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千里の夢 ✣­­­­ 過去夢の力で妖の血を引く幼なじみを破滅から救う恋物語 ✣ ࿐.˚  作者: 鳥兎子
第一章 大ノ蛇栄螺堂編(おおのへびさざえどうへん)
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第五話 未知の約束

智太郎目線あり


 

 風が乾いた植物の中に潜む(すすき)の香りと金木犀の甘い香りで私の頬を撫でる。私を抱き上げる黒曜に指先を伸ばす。風が巻き上げた私の髪は見慣れた鶯色ではなく、ひと房の長い金の髪……。痛みを堪えるように涙を流す彼に、私の唇は何かを告げる。自身の声が聞こえず……意識を集中するが秋暁の光景は闇に呑まれていく。急激に深淵の闇の内に囚われて不安に藻掻くも、身体に触れる物は無い。だが瞬きを繰り返すと、新たな光景が見えてくる。

 誰かが私を見下ろしている。喉が張り付いたように乾いていなければ、私は恐慌のあまり叫喚していたかも知れない。刻まれたこの光景は、何度も私の心を食い破ったから。不吉な程に色付いた、大輪の桜の木が彼の向こう側に見える。ザァァアと春風を受けて揺らぎ、花吹雪が視界を染め上げる。花弁の一片(いっぺん)、一片の輪郭が嘲笑うかのように意識を不快に擽る。桜の花の、白の内側から滲み出るような薄紅を見ると……私は恐ろしい。白で眠らせた奥底には(あか)色が潜んでいるようで。私は呼吸が上手く出来なくなり、顔の見えない誰かが口を開く。その言葉はよく知っている。私を十七年間、桂花宮家(あのばしょ)に縛り付けた言葉だから。


【お前は、千里では無い】


 額にひんやりとした手が触れると、感覚が戻ってくる。額に触れた黒曜の手は、先程よりも冷たく感じない。身体が痙攣するかのように小さく震え、血の気が引いているからだ。焦点の合わなかった視界が色を結ぶ。

 心配そうに見つめる黒曜の瞳と視線が合うと、私はなんとか微笑みを返す。が、黒曜は眉を顰め首を振る。


「今、全てを思い出すのは……不可能だ。馴染むようにゆっくりと思い出せばいい」


「黒曜は、何故私に思い出して欲しいの……? 」


 私の問いに、黒曜は答えない。答えの代わりに、痛みを呑み込んだかのような切ない微笑を返す。秋暁の光景で彼が浮かべていた表情に繋がり、私の胸を突いた。黒曜の表情の一つ一つが、無意識の何かを掠めるのに……その尾を掴む事は出来ない。結局、黒曜に問いたかった疑問は、私の内にしか無いのだと分かった。黒曜の手は離れていく。周りの女性客は変わらず和やかに談笑していて、何も答えられないでいる私達との乖離(かいり)を感じた。


「ローストビーフのホットサンド二点と、ハーブティーになります。以上で御揃いでしょうか? 」


 女性店員によって突然運ばれてきた食事に、私は目をパチクリと瞬く。黒曜をチラリと上目遣いで確認すると、頷かれる。……どうやら私が気づかない間に注文していたらしい。女性店員に返答をすると、伝票をテーブルに置き立ち去っていく。私は我に返り、別な意味で青ざめる。あんまりに突然だったから、私……お財布持ってきてない! カフェに入る前に気づくべきだったのに! 黒曜は私の心の内を読んだように苦笑する。


「千里を連れてきた私が払うから、気にしなくていい」


「御免なさい……有難う……黒曜」


 妖にご馳走になる金花姫(わたし)ってどうなの!?

いや、これがデートモドキと考えるとこれで いいの……?

否、新常識は男女半々だと言うのに。私は色んな意味で小さくなりながら、ホットサンドを一口齧った。 焼きたてのホットサンドはカリカリで香ばしく、この焼き加減は私では再現不可能だと思う。中のローストビーフは自家製なのか鮮やかで柔らか。赤ワイン系の甘みのあるソースと、マスタードの粒の酸味と絡み、香り高い。瑞々しいルッコラと少し癖のあるローストビーフの相性を最高に際立たせている。そのままだとペロリと食べてしまいそうだが、カリカリの食パンが優しく引き止め、満足度を上げてくれる。

 ガラスポットから見えるローズマダー色のハーブティーは、なんと薔薇が入っていて、今時だ……と感心した。ドキドキしながら御揃いのガラスのティーカップに注ぐと、小さな薔薇の一片が迷い込んだ。湯気と共にツンとした花の香りで品よく華やいだ。実際に飲んでみると、オレンジに似た円やかな酸味が先に届いた後に、喉と舌に渋みが暫く残る。でも嫌な渋みじゃない。寧ろ留まる事で、後味を与えてくれるから何時まで合っても良いくらいだ。

