第百十四話 宴は無礼講で
【午後八時十二分】
黎映 誠
癒刻時計塔 地下洞窟内部にて
《黎映視点》
深緋の炎が消えた洞窟内に、唸るように白息を吐いた誠に与えられたのは、払われた手のヒリヒリとした痛みだけじゃない。
私は誠の明確な拒絶ごと、払われた痛みを掻き消すように拳を握る。爪が食い込んだ掌は、新たな痛みを生み血が滲んだ。
大切な人に届かないのならば、こんな掌など約立たずだ。
込み上げる激情は喉を焼いて、私を叫ばせる!
「何故、人で在り続けるのを止めたのですか! 兄さんは人のままでも、強い意志を持っていた! 私は兄さんに帰ってきて欲しいだけなんです。 兄さんは……妖になる必要なんて無かった」
いつも私は強靭な意志を貫ける兄さんに導かれてばかりだったと気づき、小さく呟く。
不快に顔を顰めた誠は、意志薄弱な私へ苛立ちを吐き出すように怒鳴った!
「そろそろ、俺に理想を見るのは止めたらどうだ! 人の俺は、弱かった。俺は人になど、戻る気は無い。お前は妖を混じえた事で母に捨てられたのに、俺に人で在ることを望むのか? 」
苛立ちを唸るように抑える誠の問いは違和感となり、私の胸の内を不快に引っ掻く。その正体が分からず、ただ苛立ちは募る。
「私は望まぬ鬼の魔眼を埋め込まれたからこそ、純粋な人でも強い存在だった兄さんに戻ってきて欲しいだけです。人として生きる幸せを兄さんは選べたのに……何故わざわざ地獄へ赴くのですか」
「鬼の魔眼に適性があった、お前には分からないだろうな。才能の無い人間の苦悩など。『縛』の術式を再構築し、努力を重ねてきた。だが所詮……弱者たる人の身。鴉の前では、結局あのザマ。それならばいっそ、より強者の妖になる事の何がいけないと言うのだ! 」
再び誠は滅紫を貫く金の逆三日月の瞳孔を荒々しく見開き、両手を広げて滅紫の蛇を闇から顕現させる! 赫赫たる光の蛇は這いずりながら、誠の腕に現れた!
どうして、私の説得は兄さんには届かないのか。
光のある世界へ、共に戻りたいだけなのに。
語る度に、互いの世界はズレていく一方だ。
共に奈落に堕ちても構わないから、その手を再び取りたかった。代わりに闇から掬った絶望は、私から抵抗の意思を奪う。
顕現しようとした深緋の炎は、右目から僅かに零れた。頬をちり、と焼いた火花は、涙が乾いた時の引き攣れに似ていた。
その手を取れないのであれば……兄さんを殺す事など出来ない私には、これ以上出来る事など無いのではないか。
自嘲が僅かに唇を痙攣させた。
「……着いて来たからだ」
瞼を閉じようとする私に、誠の呟きが掠める。
気の所為かと、紛うような小さな言葉には、溜息のような優しさがあると思いたかった。
最期に瞬いた赫赫たる光と、滅紫の蛇が照り返す鱗の金色は、死の遣いの輝きだった。
同じ金の輝きでも、秋暁の空に輝く明星の様な、金の杏眼とは違う。千里からは、暖かな希望を感じるのに。
誠にとって、使い終わった道具にしか過ぎない私は……もう価値すら無い。
――だが唯の道具ならば……何故兄さんは、私に信念を語ったのだろう。
闇を弾いた一片の疑念が、私を開眼させたその時。
滅紫の蛇と 赫赫たる光の蛇は、突然、鮮やかな青い花嵐に掻き消された!
「本気かよ、ふざけんなあぁぁぁあああ!! 」
焦りの叫びが洞窟内に反響した!
私の悲愴な思いごとかっさらった声の主は、紺碧の軌跡を描き、誠と私の間を風のように過ぎ去る!
正確には投げ込まれ……え、重量投げのハンマーじゃなくて、綾人……?
「さあ、そのまま『攻撃』だ! 」
「出来るかっ……」
いつの間にやら、ガッツポーズで立っていた美峰に、ツッコんだ綾人は為す術なく岩壁に激突した!
そのまま地面に叩きつけられ、うつ伏せになった綾人は痛みに呻く。彼は、紺碧の二つの角を顕現していた。
よくよく見れば……愉快そうに、袖で口元を隠して笑う美峰も、左目が青く爛々と輝き、青い二つの角が顕現していた。先程の声も、高い男のものだったような……幻聴なのか?
