第百六十一話 魔女は誘う
『伊月家兄弟』: 黎映、誠
▷▷ ❪❪隠匿❫❫
『雪華の少女』の『雪』:智太郎
『黒豹の女』の『綾女』:綾人
▷▷ ❪❪隠匿❫❫
『濡羽色の花嫁』の『なな』:千里
『若葉色の花嫁』の『千里』:黒曜
隠匿外/演者
『片青眼の男装少女』:青ノ鬼 / 美峰
『色獄の主』:炎陽
『紅の復讐者』:紅音
『紅の花嫁』:翠音
――*―*―*―〖 智太郎目線 〗―*―*―*――
「こんにちは、『なな』と申します。私達、女二人も輪の中に混ぜては頂けませんか? 」
「勿論! 歓迎致します、『なな』さん」
満面の笑みで出迎えた黎映に頷いた『なな』は、にこやかに彼らの横に座る。『雪』として座った俺も、伊月家兄弟を初めとする彼ら四人の様子を伺う。
千里を追って、俺たちより先に『猫屋敷』へたどり着いていた黎映は俺と視線が合うと、好奇心旺盛な瞳で小さく瞬いた。……何故か『智太郎』に似た少女だと、違和感を覚えた程度だと良いのだが。
黎映の兄でありながら、対照的に冷えた眼差しで俺達を捉えた誠は、何を考えているのかまるで読めない。俺を振り返った青ノ鬼と綾女と、矛盾が生じないように俺は先手を打つ。
「『雪』です。隠世は初めてなので、『なな』に少し教えて頂いておりました。『綾女』達も宴を愉しんでいますか? 」
「あらっ、『雪』♡ まだ私達も輪に混ぜて頂いたばかりなのです。愉しみはこれからですよ」
『黒豹の女』の艷めく容姿を見事に裏切る、綾人のキモチワルイ裏声に吐き気と危機感で胃は引き絞られる! こいつは100%、伊月家男子の攻略対象外だろっ! 『魅力』の鍛錬の成果を砂に化す気か……と綾人を睨みつけるも、何故か余裕の笑みを返される。何か成果でもあったのか……?
「ねぇ、旦那様? 」
『黒豹の女』は、魔女のように跳ね上げたアイラインで照準を定める。青みを帯びた瞳を神秘的に細め、深い赤の唇を垣間見せる爪先へ、危険な吐息を纏わせた。彼女の疑わしい手の内は晒されているからこそ、魅惑を煽るのだ。
「……ああ……」
妖しい魅力の『綾女』に捉えられ、明らかに惑うのは……まさかの誠! 滅紫を貫く金の逆三日月の瞳孔を逸らし、一房に纏めた紺青の髪を落ち着きなく撫でる。『大蛇』と同じ鱗が斑に生ける頬に、少々朱が走っているような……。
「ケホッ……」
黎映から酒を頂いていた『なな』は噎せる! 妖とは言え、未成年(仮)に酒を渡すな! ……信じられないように誠を見つめる彼女と黎映には同意するが。
「ににに、兄さん!? まさかこの女狐がタイプなのですか!? 」
弟であるはずが、誠の女のように『綾女』を睨みつける黎映。勝ち誇ったように『綾女』はツンと顎を上げてみせるものだから、火花散る修羅場は爆誕した。
「女など駒の一つに過ぎん。案ずるな、黎映」
と、『綾女』と目を合わせられない誠が安心出来ないフォローをする。無論、黎映は寂しげに双眸を潤ませた。
「恋は盲目とは言いますが……正直、受け入れ難いです。まさか、兄弟の絆が恋で揺らぐ日が訪れるとは……」
黎映は切ない溜息を零すと、何故か『なな』に擦り寄り肩を勝手に借りる。儚い指先で『なな』の首筋を擽った彼は、白皙の頬が色づいているような。こいつ……既に酔ってるのか!?
