表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/15

8 聖女の愛とお義兄様

ギュウウッとキツくロケットを握る指が、痛い。けれど、縋れるものはそれしかなかった。


「……アニー……?」


……………………え?


「アニー……? え、どうやってここに……?」


ふいに聞こえた、心地好い声。

ガタリと椅子の揺れる音。それから、


「っ!」


ふわりとわたしを包み込む、温かな腕。


「こんなに震えて……いったい何が……!?」


慌てたような、心配そうなこの声は……


「……お、義兄、様……?」


有り得ない。でも、間違えるはずがない。わたしのただ一人のお義兄様。


キツく閉じていた目を開ける。

見えたのは、次期侯爵らしからぬ簡素な服。辿って見上げれば、知的な美貌。誰よりも見慣れた義兄の、鈍色がかった柔らかな銀髪と、慈愛溢れる翡翠の瞳がそこにあった。

疲労の滲んだ愁眉を寄せて、こちらを見る目は……あぁ、 なんて優しい。


「……アニー? 泣いていたの?」


こうしてしっかりと見つめ合うのはいつぶりか。

突然現れた義兄あにの不思議はあれど、それよりも何よりも……


「ぉ……に、さ……」


圧倒的な安堵で心が震えた。

「あぁ」と声にならない音を零し、そっと伸ばした手でその存在を確かめる。柔らかな髪に触れ、温度の低いなめらかな頬へ。

触れても消えない確かな手触りに、ハラハラと涙が落ちた。されるがままの義兄は小首を傾げ、それでもわたしの好きにさせてくれる。


「あぃた……っ……」


会いたかった──。


ずっと、ずっと不安だった。神殿から戻って来ない彼が元気で居るか。ちゃんと、帰って来てくれるのか。

本当はずっとずっと、会いたかった。傍にいて欲しかった。どんなに強がってみても……目を逸らしても、寂しかった。わたしが想ってイイはずのないことなのに。


「うん。私も会いたかったよ」


お義兄様の頬に添えた手に、大きな手が重なった。愛おしいものに頬擦りするかのような仕草に、心の堰が決壊する。


「ぅ……ふぇ……っ、お、に、い……っ」


いい歳して、幼子のように泣くなんて恥ずかしい。なのに、1度零れた嗚咽が止まってくれない。

わたしの手を自分のうなじの方向へ優しく導いたお義兄様が、


「我慢しなくてイイんだよ。大丈夫、私の前では泣いてもイイって教えたよね?」


ふわりと頭を抱きしめた。それから、硬くて温かな胸板にぎゅっとわたしの顔を押し付ける。涙を、止まらない泣き声を隠してくれるかのように。


「外聞なんて気にしないで。ここには私しかいないから。アニーの全部を出してイイんだ」


ひっぐ、えっぐ……と、簡素な布地に涙の跡が広がっていく。お義兄様の言葉が心に沁みて……思わず、うなじに回した腕に力を込めた。


「アニー……可愛いアニー。寂しいと思ってくれたんだね? 不安にさせてしまったかな……ごめん、大好きだよ、私のアニー」


繰り返される、優しい言葉。

お義兄様がどこまでも優しいから……パニックを起こして泣き喚くわたしのワガママな心が、図に乗って暴走する。


「会いたいって、思ってくれてありがとう」


「……ぉ、に、ぃ、さ、ま……っ、あぃ、た、かっ、た……っ」


「うん。私も会いたかった」


しゃくりあげながら言う言葉は聞き取りにくくて、きっとまた、お義兄様を困らせている。そう思うのに、涙も、声も、何もかもが止まらない。このままじゃ、きっと、言ってはいけないことまで口走ってしまう。いつだってわたしは、お義兄様に助けられてばかりなのに……これ以上、重荷になるのは嫌なのに……。


「一人にしてごめんね、アニー。寂しかったね」


「……さび、し、……っえぐ、かっ……」


ギュウッと抱え込んでくれていた腕が次第に弛み、ゆっくりと頭を撫でられる。泣きすぎて麻痺した理性と、幼い頃のような幸せな感覚に、小さなアニーの残滓がひょっこり、顔を出した。

行動派の、小さなアニー。


「おっ、にぃ、さ、ま、とっ」


「うん」


「いっ、しょ、にぃっ、い……いた、いぃっ!」


しゃくりあげるせいで、一音一音区切れた不細工な告白。

言ってしまってから、ハッとした。なんてことを……と思って、さらに衝撃に慄いた。


わたし……なんか……いつの間にか思いっきりお義兄様に抱きついてるし……っ!!


どうしよう……やってしまった、どころじゃない。

不出来な義妹にこんな物理的にも精神的にも重たい仕打ちを受けたお義兄様が、どう思うやら……。恐ろしくて、嗚咽が止まった。

こんなの……嫌われるに決まってる……!!


