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千里の夢 ✣­­­­ 過去夢の力で妖の血を引く幼なじみを破滅から救う恋物語 ✣ ࿐.˚  作者: 鳥兎子
第十章 炎華ノ狂宴編 (えんかのきょうえんへん)
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第百七十話 翠と紅の慈雨


――*―*―*―〖 智太郎目線 〗―*―*―*――


「やけに静かだな」


 影茨が消失したとはいえ、美峰に頭を撫でられる綾()は棘に刺されていた両手両足がまだ痛むのだろう。アドレナリンで麻痺していた傷は思ったより深かったらしく、美峰の膝上で動けないままだ。

 それでも綾人が戻ってきてくれた事に、美峰は安心したように微笑していた。彼女の膝上で、治りかけの傷にぼんやりとする綾()の視線の先を追い、薄青の空に続く大穴が空いた猫屋敷の天井を見上げる。

 

 (はり)がぶち抜かれているのに、よく倒壊しないな。大鴉を倒す為とはいえ、青ノ鬼と暴れすぎただろうか……。家主の炎陽(ジジィ)に建造物損壊罪では無く、実力行使の報復を実行される可能性について思案し始めた時……帰還者達の音無きノックは足元を沈めさせた!

 

「また影沼かっ!? もう呑まれるのは勘弁してくれ!」


 寝たきりの綾()が繊細な女らしさの皮を破り捨て、綾人らしくおどおどと怖気付いた時。

 

 約束通り、影沼は弾けた。透明になって、逆さまに降るのは何だろう。一度高く天へ捧げられたと思った雫は、陽光の元に甦る。木霊(こだま)のように、一拍置いて下賜(かし)された。

 

 若葉の色と桜と躑躅(つつじ)を映して、煌めきを凝縮した雨粒だった。翠雨(すいう)と呼ぶべきか、それとも紅雨(こうう)と呼ぶべきか。

 

 音僅かに肌を濡らす慈雨は、冷たいはずなのに。王冠(クラウン)のように撥ねること無く、羊水のように馴染む気がする。この雨は嫌いじゃない、と感じさせてくれる贈り物だ。


 慈雨を連れてきたのは一人では無く、手を繋いで翡翠の双眸で向かいあう二人。波打つ紅の長い髪の彼女は、鏡合わせのように紅の面紗(ベール)を靡かせる妹へ慈愛の微笑を送る。躊躇いながらも、紅音から目を逸らさない翠音からは素直さを感じた。猫耳と孔雀の尾羽根の双子は、完璧では無くとも和解する事が出来たようだ。

 

「このっ……陰険くのいちが! 綾人(おれ)の腕と足と精神をズタズタにしやがって! 」


 憤る綾()に怯えた翠音は、サッと紅音の後ろに隠れた。俺達を『折紙影絵(おりがみかげえ)』で襲った時とは、まるで別人のようだ。俺達に立ちはだかる、翠音の()()は崩壊した。

 

「師匠の眼前で妹を詰るなんて、活きがいいじゃないの。直ぐに治るように、無駄なエネルギーを消費する口を黙らせてあげましょうか? 」


「ヒィッ……沈黙の綾人(モブ)は雑な扱いに甘んじます……」

 

 冷たい笑みを浮かべる紅音に、顔を強ばらせた綾()は身の安全の確保の為に、サアァァッ……と自らの気配を消した。美峰はヨシヨシ……と綾()の頭をまた撫でると、翠音を見つめた。


「貴方はもう、私達を襲う気は無いの? 」


翠音(わたし)は……私の『家族』と『友人』に貴方達が手を出さないと誓うなら、何もしません」


 紅音の後ろから、臆病に翡翠の瞳を覗かせる翠音への答えに俺達は窮する。疑いよりも、思わぬ共感のせいで。大切な人が欠ける事の無い日常を過ごしたいという俺達と翠音の願いは同じなのに、結び方を間違えば再び対立してしまう。

 

「翠音の『家族』を繋ぎ止めたいという願いに、紅音(わたし)は……炎陽への憎悪に迷いが生じてしまったの。珠翠(かあさま)は炎陽と私達を救うために、自らの意思で喰われたんだと知ったから。尾羽根を焼かれて殺されかけたくせに、『甘いシスコンだ』って怒る? 」


 自嘲した紅音は伺うように、『共謀者』である俺の答えを待つ。もし、紅音が炎陽への復讐を捨てる判断をするならば、炎陽の根源を得る為に彼女と手を組んだ俺はどうする?

