第六十八話 静穏の塩湖
青ノ鬼対話展開あり
「……青ノ鬼? 」
「正解」
青ノ鬼は褒美を与えるように微笑みを優しいものに変えるが、私は寧ろ眉間の皺が深まっていった。
「冷や冷やさせられてるのはこっちなんだけど。……黎映がすぐそこにいるのに」
青ノ鬼の姿の向こう、ガス燈の元で会話する三人を私は見つめる。黎映は口元を押さえて智太郎と綾人に微笑んでいた。
「君は酷く僕の事を心配してくれているようだけど……あんな男に僕が負けるとでも? 」
「私は美峰の事が心配なの」
私は青ノ鬼に視線を戻し、三人の姿は遠くにぼやける。黒と青の双眸は細まった。一体いつ青ノ鬼に変わったのだろう。前回のように、鬼憑りの儀式を行っていないのに。本当に美峰の意思で入れ替わったのだろうか。黒い染みのように、疑惑が胸の内に広がる。
「美峰から完全に身体を奪ったりなんて、僕には出来ないよ」
「……本当なの? 」
私は疑いを滲ませ目を細めた。青ノ鬼はふっ、と緊張の糸を切るように、自身の腰に手を当てる。
「僕が君に嘘をつく理由なんて無いだろ? 君の本当の味方は、僕だけなんだから」
「……やめて」
私は顔を歪めた。己穂の生まれ変わりである私を、青ノ鬼は裏切れない。分かっているからこそ……私は青ノ鬼に冷淡な態度をとれるのかもしれない。だけど、私の味方だと言ってくれた智太郎の言葉を上書きされるのは不快だった。例え青ノ鬼が、唯一私の罪を知っている存在だとしても。
「僕は、智太郎が君を訝しんで、問い詰めてしまわないか心配だったんだ」
「……この前はそのままを伝えればいいって言っていたくせに」
「君と鴉を再会させて、鴉の過去夢を視てもらわないといけないのに……今、不安要素は要らないだろ。告げる時期じゃないって、君も分かってるはずだ」
己穂と青ノ鬼が交わした約束は、妖と人が共に生きる未来に導くこと。その為に青ノ鬼は、確定した未来で視えた存在に希望を託し、新たな可能性を創り続けてきた。私も、その存在の一人。私が智太郎を助ける方法を見つける事で、永い年月に苦しむ妖、半妖の血に苦しむ者達を助ける事にもなると言う。その為に、鴉と己穂の過去夢を視る必要があると、青ノ鬼は私に告げたのだ。黎映の存在が、鴉の元へ導くだろうとも。
「そうだけど。どっちにしろ、私に秘密がある事はもう智太郎は知ってる。私が智太郎を信用出来なくてもいいって、言ってくれたの。……だけどやっぱり、歪みは生まれてしまうんだね」
心の内に、秘匿の罪という異物を抱えたままでは……いつも通りに振る舞えなくなっている。私と共に生きたいと言ってくれた智太郎をこれ以上裏切り続ける事に、心が耐えかねて軋むから。だが、智太郎を救う方法が見つかるまでは、まだ罪を告げられない。私は、この曖昧な関係が崩壊する直前まで、智太郎の傍に居たいと望む卑怯者なんだ。
「鴉に会えば、君の艱難も解かれるんじゃないかな。そう言えば、己穂の記憶は取り戻したの? 」
「……それが、桂花宮家には己穂の刀は無かったの。白い鞘しか遺されていなかった。己穂の記憶は、やっぱり鞘だけじゃ視れなかった」
言いながら、私は青ノ鬼の表情を伺う。青ノ鬼は美峰の姿のまま、考え込むように黒と青の双眸を細めていた。
黎映に、大蛇と同化した伊月誠を人側に戻したいと、協力を頼まれた時から燻る疑懼。青ノ鬼になった、青と鬼の二つの魂には意思が残っているのだろうか。自我が長い年月で混ぜられ、消滅してしまっていたら……己穂として決断し、彼らが望んだ救いが否定されてしまう。
「己穂の刀を、君が手にした未来視の場所は、眩しすぎて何処かまでは分からなかったんだ」
青ノ鬼が眉を寄せて唸る。やはり、私が己穂の刀を手にするのは確定した未来だったらしい。
「……刀に触れて己穂の記憶を取り戻すのが、私は怖い」
青と鬼に意思が残っていないのならば、己穂の記憶を取り戻したら、私は千里でいられる? 己穂と千里として自我が同化したら……その瞳に宿る意思は何方のものなのか。
「貴方の中に……青と鬼の、二人の意思は残っているの? 」
私は怯えを隠せない瞳を向ける。こちらを見つめ返す、青ノ鬼の黒と青の双眸に浮かぶ感情が消える。表情が削げ落ちてしまったように無表情になる。既視感のある無表情に、青ノ鬼は真に思った言葉を伝える時、表情が無くなるんだと思った。
「己穂と出会ったばかりの時には、明確に青と鬼の意思を自分の中に感じていたけど……。今は、どうだろう」
青ノ鬼には、やはり青と鬼の意思は明確には残っていなかった……。かつて己穂だった者として、私は息が上手く出来ず、自責の念に胸を抉られる。だけど、君に助けられたと青ノ鬼が己穂に告げたように、青ノ鬼は私を責めなかった。だけど、それは私の罪悪感を強くした。
「……君は自分が自分で無くなるのが怖いの? 」
――青ノ鬼の問いは、十七年間桂花宮家で生きてきた、私の核心その物だった。孤独の黒い沼の中で抱いていた、震える心。
「私は今まで、金花姫としての立場に執着して孤独を誤魔化してきたくせに、金花姫として千里が掻き消えてしまいそうで怖かった。……だから千里として生きられないのは、自分の本能に逆らう行為なの」
心臓に眠っていた思いを律するように、私は衿元に触れた。
「黎映は大蛇との同化を解き、伊月誠の自我を取り戻したいと願っている。同化したら、それはもう違う存在になるんでしょ。……貴方のように」
青ノ鬼はそんな私を見つめ、目を細める。
「君は勘違いしている。僕は、青であり鬼であるように、二つの魂の意思が曖昧になったって、彼らであることは変わりない。人間は恋人達の歌に、溶け合いたいなんてフレーズを使うけど……本当に溶け合うということは、自己が消える事じゃない。違う存在なんかじゃないんだ」
青ノ鬼の言葉に、私の内に静穏の塩湖が広がった。そこは、恐怖の無い場所だった。私が青ノ鬼に抱いていた罪悪感は、そもそも間違いだったのだ。青と鬼は、今私の目の前に居るのだから。
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