第二十二話 猫
青の牡丹で滲んだかと思った視界は、何故か白銀がぼんやりと浮かんで見える。
これは、何?
鼻をくすぐるふわふわとした何かが柔らかくていい香りがして、思わず鼻先を近づける。
「なに嗅いでんの」
智太郎の声が思ったより近くでする。吐息が近い。
何度か瞬くと、視界がはっきりしてくる。
「おはよ」
はっきりした視界に智太郎の花緑青の瞳と薄く色づいた唇が、鼻先あと数センチ、という距離にあり私は息を止め硬直する。
何か喋ろうにも、これ以上動いてしまったら…。
深くキスされた事を思い出して、僅かに唇が震える。
「人の髪嗅いどいて、だんまり?」
「はっ…え?」
髪って…まさかさっきのは…。
智太郎の白銀の髪が目の前にある。
確かにふわふわ、だ。
その瞬間、何をしてしまったか自覚し、後悔と緊張が背筋を貫く。
離れようとするも何故か逆に引き寄せられ、いつの間にか智太郎の肩に顔をうずめている。
自分のものとは違う体温が、智太郎のレモングラスの香りが包む。
「な、何のつもり」
「何って…恋人の、ふり?」
やる気無しに返され、思い出す。
そう言えば、そんな事になっていたかも。
でも確かに昨日は一人で眠りについたはず。
何故智太郎がここに?
「こんなことする必要、ないよ」
智太郎は答えず、離してくれそうにない。
心臓の音が伝わってしまう。
頭頂に体温と呼吸を感じ、髪を手櫛で梳かされる。
指が通り、感じる感覚に耐える。
「あったか…」
「離して…くれない?」
なんとかお願いするも、
「やだ、寒い」
とあっさり断られる。
いつもと違う様子に違和感を覚える。
「もしかして…寝惚けてる?」
ちら、と智太郎の部屋を見ると襖が開いている。
やっぱり。
猫が暖かい場所にやって来るように智太郎も…?
智太郎の母の耳と尾は確かに猫にも似ていたけれど。
「もう、起きてよ…」
智太郎の腕を軽く叩いて合図すると少し力が弱まる。
「離してもいいけど…代わりに何してくれる?」
交換条件が必要なんて聞いてない。
「何をして欲しいの…」
諦めてため息をついた後、はっ、と思いあたる。
「変なのは無しだからね!」
「変なのて何?」
肩を震わせて笑う振動が伝わる。
絶対もう起きてると思う。
「…でも、たまにはご褒美無いと頑張れないんだけど」
その言葉に、返事が詰まる。
守人になる為に智太郎がどんなに努力をしてきたか、今もしつづけているのを私は知っている。
いつも守ってくれる智太郎に何を返せているのだろう。
智太郎が珍しく弱音を言ったのならば、私は受け入れる責任があるのではないか。
「分かったよ…もう」
「何でも?」
「ものによるから。で、何がいいの?」
「考えとく」
今すぐ分からないのは不安だが仕方ないだろう。
頷くと、智太郎はようやく離してくれる。
身体を起こす。
「で、また夢を見たのか」
「なんで分かったの?」
「途中、うなされてた」
もしかして、心配して来てくれたのかもしれない。
起こし方は…なんとも言えないが。
「多分、綾人さんの…昔の記憶と最近の記憶。綾人さんのお母さんは昔失踪していたんだね。その事を美峰と話していた直後に綾人さんが失踪…やっぱり何か関係ありそうだよね」
「詳しくは本人達に聞いてみれば済む」
「ということは…弐混神社から面会の許可が降りたんだね!」
「ああ、それからもうすぐきっと…」
聞いていたかのようなタイミングで、千里様、と呼ぶ声がする。
本当に聞かれていたら、屋敷の者と顔を合わせにくいんだけども!
「御学友がお待ちでございます」
「分かりました、少々お待ち頂くようにお伝えください。智太郎、ちょっと!」
「分かってる」
もしかしなくとも、だいぶ寝過ごした。
私は慌てて、肩を竦めた智太郎を隣の部屋に押し戻した。
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