 ふぅ、とすっかり一息をついてしまっている私を、満足した様に温かく見守る黒曜は、小鳥を手懐けた主人みたいだった。カフェの落ち着いた雰囲気も相まって癒される。暫くここに居てもいいかも……という考えが掠め、慌てて頭を振って追い出す。いけない、桂花宮家は突然私が居なくなった事によって大変な事になっているかもしれない!黒曜の羽の効果を狩人達が解除していてもおかしくは無いのだ。静かに怒りを滲ませながら、私を睨みつける智太郎を誤魔化す技術など持ち合わせていない。


「私、もう戻らないと」


「……戻る必要など、あるのか? 」


 凪いだ夜の海を強く輝かせる月明(げつめい)の様な、黒曜の瞳が私を捉える。彼が望めば、このまま私を帰さない事だって出来るのだと気がついた。張り詰めた空気に息を呑んだが、私は首を横に振る。もし黒曜が私を帰さないつもりなら、もっと強引な手段だってあった筈だ。それに、黒曜は私を害するつもりなど無いのだと分かったから。やがて、黒曜の瞳の輝きは夜の海に沈んだ。


「千里が望むなら」


 黒曜は微笑む事は無く、静かに俯いた。ラベンダー色のカフェを出ると、黒曜は僅かに微笑む。端麗な顔立ちに浮かぶのは、寂寞(せきばく)の中に滲む確かな願いだった。その願いの輪郭を知らない私は……黒曜に答える事が出来ない。


「千里が全てを思い出したいと、本当に願った時……約束を果たそう」


 額に優しい感触が触れる。おでこにキスされたのだ、と気が付き見上げると、もうそこに黒曜の姿は無かった。瞬きをするが、今私が立つのは黒曜と出会った屋敷の外だった。黒曜の白檀の香りの代わりに、嗅ぎなれた金木犀の甘い香りが風に乗って鼻を掠めた。怪しい闇の声は、もう聞こえない。いつか分かるだろう……黒曜が何故私に執着するのか、思い出せない記憶も。屋敷の裏口からこっそり入ると、自分の部屋へと向かう。誰ともすれ違いませんようにと願うが……。


「お前、どこ行ってたんだ」


 智太郎の声に背筋がピン、と伸びる。やっぱりこれだけ長い時間離れていたら大騒ぎだよね。だが予想に反し、屋敷内はいつも通り静かだった。恐る恐る振り向くと、少女の様な繊細な顔立ちを顰め、花緑青(はなろくしょう)の瞳にピリピリと怒気を孕んで、こちらを睨む智太郎がいた。


「え、えっと」


 なんと誤魔化そうか、自らの足元を見つめ悩んでいると、智太郎が背を向ける。


「今はあんまりうろちょろするな」


 そのまま歩き始める智太郎に、私は静々とついて行く。どうやら、羽の力のおかげで居なくなっていたのは少しの間ということになっているらしい。隠した漆黒の羽を帯の上から触り、溜息をついた。その瞬間、その手を智太郎が引いて息が止まる。


「智太郎?」


「お前、勝手にいなくなるから」


 智太郎は振り向かないまま、歩く。ふと、罪悪感がちり、と胸を刺した。智太郎は、私の事を心配して暮れていたから怒っていたのに、私は自分勝手だよね…。もう、黙って居なくなるのは止めよう。 私は繋いだ手をそっと握り返した。



 繋がれた手が握り返された気がした。俺は足を止める。今こうして千里と廊下で会うまで、千里に関しての記憶が朧気しかない。昨日仕出かしてしまった事を後悔して、自分でも狼狽えていたとは思うが……きっとそれは関係無いだろう。屋敷の人間と千里の事について話した気がするが、誰もが千里のことについて、誰かは思い出せるが、詳しく考えられなかった。まさか、妖が関わっている?だが、ここは対妖の屋敷。守護の結界は何重にも張り巡らせられている。それに、如何(いか)に妖とて、こんなに大規模な術は使えない筈。そんな事ができる妖なんて聞いたことがない。だが……永い時を生きているであろうと言われる、得体の知れないあの鴉なら?


「なんか、こうしてると小さい頃みたいだね」


 振り向くと、千里が嬉しそうにこちらを見つめていた。千里自身は特に変わった様子はない。ただ、何かを隠しているような気はするが……。繋いだ掌からは暖かな体温が伝わる。


「昔も、お前はうろちょろしていた」


「ごめんね、もう勝手に居なくなったりしないから」


 やはり、何か知っているのだろうか。言うつもりはないようだ。千里は隠し事など、全然したことが無かったのに。 少しずつ離れて、何時(いつ)かは、自分の手の届かない時間を生きるのだろう。ふとそう思うと足はこれ以上歩む事を拒否した。


「智太郎?」


 疑問に思った千里が声をかける。振り返ると、千里の金の瞳が俺を映している。これから生きていく時間は、憂いなど何もなく進んで欲しいと思うのに。その金の瞳に、絶対に忘れないように今を深く刻みつけたい。例え誰かと幸せになっても、今この瞬間を思い出す千里を独占できるように。




閲覧ありがとうございます(*´˘`*)

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