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千里の夢 ✣­­­­ 過去夢の力で妖の血を引く幼なじみを破滅から救う恋物語 ✣ ࿐.˚  作者: 鳥兎子
第六章 寒鴉ノ冀求編 (かんあのききゅうへん)
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第八十七話 弐つの燈



【午後七時十八分】 千里、智太郎、美峰、綾人

          ガス燈前にて

          《千里視点》



 綾人と美峰の担当場所は、川沿いのガス燈。黎映の担当場所とは反対岸を進んだ場所だ。ガス燈と温泉街の幻想的な金の光が、温泉の蒸気によって(おぼろ)に広がる。粉雪が(まぶ)されるのに、幻想的な金の光は闇深い空とは似合わない。隔絶された優しい思い出の様な道程は、シュガーケーキの様に優しいから。

 観光街だから、当然ながら夜でも人とすれ違う。中には子供連れの家族も居た。母親と父親の間で手を繋ぐ小さな女の子が嬉しそうに両親を見上げては、ブランコの様に足を浮かせて二人を困らせるのを見ると、私には手の届かない絵物語に思えた。私にはあんな思い出は無い。智太郎や黎映にも。もしかして覚えていない位に小さな時にはあったのかもしれないけれど。私に残るのは、那桜と、黒曜との僅かな記憶だけ。思い出は、桜の花吹雪の、白の内側から眠らせた(あか)が滲み出るような薄紅によって塗り重ねられてしまったけれど。

 美峰と綾人は、と考えた時。二人には幼い頃には幸せな思い出が確かにあったと思い出す。美峰は信じていた幸せを根底から崩され、綾人は空を染め上げる朱の化け物に、思い出事呑まれてしまったが。初めから存在しないのと、幸せな思い出を途中で奪われる事。何方が残酷か、なんて考えるだけ無意味な事に気がついて、私は前を歩く美峰と綾人を見つめる。二人は遠慮がちに指先を繋いでいた。私にはその姿が、(つい)である繊細な硝子細工の自鳴琴(オルゴール)が共鳴している様にも思えた。二人はあるガス燈の前で立ち止まる。


「……目的のガス燈はここだ。昼間来た土産屋から数えて二本目で、赤い橋の横のガス燈」


 綾人が差し示したガス燈は、他のガス燈と変わらず、二又の形をしており鉄飾りの装飾が成されている。金色の光を私達に届ける、燈は(ふた)つ。


「土産屋、お昼だけしかやってないんだね。時香盤、また見たかったな。落ち着く香りがするから」


 美峰は小さく微笑する。私は、時香盤からした白檀の香りは黒曜の香りと同じだったなと記憶を辿った。


「……また明日行けばいいよ」


「そだね」


 振り向いた美峰と私は小さな約束をする。これから訪れるのは、未知の戦いだ。来訪する危険の手触りも、大きさすらも分からないのだ。私達はただ、刻限を待つことしか出来ない。


「七時十八分……少しだけ早く着いたみたいだ」


 綾人が黒いハードカバーのスマホで時刻を確認する。綾人が背負う黒くて長いケースの中身が気になり、私は遂に聞いてしまう。


「綾人、それって何が入ってるの? 」


「ああ、これ? ……秘密兵器です」


 ふふ、と口の片端を上げて、綾人は含ませる様な言い方をする。ここまで持ってくると言う事は……多分戦いに必要な物なんだろうけど。私は実際に綾人と智太郎が鍛錬をしている所を見た事が無いから、弐混神社で智太郎との鍛錬を終えたボロボロの綾人が溜息の様な愚痴を零すのを聞いただけだ。私は綾人に能力の使用イメージを伝えたくらいで、大して協力は出来なかったが。


「問題は集中力を途切れさせず使いこなせるか、だ。遠距離透視を常に使えなければ意味など無い」


「そこはもう、妖力の操り方から精神的鬼畜コースまで智太郎に扱かれたから、やるしか無い。智太郎と戦えって言うんじゃなきゃ頑張れますって」


 智太郎の苦言に、綾人は吹っ切れた様に自身の胸へ右拳を当てる。その動きは傘を左脇に挟んでいたが柄が滑った。美峰と綾人の頭部をタライの如く傘が激突して雪が落ちる。何故なら、綾人の左手は美峰と繋がれたままだったから。


「もう!! 馬鹿!! 」


 一つの傘に入っていた美峰に叫ばれ、綾人は慌てて傘を持ち直す。


「すいやせん!! 」


「いきなり雲行きが怪しくなったな」


 智太郎が眉根を寄せて呆れるが、私も同意見だった。


「はは……大丈夫だって……」


「もう何でもいいけど。傘持つから、袴の雪払って」


 苦笑する綾人は傘を渡し、ぷりぷりと怒る美峰についた雪を払う。綾人は何時も肝心な時に、バシッと決まらないらしい。それも感情豊かな彼らしさではあるのだが。


「完全に女王と下僕の図だな」


「そんなに私偉そうかな……」


 苦笑する智太郎に、美峰は可愛らしい短眉を寄せて複雑そうに口を結ぶ。だが美峰の雪を払い終わった綾人は、降り積もる雪も気にせずそのまま片膝をついて胸に左手を、美峰に右手を向ける。王子の演劇の如く、だ。ガス燈の幻想的な金の光の下だと、青みがかった切れ長の瞳と透明感のある上品な容貌のせいで無駄に決まっていた。


