜか螺旋階段の裏の壁に連れて行かれる。迷いなく壁に突撃させられる気配に、すわイジメの一種か、と身構えたが、
「ぷはっ! この子マジおもしろいなぁ。ダメだよアニー、そんな警戒心剥き出しにしちゃ。王子妃なんだから腹芸くらいこなせないとねー」
幻影の魔法がかけられていたらしい。ぶつかるはずの壁をスッと抜けた先は、窓のない小部屋だった。てか、誰が王子妃か。やっぱりイジメは始まっている。
「ボクら、王族だよ? あんな階段、歩いて登るわけないでしょ」
おかしそうに笑う姿は一見するとさすが、見目麗しい。ただ、ヒトを心底小馬鹿にして楽しんでいる事実に、溜息しか湧いてこない。王族事情とか、興味ないし。
「ほらここ、転移陣。初めて見た? はい、乗ってー。ガガトも早くね」
灯りで照らされた小部屋の中央には、独特の文様が描かれた分厚い絨毯。どうやらそれが王族専用の特別な魔術の媒体らしい。
「アニーもボクと正式に婚約したら使えるからねー。あ、その前に魔力開花させてくれないと」
そういえば、いつの間にか愛称呼び……。なんとなくお義兄様が怒りそうな気がする。まぁ、だからと言ってわたしに何ができるわけでもないのだけれど。
軽口を叩きながらラムールライトが絨毯に描かれた魔法陣らしきものに魔力を通した。ふわりと広がった光が、ラムールライトと、手を引かれるわたし、それから絨毯の端に立ったガガトを包む。
「おや。今日は珍しくお客さん連れかい?」
クラリと頭が揺れる感覚の後、響いたのは聞いた事のない男性の声。
低く艶やかな声は自信に溢れた大人のもので……ビクリと震えたのが伝わったのだろう。ラムールライトがまたしても「ぷっ」と吹き出した。気にするな、いちいち気にしたらわたしの負けだ。
「マーロウ殿、ダメですよ、急に声をかけちゃ〜。臆病な小動物は少しのことですぐに逃げて行くんですよ?」
「おや、それは失礼。それにしてもキミが誰かを連れて来るのは初めてじゃないかい? 愛らしいお嬢さん、私はマーロウ・スー・ジャンといいます」
コツコツと優雅な足音が近付いて来て……目の前で止まった。視界に入る靴先は見事に磨き抜かれている。
王族専用の魔術を使った先にいるうえに、ラムールライトと親しげに会話している彼も、またかなり高位の存在なのに違いない。わたしは俯いたまま辛うじて挨拶の言葉を紡いだ。
「……ん? なんて?」
けれど、残念ながら相手の耳にまで届かなかったらしい。現状では渾身の声量だったのに……正直、もう、無理。
「アニー。ほら頑張って? 隣国の第四王子殿下だよ? ちゃんと挨拶しないとソプラソスもオルナメントゥ公も困るんじゃないかなぁ?」
もう諦めて倒れたい。そう思ったのがバレたのか、鬼畜が耳元でねちっこく囁いた。
……隣国の王子? が、なぜこんなところに……?
疑問に思うものの、確かにそれよりも、義兄や義父に迷惑をかけないようにすることが先決だ。痒みやら恐怖やらで極限を迎えつつある頭でも、そのくらいのことは理解できた。
「……キュアノス・デム・オルナメントゥ、で、ござい、ます……」
「キュアノス嬢、だね。見た目も声も妖精のようだ」
気力だけで絞り出した声はギリギリ、聞こえたようだった。
「それにしても、キュアノス嬢というのは確か、聖女殿の名前では……? ……あぁ、そういうことか。ラムールライト、キミもわかりやすいね。まだまだヒヨっ子かと思えばやるじゃないか」
「ふふっ、わかってくれて良かったです。ボクのものですからね、マーロウ殿は手ぇ出しちゃダメですよ? ただでさえ彼女、臆病で病弱で繊細なんだから。マーロウ殿と二人きりになったら失神しちゃうかも」
「そこまでかい? それはむしろ興味をそそられるね」
「ほら、そーゆーところ〜」
ふっと足元に影が落ちた。
「随分と顔色が悪いね、キュアノス嬢。少し診てあげるよ。私は学園の校医をしているから」
あー……そういえば……居た、こんな攻略対象者。いっぱいいっぱい過ぎて失念していた。そうか……学園に居るんだっけ。
隣国の跡目争いから避難してきた放蕩王子。セクシー担当、女好きの年上校医だ。校医なら校医らしく保健室に居て欲しい。なんでこんな所で遭遇するやら……。
ゲームプレイ中の雑誌連載当時、「包容力と色気を両立した大人気キャラなんだからもっとちゃんと攻略しなさい」と母のマネージャーさんに怒られたことを思い出す。……だって、セクシーとか、吐き気がするし。見栄えする自分を自覚して片っ端から誘惑しまくるとか……頭がおかしいとしか思えないし。
…………なんて、今考えてみれば、瑠璃の母親ドンピシャな嫌悪を、当時のわたしはマーロウに対して抱いていた。
「虚弱体質というのは悪いことじゃない。その分、いろんなことに慎重になれるからね。自己防衛本能が育てば、魔力の流れにも敏感になるから、繊細な操作ができるようになるんだよ」
