八月十一日
「好きだ」
絞りだした言葉は涙声で。
彼女から香る白粉の匂いが物悲しかった。
自責と懺悔だけが胸の奥に渦巻いていた。
* * *
オレの住んでいる町にはいわくつきの鳥居がある。
数十年前ひとりの山伏が、その鳥居の前で神隠しにあったのだ。
「サク! そっちに行った」
昼間の猛暑を引きずる夕方。
ギラギラな太陽光を塗りつぶす濃いオレンジ色が余計に暑苦しい。
閑静な住宅街に緊張感のあるマサノリの声が響いた。
縦横無尽に飛び回る三つの黒い影をダテメガネ越しに追う。
タブレット端末に表示された住宅地図画面を見ながら、彼はワイヤレスイヤホンで指示を送った。
『了解!』
イヤホンの向こうから快活に応えたサクはスマホをウエストベルトに押し込む。
袋小路で虫取り網をかまえたサクの前に黒い影が飛び込んでくる。
つむじ風のように空中で乱れながら迫りくる影にサクは高らかに宣言した。
「現れたな迷える闇のしもべよ! この創造主に選ばれし光の申し子、ウィリディス・フルフィウスが討伐してやっ! ぐへっ」
高らかな宣言が終わるより早く、黒い影はサクを踏み台にして袋小路を突破した。
後頭部を思いっきりけられたサクは派手に地べたに倒れ込んだ。
ちなみに厨二病な名前は彼の苗字に由来する。
『光の申し子が敵に逃げられてどうするの』
アスファルト上に放りだされたスマホからマサノリのお叱りの声が届く。
「て、てきは神速の黒き影……」
ばたり、とサクはスマホの横で力尽きた。
黒い影は俊敏なわりに重量があったと思われる。
『光の申し子設定を守る力は残すのかよ……』
マサノリは、ため息をつくとスマホの通話アプリを起動した。
「すみませんチカ先輩。おそらく、そっちへ行くと思うのでお願いします」
『まかせてマサノリくん』
マサノリから指示を受けたチカが明るく返事をする。
道ばたでしゃがむ彼女のすぐ横には棒に立てかけたザルと駄菓子が置かれていた。
ザルの外側には三枚の札が貼りつけられていて、棒にしばりつけられたひものはしをチカが握っている。
よくある簡単なワナだ。
「あっ来た」
『気をつけてください。サクの無駄に多い自己紹介で興奮しているはずなので』
前方に黒い影の姿をとらえたチカは、にっこり微笑みかけた。