第六十話 狐で化かす
昨日の朝とは違い、空から日が差す事は無かった。雪雲りの空から、耐えきれなくなったように蕭蕭と粉雪が降ってきている。散々積もったというのに、降り積もり白い地層を重ねていく。時を重ねた事を、視覚的にも知らしめる。私を見下ろし続けた金木犀の樹も、深雪の眠りの中にいるよう。何もかも雪に埋もれてその輪郭が僅かしか感じられず、物悲しい。だけどその下には生まれてから十七年間見つめ続けた庭がある。瞼を閉じれば、思い出が有り有りと感じられる。思い出した、桜の下での記憶。かつて私を愛してくれた那桜と、私を助けてくれた顔の見えない誰か。黒曜と過ごした陽だまりの記憶。咲雪に『母』を重ね、命を奪った罪。その全てを凌駕するように……花緑青の瞳から伝わる強い想いは、真っ直ぐに私に突き刺さった。智太郎が私を追いかけて、選んでくれた時から私の世界は色付き始めたんだ。
「千里」
私を呼ぶ声がしたので、瞼を開いて振り返る。ロング丈のホワイトダウンコートを着た智太郎が、襖を開けて、花緑青の瞳で静かに見つめていた。フードについたホワイトグレーのファーがもふもふで思わず触りたくなる。ふわふわの白銀の髪と相まって、智太郎の妖の姿のように白い猫みたいだった。
「暖かそうだね」
「当たり前だ。桂花宮家よりも更に雪深い所に行くんだぞ。天気のコンディションも良いとは言えないが……雪が止むのを待ってられない」
そうだ、智太郎は寒がりだった。雪掻き作業から今日ばかりは解放されて、部屋で待つ姿は何処と無く嬉しそうにも見えた。
「良かったね、雪掻きしなくて」
私は思わずニヤニヤして、智太郎をからかってしまう。だが、智太郎は気にした様子も無く深く溜息をついた。
「本当だよ。もう二度としたくないけど……まぁ雪が降り続く限り無理だろうな」
「そうだね。また雪達磨になって帰ってくるのは、確定事項だから」
「……お前もやれよ」
恨みがましく、智太郎はこちらを眉を寄せて睨みつける。そんな事言われても、私が雪掻きをさせられる事はまず無いだろう。行ったとして遠慮する狩人連中に、即座に返されるのは目に見えていた。
「絶対やだ。どうせ戦力にならないし」
余裕の笑みで小首を傾げると、智太郎は更に顔を顰める。
「いつか絶対に雪掻きの苦労を味あわせてやる」
冷気すら感じる智太郎の鋭い視線に、そろそろからかうのを止めておいた方がいいかもしれない、と気づく。ちょっと怖い。
「智太郎みたいに暖かくしないとだね。どうしようかな……」
智太郎の苛立ちからの、誤魔化しもふくめ……鏡の前に立つと、肩から金糸雀色が始まり、胸元から薄い白縹に変わり、裾にかけてまた金糸雀色に戻っていくグラデーションの着物を着た自分がいる。帯は梔色に黒で縁取られた六角形のステンドグラス柄。半衿は落ち着いた花緑青色に、薄茶のストライプがポイント。……実は智太郎の瞳の色を意識してたりする。紺青色の帯揚げに、差し色の朱赤の帯締め。帯に合わせた六角形で、珍しい青緑色の時計の帯留めは、時計塔へ向かうのに相応しいと思った。厚手の栗皮色の羽織は着たが……やはり首元が冷えそうだ。智太郎のダウンコートに付いている……ホワイトグレーのファー。似ている物がある筈。私はピンと閃いて、着物箪笥……では無く横の戸棚を開く。あった。白練色の、フォックスショール。つぶらな瞳が可愛くてお気に入りなのだ。早速付ける。
「これで暖かいね。モコモコする……! 」
どう? と見せびらかすように白練の狐ちゃんの顔を、智太郎に向ける。何故か智太郎は顰めた顔を直さない。可愛いし暖かいし……変じゃないと思うんだけど。
「そいつ……この間、宮本の腕を食いちぎった妖に似てる」
冷めた目でそんな事を言うものだから、私は頬を膨らまし、ムッとして狐ちゃんの顔を智太郎に近づける。
「似てない! 狐ちゃんに謝って! 」
「似てないって……見てないだろ、お前。それになんだ、狐ちゃんって」
呆れたように私と一度目線が合うも、智太郎はまた白練色の狐ちゃんに睨みを効かせる。……本当に戦う為に、妖を睨んでるみたいで、私は思わず笑ってしまう。狐と猫って……相性悪かったっけ?
