第五十七話 面影
「……お願いがあります、父様。後藤から言伝があったかと思いますが……伊月黎映と協力し、鴉を探しに行かせてください」
隣の部屋で、智太郎が待っていてくれている。
だから勇気を振り絞って、私はずっと逃げてきた存在に向かい合うことにしたのだ。緊張で震えながらも目線を逸らそうとしない私を、翔星は静かに見つめる。その表情からは、何も読み取れない。それでも、諦められずに見つめ続けると、やがて翔星は口を開いたのだった。
「この間から、お前は無鉄砲が過ぎるな。我々を裏切った伊月家の者と手を組んで、半不死の得体の知れない妖を探しに行く、など」
「分かっています……無謀な事は。だけど、私は智太郎の命を、諦められないのです」
智太郎のように真っ直ぐに向かい合う、と決めた私は、今までじっくりと見つめられなかった父親の顔から、僅かでも表情を読み取ろうと、神経を研ぎ澄ませる。口元に皺が刻まれた翔星は、記憶にあった姿よりも随分目の鋭さが無くなり、今なら私を跳ね除けたりしないだろうと思った。幼い頃から、私を愛してくれたらと望んでいた存在。だけど、今私が望むのは……ただ一つだった。
「お前が助けたいのは、あの守り人か」
「そうです。桂花宮家でも知らない……肥大していく妖力による暴走で、器が崩壊するのを防ぐ方法を私は探しているのです。人の書物にも無いとなれば……妖の記憶を視るまでです。過去夢の力なら、それが可能だから」
翔星は眉を寄せる。
「……鴉がお前に過去夢を与えた目的が完全に分かっておらず、伊月黎映もどこまで信用できるのか疑問だ。それに、あの男は、妖と同化した兄を救いたいのだろう? 危険すぎるな。尾白がついているにしても……戦いに巻き込まれる可能性だってある」
「私は確かに無力です。戦いでは何の役にも立ちません。智太郎を助けたいと思いながら、実際は守られてばかりなのだから。だけど……いや、だからこそ、私にしか智太郎を救う方法が見つけられないのであれば、可能性を絶対に手放したくないんです」
「何故、尾白を助けたいのか」
その問いに一瞬息が詰まるも……今ならはっきりと答えられる。
「私は、智太郎の事が好きだからです。世界で一番大切だから、生きていて欲しいと思うのです」
翔星の瞳が一瞬、揺らいだような気がした。それは私の願望がそう見せただけかもしれないけれど。
「……お前は変わったな。尾白が変えたのだろう。気が小さく、俯いてばかりだったというのに」
翔星が微笑する。それは、かつて私が望み続けていた愛情深い父親の姿だった。見た事の無い父親の表情に、私は動揺を隠せず、本音が零れてしまう。
「確かに、私を変えてくれたのは、智太郎です。臆病な私の背中をいつも支えてくれてくれるから。……父様は、私のことを恨んでいるのかと思っていました。私が、母様の命を奪ったから」
私は我に返り、言ってはいけない事をこの世に放ってしまった唇を噛む。翔星の顔をこれ以上見続ける事ができず、私は自身の膝を見つめる。いつの間にか、両手が強ばり上前をグシャリと握ってしまっていた。慌てて離すと、不自然についた皺の陰影が心を荒らす。 不安を掻き立てる冬波のように、全身から血が引いていく。私は直接、翔星に問いただした事は無かった。だが、歴然とした事実として、私の中に刻まれていた。口にしてしまったら……私が認めてしまったら、私の中だけでなく、私が立つ世界まで事実として固定されてしまう。
「私は秋陽が命をかけて産んだ、千里を恨んだ事など無い」
翔星が、震える声で告げた言葉は、私の身体の強ばりを解いていく。それだけじゃない。今まで諦め、終わっていたと思っていた感情が宿る。私をずっと縛り付けていた鎖は……私が自分で繋いでしまったものだった? 錆びて朽ちていく鎖から、解放されていく。ここは、窮屈な箱庭なんかじゃなかった。広い世界を、私は望んでもいい?
