表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千里の夢 ✣­­­­ 過去夢の力で妖の血を引く幼なじみを破滅から救う恋物語 ✣ ࿐.˚  作者: 鳥兎子
第十一章 忘雪ノ遺香編(わすれゆきのいこうへん)
196/247

第百九十五話 青蛍の小さな息吹


 久しぶりに演じた『人』は、少々難儀だった。『蛍雪(けいせつ)中学校』時代よりも、すれ違う人々には親切と無関心が混ざりあっている。黄昏に降りる乗客をバスの窓から見つめる頃に、私はようやく座れる事が出来た。妊婦(わたし)に気づき席を譲ろうとしてくれたお婆さんが、ウトウトと船を漕いでいる。そっと、肩に触れれば……礼を告げ、彼女は降りていった。


 秋陽の仮寓となる、『竜口家 別邸』は近いはず。窓硝子を境に、夜の海へと花緑青(はなろくしょう)猫目(まなこ)閃く(わたし)は、最後の乗客になる。海が、燐光で応えた。紫外線探傷灯(ブラックライト)を浴びた石油入り水晶(オイルインクォーツ)のように、(くら)さへ青く浮かび上がる幻想を疑う。月明(げつめい)の無い春濤(しゅんとう)には、青い蛍が泳ぐのか。


 潮風に黒紅色の髪を靡かせて降りれば、さざめく海辺には蛍烏賊(ホタルイカ)の身投げ。光る小石の道とは違い、足元の天の河は鯁骨(こうこつ)と瞬き動く。引き波を辿れば、横たう彼らはまだ生きていた。夜目が利く(わたし)は、青く光る触腕を動かす彼らの藻掻きの中……海辺に立つ彼女が同じ妊婦だと直ぐに気づいた。但し、秋陽(あきひ)では無い。胎の膨らみを見るに、私より先輩らしい。黒髪靡かせる彼女の()()に気が付けば、潮風に晒される肌が粟立つ。


 

「ふぅん……可哀想に。お前は、晨星落落(しんせいらくらく)。明け方の空から、己の星達を失うのか。だが……散華の結実が齎す甜香(てんこう)に、最後の明星は在る」


 

 闇夜に浮かぶ青の一つ……青玉(サファイア)の蛍は、海から生まれたモノでは無いと確信した。それは、私を捉えた彼女の()()だったから。

 

「なんだ? 中学生時代から【感情視】で、下賎な占い師の真似事をしてきたくせに……()()は怖いのか? 」


 秋陽と私しか知らないはずの記憶に、息を呑む。冴の中の『人魚』のように……得体が知れない『混沌』の存在は私を嘲笑う。

  

「貴方は本物の占い師だというの……」


「まぁ、似たような者だ。僕は、過去・未来・現在を縦横無尽に駆け回る()! 戯言を信じるか信じないかは、お前次第だがな」

  

 確かに高くとも男のような声音だが、妊婦のくせに奇妙な事を言う。だが、彼女(かれ)が【異能】を扱う妖ならば……私は戯言を聞き流せない。


「貴方が本物だと言うなら、教えてよ。どうすれば、私の星達は瞬き続けるの? 」


 理知的な獣は、青玉(サファイア)の左眼で軌跡を引く。潮風よりも冷たい囁きが、私の蝸牛(かぎゅう)を凍らせる。奈落に渦巻く、凶器の風鳴りへと。


「僕が良いお告げをしに来たとでも思っているなら、間違いだ。……お前が爪痕を遺すべき明星は、一つだけなんだから」 


 凍えた耳を抑えれば、彼女(かれ)は牙を垣間見せて嗤う。体温で蘇った耳を離すと、私は問うべき声を刹那へ失っていた。戯言は、人を呪える。連れの男が呼ぶ声に、私を呪ったはずの彼女(かれ)は臆病に肩をビクつかせた。


「いいか……()()()()()()は、アイツにも『この女』にも言うんじゃないぞ! 境内以外で顕現すると、シバキ倒されるからな! 」


 ()気迫る表情で、ズイっと人差し指を差し向けられ、茫洋と頷く。境内……? ()()()()()か、何かか。随分キャラが立った妊婦が瞬けば、()()()()()()視線が絡む。初めて会ったかのように会釈する彼女に困惑していると、長い髪を束ねた連れの男が追い付いた。


「どうした、玲香(れいか)? 」


「何でもないわ、雨有(うゆう)。気分転換に散歩も良いものね……綾人(あやと)が産まれたら、()も暫く動けなくなるし」

  

 歩む彼らは、普通の夫婦にしか見えない。青蛍瞬く海辺に俯き、私が独りになる頃には……潮風の冷たさに耐え切れなくなっていた。


「……咲雪? どうして、ここに」

 

 望んだ優しい声がした。温かさを冀求(ききゅう)し、私は顔を上げる! 潮風に悪戯される鶯色の長髪を耳に掛けた秋陽は、杏眼を純朴に丸くした。悪い戯言を風船のように手放し、甘えたくなる自分が子供みたいな気がする。


