第百一話 明星の瞳
黒曜 過去夢展開あり
己穂の約束を果たす為、私はまず妖の狩人達の力を取り戻す必要があった。人に、自らを守る手段が無くては……強者である妖と対話する事は出来ないだろう。私は生き残った狩人達の前に、己穂の姿で現れた。妖狩人達にはまだ己穂が必要だったからだ。『現人神』として、妖狩人を纏めなくてはいけない。
金木犀の木の下で始まった妖狩人達との対話は、やがて、人に害なした場合のみ妖を狩る事が許される、『桂花宮家』という妖狩人達の総本山になった。私は妖の長であり、己穂の姿を借りた桂花宮家初代当主として、妖狩人の長となったのだ。
生力由来術式だけでは無く、擬似妖力由来術式という対抗手段も手に入れた人間達は妖と同等の力を得たと言えるだろう。しかし擬似妖力由来術式は、術式の一部として血肉を削られる妖達にとって忌まわしい手段であり、私には受け入れ難い。しかし純粋に否定出来ない理由がある。
擬似妖力由来術式の家門の筆頭である、伊月家にその理由がある。妖である大蛇と、伊月家初代当主である伊月永進が手を取り合い、望んだ妖達を眠りへ誘う旅路を歩んだからだ。永い時を生きる故に、大切な人との別れという悲しみに呪縛される妖にとって、眠りは一つの救いの形になった。
しかし……用いられた『縛』の術式は、時が経つにつれ、人に力への欲望を与えてしまった。妖達を救う為では無く、自らの強欲の為に妖達を捕えて術式を扱い始めたのだ。
私の内で瞋恚の焔の心臓は、憎悪で人を灰に変えよと鼓動する。狩られるべきは妖では無く、狩人達なのだと。伊月家には何れ制裁を下さねばならない……。
だが、己穂との約束を破ってしまえば、過去の悲劇が繰り返されるだけだ。再び戦を引き起こしてはならない。己穂が、その生命をもって果たしてくれた願いを葬る訳にはいかないのだから。
『人と妖が愛し合い、血肉を奪わなくても生きられたら……良かった』
己穂の言葉は涙と共に、妖と人を改変していた。彼女の祈りは、無意識に妖達に生力を得られる第二の手段を与えてくれていた。
――愛する人からならば、血肉を得ずとも妖は生力を得られるようになったのだ。
憎悪と愛の狭間……妖と人の狭間であった己穂は妖と人の運命を改変する力を手に入れていた。明確な自覚は無かったはずだ。己穂に自覚があったのならば……妖と人の運命を激変させていただろうから。
青ノ鬼として再会した鬼も、己穂の力により二つ巴の魂の存在になっていた。青ノ鬼は己穂との約束を果たすべく時を渡る事を選び、己穂の眷属になった。しかし青ノ鬼も、己穂のように妖と人を改変する力は得ていなかった。過去夢を私に託し、代わりに眠りという救いを与えた、青ノ鬼の末裔である雨有。原初の妖、『猫』の血を継ぐ半妖故に、桂花宮家に囚われる運命を選んだ、埜上 咲雪。半妖である彼らも、青ノ鬼と同じく妖と人を改変する力は無かった。
妖と人の運命を変える力は、やはり生力の視界を持つ人間が憎悪と愛の狭間……原初の妖と人の狭間に立つ事で得られる力のようだ。
私は妖と人の運命を変える力を持つ人間を探し、己穂との約束を果たさねばならない。私は生力の視界を持つ人間を探したが、己穂と出会った時代ですら彼女しかいなかった存在は、簡単には見つからなかった。更に時は流れ、この世にはもう存在しないのかもしれないと、焦りが募る。だが、私は一番受け入れ難い形で、生力の視界を持つ存在と出会う事になったのだ。
再興した妖狩人達の総本山である桂花宮家には、鳥である鴉の姿になって度々様子を見に訪れていた。淡黄色の花が咲き誇る金木犀の木へ、空から降り立った私は止まる。金木犀の甘い芳香に、肺を深く満たされた。淡黄色の花弁は、己穂が纏う金色を自然と思い出させた。
己穂との戦いから、長い時が過ぎた。彼女の最期を私と共に看取った金木犀は、樹齢千年を超えているだろうか。己穂と私の約束の終焉も、きっと見守ってくれるはずだ。
金木犀の花の隙間……桂花宮家の屋敷を見下ろすと、幼子が眠っていた。当主である桂花宮翔星の娘だろう。四歳程だろうか。以前桂花宮家の様子を見に来た時は、まだ母である桂花宮秋陽の腹の中で、生まれてすらいなかったというのに、月日は早いものだ。
鶯色の髪は母譲りなのだろう……と見つめていると、幼い彼女は目を覚ます。鶯色の繊細な睫毛が震え、開かれた瞳の輝きに、私は全てを奪われたように息が止まった。頬を撫でるように柔らかな風が暁光に染まる全てを靡かせた、己穂との最期の記憶さえ鮮やかに舞い戻り、私を支配する。
秋暁に輝く明星の様な瞳は、己穂と同じ金色。ただし己穂とは異なる、やや垂れ目の優しい杏眼は彼女の雰囲気を良く呈していた。箱庭の中で怯えた小鳥のような雰囲気を持つ彼女は、凛とした意思を貫いてきた己穂とは真逆の印象を与えた。だが、生まれ変わりの存在など信じた事が無い私でも、不思議と目の前の彼女は己穂なんだと思わずにはいられない。己穂の血族である桂花宮家でも、今まで己穂と同じ金の瞳の存在は居なかったからだ。
「那桜……? 」
彼女が縋るような声で口にしたのは、母である秋陽の名では無い。眼を擦り、周りを見渡した彼女は探し人が居ないことに気がついた。茫洋と瞬く小さな彼女が瞼を閉じて、妖力を纏う私を捉えた事で、既視感は確信に変わる。
彼女は、生力を視る力を持っている……!
私が長い時の間、探し求めていた存在が、今まさに目の前に居た。妖力を纏う私は闇色に見えているはず。だが、己穂は生まれ変わっても、人々を救う生力の視界と、憎悪と共に妖となる運命を与えられてしまった……。来世ですら逃れられない運命に、私は神を呪いたくなる。
「そこに居るのは、誰? 」
彼女には、私が妖だと既に知られている。私は己穂の生まれ変わりである少女の前に、鳥である鴉の姿を解き、舞い降りる。
――秋暁に輝く明星の瞳は、漆黒の翼を映した。
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