第百八十九話 鱗簪の切先
人造の天鼓は、誰の悪行も止めることが出来ない。力強い和太鼓音の容赦ない疎密波は、妖の心臓を無理やり震わせ、怯えを引き出そうとする。刻限を告げる残響は、また余韻を残した。
何もかも失って、堕ちる所まで堕ちたなら。
最期の賭けをして、自分の為に愉しんだって良いよね?
真っ白で凍えた絶望に染められた私には、目隠しの内の闇さは救いだ。身体をささくれで傷つける荒縄の締め付けさえ、期待を煽る。身に合わぬ好奇心は、猫を殺してしまうだろうか。
「のうのうと妖狩人の前に姿を晒すなど、愚か。どこの家門にも属さぬ半妖など、ただの害なす妖に過ぎない。答えなさい、お前は何処から来たの? 」
詰問し慣れた女の声。姿を隠した鴉は、愚かな私が助けを乞うのを待っているのだろう。だけど私は鴉に助けを乞う気など、さらさらない。
「妖狩人達は私に欲しい物があるはず。そして私も。私は貴方達と交渉をしに来たの」
危座する妖を、見下ろす女の怒気。気魄が明らかに熱を帯びた時、目隠しが銀閃の簪さで切り裂かれた!
――眼前には、肉食獣の如き女の鋭い瑞鳳眼。『人魚』の家紋宿す、簪引き抜かれた紫黒色の髪は解ける。銀鱗を模したビラ簪の切っ先が、私の首筋へ突きつけられた。
「立場を忘れるな。下等なお前は、命運を我らに握られている」
「私は死ぬのなんて怖くないけど、そのまま実行したら貴方達の欲しい物が手に入らないんじゃない? 」
気性荒い女狩人と私が睨み合う中、雰囲気をぶち壊すゆるい男が間に入る。格式高い七条袈裟が、ヘラヘラ微笑する顔に全く似合わない。はねっ毛で、厨二病みたいに左目が隠れているけど……僧侶なの?
「まぁまぁ、落ち着いて下さい……竜口さん」
「私の事は冴と呼びなさい、と言ったはず。天瀬 櫂海。そして、邪魔」
「恐れ多いですよぉ……。『人』と『妖』の中立 兼 妖狩人のサポート役……『漣廻寺』の住職成り立てである私が、自分の寺の中で、半妖を虐める貴方の邪魔をするのは当たり前でしょう? 擬似妖力由来術式家門の『竜口家』の当主として、一度冷静になってはいかがですかね。妖狩人の統括役の『桂花宮家』、生力由来術式家門の『尾白家』、貴方のお仲間の擬似妖力由来術式家門の『伊月家』、術式問わぬ烏合の『宮本家』の皆さまの御前ですし……? 」
天瀬なる若住職は、私にウィンク☆をくらわす。毒気が変に抜かれるけど、ご丁寧に説明ありがとう。『生力由来術式』が、生命力である生力を由来にした攻撃術式で、『擬似妖力由来術式』が生力を妖の血肉により妖力に変換した攻撃術式だったか……。
『桂花宮家』にて捕らえられ、連れて来られた『漣廻寺』の暗い地下の中。私は妖狩人家門当主達を見上げる。交渉の為に、勝手に推測と断定をしていこう。
瞬きが似合わない程に淀んだ暗黒色の瞳の男は、仄暗いから『伊月家』当主。妖を見て、潔癖そうに眉を顰める生真面目そうな五十路の男は『尾白家』当主。頬に傷のある場違いな若造は、烏合の実力主義『宮本家』当主代理と言った所か。……新たな傷どころか、いつか片腕が妖に喰われそうな隙がある。
「半妖のお嬢さん、我らは知りたいだけだ。我らが既に知る『妖』は 既に封印場所や生息地を把握していたり、血筋も各管理下にある半妖達がほぼほぼでな。例外は『半不死の鴉』くらい……と言いたいところだが、やはりどこからともなく現れる『妖』も居る。だが会話が出来る『妖』は、そうそう居なかった。出自不明の知的なお嬢さんが現れた事により、我らの長年の想像を追求出来そうで……皆、柄にも無く高揚してしまってな」
そして、私に微笑する『桂花宮家』当主。歯に衣着せぬ物言いは好ましい気がする。人が良さそうな厳つい顔でも、どうせ裏が有るんだろうけど。五十路の彼の隣には、二十路の男が二人。鷹のような鋭い目つきの男と、ふわふわした髪の優男だ。鷹眼の男は当主に似てるから、多分息子だろう。
「お嬢さんは、妖が生まれる『隠世』の在り処を知っているんじゃないか? 」