「私は今まで千里に愛情を与えてやることが出来なかったのは……私が不器用で、亡くなった秋陽に罪悪感を抱いていたからだ。千里は秋陽によく似ている」
「私が、母様に似てる? 」
今まで口にする事すら出来なかった母親の話。桂花宮秋陽という女性を、私は恐れていた。私の生に付き纏う死の影は、振り返ってしまえば私の存在を飲み込んでしまうと思っていたから。死の影は、生力を操る時視なくてはならなかった、あの深淵に無意識に重ねてしまっていた。母様は私が覚えていなくても、私を愛してくれていたはずなのに。
「瞳の色は違うが……優しい杏眼も、鶯色の髪もよく似ている。穏やかな微笑みも」
その似ている面影が辛かったと、翔星は言外に言っていた。だから、私は今まで父様に愛されてないと思い込んでいたんだ。私は泣きたいのか笑っていいのか、分からなくて唇を歪ませた。似ているのが嬉しいのに、その面影のせいで今まで苦しんできたのだから。
「今まで、すまなかった……。許して欲しいとは言わない、過ぎてしまった事は変えられないのだから」
私に頭を下げる翔星を不思議な心地で見つめた。何をあんなに恐れていたのだろう。私も、父様も……互いに手を伸ばせば目の前に届く距離に居たというのに、今まですれ違うばかりだった。
「私も、勘違いしたまま勝手に父様の考えている事を決めてしまっていました。だから、謝らないといけないのは私の方なんです。……父様、ごめんなさい」
幼子のような謝罪は、甘えたようでなんだかくすぐったかった。でもこれが、私の気持ち。顔を上げる父様は、困ったように私に微笑んでいて、私も自然に微笑みを返していた。
「ありがとう」
「私も……ありがとうございます。父様の気持ちが分かって良かった。……一つだけ聞いておきたいことがあります」
風が桜の花弁を奪う、花吹雪の中、顔の見えない誰かが私に告げた言葉。
――お前は千里では無い。
あれは、ずっと父様だと思っていたけど……本当にそうなのだろうか? 今となっては疑わしい。あの言葉は……私を金花姫として、桂花宮に縛り付け私を否定してきた。私はより深い孤独に堕とした言葉。
翔星に問うと、訝しむように眉を寄せた。
「昔の事過ぎて、記憶は無いが……違和感がある言葉だな。千里で無ければなんだというのだ」
私は翔星の言葉に安心すると言うよりも、今まで踏みしめていた地面が消え去り、深い闇がこちらを見上げているような未知の恐怖を覚えた。深い闇のあんぐりと開けた口は、今にも私を飲み込もうとしているようだった。
「それを言ったのはどんな人物なんだ」
「分かりません。ですが、恐らく男です」
そう思うと、ますます疑問が湧いてくる。金花姫として、次期桂花宮家当主として立場のある私に……狩人達がそんな事を告げるだろうか? 優しい祖父が私に酷い言葉を吐くだろうか? 顔の見えない誰かに戦慄し、私は生唾を嚥下した。
「女、であればまだ分かるのだが……。いや、彼女もやはり千里にそんな事を言うとは思えない」
「女性、ですか? 」
「千里は覚えていないか。……幼子には辛い出来事だったから、無理もない」
翔は、私に何かを告げる事を思案しているようだった。
「……教えてくれませんか」
自分自身の事を、もっと知りたい。私が孤独故に金花姫としての立場に固執してしまった理由に、繋がる何かがある気がした。
「羽衣石 那桜 。秋陽の友人であり、お前の世話人だった女性の事だ」
翔星の口から語られる過去に、私は頭の片隅が晴れていくような……そんな錯覚を覚えた。
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