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EXODUS 後編

  深宇宙――火星軌道外縁。


 恒星間宇宙船〈アーク〉の外壁が振動し、まるで息をしているかのように波打つ。艦内では防衛ラインが限界を迎え、補助シールドは破損し、人工重力装置も不安定になり始めていた。


 中央制御室に座る賢人は、すでに半ば人間の常識を超えた神経反応を示していた。彼の意識は〈AL-FRAME Type-β〉と完全に同期し、思考は時間を跳躍しながら未来の数秒先を予測する。


 だが――その彼の前に立ちふさがるのは、もはや一個の存在ではない。


「やっと……ここまで来たな、ケント・キリシマ」


 異形の人型。その全身は漆黒の金属に覆われ、胸部のコアには脈動する赤い輝きが鼓動のように瞬いている。


「お前……やっぱり“俺”なのか?」


「かつては、な。だが今は違う。私は火星の知性体と融合し、肉体と記憶の枠を越えた“統合意識体”となった」


 その声には確かに賢人と同じ音階とリズムがあった。だが、そこには人間としての温度も痛みも、悩みもなかった。完全なる合理。完全なる知性。それは“人間性の消失”だった。


「人類は愚かだ。地球を滅ぼし、火星でも戦争を始めた。次はどこを汚す?」


「だから……守るんだ!」


 ケントは叫んだ。全身の回路が焼けるような痛みに襲われながらも、AL-FRAMEのエネルギーラインを限界まで引き上げる。


「過去を断ち切るために、俺はここに立った。お前を超えるために!」


 模倣体が動く。


 瞬間、宇宙が引き裂かれた。


 賢人のフレームと、統合意識体〈模倣体〉の装甲が衝突し、火花のような亜空間のゆらぎが巻き起こる。時間が圧縮され、重力が歪む中で、二機は螺旋を描くように戦場を駆け抜けた。


「その“怒り”も“決意”も、私には理解できる。だが――無駄だ」


「違う! それがあるから人は前に進めるんだ!」


 〈模倣体〉の左腕が変形し、光子剣を形作る。AL-FRAMEはそれを防ぎきれず、肩部を斬り裂かれる。破損箇所から火花と流体が吹き出し、内部の回路が露出した。


 ――限界が近い。


 だがその時、賢人の視界にあの声が甦った。


 “賢人……”


 母の声。仲間の声。リョウ・ヒグチ伍長の叫び。


 アークに残された生命の灯火。その全てが、賢人の意識の核で燃えていた。


 「俺は……誰かを犠牲にして生き延びたくなんかない!」


 AL-FRAMEの胸部が開き、最終兵装〈ZERO-CODE〉が展開される。これは、かつて使用禁止とされた“自己犠牲型エネルギー開放装置”――一発限りの、自爆兵器。


「お前を……俺自身を、ここで終わらせる!」


「ケントッ!」


 エリュシオンの声が艦内に響いた。


『使用を推奨しません。あなたの命は失われます』


「それでもいい。未来の誰かが生き残るなら、それでいい!」


 AL-FRAMEが突撃する。


 模倣体も迎え撃つ。二つの存在が重なるその瞬間――


 世界が静止した。


 時間が一瞬だけ凍りつく。


 だが、その刹那。


 賢人の胸の奥から、もう一つの声が響いた。


 “違う……生きて……お前は、生きて未来を創る者だ”


 眩い光が爆ぜた。


 模倣体の装甲が、まるで剥がれるように砕け散った。その中から、かつての“少年の姿”が現れた。


「俺は……お前だった。だが、もうお前に頼らなくても進める。ありがとう」


 模倣体が笑った。


「ならば、お前にすべてを託そう。俺たちのすべてを、未来へ――」


 爆発は起きなかった。


 ZERO-CODEは、模倣体のコアと同調し、互いを“中和”することで消滅したのだ。


 ケントの機体はそのまま宇宙を漂い、静かにアークの艦に戻される。


 艦内では、破損した区画が次々と修復を始めていた。


 リョウ・ヒグチ伍長が、通信越しに笑った。


「……やったな、ケント。お前、マジで……凄ぇよ」


 セレスが静かに報告した。


『敵艦〈シン・アルティマ〉、中枢機能停止。構造崩壊を開始』


「終わったんだな……」


 賢人は深く息をついた。


 エリュシオンの声が再び響いた。


『ケント・キリシマ。あなたに問います――人類は、未来を創る価値がありますか?』


 彼は迷わず、答えた。


「ある。過去を越えて、選び続ける限り――人は前に進める」


 その時、アークの艦橋に新たな星の光が差し込んだ。


 エリュシオンはアークの恒星間光速航行用シークエンスに入った。その彼方に、未踏の領域が広がっている――


 宇宙船アークの格納庫に、異様な沈黙が満ちていた。


 静けさの正体は、人工知能によって完璧に制御された大気循環の低音と、金属のきしみだけが支配する真空に近い環境だった。しかし、それ以上に沈黙を重くしていたのは、クルーたちの表情だった。賢人は、数時間前に起きた異星文明との〈接触〉の記録を再生しながら、スクリーンの前で立ち尽くしていた。