『桂花宮家』当主が告げた一言に、妖狩人当主達の覇気が異様に締まる。だけど、貪欲な好奇心には答えられない。『家族』を見捨てた異端者でも、私は『隠世 猫屋敷』の『家族』を妖狩人なんぞの玩具にさせる訳にはいかないからだ。
「残念ながら、私は『隠世』の在り処なんて知らない。期待に添えなくて悪いけど、代わりに良い土産があるの」
『隠世の妖』を求める妖狩人は、手駒を欲してるはず。隣合う、どの家門よりも優れた『力』を。彼らの強欲は、古き顕示欲と利権に絡んでいるのだろうから。
「それは、私自身。貴方達が最も欲する【異能】は、眼前にある」
「ふざけないで! 死にかけの半妖なんかじゃ、『隠世』の在り処とは釣り合わない! 殺される前に、さっさと吐け! 」
私の衿合わせを掴んで、竜口 冴は貪欲さを露わにする。一番先に私へ食いついてきたのは、強欲を抑えられないからか。視たくないけど、仕方ない。私は花緑青の双眸を妖しく光らせ、彼女の奥底の【濃紅の熱帯魚が、仏天蓋を食み散らす】を視た。……斑の媚態か。
「五月蝿い冴ね。口汚い貴方は私の好みから、除外しとく。せっかく半妖が長生きできる花束を持ってきたのに、残念。……天瀬住職が好みなの? 色んな付属品がついでに欲しいみたいだけど。叶わずに晩婚ババァになるだけだから、やめといた方が無難」
【感情視】をお披露目すれば、皆目の色を変える。少しだけ事実を盛ったけど、本来であれば中の下程度の【異能】を価値ある物として妖狩人に欲しがらせる為には仕方あるまい。【感情視】があれば裏切り者を炙り出すことも、秘匿を暴くことも可能だと。だが、頭に血が上った冴は気づくのが一拍遅れた。
「私はまだ二十九! 『漣廻寺』の住職じゃなきゃ、あんな軟弱男……誰が……」
見るからに蒼白になった冴へ、私は誘惑的な微笑を浮かべる。
「私が欲しければ……口の利き方には気をつけた方が良いんじゃない? 貴方次第よ、冴」
小さく息を吐いた冴は私の衿合わせを離し……硝子細工を欲するように、私の頬へ触れた。純粋な唇に弧を描く彼女は、陶酔している。前言撤回、面白い女だ。破滅した恋の復讐よりも、『妖』への強欲を選ぶなんて。
「貴方が欲しい物を何でも言いなさい。存分に甘やかしてあげるから」
「ところで天瀬は振られたんでしょうか、竜口さん。告白した訳でもないのに」
「黙れ。『漣廻寺』は、既に『獏』を飼っている。出しゃばるな、天瀬」
「何故知っているんです!? セクハラですよ、怖っ! そういう『竜口家』だって、『人魚』を飼っているでしょう! それを言うなら『大蛇』を飼う『伊月家』も同じでしょうけれど……」
ちらり、と天瀬が『伊月家』当主を振り返れば、今まで能面のようだった彼は『歪な微笑』を貼り付けていた。うねった長い髪も相まって、柳の下の怨霊のようで非常に寒気がする。天瀬はそっと、視線を逸らした。
『妖』の争奪戦が開幕される寸前。銅鑼が鳴り響いた。冴も天瀬も私から自然と離れて、彼を見上げる。一同が振り向くは、おおらかに微笑する『桂花宮家』当主だった。
「埜上 咲雪。お嬢さんは半年前に、蛍雪中学校へ転校してきた。そして……母親である埜上 芽衣を亡くしたばかり」
私は血の気が引くのを感じた。
この男、何処まで知っているの。
「一つ確認だが……牙の跡が首に残る母親を殺したのはお嬢さんか? 」
なんと答えるのが正解か。【感情視】が知られた以上、使用する行為自体が疑念を呼んでしまう。私は唾を飲んだ。
「……まさか。母を殺したのは父よ。そしてあいつは死んだ。妖が共喰いで勝手に死ぬなんて、日常茶飯事でしょ? 思えば『隠世』から来たのは父だったのかもね」
「それは良かった。なら、『母親を亡くして天涯孤独になったお嬢さんは我らに助けを求めに来た』んだよな。お友達の証言とも重なって、何よりだ」
『桂花宮家』当主が満足気に頷けば、私を縛る荒縄が断ち切られた。見計らったように大扉が開く。暗い地下に、淡い黄色の陽光が差した。
「咲雪! 」
ここに居てはいけないはずの彼女は、瑞光を背負って現れた。鶯色の髪を靡かせる少女は、黒檀色の真っ直ぐな杏眼で私を捉える。
……何故ここに秋陽が。
理解した瞬間、拒絶に貫かれた私は衝動的に叫んでいた!