死刑宣告より恐ろしい。息の仕方はとっくに忘れた。いくら限界が近かったからって……。


「うん。そうだよね。一緒に居よう」


なのに、お義兄様の声は微塵も揺るがず、変わらない。柔らかな動きで髪を梳く、優しい手も。


「……ふふ。どうしたの、アニー?」


小さく震え始めたわたしを、落ち着かせるように──


「私だってずっとアニーと一緒に居たいと思っているんだよ。……もしかしてアニー、本当は私とずっと一緒は嫌? 私のこと、嫌いかな?」


「ちがっ!」


「うん?」


ほんの少し悲しそうな、なのに笑いを含んだ声。からかわれてる、そう思った。けど。


「好き!」


慌てたせいか、またしても小さなアニーが飛び出した。と同時に、空気がたくさん戻ってきて、溺れそうになる。早く何かフォローを、と思うのに、呼吸するので精一杯。声が出ない。


「そっか。……嬉しいよ、アニー。私もアニーが大好きなんだ」


くすくすと笑うお義兄様は、幸い、わたしの重たい告白に気付いていないようだった。小さな子どもを相手にするような、微笑ましげな態度を崩さない。

……このまま、誤魔化せるなら、ありがたいけど……。


幼子なら純粋に義兄への愛情を表現しただけの言葉達。しかし、成長したわたしが言えば、貴族の子女として有るまじき、義務の放棄だ。

早いヒトならそろそろ家のため、婚約者を決める年齢。なのに、ただでさえ引きこもりで役立たずなわたしが、義兄と離れるのを厭うなど……家を出るのを嫌がるなど……許され得ることじゃない。

しかも、こんなダメなわたしが、優秀で優しいお義兄様に親愛の情を宣言するなんて……烏滸がましいにも程がある。

冷静になってみれば、とんでもない仕出かしに青くなった。


香澄ちゃんに何度も言われた。

「子どもが親を好きなのは当然だけど、親もあんたを好きだなんて思わないで」「あんたの好意の見返りをヒトに求めるなんて図々しい」と。

お義兄様は……昔から、「アニー、大好きだよ」と言ってくれる愛情深いお義兄様は、確かに、わたしに見返りを求めなかった。引きこもるだけの、欠片も愛情を返せない愚か者なのに……お義兄様は徹底的な献身で、その慈愛を示してくれた。

かくあるべき、わたしの理想──。


もし、わたしの空っぽな中身にお義兄様が詰まっているのだとしたら。

もしそうなら、わたしもお義兄様に対して献身的でありたいと思う。一心にお義兄様のことを思い続けて、貰ったのと同じだけの愛情をお返ししたい。


──一緒に居たい。

気付いてしまったこの気持ちを、もう、なかったことにはできないから……。


捧げるのなら、無償の愛を──。


浅慮だろうが、それでも精一杯考えた。そして思い至ったのだ。お義兄様を慕う気持ちを口にするのは、良くないことだ、と。無償の愛はきっと、言葉じゃない。お義兄様みたいに、行動で示せばイイ。ただ、ひたむきに。

保護者として頑張ってくれているお義兄様に、これ以上の重石をつけてはならないから。


「あ、の……」


チュ──。


決死の思いで声を絞り出した時、脳天に違和感が炸裂した。なんとなく、ほんわりあったかくて、ふんわり柔らかくて……聞き慣れない音が、頭蓋に染み込む。

目を白黒させていると、お義兄様の胸に縋りついたままだった頬に手が添えられて、


チュ──。


今度はおでこで、同じ何かが炸裂した。

……なんだろう。怒られているわけではなさそうだけれど……?


「ふふっ。可愛い。私だけのアニー」


上を向かされたせいで、お義兄様の翠玉と真正面から視線が絡んだ。どこまでも深い、翡翠の瞳。最奥に潜む、昏い翠色みどりいろも美しい。


「あぁ、目元が赤くなってしまったね。可哀想に」


何が起きているのか分からずに、じっと見つめていると、ふいにお義兄様の艶やかな唇が瞼に、次いで目尻に触れた。


チュ、チュ──。


…………ん?

余りに予想外の出来事に、キョトンとしてしまう。え……? お義兄様の唇、が…………??


「すごく可愛い。大好きだよ、アニー」


え……?

お義兄様はとっても綺麗な微笑みを浮かべている。けど…………え? 迷惑かけたのに、なんで……?


驚き過ぎて、ちょっと……いや嘘、かなり、キャパオーバーだ。ボシュウッと湯気が立つどころか、爆発しそう。ウダウダと考えていたあれこれは、一瞬で消し飛ばされた。全て、真っ白。

だって……え、なんでお義兄様が……小さい時だって、されたことなかったのに……え……なんで……!?