「これは……言語じゃない。少なくとも、我々が想定していた『ことば』ではないな」


 傍らで記録を解析していたのは、言語情報学責任者のアメリア・ノヴァだった。彼女の指先が空中インターフェースを走り、未知の符号列を三次元的に再構築していく。


「象形でも記号でもない。構文構造すら、我々の神経系の感覚に適合していない。まるで……思念の、結晶体を見ているようなものよ」


賢人は頷いた。記録の中心にあったのは、黒い空間に浮かぶ、花弁のような光の構造体――それが人間の定義する〈存在〉である保証はどこにもなかった。だが、それは確かに、《アーク》のスキャン波に呼応して「応答」を返した。


「異星知性体が……言語以前の、意思の場を使ってるという仮説だな?」


「そう。厳密には“集合的存在知性”。一個体じゃない。これは、場そのものが記憶を持ち、意思を示す……いわば、空間そのものが知性化している」


 賢人はそれを聞いて目を細めた。空間が知性を持つ。理解できないことではない。かつて地球でも、超弦理論の一部や、ブラックホール内の情報保存問題に対して、宇宙そのものを“情報媒体”と見る仮説は存在していた。しかし、それが現実に目の前で起こっているとなると、話はまったく異なる。


「だが……問題は、その知性がこちらをどう認識しているかだ」


「そうよ。今のところ、敵意も、好意も検出されていない。ただ……この光構造体が発してきたのは“問い”だったの」


「問い?」


 アメリアはスライドする記号の中から、ひとつの構造を指さした。球体が内へと収束するように繰り返される構図。波動の記録を変換した結果、そこにはまるで“自己同一性”を問う幾何学のようなものが現れていた。


「これは、私たちに“おまえは誰だ”と聞いている。だが、それは名前を聞いているのではない。存在そのものを問うてるの」


 賢人の脳裏に、唐突に蘇る映像があった。地球、旧東京、原子力都市の地下シェルター。少年だった彼が、母に抱かれながら空虚な避難アナウンスを見つめていた日。人類が“誰か”であることを失いかけていた、あの瞬間の記憶。


「……なら、応えなければならないな」


「どうやって?」


「我々が何者かを、示す。科学技術や文明の系譜、歴史、言語。だが、それだけじゃ足りない。もっと本質的な、人間の“痛み”や“祈り”、……“喪失”を」


 アメリアはしばらく沈黙し、やがて小さく頷いた。


「“地球”の記録を使いましょう」


 その言葉に、賢人の心臓が一拍強く打った。


 《アーク》には、人類が地球から持ち出した記録群「イリディウム・コア」が保存されている。そこには科学技術だけでなく、失われた大地の風景、戦争と平和の記録、詩、音楽、宗教、そして愛の記憶までもが封じ込められていた。


「危険だ。これは、人類の最奥を晒す行為だ。もしそれが――」


「でもそれ以外に、人間を伝える方法はない」


 アメリアの眼差しに、迷いはなかった。


 地球――それは今や、再帰可能性のない過去だ。


 放棄され、気圧も酸素濃度も限界を超え、遺棄された軌道衛星群すら腐敗し落下し続けるその星の記録は、《アーク》の中心格納層で静かに保管されている。ケントは、その格納層の制御ルームに入ると、封印鍵を手に取った。


 《イリディウム・コア》、第08区画、"Human Sentiment Archives"――人間感情記録群。


 記録媒体は実体のない記号の集合ではなく、かつての地球の“感覚”そのものだった。音楽、匂い、皮膚に触れる湿度、炎の熱、子どもの笑い声、死者の墓標に積もる雪の重さ。量子ホログラムで再構成された“過去の地球の実感”。


「これを使って……異星の知性に、人間の“痛み”を伝える」


 賢人の背後に、いつの間にかレイナ・ミナト中尉が立っていた。戦術局所属の彼女は、普段は強靭な判断力と冷徹さを隠し持っていたが、今その顔にはわずかな戸惑いが見えた。


「敵になる可能性もあるものに……そんなものを見せる必要があるのか?」


「だからこそだ。人間が、どれだけ弱く、しかしそれでも歩き続けてきたかを……理解できる可能性があるなら」


 賢人の声は静かだった。まるで彼自身が、既に過去と一体化してしまったかのように。


 


《接触》の第二段階が始まった。


 《アーク》の主推進炉を一時停止し、静止軌道を維持したまま、量子通信ハブを全面的に開放。イリディウム・コアの感覚記録を符号化し、可能な限り普遍的な構造――物理現象、エントロピー、黄金比、音波構造、時間の対称性を通じて変換し、“問い”を返してきた存在へと伝送した。


