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第四十六話 崩壊。


 美峰と綾人と別れてからの帰り道、雪はすっかり踏み固められ、除雪されて、行きよりずっと歩きやすくなっていた。 誰の足跡も無いあの完璧な銀世界はもう無い。だけど、私は今の景色の方が好きだ。人と人の時間がすれ違う、暖かさを感じるから。四人で過ごした時間は、私の中の鮮やかな思い出になる。

 私が鳥籠の中から、ずっと憧れていた世界がそこにはあった。美峰と綾人と私と智太郎が出会ったのは、決して肯定的な理由じゃない。


「今も図書委員の放課後の時間に、実は嘘ついてたんだって、私達の目の前に、翔が現れるのをどこか期待してるの」


 翔の事に触れた時、美峰は悲しげな黒い瞳を伏せて、私に言った。目の前の死と憎悪の現実に打ちのめされ、自分の弱さを呪った、傷だらけの出会い。だけど、翔を忘れないと誓った四人だから。私達の過ごす日々は、硝子の針が金字塔のように積み重なって出来ていると知っているから。『今』に、皆同じ強さでしがみつけるのだ。

 私と手を繋いだ体温を思い、隣の智太郎をこっそり見つめると、どきりとした。

 白い息を吐く智太郎は、白い肌も相まって、冬の精霊のようだった。白銀の髪が、冷たい風をうけて揺らぐ。雪の結晶で出来ているかのような睫毛の奥……白い世界が反射する光が、花緑青の瞳の輪郭に吸い込まれる。いつも張り詰めている表情は、私の知らない何かを思い、憂いを浮かべていた。

 初めて触れた時から、嫌じゃなかった。だけど、智太郎の事が怖かった。暗い地下でも、失われることの無い光。強すぎる花緑青(はなろくしょう)の瞳の輝きは、臆病で卑怯な私の影を濃くし、明るみにする様な気がして。でも、今はその輝きが私を強く導いてくれる。孤独な暗闇の中でも、闇に沈まない暖かな光。智太郎は、孤独を恐れる私にとって、唯一の希望なのかもしれない。

 このまま桂花宮家の塀にそって帰り道を進めば、この手は離れてしまう。一歩ずつ、雪を踏む沈み込むような感覚の度、切なさが私の胸を刺す。そんな思いを抑えようと、肺の息を吐き出すと、白い霧となって視界を曇らせた。苦しいけど、このままがいい。

 その時、同じ速さで歩んでいたはずの歩幅がずれる。智太郎の足が止まり、私は智太郎より一歩進み、繋いだ手を引く形になる。振り向くと、智太郎は俯いており、表情は窺い知れない。


「……もう辞めよう、嘘にするのは」


 手を繋ぐ智太郎の力が強まる。手のひらから伝わる感情に、私は恐怖で目を見開く。


「……やめて! 」


 私は、智太郎が何を言おうとしているか理解したくなくて衝動的に言葉が口をついて出た。身体が震える。智太郎はこの関係を終わらせようとしているのだ。偽物の恋人を。終わってしまえば全て砂のように崩れて、闇に飲まれてしまう! 嘘の上、縋るようにして積み上げて過ごした時間も。例えそれが、肯定だとしても。


 私の恐怖など構わず、智太郎は、その顔を上げた。智太郎の頬は紅潮し、辛そうに顔を歪めていた。だけどその花緑青の瞳から伝わる強い想いは、真っ直ぐに私に突き刺さる。


「俺は、千里が好きだ。お前が、誰を好きだとしても」


 想いを享受し、胸が高鳴る自分を許せなかった。信じたくない。私がかつて望んだ結果なのに、智太郎の想いは、私を本当の裏切り者にする。咲雪(さゆき)を殺してまで叶えた願いは、私の罪の重さを露呈した。

 私はふらつき、そのまま智太郎と手を離そうと力を弱める。だが、智太郎は私の手を引き寄せ、叫んだ!


「逃げるな! 俺は、お前の為に生きると決めた。お前はどうなんだ、何故俺を助けようとする! 」


「私は……智太郎に好きになってもらえるだけの、価値ある人間じゃない。智太郎は、本当の私を知らないから! 」


 知れば、私の事を憎悪する筈だ。私をそんな表情で見る智太郎を見たくない。

 智太郎にとって、私は全てだったのかもしれない。

 でも、私にとっても智太郎は全てなんだ。

 智太郎に初めて会った時から、私を一番大切に思って欲しかったはずなのに……今はそれが怖い。

 完璧な世界が、崩れるのが。


「どんな事を知っても、お前の事を好きだと言ってやる。それじゃ駄目なのかよ! 」


「駄目だよ!……わたしは、智太郎の事が好きだから、怖いの」


 はっきりと輪郭を現した想いは、目の前の智太郎に繋がる。 智太郎の吐き出す白い息が、弱まる。花緑青の見開かれた瞳が私を捉えると、自分が何を言ってしまったのか理解し愕然とした。

 呆然と硬直する智太郎は、いつもより幼く見える。私は今まで智太郎の事を頼ってばかりいたから、勝手に大人びた偶像を創り上げていたのだ。同い年の、少年のはずなのに。罪を犯し後悔しているのに、それでも裏切り続けてきた理由は、脆弱で醜悪な心の中に最初からあったのだ。私が気づきたくなかっただけで。私が智太郎を解放できなかったせいで、後戻り出来ない所まで来てしまったのだ。崖の縁が、あと数歩後ろに下がれば私達を闇の中に飲み込んでしまう。


「……私は知られたくない。偽物の私でいいから、智太郎には笑ってて欲しい。好きだから、生きてて欲しいの」


 目尻から流れた温かさは、頬を伝い凍てつく冷たさに変わる。顎から落ち、雪に染みた涙は私のものだった。誰ももう私の前から居なくならないで。今度は繋ぎ止めるから。間違ったりしないから。智太郎を助けたいのも、裏切り続けるのも、唯……一緒に居たいだけなのに。こんなにも、辛い。本当はもうこれ以上裏切りたくなんかないのに、真実を告げる事は、智太郎の傍に居られなくなる事だ。苦痛から逃れるように後ろに下がった私の背に、塀の壁が触れる。


「逃げるのは、許さない」


 智太郎が私を閉じ込めるように、壁に両手をつく。私の手は繋がれたまま、壁の冷たさと智太郎の体温が絡む。智太郎の、レモングラスの香りが私を包んだ。私を見つめる花緑青の瞳は潤んでいる。その瞳の中に私の金の瞳が反射する幸せを感じる。強く輝く、愛しい瞳。

 智太郎に切望されるのを、私は望んでいたんだ。白銀の髪と白い肌の中で僅かに薄紅に色づく唇が、私の白い吐息を奪う。ぞくりとする柔らかな熱が二人の体温を溶かしていく。痺れたように瞼が痙攣し、私は目を閉じる。


二つの鼓動が震えながら重なる。

いつか崩壊する時に、怯えながら。





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