だから、


「……ようやくここまで堕ちて来た……」


お義兄様の形の良い薄い唇が何を呟いたのか、一言も聞き取れなかった。


「お、義兄、様…………?」


混乱の坩堝に落ちたわたしは、それでもなんとか脱出を試みようと……とりあえず口を開く。


「うん?」


「……なん、で…………」


零れたのは、脳裏を満たして渦巻く疑問。

こんな時でも、お義兄様は冷静で、どこまでも次期侯爵として隙がない。頼りになり過ぎて……わたしがどんどんポンコツになっていくみたいで怖くなった。


「ふふ、なんでって……だって、アニーは私が好きで、私はアニーを愛してる。それが全てだ。……ほら、それって、ご令嬢方の言葉で言う、『両想い』というものだよね?」


「…………ぇ……?」


りょうおもい…………? って何だっけ…………?


「それとも、アニーの言葉は嘘だった? 私のこと、好きじゃない?」


「な……っ嘘じゃな……っ」


この世の終わりみたいな表情かおで言われて、反射的に言葉が出た。わたしがお義兄の重荷になって……悲しませるようなこと、してはいけないし、したくない。


「良かった」


ホッしたように輝く笑顔が胸に刺さる。キラキラしていて、真っ直ぐで……お義兄様が時折見せてくれる、特別な笑顔。

見ると、キュッと胸のあたりが苦しくなる、不思議な笑顔だ。


「ね、やっぱり私達は『両想い』だね。だから本当は……」


ジッ、と翡翠の瞳が、わたしの心の奥底まで見透かすように覗き込む。その明るくて、昏くて、優しくて、熱くて……複雑な色合いに目が奪われた。なんてキレイ……。

初めて見るお義兄様の表情だけど、怖くはなかった。怖くはないのに……なぜか背筋がゾクリと震える。


「ここ、に」


長い指が、ふにゅりとわたしの唇に触れ、そっと摘んだ。ふにゅりふにゅりと下唇を撫でて、優しく揉む。

甘えているかのようなその仕草に……顔が瞬時に沸騰した。あまりにも不慣れな、未知の感覚に理解がまったく追いつかない。


「キスしたい」


「っ!?」


言葉と同時に下唇を強く摘まれ……ガクリと体の力が抜けた。ぇ……なんで?

茹だった頭ではわからないことだらけだけれど、兎にも角にも顔が熱い。ついでに言えば、全身熱い。


「……っと危ない。アニー、大丈夫? 痛いところは?」


すかさず支えてくれたお義兄様が、ズルリとへたりこみそうなわたしを抱き上げ、甘い瞳で覗き込んだ。


「あ、いえ……大丈夫、なんですけど……」


そう、甘い。めちゃくちゃ甘い。

普段からわたしを見るお義兄様の目は優しくて甘やかだ。けれど、それとはどこかが違っていて……


「ふふ、可愛い。あれだけで腰が抜けるほど蕩けちゃったんだね」


「っ!?」


とてつもなく甘いのに、普段はない、どろりとした熱を感じた。


「あぁ、本当に可愛いよアニー。愛してる。その可愛い表情かおは他の誰にも見せちゃダメだよ。私だけの宝物だ」


いつもとは違うお義兄様に、心臓がうるさいくらい音を立てる。

抱き抱えられたままギュッと抱きしめられて……クラクラした。


「……あぁ、残念。時間切れか。

アニー、少しの間寝たふりできる? 硬いベッドで悪いんだけど……」


翻弄されっぱなしのせいだろうか。そう言ったお義兄様に質素な毛布をかけられた時、深い安堵が湧き上がった。


「すぐ終わるから。そしたら、一緒に帰ろうね」


前髪を梳く繊細な指先の感触はいつもと同じ。たったそれだけで、ひどく落ち着く。


「疲れたのなら、寝ててもイイよ」


幼い子どもを寝かしつけるかのような優しい指先。心の底から、温かなものがじんわり広がる。


たぶん、眠ってる場合じゃない。だってわたし、学園の玄関ホールに居たはずなのに、ここは見るからにどこかの小部屋で。しかも狭い部屋は、次期侯爵が居るような場所でもなくて。更に、部屋の外が騒々しくなってきている。


「私に任せて。アニーが私を選んでくれた。だからもう、なんだってできるんだ」


けれど、温かなお義兄様の手がずっと撫でていてくれるから……。心地よいお義兄様の声が、「おやすみ」と言ってくれるから……。


「なぜこんなところに警備が居る? 通せ。確かに聖女の奇跡を感じたのだ。…………おまえ……ソプラソス・ドゥオ・オルナメントゥ? なぜ……いや、いい。誰か枢機卿共を連れて来い! 全員だ!!」


けたたましい靴音を響かせてこの建物の主がやって来た時、わたしの意識はすっぽりと、暖かな闇に包まれていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