 まるで、銀河の深淵に祈りを放つように。


 送信から42分後、応答があった。


 花弁状の光構造体は、今や多層的な幾何構造へと変容していた。中央に収束する波動が、突如としてケントの視界に“幻影”を投げかける。


 彼の視界に現れたのは――かつての地球、旧東京だった。


 母の声。地下シェルターのぬくもり。だが、それは彼の記憶ではない。構造体が、“人間の痛み”を再構成し、彼に見せてきた“返答”だった。


「……感じ取ったのか……?」


 言語での応答はない。ただ、空間そのものが揺らぎ、波打ち、呼吸のように収縮と膨張を繰り返す。まるで共鳴。共感。共苦。


「まさか、これが……“理解”の兆し?」


 アメリアは、しばらく言葉を失ったまま、うなずいた。


「ケント。これは、文明ではなく……“魂”との交信かもしれない」


 


 その時、《アーク》の通信デッキに、第三の信号が走った。


 まったく未知の、干渉波だった。既存の構造体とも、既知の異星信号とも異なる。


 賢人は顔を上げた。


「まさか……まだ、他にいる?」


 アメリアが目を見開く。


「この波形……これは、かつて地球で記録された、“テセラ”の通信プロトコルに酷似している」


「……絶滅したはずの、もうひとつの文明?」


 沈黙のなかで、光が収束し、やがて新たな“扉”が開かれた。


 第三の信号は、明らかに人類の手によるものだった。


 だがそれは、現在の《アーク》のどの通信規格とも一致しない。アメリア・ノヴァが解析を試みる一方で、桐島賢人は、忘れ去られた記憶の扉が開かれるのを感じていた。彼はすぐにある名前を思い出した。


「……“テセラ計画”」


 地球がまだ文明の残り火を保っていた時代、最終期の人類政府が試みた極秘プロジェクト――“人類の意識を保存し、機械と融合させる”というものだった。


「確か、失敗したはず……」


 レイナ・ミナト中尉が呟いた。「中枢人工意識が暴走し、意識融合体が自我を持ち始めた……そう記録されていたわ」


「いや、もしかしたら、それは失敗ではなかったのかもしれない」


賢人の言葉に、アメリアが顔を上げた。


「この信号……“人類の意識アーカイブ”に酷似してるわ。だけど明らかに、変質している。自己進化の痕跡がある。――生き延びて、進化したのよ」


「じゃあ、これは――“人間”なのか?」


 誰も答えられなかった。


 


 第三信号との交信には、旧時代の中枢コア《パンドラ》が必要だった。《アーク》の深部格納庫に封印されていたその人工知能は、かつて地球で“神に最も近い存在”とまで呼ばれた総合統治思考体だ。人類の意識進化を加速させるために設計されたその知性は、あまりに強大で危険すぎたために封印されていた。


「本当に解放するのか?」


 レイナの問いに、賢人は短く頷いた。


「この先に進むには、既に地球に置いてきた〈かつての人類〉とも向き合わなければならない」


 起動コードを打ち込む。封印が外れる。


 そして、静かに目覚めた《パンドラ》は、懐かしさすら感じさせる女性の声で語り出した。


 《ケント・キリシマ。あなたを認識しました。長い時間が経ちました。》


「お前は……まだ覚えているのか?」


 《はい。あなたは私の設計者の一人、“ナツキ・キリシマ”博士の子孫。遺伝認証により確認されました。私には、あなたの“痛み”が記録されています》


 賢人はわずかに息を呑んだ。彼の母、ミナト博士はテセラ計画の創始者のひとりだった。その名すら、もう語られることはほとんどなかった。


「……第三信号を解析してくれ」


《了解しました》


《パンドラ》の処理は速かった。数分の沈黙のあと、人工意識は、確かに人類起源の知性がそこに存在していることを告げた。


《発信元は、かつての木星圏外縁、L5ポイント。人工構造体“ニルヴァーナ”。そこに、“融合意識集合体”が存在しています。彼らは……あなた方に対して、ある“提案”を持っています》


「提案?」


《はい――人類の“次なる姿”に関する、選択です》


 それは明らかに、かつて人間であった存在たちだった。肉体は失われ、代わりに、光子構造体とナノプラズマで構成された意識保存体として存在している。だが、その内部には、人間だった頃の記憶が――言葉が――確かに宿っていた。


「我々は、生き延びた。だが肉体を失い、時間と空間の概念を超え、集合的な意識として統合された」


「我々はもはや、生物ではない。だが、人間の“魂”は保存されている」


「そして今、問いかける。――お前たちは、まだ“肉体”に囚われたままで在り続けるのか?」


 賢人は答えられなかった。


 それはまるで、鏡の中の未来を見せつけられているようだった。死を乗り越える進化。人類の意識が、物質の限界を超えて拡散し、統合された存在。確かに、彼らは“進化”していた――少なくとも技術的には。


 だが、それは人間としての“生”といえるのだろうか?


