青い日影のあるところ
刺激的な書き出しで飾れるほど僕たちの青春は煌びやかでないし、それでいいのだと思っている。
友達がいないわけではないけれど、クラス内の僕は影が薄い存在で、教室は何となく居心地の悪い場所だった。僕の周りにはいつだって、融けない氷の幕がある。
二年生に進級して間もない四月の昼下がり、僕はその場所を見つけた。
昼休みになると、立ち入り禁止の屋上の鍵が開く。
立ち入り禁止のはずなのに、そこには一本の青いベンチがあって、初めて訪れたときも彼女はそこに座っていた。
「私ね、先輩がくれた合鍵を持ってるの」
辻井さんは屋上の主を名乗り、僕はそこにお邪魔させてもらう形となった。フェンス際のベンチに招かれて、招かれるがままに腰を下ろす。
存外彼女はひどいやつで、初めて言葉を交わす相手に面白い話をするよう要求してきた。
「なんで僕がそんな無茶振りされないといけないの?」
彼女は不敵に笑った。
「チャージ料だよ。大人になったら何度も支払うんだから、その予行演習ってやつ」
「……そう」
僕は大人しく考えるフリをして、目で山の稜線をなぞっていた。
やがて騙されたのに気づいた彼女は深い溜め息をつき、ついでにフワァと大きな欠伸をした。
「ねえ、お昼ごはん持ってないの?」
「うん、持ってない」
「なんで?」
「……購買のパン持って廊下をうろつくのを誰かに見られたくないから」
面倒なので素直に答えて、彼女がどんな反応をするのか観察した。すると彼女は半分ばかり身を引いて、考え得る限り最低の反応をしてくれた。
「うわぁ、アンタってやっぱり寂しいやつなんだね。それに小心者だ」
遠慮のない評価を下されて僕の心は少なからず傷ついたのだが、そんなこと彼女は気にも留めない。表情の乏しい僕が悪いのか、彼女はさらに畳みかけて攻撃してくる。
「私なんてほら、お母さんが作ってくれた弁当がある。いいでしょ?」
「うん、羨ましいよ」
彼女は満足げに鼻の穴を膨らませると上機嫌で弁当箱の蓋をとり、僕のことなどそっちのけで昼食の時間に入った。
彼女は本当に嫌なやつなのだ。
* * * * *
昼休みを屋上で過ごすとき、彼女は決まって靴を脱いでいた。
靴をきちんと揃えてベンチの前に置き、白靴下を履いた足を曲げたり伸ばしたりしながら、隣にいる僕にぽつりぽつりと話しかける。靴下の裏は土色に染まっていた。
「そうやって靴を揃えて置くことに、なにか意味があるのだろうか」
僕は独り言をいうみたいに彼女に向けて質問した。
「うーん……、様式美ってやつかな。昔、こんなのを映画で見た気がする」
他に居場所もないので、晴れた日はだいたい屋上で時間を潰すようにしている。
僕が行くと、彼女も必ず来ている。だから鍵の心配はしたことがなかった。
青いベンチに腰かけて、モニュメントみたいにぼんやり空を眺めている。文庫本を読んでいる日もあるけど、ぼんやりと中空を見ているときの彼女は優しい笑顔を浮かべている。
その日から、彼女の弁当箱の中身がやけに茶色くなった。
「おい、清水」と、ぶっきら棒な声がした。
「Beef or Checken?」
「は? 何か言った?」
僕は首を捻った。
「これぐらいの英語、高校生ならわかるだろ」
「ごめん、意図がわからないし、それにチキンの発音が怪しかったよ」
「アンタなんかに指摘されたくない。……んで、どっちにするの?」
茶色い弁当には確かに牛肉と鶏肉が入っている。どちらも焼き肉のタレで炒めただけに見えるけど、シンプルだからこそ食欲がそそられる。
「これ、どっちか貰っていいの?」
「さっきからそう言ってるでしょ」
「じゃあ、ビーフで」
「わかった。割り箸あげるから手を出して」
言われた通りに右手を差しだすと、手のひらに茶色い塊が落とされた。彼女は牛肉をこんもり盛り付けると、さらに白飯まで積もうとしてくる。
「男子なんだから、ほれ、メシも食え」
肉の山が崩れかけたので慌てて左手も差しだした。
「ありがとうって言ったら負けのような気がするよ」
僕は床に落ちたかのように見てくれが悪い焼肉丼に食らいつき、彼女は獣みたいな僕を見物してケラケラ笑った。
* * * * *
来週から梅雨入りするだろうと天気予報で発表された。
今日も空はぽっかりと抜けるような青色で、隣の彼女は靴をきちんと揃えている。
「こんな日は、生きてるって感じだねえ」
大きく伸びをして、彼女は高い空を仰いだ。
作中では鶏肉の英訳を"Checken"としていますが、正しくは"Chicken"です。
書くのに苦戦しましたが、拙作にお付き合い下さりありがとうございました!