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千里の夢 ✣­­­­ 過去夢の力で妖の血を引く幼なじみを破滅から救う恋物語 ✣ ࿐.˚  作者: 鳥兎子
第六章 寒鴉ノ冀求編 (かんあのききゅうへん)
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第八十九話 道化


【午後七時三十分】 千里  癒刻時計塔前にて

          《千里視点》



 午後七時三十分になった。私は紋様のある四角い紙に触れると天灯から手を離す。鉄紺(てっこん)色の正絹(シルク)にばら蒔いた金剛石(ダイヤモンド)の星空を更に彩る様に。達筆な後藤の文字が若葉色に発光すると、浮かんでいく天灯は金色に灯される。妖精の翅の様な色合いは、可愛らしいと思った。紐がぐんぐん天灯に引かれて巻き上げられて行くのを見ると、私は少々焦る。上げるタイミングは手を離す時間で合っていただろうか? だが、秒数まで指定され無かった事を思い出すと、大丈夫かもしれない。実際は風もあるだろうし。やがて紐が完全に張り、高く上がって小さく見える天灯は共鳴する。不思議な音色だ。鈴とも鳥の鳴き声ともつかない音を発すると、夜空に若葉色の光の波紋を放つ。それは偉人の像から上がった天灯からも、温泉街からも放たれて、四つの波紋は触れ合うと消えてしまった。人払いの術式だった。次波は金色。四つの波紋は触れ合うと今度は消えない。鉄紺(てっこん)色の正絹(シルク)の夜空を、編みレースの様な金の紋様が覆う。幻の様に美しい空に、私は溜息を付いた。紋様は薄まり、輪郭が僅かに金の粉を保つ。結界は張られた。

 これから……十五分後。本当の刻限が訪れる。私は身体が、ピリピリと緊張の波によって侵略されるのを感じた。救いを求める様に私は鞘を抱いて、三つの天灯から術式が放たれた方角をそれぞれに見つめた。だけど私は……彼らが来る前に、黒曜と会わなければならない。己穂の記憶の鍵は、黒曜が持っている筈だから。





【午後七時三十分】 美峰 綾人 ガス燈前にて 

          《綾人視点》



「綺麗だね」


 夜空を見上げて微笑む美峰は棗型の黒い瞳に、浮かんでいく天灯の若葉色と金の光を映す。幻惑された俺は天灯なんかより、美峰の方が綺麗だという陳腐な台詞(セリフ)が浮かんでしまう。これだから、何時もふざけているんだと勘違いされているのだ。俺は何時も大マジメなんだけど。

 美しく溜息を白に染める美峰の横顔に、俺は昼間の出来事を思い出す。美峰にバレたら、どやされるのは間違いないので、遠距離透視で知った事は絶対に言えない。美峰と千里が貸衣装屋に行った時……あんまりに遅いので、気になってしまったのだ。あくまで無意識に遠距離透視が発動してしまった、と誰に言う訳では無いが……言い訳をさせて頂きたい。断じて覗きではありません。

 少々コントロールを失った遠距離透視の発動感覚に覚えた焦りを、饅頭屋で真剣に菓子を選ぶ黎映と、連れ回されて疲労に放心している智太郎に隠した。二人の姿が霞むと、始めに視えたのは、瑠璃色の長着と胡粉色の袴を着た、くるくると喜びに回る美峰だった。少々ネタバレなので美峰と会ったら驚く振りをしなくてはと思った。実際に会ったら無意味な演技など、小さく微笑む美峰に拐われてしまったのだが。貸衣装屋の店内で、美峰と千里は楽しそうに何か会話を続けていた。遠距離透視では声までは聞こえないので、内容までは分からない。

 楽しそうに会話をしていた筈の、美峰の表情が不意に翳る。艶めく黒髪のベールの影……青百合のピアスが青い菱形の虹を反射する。瞬く棗型の黒い瞳へ、静けさと共に与えられた。自分自身の心臓の奥、唸る鈍痛に崩壊を始めた洞窟の内部。縋っていた安寧がついに、その手を離れる。聞こえない筈の、美峰の声がする。


『さっきも、青ノ鬼と入れ替わって……』


『……私は身体の一部の権利を既に……』


『……青ノ巫女姫になったのは自分のせいだって、これ以上悔いて欲しくない。……後悔……綾人が私から離れる事を選んだら……』


 途切れ途切れにしか聞こえなくても、開花し始めた遠距離透視の聴覚で理解するには十分だった。感じていた疑念は明確に答えを出した。美峰は、青ノ鬼が身体の権利を奪おうとしている事を自分に隠していた。美峰が想いを告げ、青ノ巫女姫としての運命(さだめ)を受け入れた時から、抱いていた未来への恐れは突然俺の首を絞めた。美峰は、真実を知った俺が離れて行くと思っていたのか。未来への恐れをぶん殴り、本来俺が叫びたいのは、ただ一つ。


 美峰を、離すわけが無いだろ!!!