「お前らは、何者だ」
流石の誠も、動揺を隠すように顔を顰めた。
誠が滅紫を貫く金の逆三日月の双眸を美峰に向け、探るように細めた。
嘲笑を浮かべる美峰は、腕を組んでツンと答える。
「初めまして、伊月家兄弟。僕は青ノ鬼。君らの愚かさを正しに来たんだ」
やはり美峰の姿なのに、違う存在のようだ。
困惑し瞬く私に、青ノ鬼は黒と青の双眸を向けた。
「特に黎映。僕の一部を所持する君に、物申したくてね」
『一部』という言葉に、右目が痙攣する。痛みでは無い。
これは寧ろ、共鳴だ。
「貴方が、未来視の『鬼』ですか。……右目を取り戻しに来たのですね」
最悪なタイミングだ。何故、誠を説得出来る欠片が揃いかけた段階で、今まで私の前に姿を見せなかった、魔眼の主が現れたのか。
美峰と綾人が擬似妖力術式の家門の若手なんて、真っ赤な嘘だった。彼らは、もっと深淵から来たる妖力を秘めている。
千里と再会した時から未来視を持つ別な存在が、残り香のように関わっていたのは知っていた。
千里が、それを隠しているのも。
だが明かされたのは、一生避けたかった天敵だった。
しかも、身近な人の内に眠っていただなんて。
私の焦燥とは真逆に、青ノ鬼は美峰の顏で微笑する。会ったばかりとは言え、美峰が心根の優しい少女である事は、私に躊躇いを与える。
「半分正解。だけど、今更右目なんて要らない。妖と人を混ぜた存在となった僕は、妖と人の割合が繊細なんだ」
青ノ鬼は驚愕の事実を口にした。
ならば、尚更分からない。
私に対し、何を告げたいと言うのだろう。
「貴方は……」
私が青ノ鬼に疑問を問おうとした時、 赫赫たる光の蛇と滅紫の蛇達が威嚇した!
異音に振り向いた私と青ノ鬼へと、鎌首をもたげた毒蛇達は津波のように唸りをあげて襲い来る!
じわりと滲む焦りは、私を叱咤する。だが、一瞬で氷漬けになったように身体は動かない。
「ざけんなっ、黎映の馬鹿兄貴が! 」
綾人の怒号は、私の硬直を解いた!
氷雨のように降り注いだ紺碧の百矢は、洞窟内の毒の瘴気を一掃し、蛇の尾先も逃さず貫く!
誠は苦々しく舌打ちし、岩壁を背に立ち上がった綾人を、初めて意に介す。
「初顔合わせだと言うのに、礼儀がなっていないな!」
「第一印象は既に最悪なんでね! 黎映と御先祖様を殺そうとする馬鹿兄貴に、敬意を払う必要なんか無い! 」
紺碧の双眸を燃やした綾人は弓の照準器を、誠へ向けた!
不快さに、爛々と逆三日月が宿る滅紫の瞳を細めた誠は、闇に澱んだ地底を這わせるような声音で吐き捨てる!
「塵芥の分際で、私に楯突くのか……! 」
「ああ、今宵は無礼講だ! その根性すり減らして、針の筵にしてやるよ! 」
綾人が顕現した紺碧の勁風と、誠が蘇らせた滅紫の蛇達と赫赫たる光の蛇は、氷雨のように降り注ぐ紺碧の百矢の中、洞窟内を激震させた!
「兄さん、 綾人っ! 戦うのは止めてください! 」
地震のような衝撃波の中、我に返った私は叫ぶ!
しかし、戦いの嵐と化した二人には届かない……!
「良いぞ、綾人! 宴の肴になるがいい! 」
私と兄さんの戦いにより抉れて突き出た大岩で、優雅に腰掛ける青ノ鬼は茶化すように両袖を広げた!
青ノ鬼は一体何を考えているのか! このままでは、二人とも無益に命をすり減らすだけだ!
「貴方は、二人を殺す気なんですか!? 早く止めてください!! 」
肌を逆立てる苛立ちのまま振り向いた私に、青ノ鬼は嘲笑を向ける。
「まさか。僕の子孫である綾人をみすみす死なせる訳がない。お前の兄も、無駄死には名が廃るだろ? 」
だが青ノ鬼は戦いを止めるつもりは無いらしく、動こうとはしない。結局、どちらかが死ぬ寸前になるまで、観劇を続けるつもりなのだ。
「貴方とは、話になりません」
「まあ、待て。お前も、兄の本当の気持ちを知りたいのではないか? 」
深緋の炎を右目から顕現させようとすると、私が向けた背に青ノ鬼は予期せぬ言葉を放つ。
振り向かせられた私は、少女の顏で得意げな笑みを深めた青ノ鬼に、まんまとしてやられた事を自覚したのだった。
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