第百九話 秘められた対価
【午後八時】
千里 智太郎 黒曜 青ノ鬼
癒刻時計塔前 雪原にて
《千里視点》
血の気が引いた私が振り向くと、瑠璃色の長着と胡粉色の袴を着た美峰の姿で手を後ろに組み、意地悪な笑みを小さな唇に滲ませる青ノ鬼が居た。その右目は美峰の黒い棗型の瞳のままだが、青く爛々と輝く左目は円やかで無く、妖の細い瞳孔を宿している。その額には青く輝く二本の角を顕現させている。
「貴方は……何処まで知っていたの」
黒曜の過去夢の中で、まだ鬼として純粋な妖だった頃の青ノ鬼は原初の妖の存在を知っていた。生力の視界を持つ私が原初の妖に転ずる可能性を、青ノ鬼は何故私に告げなかったのか。だが、青ノ鬼が私に向ける微笑は変わらない。
「君がどんな決断を下し、人であろうが妖になろうが、己穂であり千里である君自身である事には変わらない。それより、いいの? このままじゃ、智太郎は死ぬ。 相手は半不死の原初の妖だよ? 今は良くても、鴉が本気になれば……簡単だろうね」
青ノ鬼の怪しげな微笑と共に告げられた言葉により、貫かれた私の心臓は鋭痛と共に重く鼓動する。背後から再び訪れた衝撃波で私の鶯色の髪は寒風に引かれた。雪原に向き直ると、黒曜の黒い焔の刃から放たれた一閃を、智太郎が花緑青の陽炎を纏わせた鉤爪で受けていた! 黒曜が秀眉を寄せ躊躇うのは……智太郎が雪の生まれ変わりだからだろう。それでも智太郎の表情は険しい。妖力を化したはずの智太郎の鉤爪に、嫌な音と共に罅が入る!
「智太郎……! 」
己穂の刀を手にしている事に気が付き、金の稲妻を放とうとするも……この刀を扱い始めたばかりの私には、ぶつかり合う二人を傷つける事無く、稲妻を放つ制御力など無い事に気がつく。 焦る心では尚更だ。
「君に智太郎と共に答えを出す時間をあげるよ。……まあその顔なら、もう答えは殆ど決まっているだろうけど。君の望みは叶えてあげる」
「……どうすればいいの」
智太郎をすぐに助けに行かずに、わざわざ私の所に青ノ鬼が来た理由は一つしか無い。青ノ鬼は私に対価を払わせようとしているのだ。だが不安を呼ぶ最悪の憶測に反し、青ノ鬼は柔らかな微笑を浮かべる。
「簡単な事だよ。僕は己穂の生まれ変わりである君に、約束の対価を取り立てる必要があったんだ。その対価を僕に支払ってくれるだけでいい。……僕の望みをここで告げるのは無粋だ」
人でもあるが古い妖でもある青ノ鬼が、私にどんな対価を望むのか分からない。だが、己穂との約束を考えれば……軽い対価では済まされないのは安易に想像がついた。それでも今の私には、選択肢なんて無かった。
「分かった……貴方の望みは叶える。だからお願い……智太郎を助けて! 」
私の想いを込めた叫びにより、青ノ鬼はこれから成す行動とは裏腹に禍々しい笑みで、少女の顏を染め上げた!
「鴉も殺したりしないから、安心するがいい! ……綾人!! 」
「呼ぶのがおせーよ、御先祖様! 」
冠雪を被る杉林から紺碧の勁風を纏わせて現れた綾人に、私は驚愕し瞠目した。
双眸を紺碧に燃やした綾人の額には、紺碧の二つの角が顕現している。綾人が構えた紺碧の妖力を纏う弓の照準器から、鉄紺色の正絹の夜空に浮かぶ金剛石の星を撃ち落とすかのように、紺碧の矢が放たれる!
綾人が放ったのは一本の矢のはずだが、まるで紺碧の雨のような百矢が、智太郎と黒曜に降り注ぐ!
だが紺碧の百矢は、智太郎も黒曜も傷つける事無く、彼らを撹乱し距離を作らせた。私は、綾人の矢の制御力に目を見張る。
「智太郎! お前は綾人と共に千里の元へ行くがいい! 鴉とは、僕が遊んでやる 」
綾人が作り出した隙に、智太郎と鴉の間へ青ノ鬼が一瞬で現れていた! 青い花吹雪が粉雪と共に、疾走の形跡のように散る。
「青ノ鬼……千里の元へ向かう俺を足止めしておいて、何のつもりだ! 」
眉を顰めた智太郎の言葉に、言葉を無くした私は青ノ鬼を凝視した。青ノ鬼は悪戯な微笑を私に返すばかりだ。だから智太郎は、私の元へ刻限に着けなかったのか。だが黒曜の過去夢を視る為には、確かに必要な時間だった……と苦い物が胸に燻る。青ノ鬼は、知っているはずの私の心情を智太郎に告げる事無く、言葉を返す。
「僕は何時だって己穂との約束の為に動いているだけ。唯、智太郎と鴉には辟易としているけどね」
「……何故鴉の邪魔をする、青ノ鬼」
端麗な顏を顰めた黒曜の猛々しい心情を現すかのように、刀に纏わせた黒い焔が唸りを上げて燃え盛る。青ノ鬼は恐れるどころか、黒曜へ向ける黒と青の双眸を冷え冷えとさせる。
「特に鴉の逡巡に呆れているからさ。かつての鬼と決別してまで選んだ己穂との道の結果が、今の鴉か? 全く、お笑い草だよ。何も学んじゃいない」
「己穂との約束が導いた、私の道が間違っていると言うのか……! 」
「同じ約束を己穂と交わした僕だから断言出来る。……鴉は間違っている」
青ノ鬼の纏う青い花吹雪の嵐と、黒曜の黒い焔の業火が、唸りを上げて大地を激震させる! 古の妖同士の戦いは、流石に命の危機すら覚える程に身の毛がよだつ。
新たな戦いの火蓋を切った青ノ鬼と黒曜を、呆然と見つめる私は……こんな時だと言うのに、投げられた雪玉に気づいてしまう。その雪玉は、先程私が感心した素晴らしい制御力で……智太郎の後頭部を直撃する!
「……ってぇ……」
固く丸められた雪玉は何気に破壊力があったらしい。妖化しているというのに、白銀の耳を伏せた智太郎は後頭部を押さえる。振り返った智太郎は、冠雪を被る杉林から雪玉を投げた人物を、燃え上がる柘榴石の双眸で睨む。その人物は新たな敵……では無く、紺碧の妖力を顕現しているくせに、小さく身を縮こませて、必死の形相で手招きする綾人であった。
「何してんの、智太郎! 御先祖様が鴉と戦っている今のうちに、早く千里とこっちに来て! 」
「……言われなくとも、今すぐ綾人ごと杉を切り裂いてやる」
戦いの余波残る智太郎は、冷気漂う微笑を滲ませ、割と本気で綾人に疾走を開始した!
「ええ!? 一体何故……ちょ、千里!! そこで見てないで、智太郎を止めて!! 」
「ごめん綾人……私には、今の智太郎は止められない……」
悲鳴を上げて立ち上がった綾人は、紺碧の妖力を纏ったまま、こちらも本気の疾走を開始する!
背後に広がる雪原から、今も命危ぶまれる程の衝撃波が放たれて、私達の足を止めるというのに……繰り広げられる何時も通りの展開に、私は青ノ鬼では無いが、辟易と苦笑した。
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