「この海辺を辿って、秋陽に会いに仮寓へ向かう所だったの。檻の中で『白魔ノ猫』を演じてくれている人のおかげで、ここに居る私はただの『人』で()れる」


 黒檀色の杏眼は星彩(せいさい)に瞬き、細められた。秋陽の優しいため息は、私にも安堵を与えてくれる。


「良かった、咲雪は幻想なんかじゃないんだね。仮寓から海辺を見下ろしたら、似た人が居た気がして……私は『偶然』を願いたくなったの。渉さんも、すぐに来ると思う。……翔星さんは、まだ帰ってきてないけれど」 


「そう……」 


 どう答えるべきか逡巡している内に、悪戯に笑みを綻ばせた秋陽は私の手を繋ぐ。柔い温もりに戦慄すれば、宝石箱をひっくり返したように青は跳ね光る。歩む彼女の足は、蛍火(ルシフェリン)の群れに呑まれたりなんてしなかった。

 

「海が天の河みたいで、凄く綺麗だったから驚いちゃった。妖の魔法かと思ったけど、違うの?」


「お馬鹿さんね、これは産卵を終えた蛍烏賊(ホタルイカ)の身投げ。妖で魔法が使えるのは、絵本の中の『双子の魔法使い』だけ」


「咲雪は、芽衣(おかあさん)の絵本の中の『シンデレラ』だったんだよね。空色のワンピースに()()()()()()、似合ってるよ」

 

「秋陽も白色のワンピースに、真紅のリボンと()()()()()()が可愛い。私、『お揃い』を大切にしてくれた秋陽の温かさに救われてきたんだと思う」

 

 秋陽は苦笑した。高尚な『親友(じぶん)』を否定するように。

  

「咲雪に憧れていた私は、孤独から自分勝手に救われたかったの。咲雪と会えないかもって思ったら、()()()()()()()()()()()が酷く痛い気がして……『古傷が痛む』って、やつかも。寒かったからかな」

 

 白魔の硝子の煌めきが、脳裏へ降り注ぐ! 明滅する記憶から守る為に、私は瞠目する秋陽を抱き寄せていた! 早鐘が痛い。かつて血溜まりへ倒れた秋陽の姿に、今も怯えているのは秋陽自身よりも私の方だったのか。情けなく、秋陽の背を確かめた手が震えていた。

  

「『親友』になったのが別な誰かだったら……秋陽は傷つかずに済んだ。(わたし)のせいで、秋陽は平穏な『人』として生きていけなくなってしまった」


「別な誰かなんて、考えるだけでおぞましいよ。そんなの私じゃないし、咲雪が居なければ私もここに居ない。咲雪が言ってくれたように、生きて『この子』を導く事も出来なくなっちゃう。……私の身体の傷は、宝石の疵と違って()()()()()()()()が居るから、価値があるんだよ。おなかの真皮が裂け始めた、妊娠線もね」


 秋陽は安心するように息を零したのに、私の背に縋る両手は力が籠っていた。待ち人を、焦がれるように。新月の夜でも、陽の香りは消えない。鼓動(リズム)は、親しんだ体温を私達へ広げる。

  

「咲雪はさ……私と、ずっと一緒に居る為に来てくれたの? 」


 迷いなく頷こうとして……青蛍の天の河の中で、私は魔法が解ける時間を知る。鴉が演じられるのは、私の見た目だけ。中身(こころ)までは演じられない以上、いつか綻びが生じる。『檻の中の私』の子が、産まれないのも不自然だ。私が居なくなれば、正治は私を狙っていた冴達への疑念を得る。秋陽の仮寓への手懸かりを見つけてしまうかもしれない。衝動のままに秋陽の期待へ応えれば、『占い師の戯言』が現実に近づくのだ。


「私は……秋陽と約束をしに来たの。離ればなれになっちゃうけど、それは少しの間だけ。正治の殺意を解いてみせるから……私達の子が産まれた頃に、また会いましょう」


 秋陽と二度と会えないなんて、私には耐えられない。なら可能性が低くても、白金の船を覆す激浪になるだけだ。


「私と一緒に、桂花宮家から逃げてはくれないんだね」


「共に逃げたら、堂々巡りになる。いつか居場所が知られてしまう恐怖に追いかけられるくらいなら、立ち向かいたい。私にも秋陽を守らせて欲しいの」


 秋陽の吐息は、私達の沈黙を丁寧に解いていく。


「……分かった。一時だけじゃなくて、咲雪とずっと一緒に居たいから……待ってる。今度は那桜(なお)も一緒に、会いたいな。あの子は意地っ張りだけど、本当は寂しがり屋なの。でも産まれるまでは、咲雪との約束を果たせないんだね」


「悲しむ必要なんて無い。次に会う時には、私達の家族は二人も増えるんだから」

 

「そだね。産むのは怖いけど……凄く楽しみだよ。『この子』を抱けるのが。……女の子なんだって。竜口家の人が連れて行ってくれた、産婦人科の先生が言ってた。翔星(かいせい)さんは、まだ知らないの」