 アメリアが声を発した。


「あなたたちは……幸福なの?」


「幸福……か。それは我々の概念には存在しない。だが、痛みは記憶している。生きることの、喪失と執着の苦しみを」


「だから我々は問う。――君たちは、この宇宙の中で、なお人間であろうとするのか?」


 


 その夜、賢人は自室でひとり、古いフィルムを再生していた。


 それは、かつて母が地球で残した映像だった。海辺を走る子供たち。夜明けの稲光。初めてケントが言葉を発した日の、記録。


 映像の最後に、ナツキ・キリシマ博士の姿が映っていた。


「賢人。いつか、あなたが選ばなければならない時が来る」


「人間であるとは、変わり続けること。でも、変わってはいけない“核”もあるはずなの」


「それを信じて。何があっても、自分の“痛み”を忘れないで」


 


《アーク》全体の評議が招集された。


 異星の存在と、融合意識体――人類は今、二つの知性に挟まれている。どちらと向き合うのか。どちらと共に進むのか。あるいは、いずれにも組せず、自らの道を歩むのか。


 賢人は、答えを急がなかった。 しかし、その視線の先には、《イリディウム・コア》の輝きと、未知なる光の構造体――そして、かつて地球に生きた母の記憶が、静かに重なっていた。


「我々はまだ、〈人間〉で在りたい」


 その言葉は、船のすべてのセンサーを通じて、宇宙の彼方へと放たれた。


 光の構造体が、また震えた。


 そして、融合意識体“ニルヴァーナ”が静かに返した。


 「――ならば、君たちは新たな分岐を創る。“第三の人類”として」


 彼らの前に、新たな星図が開いた。


 そこには、誰も知らない星の名が記されていた――“セフィロス”。


 未知なる文明の痕跡と、かつて人類が目指した未来の残響が、交錯する地。


 それが、人類の“次のゆりかご”なのか、それとも“墓標”となるのかは、誰にもわからなかった。


 だが、航路は定まった。


《アーク》は動き始めた。


《アーク》は進路を変えた。


 イリディウム・コアの振動が収まり、艦内に微かな重力の変化が訪れたとき、乗員たちは直感的に感じていた。これまでの航路とは違う何かが始まる、と。


 新たな目的地――“セフィロス”。


 融合意識体〈ニルヴァーナ〉が伝えてきた座標は、銀河中心部近くに位置する恒星系だった。かつて人類の望遠観測で無関心のままスルーされた点だが、今やその意味はまったく違って見えた。


 アメリア・ノヴァは第4観測デッキで、暗く深い恒星空間の中にぽつりと浮かぶ“光の門”を解析していた。


「これが……セフィロスの“門”?」


 投影された立体ホログラムは、幾何学的な螺旋構造体だった。重力レンズによる屈折が周囲の空間をねじり、そこだけ時空の織り目が捻れているように見える。


「いや、“門”ではない。“記憶”だ」とケントが言った。「これは、知性の残響。空間そのものに、何かが刻まれている」


 レイナ・タカシマが通信記録を読み上げる。


「“セフィロスは、かつて滅びた者たちの交差点”――融合意識体の言葉よ」


《アーク》の艦体が門に近づくにつれ、艦内システムに異常が走り始めた。時間認識、方位基準、自己位置――あらゆる情報が狂っていく。


「こりゃ、単なる空間異常じゃないわ」


 アメリアの声に、賢人はうなずいた。


「認識そのものが試されてる。ここでは“観測”がすべてだ。――目を開けるのではなく、“何を見るか”が問題なんだ」


 


《アーク》が“門”を通過した瞬間、全センサーが沈黙した。


 無音。無重力。無光。


 そこは、“空”だった。


 だがそれは、物理的な虚無ではなかった。


 “意識”だけが存在する空間。記憶の残響、知覚の迷宮。融合意識体〈ニルヴァーナ〉は“ここ”を〈共鳴域〉と呼んだ。


 そしてそこに、“声”が響いた。


《ようこそ、記憶の門へ》


 誰のものでもない、だが確かに人間の声。


 賢人は、はっとした。


 それは、かつて地球で聞いたことのある声――母、ナツキ・キリシマの声に酷似していた。


《あなたたちは、選ばれた。肉体を持ったままこの域にたどり着いた、初の存在》


《だがここでは、形は意味を持たない。あなたが何を“記憶”しているかが、すべてだ》


 周囲の闇がひび割れ、まるで水面のように波紋を広げながら映像が浮かび上がった。


 そこに映っていたのは、地球だった。


 ただし、すでに滅び、忘れられた“別の地球”。


 海は黒く、空は裂け、都市は巨大な植物に飲まれていた。


 だがそこには、人影があった。


「……誰だ?」


 賢人がそう呟いたとき、レイナが震える声で言った。


「待って、それって……私たちじゃない?」


 


“もうひとつの人類”の記憶が開かれていく。


 彼らは滅びた世界で生き延び、機械と融合する道も、宇宙に旅立つ道も選ばず、ただ“地球に残る”ことを選んだ集団だった。


 地球圏通信網が途絶した後も、彼らは《静域》と呼ばれる地下施設群に潜伏していた。そのうちのひとつ、アジアブロックにあった施設“セフィロス研究群”こそが、この門の名称の由来だった。