「慰めてくれますよね、『花嫁』さん」
「おい……。彼女は黎映の『花嫁』じゃないぞ」
硬直した『なな』に危機感を覚え、俺は演技も忘れて本能的に唸る。途中で、しまったと我に返るが……酔いが回る黎映は違和感に気づかなかったようだ。
「分かっています、そんな事。今の彼女は貴方のもの。ですが……人の心は泡沫。掌に掬う水鏡なら、可能性を変えられる」
俺は酔いが回っているはずの黎映をまじまじと見つめた。深緋と白の瞳に宿る玲瓏な光は、真摯。まるで、『雪』では無く『智太郎』へ話しているような。
「黎映、飲み過ぎだよ」
「すみません……。酔いが回るあまり、少々冗談が過ぎたようです。貴方の可能性を残酷に奪うなど……純粋な僕には不可能です」
冷静に忠告する『なな』に、黎映は繊細な睫毛を伏せた。
「私を救い続けてくれている貴方は、人でも僕でもない」
「絆の呼び名すら奪うだなんて、残酷ですね。いっそ、私を食い尽くしてくれたら……甘美な想いを散らせるのに」
そのまま酔眠に瞼を閉ざした黎映へ『なな』は溜息をつくと、彼を自身の膝の上に横たえた。眠りについた幼子を慰めるように頭を撫でる動作を見つめていると、息が焼けるようで重く苦しい。顔を上げた『なな』は、闇色の面紗の向こうから俺を静かに見つめた。
「ごめんなさい、『雪』。驚いたでしょう? 私は彼と、命を繋ぐ契約を結んでいるのです。私は今も、生力を分け与えて貰っている」
「確かに驚きましたが……妖である貴方は人を直接喰らわないのですか」
「私は人の血肉が……『欲』が嫌いなのです。ただ、無欲では願いの為に生きられないと彼に教えられましたが。……時折、私を縛る全ての呪縛から逃げ出したくなります」
俺は闇色の面紗の向こうの瞳をもう一度見たくなった。変彩金緑石の瞳に浮かぶ彼女の想いを、知りたくなったから。
「貴方は呪縛に耐えても、叶えたい願いがあるのですね」
彼女は言葉で答える代わりに、真っ直ぐに俺を捉えて離さなかった。
「ええ。叶え続けたい願いは、今も生きております」
青紫と紅紫色の紫電が今も刺さる心臓は、心地よい痛みに鼓動する。まるで妖力の主を眼前にしたように。
「やはり、貴方は……」
俺は好奇心と予感に惹かれ、彼女の闇色の面紗に指先を伸ばす。躊躇う彼女は僅かに身を引くが、今の彼女は俺から逃げられない――。
「ところで……アイツらはそのままで良いのか? 」
俺達の背後からニヤニヤと邪魔立てしたのは、青玉の左目を妖しく光らせる青ノ鬼。疑問に瞬きを返すと、彼は顎を上げて向こう側を示してみせる。
「僕としては後が面白いから、どう転がってくれても良いんだが」
炎陽が大笑いする声が宴を支配し、嫌な予感に顔を強張らせた俺は……恐る恐る振り向く。
「『大蛇』よ!そんなに気に入りなら、くれてやっても良いぞ! 」
「炎陽様……お戯れを。私は女など好きません」
「何を仰いますか、旦那様。そろそろ素直になっては如何ですか? 」
いつの間にやら……正体がバレないのを良い事に面白がる『綾女』が、動揺する誠に腕を絡ませてしまっている! 二人に気づいた炎陽は、酒の摘にしようとしていた!
「さて……ここで『綾女』を好く『美峰』を呼んだら、さぞ可笑しい愛憎劇が見れると思うのだが。青ノ鬼は爆弾が大好きだから、投下しても良いだろうか? 」
「まてまてまて待てっ! 色んな意味で正気じゃないっ! 」
隠世への潜入作戦の破綻が先か、綾人が美峰に殺されるのが先か……。正体がバレた綾人が、本気の誠に殺されるのが先かもしれない。俺は秘かに青ノ鬼を説得する。
「みすみす子孫を殺す気か? マジでやめとけ、青ノ鬼」
「綾人の命が関わってくるのか……。なら残念だが、爆弾投下は諦めよう」
青ノ鬼を頷かせ安堵した俺は、もう一つの輪の様子を確認する。流石に双子と言うべきか。一時、憎悪を忘れた紅音と翠音はそっくりな呆れ顔で、例の二人の元へ歩む炎陽を見つめていた。炎陽から解放された『若葉色の花嫁』は興味なさげに、躑躅の庭を眺めている。
「好機ですね。一時的に、復讐の怨念が解けています。今なら自然に『若葉色の花嫁』へ近付ける」
俺は『なな』に頷いた。彼女に会えば……何が真実か分かるはずだ。
「なら、その『酔っ払い』は僕が介抱してやろう」
「ありがとう、青ノ鬼」
『なな』は、眠る黎映を青ノ鬼に引き渡した。
俺はいつ綾人の演技が見破られるか、少々恐ろしい。『綾女』の下手くそな裏声では……いつボロが出てもおかしくないから。青ノ鬼はそんな俺の視線の先に気づいたようだ。
「『綾女』の事なら心配するな。適当なタイミングで、この『酔っ払い』を使って呼び戻すから」
「ちなみに一体どうやって? 」
「『酔っ払い』に『美峰』が襲われた振りをしてやれば、『綾女』は特急で帰ってくるさ」
早くしなければ、冤罪が発生してしまう……! 綾人を救う代わりに黎映を犠牲にすることは、何としても避けねばならない。
「それは本当に最終手段だ。『綾女』のボロが出ない内に『若葉色の花嫁』に接触する。行きましょう、『なな』」
「ええ、『雪』。宴の主演を、彼ら二人が演じている間に……」
舞台裏だからこそ、見せてくれる顔があるはずだ。新たな一幕が上がる前に、俺達はひっそりと上座へ歩み出した。