しかしさすが、大人セクシーな校医様だ。声が、イイ。なんというか、深みがあって説得力もある。
……詐欺師とか、向いてるかも。
視界の隅を、癖の強い紫の髪束がチラチラ動く。目の前でこちらを覗き込もうとしているのは知っているが、三次元化した彼の髪は想像以上に長いらしい。なんかもう、あらゆることが胡散臭い。
「さぁ、しっかり顔を見せて?」
反射だった。
俗に言う「顎クイ」の気配に、咄嗟に半歩後ろに下がる。医師が顔を診せろと言うのも、よく観察できるように固定するのも、珍しいことではない。ましてや、女好きのセクシー系イケメン王子だ。ごく自然に流麗な「顎クイ」モーションを習得して来たのだろうと思う。
「ぶふっ」
「おや?」
宙を切った指先に、ラムールライトが吹き出した。
黒い手袋に覆われた指先を見ながら首を傾げるマーロウは、心底不思議そうで……
「まさか……目の不調かな……?」
なんだかよくわからないことを本気で心配して、目をしばたかせている。
「ふっ……ふふっ……違う違うマーロウ殿」
一人は視力と遠近感を確かめ、一人は笑いを噛み殺せずに苦悶し、一人は無表情に佇み、わたしはガクガクする空間。カオスか。
「さすがアニー……ぶふっ! だよねー、ボク以外に触られたくないよねー、あははははっ!」
ついに、我慢を止めたらしいラムールライトが大声で笑いだす。さらなるカオスに、心の中で「誤解されるようなこと言わないで!!」と叫びつつ、わたしは何とか逃げ道はないものか、ない知恵を振り絞った。
逃走……は、無理。螺旋階段を降りる途中で力尽きるし、魔術で先回りされて終了する。窓からダイブは以ての外だ。
ならば……角度を変えて、ゲームの選択肢的に考えてみるのはどうだろう。コマンドの基本といえば、「戦う」……? うん、意味不明。「逃げる」……は、だから無理なんだって。あとは、「話す」、か。このヒト達、そもそも話しの通じる相手なのか……不安になった。
乙女ゲームとしては、会話して相手と打ち解けていくのが基本なのだとわかっている。頭では。頭と気持ちは別物だけど。
……あぁ、ホント、嫌だな。ホント……なんで乙女ゲーなんだろう。まだ、剣と魔法の殺伐とした世界の方が良かったのに。ただパーティーを組んで戦うだけなら、どんなヒトが仲間だろうが無関心でいても問題なかった。深く誰かと関わる必要なんてなかったはずだ。そんな世界なら、賢い義兄が恋愛脳になる可能性だってなかったし、わたしはそれなりの引きこもりライフを送れてたはず。
すべて、こんな世界に転生してしまったのが運の尽きで……。というか、わたしはなぜ、また人間なんぞに転生したのか。瑠璃だってきっとその前の前世だって、徳を積んだとは思えないのに……輪廻のシステム、バグったとしか思えない。次は正しく藻とかプランクトンとかでお願いします。
「……そうか。キュアノス嬢は身体だけでなく精神も虚弱気味なんだね? それはまさに、私の出番だ。任せてくれてイイよ」
見られてる。めちゃくちゃ見られてる気配を感じる。さながら、目視確認するかのように。
……あ、そういえば。ゲームコマンドの定番に「調べる」というものもあった。他の選択肢よりはずっとマシな響きな気がする。
それなら……頑張ればできる、かな……?
意を決して感覚を澄ますと、まずはそっと、辺りの様子を窺った。
すぐ目の前から強い圧。わたしをじっと見る視線だろう。なんだか、骨まで透かし見られているみたいで落ち着かない。チリチリと肌の表面が炙られるかのようで不快だった。
次に感じたのは、窺うまでもない、爆笑の気配。見なくてもわかる。体をくの字に折り曲げて、お腹を抱えて笑っている。それでも声量は控えめだし、上品かつ優雅なあたり、腐っても王族と言うべきなのか……。
最後の一人は安定の直立不動で扉の前に立っていた。トップモデルだった瑠璃の母親の体幹もすごかったけど、そんなのとはレベルの違う、安定感。見栄えを重視しない超実用的な筋肉は、もはや鎧と大差ない。全身ギプスで固定されているのかと疑うレベルの動かなさ。……なのに、なぜかやけに嬉しそうな空気を感じる。
ハァ……。
三者三様、なんだかんだで隙がない。それに……どっと、異様に疲れてしまった。
自分のことで手一杯だったわたしが、こんなに他人に意識を割くなんて久しぶりだ。義家族や屋敷勤めのヒト達を別にすれば、ここまで他人を気にかけて……100パー全力で他人の顔色を窺うのなんて、今生では初めてだった。
だからだろうか、すごく疲れた。瑠璃の頃はそれが普通だったのに、いつの間にか甘ったれていたらしい。久々でも、思った以上に周りの機微を感じ取れることはわかったが……前より消耗が激しい気がする。慣れ、かなぁ……?