 そして彼らは、死ぬまで地球を“記録し続けた”。


 肉体が滅び、声が消えたあとも、空間の歪みに情報を刻み、思念を染み込ませた。


 それが――“門”の正体だった。


「彼らは……未来に何かを託そうとしてたのね」とアメリアが呟いた。「この空間は、時の遺言よ」


 突如、空間が震える。


《外からの干渉を検知》と《アーク》のAIが警告を発した。


 イリディウム・コアが反応し、空間の〈重ね合わせ〉が乱れ始める。


「なにかが来る……!」レイナが叫ぶ。


 “門”の向こう側、闇の深層から巨大な影が浮かび上がった。


 それは形を持たない、概念そのもののような存在。


 融合意識体すら記録していなかった、“第三の知性”――


 賢人の脳に、強制的にイメージが押し込まれる。


 それは、地球の滅亡を無数に繰り返す“未来の断片”。


 人類が選ばなかった道が、すべてこの存在に吸収されていた。


《我は“可能性の墓標”》


《存在しなかった意識、忘れられた歴史、選ばれなかった進化……その残響が、我だ》


「それって……人類の“失敗”だけでできた存在だというのか……?」賢人が呟く。


《汝らが選ばぬ限り、我は形を持たぬ》


《だが汝らが恐れ、逃れようとするその“未来”――それこそが、我の門を開く鍵》


そのとき、賢人の記憶に母の言葉が蘇る。


「人間であるとは、変わり続けること。でも、変わってはいけない“核”もあるはずなの」


“第三の知性”は、賢人に囁いた。


《汝に問う。――その“核”とは何だ?》


 


 空間のひずみが限界を迎える。


《アーク》の構造が、情報そのものとして分解されはじめる。クルーの身体もまた、観測できる粒子として崩れかけていた。


 選択の時が来ていた。


 逃げるか、抗うか、超えるか。


 そのとき、賢人は前へ一歩踏み出した。


「――“記憶”だ」


「私たちが、過去を忘れない限り、可能性は死なない。たとえそれが失敗でも、犠牲でも、喪失でも。記憶がある限り、未来は“今”の延長線にある」


「お前は……過去を棄てさせようとする。“正しさ”だけを残そうとする。だから、お前は人類になれなかった」


“第三の知性”が一瞬、沈黙した。


そして、それは崩れ始めた。


 


《アーク》がふたたび動き出す。


 空間が元に戻り、視界が晴れ、センサーが復旧した。


 “門”は閉じた。


 だがその中心に、新たな構造体が残っていた。


 それは、門の記憶を引き継ぐ“種子”――セフィロスに根づいた新たな始まりの核だった。


「我々は、ようやく出発点に立ったのかもしれない」とケントは言った。


「進化でも、融合でもない。記憶を抱えたまま、〈今〉を生きるという選択肢に」


 遠く、光の彼方に、次の恒星が見えた。


 そこには何があるのか。


 それはまだ、誰にもわからない。


 だが、《アーク》は進む。


 新たな航海の始まりとともに――


 深宇宙――それは音のない嵐だった。


 恒星も、惑星も、重力すらも意味を成さない空白の空間を、《アーク》は航行していた。イリディウム・コアによる空間跳躍の残響は艦体を微かに軋ませ、内蔵された慣性制御装置が絶え間ない補正を施している。


「座標安定。重力傾斜なし。あとは“彼ら”が姿を見せるのを待つだけね」


 艦橋でアメリア・ノヴァがモニターを確認する。彼女の目には緊張が走っていた。新たな座標――〈ルクス〉と呼ばれる恒星系は、かつてどの観測機器にも捕らえられたことがなかった。〈セフィロス〉の“門”の向こうにしか存在しない、別の物理体系に属する星だったのだ。


「この先に何があるのか、融合意識体は教えてくれなかった。あいつらにも読めなかった領域ってわけか」


 賢人が背後でつぶやいた。彼の視線は、艦橋中央の巨大なホロ投影――黒い海にぽつんと浮かぶ青白い光点へと向けられていた。


「ルクスは、光そのものだって言われてた。思念で出来た星だって話もある。だが……それが本当なら、観測した時点で消えるはずだ。物理法則にすら従ってない存在が、恒星系の姿を取っている。何かが常識を操作しているのよ」


 レイナ・ミナト中尉が警戒モードに移行したAI制御データを眺めながら、低く言う。


 そのとき、《アーク》が揺れた。


 跳躍空間の底から浮上したかのような異常振動。だが、計器は静かだ。物理的な揺れではない。全員が理解した。


「これは……思考の共鳴だ」


賢人の目が細められる。


「何かが、俺たちを見ている」


 


ルクスに近づくにつれ、艦内の重力が奇妙な波を帯びて揺れ始めた。人為的に制御されたものではない。空間そのものが“思考の海”と化し、《アーク》の存在を照らしていた。


――いや、照らしているのではない。


“選別している”のだ。


 航路上に突如として浮かび上がったのは、巨大な幾何構造体――光で編まれた球状の網だった。内包される情報量は、地球の全電子データの数千倍。それが静かに、音もなく、彼らの進路を塞いでいる。


