第九十七話 温もり
黒曜 過去夢展開あり
私が『鴉』と呼ばれるようになってから、呼応するように妖達は生まれた。私のように生力を操れる人間達は、身の内を燃やすような憎しみをきっかけに原初の妖となり、彼らは番となった。そして生まれた妖の子供達は、人の姿ですら無い者もいたが、生力を喰らい妖力と変える事は共通していた。
私は生憎、番には興味が無く、ただ妖と人の小競り合いを傍観するのみだった。人であった時も怠惰であったが、妖になってもそれは変わらないらしい。だが、怠惰であっても原初の妖には違わない。妖の長として、下々の妖に救いを求められた場合には応えねばならなかった。
今回も同じ。だが、少々面倒な案件のようで溜息をついた。
「鴉様……妖を殺す人間の長が現れたそうです」
「……それで? 」
私が簡潔な求めを望んでいる事は、皆知っているはずだ。牙の妖を一瞥すると、彼は震え上がった。そんなに怯えずとも、私は下々の妖を殺したりしないのに。他の原初の妖は知らないが。
「どうか、彼の人間を殺しては頂けないでしょうか。下々の妖では太刀打ちできません。現人神だと人間達は崇めているようです。どうやら、原初様に近い人間のようでして」
「……だろうな」
かつての私のように、生力の視界を持つ人間という訳だ。時折、そういう人間は生まれる。時が過ぎるにつれ、段々と絶対数は少なくなってきたが。だが何れ皆、原初の妖へと化すのに、その人間は違うようだ。妖になるどころか、人間を守ろうというらしい。確かに近頃は、生力を得る為に人間を狩り過ぎだ。生力を得る為には、人間の血肉を得るしか方法が無いのは事実だが……塩梅という物があるだろうに。他の原初の妖が筆頭になっている事は安易に想像がついた。だが、こうして私に面倒な案件が回ってくるという事は、他の原初の妖では太刀打ち出来なかったようだ。
「検討しよう」
私の短い返答でも満足したらしく、牙の妖は影に消える。問題は、どう解決するか。妖側に引き込めれば、話は早いのだが。……姿だけでも確認する必要がありそうだ。
私は自らの姿を鳥である鴉の姿へ変え、空へと飛翔し下界を見下ろした。その人間の特定は安易だった。原初の妖は生力を操る力は残っていないが、生力を視る事は可能だ。ただ、膨大な生力を持つ人間を探せばいいだけだから。 若葉色に強く輝く存在が、確かに居た。私はその人間の住む屋敷の、庭の梅の木に止まった。妖力は隠蔽しているから、ただの鴉に近い。私は納得した。他の妖では太刀打ち出来ないはずだ。最近では生力由来術式なる、人間が妖に対抗する手段が生み出されているに加え、その人間の生力の潜在量は、かつての私か……それ以上なのだから。
生力の視界を解き、金を纏う彼女を目にした瞬間……時を奪われた。後光を放っているように錯覚させる、腰まで真っ直ぐに届く輝く金糸の髪。凛とした美しい目鼻立ちも特徴的だが……芯の通った意思を感じる、大きな丸い瞳に目を奪われてしまう。澄み切った金の瞳は極光を纏い、楔石のようだ。確かに現人神だと言われても納得してしまいそうな神々しさを秘めていた。
「……おいで」
小さな桜色の唇が春風から生まれた澄んだ声を紡いだ。彼女が庭の木に止まる自分に、薄く微笑して手を伸ばした事で、金の双眸に魅了されていた事に気がつき、羽が逆立つ。まさか、妖だと気付かれているのだろうか。妖力を隠蔽していても生力を持たない自分は、彼女が瞼を閉じれば闇にしか見えない。だが今は梅の木の上。生力は木にも宿っているから若葉色の輝きに紛れて、今は分からないだろう。ただの鴉だとして……言語を理解するのもおかしな話だ。
「己穂、ただの鳥が言葉を理解する訳がありません。それに、野鳥など汚らしい」
逡巡している間に、金の色彩の彼女とは違う少女の声がした。梅の花咲く枝の間から、私を少々苛立たせる一言を発した少女を認識した瞬間、驚いた。巧妙に隠してはいるが……ふわふわとした白銀の髪の彼女は、妖の血を引いている。恐らく、原初の妖である『猫』の眷属だ。彼に会った事がある私にはよく分かった。血族らしく、猫目で銀の瞳だった。人間の血が混ざった彼女に瞠目しつつ、成り行きを見守る事にした。
「雪は潔癖なんだから。鴉はとても美しい鳥なのよ? 艶やかな濡れ羽色の中に、紫鳥色や翠色を秘めているのだから」
「……雪は良く分かりません」
力説する己穂に、雪は項垂れる。やはり己穂は、雪の事をただの人間の少女だと思っているらしい。
「……一度で良いから、あの翼に触れてみたい」
己穂はそう言うと、再び梅の木に止まる私を見つめる。憧れの眼差しに私はたじろぐ。己穂の前に下りるべきか、否か。ただの鴉で無い事がバレてしまうかもしれない。だが雪はつんと高慢に、我慢ならない一言を発する。
「いくら綺麗だとしても、所詮、唯の野鳥。小さな頭では、梅の花を二つ数えるのが精一杯です」
この娘は、鴉が人間で言えば七歳程の知能を有している事を知らないのか!? しかも目の前の私は、原初の妖だと言うのに……非常に腹立たしい。私は思わず生力の宿る梅の花ごと小さな枝を咥えて折る。そのまま咥えて、己穂の元へと舞い降りてしまったのだった。自らの足元に置く。
「あら、梅の花を捧げに来るなんて。……案外賢いのね」
目を丸くする雪を内心鼻で笑うと、己穂を見上げる。己穂は金の瞳を瞬くと、白皙の頬をほんのり染め、桜色の唇に微笑を浮かべる。梅の花が綻ぶような、美しい変化だった。
「……やっぱり綺麗」
己穂は私の翼にそっと触れる。優しく触れた手の温もりに、小さく息を吐く。私は人肌の温かさを遠い記憶の彼方へ置き去りにしていた事に気がついた。比呂馬が……私を抱き締めてくれてから、温もりを感じた事があっただろうか。私は己穂がその手を離すまで、鴉の姿のまま立ち尽くしていた。
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