「あれ? ……キュアノス嬢、もしかして…………」
ふと、強い視線がゆらりと揺らいだ。
なぜだろう、周囲のそんな些細な変化まで感じ取れる。マーロウの一言で、ラムールライトは多少笑いを引っ込めてこちらを見たし、ガガトは鋭い視線の強度を上げた。
自分の足元しか見ていないのに、そんなことがなぜか自然に、感じ取れる。
「これは……貴重な瞬間に立ち会えているのかもしれないね」
低く艶のある声に滲むのは、好奇心と好意、憧憬と打算。
「マーロウ殿?」
キラキラしい声に滲むのは、好奇心と疑念、敵意と独占欲。
長いこと内に向いていた意識が外に向かった途端、こんなにも大量の情報が流れ込んで来る。そのことにひどく困惑して、ズキズキと頭が痛んだ。
「……キュアノス嬢の魔力が開花するようだ」
「な!? それ、ホント!?」
「私は意味のない嘘なんてつかないよ。それに、聖女の開花に立ち会えるなんて興味深いじゃないか。若者の成長はただでさえ素晴らしいのに」
慈愛と呼ばれるだろう感情の乗った声の一方で、視線からは虎視眈々と獲物を狙う肉食獣の冷徹さを感じる。その相反する二つの気配の不気味さに、総毛立った。
王子という生き物はどちらにしても、わたしの敵なのかもしれない。
「……さぁ、キュアノス嬢。顔を上げてご覧? ほら、大丈夫だよ」
ぐわぁん。
艶のある声が耳の奥でこだました。
「大丈夫だから。ね?」
………………大丈夫? ……ホントに??
「そう、大丈夫。何も心配いらないよ。ね、顔を上げてご覧? こっちを見て」
「……これは……声に魔力を……?」
「…………」
大丈夫なら、少しだけ……。
そっと顔を上げた。チラリと、目の前の青年の顔色を窺う。
長くカールを描く紫の髪束を辿って見上げれば、笑みを浮かべた淡い空色の瞳。ゆるく弧を描く口元と相俟って、得も言われぬ色気がある。
職業柄のものだろうか、彼を包む余裕が、懐の広さと包容力を感じさせた。
「うん、上手にこちらを向けたね」
そう褒められて、嬉しくなる。
「ふふ……想像以上に可憐な聖女様だ。うん、キミには笑顔がよく似合う。まさに初々しい大輪の花が綻んだかのようだよ」
「マーロウ殿!」
「大丈夫だからもう少し、見ていなさい。聖女の力、見てみたいだろう?」
甘い空色の視線に絡め取られる。頭痛のせいだろうか、靄がかかったようで何も考えられない。
「キュアノス嬢、私の瞳をよく見るんだよ? 何色かな」
「……空の色…………ぁ、夜空の色……?」
「ふふ、可愛い例えだ。そう……色が変わるのがわかるね?」
「はぃ……」
「じゃあ、今度は私の唇に触れてみて? 吐息と一緒に流れ出る魔力がわかるはずだよ」
言われるがまま右手を上げて……
「あぁ、手袋が邪魔かな?」
重ね着けたいずれもが、マーロウの手で外されていく。
「さぁどうぞ。魔力は目に見えないけれど、確かに流れている。今のキュアノス嬢ならわかるはずだよ」
「魔力…………?」
「チィッ……マーロウ殿!!」
「…………っ!?」
グイッと強い力で体が引かれた。と同時に、頭の中で何かが弾ける。
「そんなこと、ボクが許すわけないだろ!」
分厚くかかった靄が晴れて……ひどい頭痛に襲われた。さっきまでより遥かにひどい。
「魔力開花がスムーズに進むように誘導していただけだよ?」
「誤魔化そうとしたって無駄だよ! ボクだって王族だ、わかるに決まってるでしょう!?」
飄々とした低い声はマーロウだろう。爽やかさの欠けらも無い、やけに苛立ったもう一つは……ラムールライト……?
グワングワンと揺れて痛む頭に、二つの声がやけに響く。ガンガン、グワングワン。
……吐きそう……っ!
うっと呻いてその場に蹲る。礼儀とかなんだとか、気にしている余裕はなかった。
「お二人とも! ご令嬢が……」
やけに焦ったような、三つ目の声。
「え? ……アニー!?」
「キュアノス嬢!」
うるさい……気持ち悪い……。助けて……助けて、お義兄様……っ!
「マーロウ殿、医師なんだから何とかしてください!」
「そう思うならどいてくれ! 患者を診せて!」
お義兄様……っ!
必死に、胸元の幻石を握りしめ……そこで、わたしの意識は、ふつりと途切れた。
あーぁ……結局、王族の前で倒れるのか。ごめんなさい、お義兄様………。