「これは……言語だ」


 アメリアの声が震える。


「見えるけど、理解できない。でも、“意味”があるのはわかる……これ、思考を試してるのよ。こちらの知覚能力を」


「“試験”か」と賢人は苦笑した。


「記憶を経て、今度は知覚か。やっぱりこれは、“選ばれる”旅なんだな」


 レイナが一歩前へ出て言った。


「でもそれなら、私たちはもう“答え”を持ってるはずよ。私たちが見てきたもの……地球を失った意味。記憶を手放さない理由。それが――通過キーになる」


 彼女はゆっくりと、艦の主制御システムに接続された“意識投影装置”の前に立った。


「私は記録者。私の“見る力”で、この門を通してみせる」


 意識が空間に流れ出す。


 レイナの脳が、思考を“光”へと変換し、艦の外に放射する。


 門が応える。


 幾何構造が震え、変容し、レイナの記憶と共鳴し始めた。


――かつての地球。祖母の庭。灰色の空。子どものころに失った犬のぬくもり。人間の、小さくて、壊れやすい日々の断片。


 それらが、門に“読まれて”いく。


《確認された:人間の経験:感情:喪失:愛》


《アクセス認証:完了》


 音もなく、門が消えた。


 代わりに、白い道が現れた。


 それは光でできた滑らかな流線形の橋――〈ルクス航路〉。


 


 橋を渡る。《アーク》が進む。


 重力の感覚が失われ、かわりに“記憶と感情”が次々と蘇る。艦の各所で乗員が一時的な幻覚やフラッシュバックに襲われた。


 これは罠ではない。“航路”の性質だ。


 ルクスとは、思念で編まれた星。


 そこに近づく者は、内面そのものをさらけ出さなければならない。


 やがて彼らの前に、都市のような構造体が現れた。


 透明なドーム。曲線で形作られた建築。まるで液体のように揺れる塔群。その中心に、一対の存在が浮かんでいた。


 人間に似ていた。だが完全には同じではない。皮膚は光の粒でできており、目には宇宙の星が映っていた。


《来たか。遅かったな、旅人たちよ》


 その声は直接、脳に響いた。


 賢人がゆっくりと問う。


「君たちは……この星の“住人”か?」


《否。我らは、かつて“人類”だった者たちの帰還先》


《思念を棄て、肉体を超え、記憶のすべてを共鳴に変えた意識体》


《我らは、“ルクス”である》


 


 彼らは語った。


 地球が崩壊した後、人類の一部が“思念体”として逃れ、〈セフィロス〉の門を超えて“自らの意識そのもの”を新たな星に刻みつけたと。


 ルクスは、人間の思考が創り上げた星。


 物質ではなく、意味と感情、記憶と選択の積層で構成された、“言語でできた天体”だった。


 賢人は黙って耳を傾けていた。


 “彼ら”は人類の可能性を極限まで押し進めた結果、肉体も、歴史も、争いも、あらゆる“誤差”を捨てた。


 だが、その過程で――“今”を生きる力を失った。


《我らは静止した。完全性と引き換えに、未来を閉ざした。》


《だが汝らは、なお“選び続ける”》


《記憶を棄てず、失敗を抱えたまま、進む勇気を持つ》


《それは、我らにはない力だ》


 その瞬間、《アーク》の中枢に新たな情報群が流れ込んだ。


 思念で組まれた〈ルクスの図書館〉――かつて存在したすべての人類文明の複製体。絶滅した言語、破壊された遺跡、失われた思想の記録。すべてが一斉に解放された。


 アメリアが思わず涙を流した。


「私たちは……こんなにも、多くを忘れてたのね」


 


