第六話 とある告白
「智太郎?」
手を繋いだまま、智太郎は歩みを止めた。やっぱり勝手に居なくなったことを怒っているんだろうか。再度謝ろうと口を開きかけた瞬間、智太郎が振り向く。
智太郎は……僅かに微笑んでいるのに、今にも泣いてしまいそうだと感じる。智太郎の瞳が、小さな星彩が震えるかのように、こちらを見つめているから。夕焼けを纏わした花緑青の瞳は、赤を宿しているようにも見えた。金木犀の花と紅葉が舞い、黄昏が智太郎を連れていってしまうんじゃないかと思うような、そんな切迫感を覚えた。夕方に近づく不吉な朱の光に染められた、白い色彩の少年が私に告げる。
「俺は、ずっと一緒には居られないんだ」
「何、言ってるの?」
私は意図が掴みきれず、眉を顰める。その言葉の意味を理解したくないだけかもしれないけど。
「母さんが死んだのを見ただろ?」
「見たけど……咲雪は生力を拒否したから、だよね」
私は視線を繋いだままの手に落とす。彼女は智太郎を遺してでも、尾白渉の後を追うように、自分がこれ以上生きるのを望まなかった。それ以上の理由があるというのか。闇色の種火が燻るように、胸が傷んだ。
「母さんがあのまま人の血肉を得て、生力を受け取っていたとしても結果は同じだったんだ。……半妖は何時か必ず自らの妖力に耐え切れなくなり、暴走して死ぬ」
頭から背筋が貫かれたように、言葉を理解した。智太郎の繋いだ手に力が入り、私の指先が冷える。瞠目した瞳が乾く。
「でも、智太郎は四分の一の妖だから……関係ないでしょ」
「同じだ。人間の器では肥大する妖力には耐えられない。今は良くともかならずガタがくるんだ」
繋いだ智太郎の手。痛いくらいに、力も体温も感じているのに…… 私の追いかけられない所へ、何時か必ず行ってしまう? 深く、息が吸えない。
「何時なの」
その先なんて本当は知りたくないのに、勝手に口が言葉を衝いて出た。後悔して、乾いた唇を噛む。返答を聞きたくなくて耳も削ってしまいたいのに、身体は動かない。
「それは分からない……。明日かもしれないし、十年後かもしれない。母さんは半妖にしては、長く生きた方らしい。いつか人の器が崩壊して妖力が暴走しても、桂花宮家に集う狩人達なら確実に止めを刺せる。だから、母さんは自ら地下に囚われたんだ」
その言葉に、智太郎と出会った地下室を思い出す。檻で光の閉ざされた窓。その癖、綺麗で生気を感じさせない部屋。あの暗い淀んだ場所で、咲雪のように智太郎が死ぬ?
ようやく、あの場所から出れて外の世界で過ごせるようになったのに、何年後かも分からないその日に死ぬなんて。
ずっと傍にいると根拠なく思っていた。何時もみたいに、悪態をつきながらも守人をしてくれて。
孤独な暗闇の中でも闇に沈まない、花緑青の瞳の強い輝き。千里を確かに繋ぎ止めてくれる、その瞳で見つめてくれるから、今まで私は生きてこられたのに。
私の味方でいる、と言った約束は……。私は衝動的に、手を振りほどいた。
「 最初から分かってた癖に! 何であんな約束したの……」
自分の身体から発した叫び声だと、遅れて理解する。初めから分かっていれば少しは耐えられた? 分かっていようが、智太郎の運命は変えられない。理解できても、受け入れる事なんか不可能だった。孤独の暗い深淵が、夕焼けで濃くなった自らの影に浮かび上がる。虚ろに、あれに呑まれてしまえば、もう抗えないと思った。だけど本当に怖いのは、今まで私の手を引いてくれた存在が居なくなること。身体が心臓になったかのように鼓動する事も許せなくて、薄らと傷の残る手首に爪を立てる。霞む視界の中、智太郎は指先を伸ばしかけるが、その手が私に触れる事は無かった。その代わりに、重々しい声音で謝罪する。
「ごめん。本当は言わないつもりだったから」
