第百五十四話 頭蓋骨を抱く
血肉を犯して喰らい、快楽と暴虐の限りを尽くすのは狂う程に爽快でやめられない。それが抱き心地の良い『女』であるなら、尚更。
『生力由来術式』を扱う現人神が現れた頃の、戦乱の時代は特に愉しかった。逆らう人を思う存分に喰らい尽くし、今は亡き原初の妖達と毎日のように『宴』を開いたものだ。
だが『現代』ではかつての如く、思うがままに血肉を喰らう訳にはいかない。面倒な事に、妖よりも圧倒的に人の方が飽和している。羽虫も多すぎると潰すのに厄介だ。日々進化していく、人の技術も侮れない。
おかげで退屈な『隠世 猫屋敷』に引き籠もり、『魅了』で人を招く日々が続いている。億劫な招き猫だ。だが招いた女達は美しいし、その肉で満たしてくれる。たまに女を逃がしてしまうこともあるが。食欲も色欲も似たような物だし、他の女で満たされれば良いのだ。
代わり映えなく、ただ女を犯し喰らう日々が続くと思っていたが……。
「妾を娶ってくれないか?」
突然『猫屋敷』に現れたかと思えば、冷静に何を言い出すのか。この女は。
「どうした、『孔雀』。手下に、自分の隠世から追い出されでもしてきたのか? 」
冷静さを何とか装った俺は、同じ原初の妖である目の前の女を鑑賞する。
美しい女だと思う。絢爛な孔雀の尾羽が、視界すら華やかに奪う。鮮やかな紅の髪を簪で綺麗に纏め、彼岸花の花糸の睫毛を伏せた顏は繊細で気高い。きめ細やかな白真珠の肌と林檎飴のように潤う唇を見つめると、その魅力に触れてみたいと思うのに、異国風な香に燻る欲求が俺を苦く焦がす。翡翠の双眸に射抜かれるのが、恐ろしいから。
この女は美しくとも、喰えない。油断ならない妖という事もあるが、彼女を『魅了』しようと思うと脊髄から心臓へ鋭痛が走るようで酷く辛い。だから、この女は少々苦手だ。
「寧ろ、追い出してしまったのは妾だ。『隠世』を人に侵される程、妾の力が弱ってしまったから」
「馬鹿な事を。半不死の原初の妖が、『戦い』と『飢餓』以外で弱る物か」
他の原初の妖が現代まで生き残れなかった理由は、その二つだけだ。だからこそ、『魅了』で隠世に人を招ける俺は現代まで生きている。人の中で狩りが出来る『鴉』と『孔雀』も。
「あるのだ、三つ目の理由が。それは長い時を生き、特化した『異能』を持つ妖だからこその弊害。『全能』に近い『鴉』なら、そんな弊害には侵されないかもしれないが。……本当に妬ける」
「焦らさずに、ハッキリと言え」
「妾は……異能、『翡翠骨牌』に喰われかけている」
俺が止める間もなく、彼女は簡易な帯を解く。彼女は躊躇いに視線を逸らしながらも、本能を猟奇的に刺激する素肌を晒した。まだ娶ると了承していないのに、床入りには早過ぎないか?
「見えるか、妾を侵食する醜い肋骨が」
白真珠の肌が成す豊満な肉体よりも俺の鼓動を独占したのは、金と白磁の斑が忌まわしくも美しい翡翠の肋骨だった。柔く白い肉を侵食する硬質な骨に、彼女が激痛を訴えないのが不思議なくらいだ。
「何度も『翡翠骨牌』で、心を消そうとしたが出来なかった。妾を忘れているくせに、愛に狂う炎陽が女共への欲求の中に妾の面影を求めているのが愉しくも滑稽だったから。妖になり掛けだった炎陽の『魅了』で『確定』させられた『珠翠』の演目を降りられないせいで……妾はっ!身体も心も、 自由にならなくなった! 」
苦痛を浮かべ、激情を吐く珠翠の白い頬に赤みがさす。その頬に伝う涙に、脳髄に白い閃光が弾ける! 俺は珠翠の記憶ごと愛を知った!
「何故、今になって明かしたんだ……珠翠」
「……何度もほのめかしたさ。それでも忘れ続けていたのは炎陽だ。侵食する愛に殺される最期に、妾の醜い骸を炎陽に叩きつけてやりたかっただけだ。炎陽なぞ、屍姦で満足すればいい」
憎悪の混じった言葉とは裏腹に、潤んだ翡翠の双眸は俺だけを捉える。隠せない甘やかな熱情に溶かされそうだ。これほど清浄で生ける快楽を、俺は他に知らない。
「素直に俺を愛していると言えばいいのに。天邪鬼な女だ」
「五月蝿い、この不埒者が。責任をとってから、妾に焼香しろ」
忘却の枷からようやく解放された俺は望むままに、珠翠の腰を抱いて引き寄せた。彼女の頬を濡らす涙も、侵食する翡翠の肋骨も……。珠翠の心と身体を、俺が手に入れてしまったからこそ彼女を殺しかけている証だった。熟れた柘榴の肺が焼かれるように、甘ったるい息が重く苦しい。
「叶うならば、もっと早く娶らせて欲しかった」
「死の床の花嫁では、満たされないか? 」
「いいや。幻の華が咲く天上にいる心地だ。珠翠こそ、羅刹のような……この俺を選ぶのか」
「炎陽は悪鬼にしては美しすぎる。例え、地獄を孕んでも。妾は炎陽しか選べない」
俺を見つめる珠翠の双眸に、荒れ狂う緋色が不吉な業火のように照らされた気がしたが……その双眸に逆らう術をもたない俺は、腕に抱いた珠翠が齎す唇の甘さに陥落する。冷えぬように守り続けてきた己の体温を、抱き締めた珠翠へと捧げて。
口吸いの間。炎陽に白い腕を絡ませた珠翠が、『彼の瞳の緋色』を焼べた翡翠の双眸で私を射抜く。
――視ているか? 生者の小娘よ。
『これは、大団円では無い。穢れた愛が狂い咲く地獄へと……真の至宝を探しに堕ちて往け』
『過去夢』の役者を演じていた死者の珠翠は、林檎飴のように艷めく唇で妖しく弧を描いた。
―◆*_★【過去夢 展開 end 】★_*◆―