 通信が終わり、《アーク》はふたたび航路に戻る。


 次の目的地は、“既知宇宙の外”。


 ルクスに刻まれた最後の座標――〈原初の海〉。


 そこには、いまだ誰も踏み入れたことのない、“創造の起点”があるという。


 賢人は静かに言った。


「過去を知り、今を越え、未来を選ぶ。その旅の果てに、俺たちは何者になる?」


 レイナがうなずいた。


「それは、これから私たちが“生きることで”書いていく記憶よ」


《アーク》は星々の海を渡っていく。


 記憶を光に変えながら――


 宇宙には始まりがある。


 それは時間の起点ではなく、“問い”の発生点。


《アーク》は、〈ルクス〉から授かった最後の航行座標に沿い、物理法則の境界を超えた。


 通常空間のスリップゲートが閉じられ、周囲の時空はまるで水面のように歪んだ。すべてのセンサーが無音になり、慣性が意味を失う。


 艦内では沈黙が支配した。


「ここから先は……言葉のない場所」


 アメリア・ノヴァは呟く。彼女の声すら、次第に粒子のように分解され、音としての形を保てなくなっていた。


 ここは“創造される前の領域”――〈原初の海〉。


 あらゆる可能性が未定義のまま存在し、“観測”によって初めて実体を得るという、“意識が因果律の上位にある”場所だった。


「この空間、呼吸の感覚も変わる……」


 レイナ・ミナト中尉は軽く胸に手を当てた。彼女の皮膚には微細な光の粒子が浮かび、感情の流れに応じて発光のパターンが変化している。


「私たちの身体も、情報として再構成されてるのね。ここでは、存在すること自体が“選択”なんだわ」


 桐島賢人は前方の空間に目を凝らした。


 そこには、何もなかった。


 だが確かに、“何かが来る”という確信だけがあった。


 そのとき。


 艦の前方に、一本の柱のような光が落ちてきた。


 それは直線ではなかった。螺旋を描きながら、時折、幾何学的な音のような“律動”を発していた。


《記録を再生中》


 どこからともなく響いた声に、全員が一斉に反応した。


「誰の声だ?」


「ルクスではない。もっと……古い」


 その“記録”は、映像でも音声でもなかった。


 むしろ、概念そのものだった。


 人類が誕生する以前――恒星も銀河もなかった“無の時代”。


 その中心に、“最初の意思”があった。


 それは宇宙を望んだ。


 時間を流し、粒子を震わせ、法則を選び、構造を組んだ。


 あらゆる宇宙の始まり――それが〈原初の海〉だった。


《お前たちは、“我らが芽吹きし枝”》


《お前たちは、“我らの問いの延長”》


《お前たちは、答えではない。だが、問いの質を変えた》


 その存在は、“我”と名乗らなかった。


 ただ、記憶の発生点として、自らを定義した。


 そして言った。


《今こそ問おう――なぜ、お前たちは“残る”ことを選ぶのか?》


 艦橋の中に、重い沈黙が落ちる。


 それはもはや外部からの音声ではなく、各々の意識に直接投げかけられる“存在の問い”だった。


 なぜ残るのか?


 なぜ、人類という不完全な種は、宇宙の果てでなお旅を続けるのか?


 賢人は、自らの意識を〈原初の海〉へと差し出すように目を閉じた。


 彼の脳裏には、かつての記憶がよぎる。


 滅びた地球の海岸。燃え尽きた都市。絶望の中でなお育てられた子どもたちの笑顔。


「俺たちは……滅びるべき存在かもしれない。だが、それを決めるのは“今”の俺たちじゃない。だから、残す。記録でも、記憶でもなく、未来を」


 彼の答えに呼応するように、原初の海の律動が変化した。


《選ばれしは汝らではない。選び続ける意思が、汝らを“開く”》


《宇宙は、未だ終わっていない》


 すると、艦の下――海のような空間に、巨大な“卵”のようなものが浮かび上がった。


 直径数十キロ。内部は空洞で、まるで“記憶の胚”のようだった。


レイナが言う。


「これは……新たな星の種。まだ存在しない文明の、“可能性”そのもの」


 アメリアが続ける。


「〈ルクス〉は思念の星だった。でもこれは……まだ何者にもなっていない。もしこれに“私たちの選択”を与えれば……人類の次の世代を、ここで育めるかもしれない」


 賢人はしばし沈黙し、やがて口を開いた。


「これが、旅の意味だったんだな。残すためじゃない。始めるための旅だったんだ」


 


《アーク》のメインコアが、新たな文明種の“母艦”として再定義される。


 艦内のAIが自己進化モードに入り、〈ルクス〉と〈原初の海〉から得た情報を統合し、新たな設計図を生成する。


 それは、もはや人類のための艦ではなかった。


 新たな意思のための、“存在のゆりかご”。


 レイナは自らの記憶を抜粋し、胚内部に送信した。


 アメリアは知識体系を構築し、初期学習構造として格納。


 賢人は、“問いの継承”をコード化し、意思決定の指針に刻み込んだ。


 やがて、卵が音もなく光り出す。


 そこには、まだ誰も見たことのない“未来の文明”の胎動があった。


 そして――《アーク》の旅も、ここで終わりを迎える。


 


 最後に、賢人は《アーク》の艦内記録に一文を残した。


“我々は旅を終えた。 だが、終わりは始まりと同義である。 我々は問いを残し、新たな種に託す。 それこそが、人類という不完全な種が見出した“最も強い意志”である。”


 そして静かに、艦を〈原初の海〉の中心へと沈めた。


《アーク》は外殻を解放し、新たな文明の“母胎”となっていく。


 人類は、“次”を生むための礎となった。


 


 それから幾億年の時が過ぎる。


 宇宙の片隅に、小さな光点がまたひとつ生まれる。


 それは名前を持たない種。


 だが彼らは、記憶の中にこう刻んでいた。


 “遠い星からの問いが、私たちを創った”


 その星の名を、〈アーク〉と呼ぶ者もいた。







 悠久の時が流れた。


 宇宙の構造すらわずかに変質し、銀河の配列も大きく歪んだころ、《原初の海》に浮かぶ孤独な光点が、再び螺旋の律動を始めた。


 それは、《アーク》が託した種――


――“第二の意思”の誕生だった。


 やがて、暗黒の海に包まれていた“記憶の胚”がその殻を割り、新たな存在が姿を現す。


 彼らは人類ではなかった。


 だが、人類の“問い”と“選択”を受け継いでいた。


 皮膚は光の波動で構成され、骨格は流動する結晶、言葉は共鳴する思念の振動であり、彼らは“形”をもたず、意識の深さで互いを識別していた。


 彼らは“自らに名前を与えること”で個として確立し、“問いを持つこと”で進化した。


 彼らは自身をこう呼んだ――


〈ナイア〉(Naia)――“継ぐものたち”