「狐と猫……ふふっ……」
「お前……馬鹿にしてるな? 」
「うん、面白くて」
智太郎が妖化してないのが、残念ですらある。ツボにハマってしまったかもしれない。笑いを止められずにいると、遂に智太郎は狐ちゃんの顔を乱暴に掴んだ!
「あーっ!! やめてよ、何するの!! 」
「悪い奴には、お仕置きが必要……だろ? 」
ギラリ、と花緑青の瞳を細めて私を智太郎は睨む。それなのに微笑みが、溶けてしまいそうな程優しく……私は血の気が引く。大変……やり過ぎたかも! と、後悔するが、時既に遅し。私は取り返した狐ちゃんのふわふわを両手で味わいながら……ジリジリと、智太郎という名の、怒りに身を任せた妖に壁際に追い詰められる。そのまま何故か顎を掴まれる。
……まずい、大変まずい。この展開は……!
「覚悟は出来てるんだろうな」
智太郎の六花のように繊細な睫毛や、少女のように麗しい顔に色づく唇が近い故に、唇を動かす事が出来ない。覚悟なんて、全く出来てないんだけど……! と好調する頬のまま、上目遣いで訴えるが、勿論、智太郎は知らない振りをする。混乱した私は……思わず狐ちゃんで顔を隠した。
「……」
あれ? 何ともない。不思議に思い、狐ちゃんの影から智太郎の顔を恐る恐る覗き見ると……何が起こったか分からず目を丸くした智太郎の唇が咥えられていた物は……狐ちゃんの鼻だった! 理解した途端……限界で、また笑ってしまった。再び智太郎に睨まれるが、全然怖くない。その口に狐の鼻が……! 咥えられているから!
「もう、笑わせないでよ……! 」
喋れない智太郎は、笑う私を睨む事しか出来ない。今回は、私の勝利を確信する。……が、何故か智太郎の花緑青の瞳が鋭く光る。理解出来ず目を丸くさせると、智太郎は一旦口を僅かに開く。……犬歯がキラリと反射し、ガツッという嫌な音がした。
「ああーーっ!! 酷いっ!! 」
智太郎の口が狐ちゃんから離れると、狐ちゃんの鼻横には穴が。智太郎が噛んだのだ。
「ざまあみろ。……口の中気持ち悪」
舌を出す智太郎に、私の中の何かが切れる音がする。
「……私、知ってるんだから。智太郎が、拳銃の予備機しか無い事。この前の戦闘で無くしたんでしょ?」
白練の妖との戦いで、宮本は今泉を庇うために腕を犠牲にし、智太郎はそのまま白練の妖と戦う為に残った。負傷した宮本を支えながら、先に帰路についた今泉が智太郎を振り返った際は拳銃は手に持った一丁と、腰に予備の一丁があったらしい。戻って来た智太郎は二丁持っている気配は無かった、戦闘で壊したか、無くしたのではないかとも。私は今泉と宮本が話しているのを、たまたま聞いただけなのだが。智太郎が唸るように答える。
「……何でお前がそれを知ってる」
「教えない。それよりいいの? おじい様が知ったら怒られる所じゃ済まないと思うけど」
智太郎が守り人候補になる前、私は地下から智太郎を解放しようと私の祖父である桂花宮 正治に智太郎の今後をお願いする手紙を出した事がある。結局、智太郎は守り人として生きる道を選んだのだが、狩人になる為には尾白の名字を取り戻さないといけない。だが、尾白家はほぼ智太郎を捨てたも同然。そこで、祖父は智太郎の後見人になってくれたのだった。智太郎に、尾白家から名字だけを引き継がせ、戦い方を教え武器を与えたのは祖父だった。前当主である正治は温厚な性格だが、踏んではいけない地雷が存在する。……散財と命を危うくする、間違った技術の継承だ。今回はそのどちらも踏んでいると言えなくもない。そして祖父は、孫である私にめっぽう甘かった。住んでいる場所が離れており、父である翔星とは確執がある為、頻繁には会えなかったが。
「……俺は、どうすればいい」
智太郎の表情が暗くなるのを見届ける。智太郎に今猫耳が生えていたら、完全にぺたりと萎れていたに違いない。
「簡単な事だから、安心して」
今回はやっぱり、私の完全勝利だ。 狐ちゃんは残念だったが……対価に見合うかもしれない。私は智太郎に、心から微笑んで、対価を告げた。
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