「私に近づいたら駄目!! 」
「咲雪は悪くない、私が悪いの。咲雪が触れてくれるまで、待つべきだった。私達の境界線は曖昧だって、思いたかったの。そんなの、私の勝手な期待なのに。だから、これは当たり前の罰なんだ」
夏だというのに、秋陽は袖の長い服を着ていた。だが包帯も、額に滲む嫌な汗も、痛みに耐える微笑も隠せない。最後に見た彼女の血塗れた姿から想像すれば、鎮静剤を飲んでやっと動けているはず。これ以上直視出来ずに、俯いた私は自らの脚に爪を立てていた。
「私は……秋陽を傷つけた化け物なんだよ? また秋陽を傷つけてしまうかもしれない、妖を恐れるべきでしょ。何故、こんなところまで来たの。やっぱり、お馬鹿さんだよ……」
「咲雪は化け物なんかじゃない。たった半年だけど……私が知っている咲雪は寂しがり屋で、臆病で。高貴な嘘つきで。大切な『家族』を忘れられない、私の大好きな親友なの。咲雪は、私を一番知っている。……今度こそ、触れてもいいかな」
臆病者の秋陽は恐れる事無く、私を抱きしめた。お日様みたいな香りがして、あったかい。これが『人』なんだ。
「入院してたのに、看病してくれた那桜を出し抜いて来ちゃった。一緒に、怒られてくれるでしょ? 」
「那桜は怒っても、怖くなんかないけどね」
秋陽の抱擁に耐えることが出来ず、私は涙が込み上げるまま応えていた。包帯が巻かれた腕の下には、安易に癒えぬ傷が残る。それは、白魔の硝子に貫かれた身体も。
私達の再会劇を演出した男は歩み、陽光差す静寂を跫音で支配する。
「自らの妖力を支配出来なかったお嬢さんは、お友達を傷つけてしまった。妖狩人に命運を託す程……自責の念に駆られた。非常に人間らしいじゃないか。理性的な妖のお嬢さんには、それだけで価値がある」
刹那……研ぎ澄まされた気魄を纏った『桂花宮家』当主は、私に囁く。
「例え……嘘つきでもな。牙の跡から推測される歯型……男のものにしては、可憐だったよ」
この男は、私が芽衣を殺した事を知っている。家門の利益の為に黙殺するつもりか。妖狩人とは『人間に必要な妖』を選別し、葬る者達なのだと私は知った。
『桂花宮家』当主の囁きを訝しんでも、内容までは聞き取れなかったらしい。竜口 冴は、ただ不満気に私達を見下ろした。
「初めから咲雪を、桂花宮家で囲うつもりだったのですね。この場は咲雪の主を決める場では無く、咲雪を囲うことを決定した桂花宮家が、私達の完璧な承認を得る場だったと」
「まぁ、そういう事になるな。綺麗なお嬢さんを自慢しに来ただけだ」
「つまり私は後々文句を言わされないようにする為に、無駄骨を折らされたと! この埋め合わせは、しっかりとして頂きますからね! 」
「おー、勝手にしてくれ。好きな時に、尋ねて来ていいぞ」
ひらひらと手を振る『桂花宮家』当主をひと睨みした竜口 冴は、黒羽織を翻す。洗朱の裏を垣間見せ、ヒールを打ち鳴らし『漣廻寺』の地下を去っていった。
彼女を見送った『桂花宮家』当主は無精髭の顎を撫で、錬磨された笑顔で振り返る。
「冴さんじゃなくて、おっさんで悪いが。我慢してくれ、お嬢さん」
「私は冴より、貴方の顔が気に入ったの。名前、教えてよ」
「綺麗なお嬢さんに気に入られるとは、役得だな! 俺は桂花宮 正冶。だが俺なんかより、こっちの優男の方が良いんじゃないか? 」
豪快に呵う正冶が親指で背後を示せば、柳煤竹色のふわふわとした髪の男が、お辞儀と読めない笑みを返す。
「優男は嘘面ですが。どうも、正冶様の付き人の尾白 渉です。……咲雪さん」
私は思わず目を丸くした。潔癖で生真面目そうな『尾白家』当主の息子には、とても見えない。尾白 渉とは真逆に腕を組む鷹眼の男は、父親に溜息をついた。
「警察内部協力者になんて言い訳する気ですか。入院中の一般人を『漣廻寺』まで連れてくるだなんて、異常です。しかも、怪我がまだ癒えてないのに。……立てるか」
無愛想な鷹眼の男は、秋陽へと手を伸ばす。
「ありがとう……ございます」
戸惑う秋陽が手を取ると、痛みに耐える彼女の額の汗に、鷹眼の男は眉を顰めた。そのまま横抱きにし、赤顔する秋陽から目を背けた。仕方ないって、理解は出来るけど……非常に喰い殺したい。
「貴方も名前くらい、名乗ったらどうなの」
「俺は……桂花宮 翔星だ」
朴念仁の『桂花宮家』次期当主は、殺意滲む私とも目を合わせられずに、正冶と渉に大爆笑されたのであった。