「それで黙って居なくなろうとしてたんだね。 本当に、勝手。智太郎が居なくなったら、私は……」
一人になる。その言葉を告げるのを身体が拒否して、首を横に振る。涙腺が壊れてしまったようになり、ついに零れ落ちた涙が頬を濡らす。こんな顔見せれなくて、手で覆う。自分勝手なのは私の方だ。智太郎に頼ってばかりいる癖に、智太郎に優しい言葉一つ掛けてあげられない。
「泣くな」
智太郎が私の顔を覆った手を剥ぐ。涙でぐちゃぐちゃな顔を、見られてしまった。智太郎も辛そうに、少女のような風貌を歪めている。本意な訳が無いんだ、と胸を抉られる。生きていたいと思うのは智太郎自身だから。
「泣かないなんて、無理だよ……」
「だけど、覚えていて欲しかったから言っとこうと思ったんだ」
「今更?」
「そうだ。今更、言う覚悟が出来たから」
智太郎は明確に告げた。自分の運命を受け入れて、伝える覚悟。私の知らない内に、積み重ねてきた物だった。私の方が、智太郎より受け入れられないでいるのに。守り人になった智太郎は、遺される私の事ばかり考えていたのだ。もっと自分の事を考えて欲しかった。違和感が喉に絡んで、私の声は掠れていた。
「何か方法はないの」
「知っていたら、こんな事言わない」
花緑青の瞳の奥、真実の燈を宿す智太郎は、笑みなんて浮かべる様子はなく、僅かに繊細な睫毛を伏せている。冗談ならよかった。酷い嘘でも今なら喜んで受けいれられるのに、奇跡が降ってくる様子なんて微塵も無かった。
「少しでも生力を得れば、何とかならないの」
私が生力を与えたり、治せるのは、あくまで生力をベースに持つ生き物だけ。生力を持つ部位と妖力を持つ部位が別である、半妖達は人間として生力を与え治療してあげる事はできても、妖として生力を喰らう為ならば私の力は意味が無い。結局血肉か、もう一つの方法でしか生力を得られないのは、純粋な妖と同じ。
「それは、根本的な解決にはならない。肥大する妖力に、生力は関係無いから」
「他に方法は無いの?」
「俺が知る中では無い」
もし何か方法があって、私達が知らないだけだとすれば。 だが、桂花宮には妖と関わってきた歴史があり、狩人達の知識は全て蔵の書物にある。その中を改めて探してみるのも手ではあるが、智太郎も今まで探した事はあるだろう。もしそこに無い方法があるんだとすれば……。
「妖達の知識に何か手がかりはないかな?」
狩人として妖に関わってきた人間の知識はあるが、ここには妖達の智識は無い。妖力に関する事ならば、結局人よりも妖の方が詳しい筈だから。
「どうやって、妖の知識を知るつもりだ。妖は書物なんて残さない。既に葬られた者だっている。まさか妖に聞いてまわる事が可能だとも?」
妖達は人間を快く思わない者が多い。まして、狩人の集う桂花宮の人間ともなれば尚更だろう。智太郎が私に告げてくれた覚悟に、私も応えたい。奇跡が降ってくる可能性を待っていられない。臆病な私だけど、だからこそ、絶対に譲れない。孤独に堕ちるくらいなら、私はどんな深淵の底でも足掻き続けられる。
「難しいのは分かってるよ……だけど、私は絶対に智太郎を救う方法を見つけてみせる」
母は幼い頃に死に、父は私を恐らくは嫌って……もしかして恨んですらいるかもしれない。桂花宮家という閉ざされた世界で、智太郎は私にとって、たった一人の大切な人だから。そんな私に智太郎は意外そうに瞬くが、やがて私の涙を拭う。花緑青の瞳を細め、燦爛と強い光を宿らせた。
「千里がそう言うなら、一緒に探そう。俺も死ぬなんてごめんだ」
絶対に智太郎を死なせない。決意を込めて、私は涙で引攣れた頬のまま微笑んだ。
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