「なら、私達の『雪華の髪留め』をいつか付けてあげられるわね。私の子はまだ分からないけど……(わたる)みたいに強い子な気がする。お腹を蹴る力が強いから」

 

 自然に笑みを交わした私達が、包容を解く頃に……(わたる)と共に、秋陽の待ち人は海辺を駆けて来た。


「秋陽、無事か! 」


「翔星さん……」


 寂寞に耐えていた秋陽は、惑う杏眼(まなこ)が潤んでいく。踏み出せない彼女に苦笑した私は……そっと、秋陽の背を押した。鼓動を邪魔する棘など、無視しなければ。小さく涙を伝わせた秋陽を抱き留めても、焦燥を隠せない翔星に北叟(ほくそ)()んでしまう。

  

()()()()誘拐(ほご)()()()秋陽を、迎えに来るのが遅いじゃない。せっかく、お膳立てしてあげたのに」 


「咲雪、お前……本当に竜口 冴と取引したんだな。一体、どうやってあの女を掌握したんだ」


「方法なんて、どうだっていいでしょ。誰かさんが秋陽を泣かせるから、私は冴を介して仕返ししただけ。()()()になれた貴方に、私は感謝されてもいいくらいだけど」


 私を睨む翔星を嘲笑っても、取引の内容を教える事は出来ない。冴に掌握されているのは、微笑を解いた私の方なのだ……。


「翔星……貴方が、桂花宮家よりも、妖狩人の信条よりも、正治(ちちおや)よりも……秋陽とその子を選ぶのなら、私に誓って。必ず守り通すと」


 強まる鷹眼の鋭光を、私は初めて素直に見つめることが出来た。私と同じ海辺に立ち、青蛍の導きを映していたから。


「あぁ、誓おう。今まで、『人』の生存を選ぶ妖狩人の信条に疑問を持ったことは無かったが……俺は正治(ちちうえ)の選択が正しいと思えなくなった。妖狩人(おれたち)が自らの手を汚してきたのは、『大切な人』を守る為だ。秋陽と子の中の『妖』諸共、守るべき『大切な人』を殺すなど間違っている」 


「私は私の方法で、秋陽を守る。翔星の事は好きじゃないけど……貴方への信頼は嘘じゃないの。決して、私を裏切らないで」


()()()を裏切りはしない。会う度に尾が逆立ってた頃とは大違いだな。……俺は、咲雪を嫌な奴だと思ったことは無い。お前は、『妖』の中の可能性を俺に教えてくれたからな」 


 私は瞠目してしまう。そんな私へ苦笑する翔星を慌てて睨み返したけれど、翔星との隔たりは既に壊されてしまった。青白い蛍火は鯁骨(こうこつ)に瞬き、『仮寓』へと踵を返した秋陽達を見送り始める。


「またね、咲雪。会えないのは寂しいから……早く、お母さんになりたいな」


 はにかむ秋陽に手を振り返せば、二人は手を繋ぎ、私が憧れた絵本(せかい)の中の海辺を往く。恨む気すら無くなるほど、囁き合う彼らは天の河を綺麗に歩んでみせた。その姿は再会した彦星と織姫のようにも思えたし、『竜宮城』への帰路のようにも思えた。


 絵本の中の(ツガイ)は、いつも一対。帰る場所が彼らと違うのは『普通』なんだと自分に言い聞かせても、屋根を同じとする『私の家族の夢』とは違うと痛感した。 

  

「やっぱり最後に、『友情』は『恋情』に奪われてしまうのね」 

 

「もしそうだったなら、(おれ)が秋陽さんを恨む事は無かっただろうな。俺を睨んだ秋陽さんが、咲雪の守護を託すことも無かった」


 傍に渉が居なければ、私はどうかしていただろうか。きっと、触れられない脆い現実に叫んで、壊せない別れの歯がゆさに消えてみたくなる。


「秋陽は私に綺麗な感情(いろ)を見せてくれたけれど、欲深い秋陽だって可愛いの。嫉妬を忘れられなかった、私達三人は似たもの同士だったって言う事ね……。翔星だけが、真っ直ぐに私達を見つめていた」

 

「翔星は清濁併せ呑んでも、自分の信条を綺麗に追いかけられる奴なんだ。妖狩人になる血筋に生まれた運命(さだめ)を、自分の意思だと断言できる強さが羨ましかった。咲雪は翔星のように、秋陽さんを一番近くで守りたかったんだろ」

 

「黙って。私は、あの男になりたかった訳じゃない」

 

「なら、どうして咲雪は泣きそうなんだ? 咲雪が望むなら、このまま檻から逃げたっていい。……俺に我儘を言ってくれないのか」


 鵲眼(しゃくがん)を伏せた渉には、私の嘘が通じない。私の代わりに、潤む瞳を隠した渉を慰めたくなる。私は小さく(わら)い、手を差し伸べた。 

 

「秋陽の為に檻から逃げた私が、それを望むと思う? 檻を望む理由だって、同じなのに」


 二人で手を繋いだ、月の無い夜。過ぎた海辺を振り返れば、誰も居ない。青蛍の星彩は少しずつ瞬きを眠らせていった。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