「そんな所も愛おしいので。それに本当は美峰、結構甘えたがりで可愛……」


「馬鹿馬鹿!! ふざけてないで、早く立って!! 濡れちゃうでしょ」


 小さな顔を真っ赤に染めた美峰は、綾人の手を掴み立たせる。恥ずかしそうに微笑して向かい合う二人は、そう。完全に甘酸っぱい雰囲気だった。私はなんだか胸が満たされてしまって、風呂敷に包まれた鞘を抱いて思わず拍手をする。


「綾人王子の寸劇大成功でした……」


「遂に千里ちゃんにまでからかわれる様になったじゃん!! どうしてくれるの!! 」


 美峰は綺麗な棗型の黒い瞳を細め睨むのに、綾人は全然(こた)えた様子が無く嬉しそうに微笑する。


「ドM認定して良いんじゃないか」


 冷静に智太郎がそんな事を言うので、私は腹を震わす笑いを堪えられない。


「俺がドMなら、絶対に智太郎はドSだから!! 」


 びしっと綾人が智太郎を指さすので、ゴングが鳴りそうになり私は慌てて止める。


「ちょっと喧嘩してる場合じゃないでしょ」


「……そうだった。やばい二十分だ、綾人の寸劇に時間を食われた」


 我に返った智太郎は、三角の文字盤の腕時計を確認する。癒刻時計塔には二十五分程には着きたい所だ。三十分に天灯を上げたいのだから。ここからだと徒歩五分で着く筈だけど……智太郎の担当場所の偉人像は、時計塔からは離れている。


「もう。綾人のせいで、ろくに千里ちゃんと尾白くんに話も出来なかったじゃん」


 美峰は柔らかく微笑して、私の両手に触れる。


「千里ちゃん。昼間の事、聞いてくれてありがとう。お陰で頑張れる」


 無難な言葉に乗せない、強い覚悟がそこにはあった。戦いになれば、美峰は再び鬼憑りをしなければならない。鬼憑りをするのは、自身の内側の世界……過去の不安から繋がる、軋む吊り橋の上で青ノ鬼と向かい合う事だ。戦いの中、自身の身体の権利を護らねばならないのだ。美峰の内なる戦いに、私は関与出来ない。


「私は、美峰の味方だから」


 私に出来る事は美峰の心の礎を少しでも築く事。智太郎が私の味方になってくれた様に、昼間告げた言葉を再び美峰に告げる。頷く私に、美峰は黒い棗型の瞳を少し潤ませる。


「尾白くん……千里ちゃんの事、お願いね」


「分かってる」


 美峰は智太郎の言葉を聞くと安心した様に、花が綻ぶ様な笑みを浮かべる。それはかつての青ノ鬼……鬼と同化する前の巫女、青の笑みと重なり、私は目を奪われた。だが美峰は、そのまま睫毛を臥せる。


「水野くんが生きていたら……私達を助けてくれたかな」


「どうだろ。あいつは、こっちの言い分なんて聞かずに勝手に逝ってしまったから」


 綾人は痛みを交えた答えを美峰に返す。私達四人の出会いは傷だらけだった。翔の死と憎悪の現実に打ちのめされ、自分の弱さを呪ったあの時から、硝子の針を金字塔のように積み重ねながら……『今』を築いてきた。もし、翔が生きていたら……違う今があっただろうか。答えは誰にも分からない。もしもの時が幸せである筈なんて……未知への逃避だとは分かっているけれど、私達は願うのを止められない。


「智太郎! 俺に啖呵を切る位なら、絶対に目的を果たせよ! 」


「綾人に言われるまでもない。俺は千里を守る為に守人になったのだから」


 声を張る綾人へ、智太郎は花緑青の瞳に覚悟を宿して告げる。満足気に綾人は白い歯を見せて笑う。


「千里……雨有の過去夢で、絶対に智太郎を救う方法を見つけて」


 綾人は青みがかった双眸から、私に確かな想いを託す。綾人が雨有の過去夢、と口にしたのは、私に生への未練を残す為だ。綾人の実の父の雨有は、過去夢のもたらす残酷さに耐えきれなかった。雨有に望んだ眠りを与えた黒曜を通じて、私に過去夢は(もたら)された。過去夢の能力の適性や、綾人が既に遠距離透視の能力を持っている事もあるが……綾人が私に、父の過去夢をそのまま託したのはそれだけじゃない。私が、過去夢で救わねばならない人がいるからだ。


「約束する。絶対に智太郎を救う方法を見つけてみせるから」


 私が綾人に頷くと、いつの間にか私は足が白い地面から浮いている。理解出来ずに瞬くと、私を抱き上げていたのは智太郎だった。その双眸は柘榴に染まり、白銀の耳と尾が出現している。


「遅い。今から疾走する」


「ちょっ、一応耳隠して! 」


 私は慌てて智太郎にフードを被せて、風呂敷に包まれた鞘を抱いてしがみつく。まだ観光客が居るのに大胆と言うか。智太郎の足元には既に花緑青の陽炎が纏わりついていた。


「じゃあ、また癒刻時計塔で! 」


「ああ」


 綾人の言葉に短く返すと、智太郎は私を抱いたまま風を切り裂く様に疾走する。智太郎の心臓の早鐘と筋肉の緊張が伝わってくる。驚く観光客の姿が、疾走により狭くなった視野に掠める。耳に風鳴りがして、私の鶯色の髪が風に引かれて乱されてしまう。小さな苛立ちと共に観光客の視線は諦める事にしよう。どうせ人払いをするのだから、もう会うことは無いはず。遠ざかるに連れて、小さくなる綾人と美峰は手を振っているのが見えた。私は疾風に負けずに、二人に手を振り返した。



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