   

 千里の自分勝手な救いを破棄し断罪する為に、妖に戻るのが今の俺の目的だが……炎陽の根源を得ずとも叶える方法はある。俺の根源に刺さる、千里の紫電の針を抜けばいい。

 原初の妖である千里に刺された紫電の針は、同じ原初の妖にしか抜けないだろうが、千里と鴉は頷くはずが無い。交渉の余地があるのは炎陽だけだろう。

 

「紅音達と同じく大切な人と日常をもう一度過ごしたいのは、俺達も同じだから怒る必要なんて無い。俺は炎陽に紫電の針を抜かせて、妖に戻れればいい。根源を得ずとも寿命を伸ばす方法について、炎陽が知っている可能性もあるから、交渉時に聞き出すつもりだ」

 

「私は張り合いが無い『共謀者』なのに、智太郎は優しいわね。形が変わったとしても、紅音(わたし)の復讐は炎陽を問いたださない限り完結しないの。炎陽は『魅了』が狂ったことを、異能のせいにはしなかった。炎陽は私達に向かい合う気があるんだと思う。だけど炎陽が、珠翠(かあさま)と私達への想いを蔑ろにするつもりなら……私は炎陽を葬るわ」


 地を(えぐ)るような紅音の唸り声に、憎悪が潰えていない事を知る。複雑そうに翠音は紅音の隣に立つが、その手は繋がれたままだ。翠音も真っ直ぐに、俺達へ向き合った。

 

翠音(わたし)は、炎陽様の事を父の香りを持つ男性として愛しております。貴方達『人』が蔑もうとも、私の『穢れた愛』は嘘偽りなく変わりません。だからこそ……炎陽様の愛する珠翠(かあさま)の『家族を愛して欲しい』という願いを、紅音と共に伝えたいのです」


「なら、紅音と俺達の協力関係はまだ終わっていない。翠音も含め、炎陽に会わねばならないのは同じだ。……俺を庇うために、千里は炎陽を追いかけていった。あいつらは今何処にいるのか、翠音は知っているのか? 」

 

翠音(わたし)は『友人』を出来るだけ裏切りたくはありません。智太郎(あなた)が千里に危害を加えるつもりなら、私は協力出来ません」


「俺は真実を確かめない限り、千里へ復讐を遂げるべきかすら分からない。それは、炎陽へ会わなければならない紅音も同じだろ? 俺達が千里と炎陽を殺すと判断した時、翠音が俺達を殺すつもりなら……監視者になればいい」


 千里を守る為に、俺を監視する青ノ鬼と同じだ。俺は自ら敵候補を増やしている気もするが……今の俺に出来る最前の判断をしているだけだ。


「……智太郎(あなた)は大鴉の背に乗った時に、空の異変に気付きましたか? 」


 やがて、睫毛を伏せた翠音は小さく答えた。


「曖昧な蒼穹の一部を、薄紫の春夕が染めていた。……あれは何だ? 」


「あれは妖にしか見えない幻の空です。『隠世』とは、筆頭の妖が配下の妖を守る為に作り出す防御壁でもあります。誰かが誰かを守ろうとしているのでしょう。炎陽様の隠世の中に新たな隠世を作るだなんて……まるで敵対者が近くにいるようです」


 翠音はそれきり答えない。彼女が与えられる手掛かりはここまで、という事か。


「鴉は隠世を持たないんだったな。炎陽以外に隠世を作れるのは……一人しかいない」


 千里はあの薄紫の春夕の下にいる。敵である俺達から炎陽を守る為に『隠世』を作り出した。そういう事だろう。


「なら、薄紫の春夕の方角を目指そう。……『友人の隠世』にノックくらいはしてくれるだろ、翠音」


翠音(わたし)は『友人』に謝らなければなりませんから……『隠世』を訪ねる必要があります。智太郎(あなた)に協力する訳ではありません」


「素直じゃないわね、翠音は。珠翠(かあさま)が天邪鬼って言うわけだわ。……綾人はもう歩けそう? 」


 紅音はヤレヤレと首を横に振ると、心配そうに綾人達を振り向く。


綾人(おれ)はまだ歩けない。怪我が癒えるまで、美峰と一緒に猫屋敷で待つよ。『遠距離透視』で視とく。何かあったら、(コンパウンドボウ)で手助けするから」

 

「つまり美峰の膝上でデレデレするのを止められないって訳ですね。恥ずかしい女装男です」


「変態みたいに言うな、翠音! 誰のせいで寝たきりだと思ってるんだよ! 」


 がなり散らす綾()を、どうどう……と美峰が宥めると綾()が大人しくなるもんだから、翠音の言う事は案外間違いでは無いのかもしれない、と雑念が掠めてしまった。


「伊月家兄弟には警戒しておけ。姿を消したあいつらの目的がまだ読めない」


「分かった、猫屋敷(ここ)に現れるかもしれないもんな。智太郎も千里にデレデレするあまり、炎陽や鴉に背後をとられんなよ? 」


 綾人(こいつ)……。寝たきりのくせに、ニヤニヤと絶妙に苛立ちを掻き立ててくる技術だけは、死んでない。

 

「うるせぇ。妖に戻ったら一番に綾人(おまえ)を締めてやる」


「怖えぇ! 鬼畜の性分は『人』でも『妖』でも変わんねぇな! 」


「もう、綾人が余計な口を回すからでしょ。……行ってらっしゃい、尾白くん。気をつけてね」


 微笑する美峰だけが、まともに俺達を見送ってくれる。彼女に小さく勇気づけられ、安堵した俺は頷いた。


「……行ってくる」


 一時の慈雨が止んだ空を、俺は双子と共に見上げた。何処までも繋がっているはずの空は、薄紫の春夕の幻により分断されている。都合のいい夢から千里を目覚めさせる為に、歩み出した俺は覚悟を決めた。

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