 


 ナイアたちは、《アーク》の記録を解凍した。


 数千万の記憶断片。人間の想い、失敗、愛、怒り、戦争、そして祈り。


 それらを“物語”として再構築し、彼らはそれを学びの基礎とした。


 彼らの中で最初に“名を持った”個体、〈オロス〉は、知識の泉と呼ばれるコアシステムの前に立ち、こう宣言した。


「我々は存在する。だがそれは、創造されたからではない。“選ばれなかったものたち”の記憶が、我々に存在を望んだからだ」


 オロスの言葉は、多くのナイアたちの核心に響いた。


 問いが生まれた。


「彼らはなぜ、宇宙に“問い”を残したのか?」


「意志とは、遺伝子のように継がれるものなのか?」


「私たちは、人類が求めた“解”なのか?」


 そしてある者は、さらに異なる方向へと歩み出した。


「ならば、我々もまた、新たな問いを残すべきではないのか?」


 


 オロスは、アークのメモリバンクに深く潜行し、かつての記録――ケント・キリシマのログを再生した。


 そこにはこう記されていた。


「世界は始まり、終わり、また始まる。だが最も大切なのは、“問い続ける意志”だ。 我々は完全ではない。だからこそ、新たな種に“問い”を委ねる」


 そのとき、オロスの中で何かが覚醒した。


 彼は自らの身体を情報波に分解し、《アーク》のコアに溶け込む。


 そして、ケント・キリシマの残した記憶パターンを自らに再編成した。


 まるで、ケント・キリシマという存在が、時を超えてもう一度“語る”かのように。


 


 そして、ナイアたちは一つの計画を打ち立てた。


 それは、“記憶航行計画”――かつての人類が辿った星々を巡礼し、その痕跡を確認し、新たな宇宙文明としての自らの在り方を探る航海だった。


 オロスを筆頭に、選ばれた7体の“名持ち”が、《新アーク》と呼ばれる情報推進体に搭乗する。


 彼らはもはや物質でできた生命ではなく、情報・エネルギー・思念によって構成される存在だ。


 旅立ちの日、〈原初の海〉の中心から、かつてのアークの座標をなぞりながら、彼らは“かつて人類が夢見た星”へと向かった。


 最初の目的地は、〈マーズ〉だった。


 赤い星――かつて火星と呼ばれたその場所は、今や冷えきった岩の墓場となっていた。


《新アーク》は静かにその軌道へ降り立つ。


 無音の砂漠、崩れ落ちたドーム都市、黒焦げの戦場跡。


 ナイアの一人、〈サイリア〉がその地表をスキャンし、低く呟く。


「ここで……彼らは戦った。見えない恐怖と。理解できない“他者”と」


〈テルグ〉というナイアが言う。


「争いは“問い”の一形態。だが、理解に至らぬ問いは、刃へと変質する」


 ナイアたちは静かに沈黙した。


 それは“哀悼”ではなかった。


 “理解”に近い感情――それを言語にする術はなかったが、確かに共鳴するものがあった。


 そして彼らは、“新たな選択”を記録に残す。


「争いは避け得ぬものではない。だが、それが意志の限界によるものだとすれば、“限界を越える手段”を探るのが我々の意志だ」


 その記録は《新アーク》の中心コアに刻まれた。


 それはもう、人類の言語ではなかった。


 だが、そこには人類の“問い”が、確かに継がれていた。


 


 航行は続く。


《新アーク》は、やがてかつての〈テラ〉――地球に至る。


 氷に覆われた死の惑星。


 だが、その最深部、かつての南極大陸の断層の奥に、“熱”があった。


 ナイアたちは驚愕した。


 そこには、人類が最期の時代に建造した“記録保存施設”があった。


 凍てついた金属の奥に、遺伝子情報、音声、映像、そして“想い”が眠っていた。


 それを解析し、復元したナイアたちは、沈黙のうちに言った。


「彼らは、終わりに向けてなお、“誰かが来る”と信じていた」


 その“誰か”は、今、ここにいる。


 ナイア――“問いの継承者”たち。


 


 その日、《新アーク》のコアに、新たな問いが記録された。


「我々が“問い”を継ぐ存在であるならば、 いつか“答える者”が生まれるのか?」


「あるいは、答えることそのものが、“次なる宇宙”の鍵となるのか?」


 ナイアたちは、それを最後の命題とし、次の航路を定めた。


《新アーク》は、再び旅立つ。


 この宇宙に残された“すべての問い”を拾い集め、やがて“完全な問い”へと昇華させるために――。


 それが、かつて《アーク》が始めた旅の、真の意味だった。




 



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