 朱の空の化け物に喰われたように姿を消した母親は生きていた。例え俺を隔絶された、人ならざる道へ導く使者だったとしても、生きているだけで願い続けていた祈りが叶ったように嬉しかった。しかし突然、お前は青ノ君(あおのきみ)だと告げられ、呑まれた隠世から帰れなくなった子供のように怯えていた事もまた事実。

 懐かしい香りのする陽だまりから現れた美峰は、冷たい暗闇に蹲る俺の手を取り人の世へと再び歩ませてくれた。確かに、俺は美峰に青ノ巫女姫の運命を選ばせてしまった事を後悔していた。俺なんかを好きにならなければ、もっと平穏な人生を送れた筈だから。だが美峰を手放せる程……俺は人が出来ていない。悲惨な運命事、俺を選んでくれた怯える美峰を、自分勝手だとしても壊れる程に抱き締めたくなる。恨まれたとしても絶対に逃がしたりしない。俺以外には決して見せない、縋るような切ない寂寞に揺れる棗型の黒い瞳も。包み込むように穏やかに微笑む、艶を受けた唇も。今更、甘い毒のような安寧を与えて置いて逃げれるとでも? 何時か美峰自身が後悔して許しを乞うても、俺が美峰を手放す事など有り得ないというのに。

 問題は、青ノ鬼だ。青ノ巫女姫の身体の権利を奪うなど 、俺の母親であり前青ノ巫女姫の、大西玲香からも聞いたことが無い。弐混神社から出ることも無く、代々青ノ巫女姫の身体を渡ってきておいて、今更魔が差したとでも言うのか。美峰の身体から青ノ鬼の魂を放つ事が出来ない以上、俺が出来るのは……悔しいが、抑える様に泣いた美峰を抱き締めた千里と変わらない。何時も通りに道化を演じて、美峰の心の礎を築く事。愚かだろうが、決して俺が離れて行くわけが無いと分からせるしか無い。


「綾人見て、若葉色の光が空でぶつかった……あ、消えちゃった」


 美峰の言葉に空を見上げる前に、俺は温泉街の異常に気がつく。すれ違う度に気を使わなければ行けない位には、歩いていた観光客の姿が無い。これが人払いだとは分かっているが、先程まで絶え間なく聞こえていた見知らぬ人々の幸せな会話が消えたと思うと、冷たい怖気(おぞけ)が背を伝う。耳鳴りがする程にピンと静寂が張ると、先程まで気にならなかった物陰にすら何かが潜んでいてもおかしくは無い気がする。静寂を壊した、川の(せせらぎ)すら、闇から何かが這いずる音に聞こえる。


「ほら、次は金色だよ。術式って凄いんだね、夜空に綺麗な模様を作れるんだから。……夜空が金の蜘蛛の巣に()()()()みたい」


「美峰、見とれてる場合じゃないって」


 物陰から目を離し、夜空に手を伸ばす美峰に向き直る。直ぐに癒刻時計塔へ向かわなくては。千里を守る為に、自分達は癒刻へ来たのだから。美峰は俺の言葉に夜空へ向けた両手を瑠璃色の袖を寒風に靡かせて下ろす。ガス燈の幻想的な金の光の下……美峰の横顔が照らされている。艶のある黒髪から青百合のピアスが垣間見える。口元に湛える微笑に、胸がざわつく違和感を覚える。……嘲笑を僅かに滲ませたような口元は美峰の表情では無い。


「……青ノ鬼(あおのかみ)! 」


 顔を顰めた俺は即座に距離を取り、背負うケースを下ろし、ファスナーに手をかける。そこで気づいた。俺は、美峰の身体を傷つけられない……!


「やあ、綾人。愚かな後裔(こうえい)よ」


 高い男の声で振り向いた青ノ鬼は、やはり左目が青く爛々と燃えるようだ。最悪の形で恐れは実現してしまった。まさか、青ノ鬼は身体の権利を手に入れたのか!? 美峰の意識は今、何処に……! 青ノ鬼は憎悪すら感じる荒々しい重圧を纏い、動けない俺を()め付ける。支配する心臓の猛りに、抗うように息を呑む。


「何故今現れた! 」


 青ノ鬼は美峰の(かんばせ)を片手で覆い、面白い冗談を聞いたかのように重い息を震わせ冷笑する。闇から覗く蘿月(らげつ)のような青い左目は嫌な予感がする。天灯を上げたばかりの今、真っ先に癒刻時計塔へ向かわねばならないこの時に、何故美峰を呪縛したのか。


「今でなくてはならないからだ。それ以外に理由なんて無い」


「美峰を返せ! 」


「お前の愚かさには辟易とするよ。弱者の戯言など聞くはずが無いだろ」


 青ノ鬼は、美峰の(かんばせ)から手を離すと唇を歪ませる。俺は意を決して内側から引き出した妖力を、紺碧の勁風(けいふう)に化したその時……青ノ鬼の冷笑が影と共に消える。腹の底が瞬時に冷える。ガス燈の下、行き場を無くした紺碧の勁風が振り積もった乾雪を舞い上げる。視界が白く霞んだ時、突然背後から、首を掴まれる! 美峰の両手の筈なのに……青い妖力を纏っているせいで、有り得ない力で首の血管を圧迫する。細い手首を掴むも、ドクドクと警鐘を鳴らす血流に指先が食い込んでいく。酸素を取り込めない肺が痙攣し、口は(から)に開く。意識が輪郭を遠ざける中……背後から青ノ鬼が呟く。


「智太郎が居るのは……確か、偉人像だったか。早くしないと千里の元に着いてしまうな」


 智太郎が危ない……! 何故千里の元へ向かうのを、阻もうと言うのか。だが、俺は言葉を発する事すら出来ず無力だ。もう二度と翔の様に誰も死なせない為に、俺は強くなると決めたはずなのに、美峰すらも取り戻せない。血の滲むような努力を積み重ねてきたはずなのに、この手は誰も救えないのか……! 絶望の闇に意識が堕ちていく寸前……俺は、啜り泣く美峰の声を確かに聞いた。


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