ひとすじの光
崩壊した僕の価値観に善悪の判断をつけることは出来ない。
(はっ!!)
僕の左手の薬指にある結婚指輪がキラリと光る。
その時から結婚は善とも、悪ともなった。
2年前、僕は好きで妻と結婚した。
168センチの身長で細身の体は真っ白に輝くマーメードラインに華やかな刺繍があしらってあるドレスに包まれ、結婚式の日の妻は圧倒的な輝きを放っていた。
その姿は今も鮮明だ。
双方の両親同士の価値観の違いという「若干の懸念」はあったが、入社2年目の僕はその女性を妻に選んだことに人生の正しい選択をしたという自信があった。
結婚を期に妻は働いていた地元の銀行を辞め、家庭に入ることになる。
それは妻の希望する幸せな自分の姿であり、そして僕もまた、早く二人に子供が出来ることを祈った。
仕事の成績も順調で、仕事に対して「若干のストレス」を感じていたものの、周りから見ればとても恵まれた順風満帆の新婚夫妻に映っていただろう。
家庭に入った妻は子供持つことよりも、二人で少し豪華なレストランで食事をしたり、旅行に出かけたりすることに新婚生活の重きを置いていた。
バリ、プーケット、香港、マカオ、韓国、日本国内、休みがある度に二人で計画を立て、僕はその旅行の間、仕事の鬱憤や抑圧を忘れるようにした。
子供が欲しい時期についての「若干の相違」はあるものの、多忙な日々の生活と妻の意思を大切に考えていた。
だが、時が進むにつれ、それぞれの小さな『若干のズレ達』はズレと呼べなくなり、徐々に『亀裂』となり始めていた。
些細なことが気になり始め、(~のために)と想っていたことが、(~のせいで)という言葉に変わっていた。
田舎物同士の結婚で、長男と長女の結婚であったからかもしれない。
マシーンのようにお客様から手数料を絡め取ることに疲れているのかもしれない。
子供がいれば二人の仲はもっと固く結ばれたかもしれない。
紺のスーツと妻がアイロンしてくれた白いシャツを着て、小さな車輪の自転車で通勤する。
僕の足とペダルを重くした『若干のズレ達』は『亀裂』となり、時間の経過と共に出口の見えない道となる。
そして、僕に明るい未来を忘れさせていく。
そんな中に吹いた突風!
天から下りる天使の光!
新入社員の彼女との初めの一歩は僕が踏み出した。
鬱屈していく仕事と家の往復の暗い道の中に見つけた光に向かって、一歩踏み出した気分だった。
その踏み出した一歩に踏まれた妻の気持ちとプライドは、後にある一言として僕に帰ってくる。
『別れないのが復讐よ』
新入社員の彼女とは仕事の相談から始まり、プライベートの相談。
就業後にカフェで話を聞く。
上司に誘われた飲み会の後に少し一緒に歩く。
営業先へ同行と称してドライブデート。
飲み会と嘘をついて出来た時間でディナー、、、
誰にも知られることなく、人目を避けながら、その二人のステップは軽くなっていく。
「出会ってからずっと毎日あなたのことが好き」という彼女の言葉は、僕にとっての光の言葉。
本当に彼女のことを愛している。
繋がり合いながら、人生で初めて身体が邪魔だと思った。
心が彼女を愛してる。
やがて、その二人の愛は大きく濃くなり、人の知るところとなる。
気付いた友人たちはその道は悪しき道と僕と彼女に伝えた。
間違いだとは気付いてはいる。
戻らなければいけない場所は分かっているのに、どうやって戻るのか、どうやって歩いて来たのか分からない。
戻れないほど彼女のことを好きになってしまっている。
そこからは、友人の忠告も無視し、あっという間に2年の月日が過ぎた。
入社5年目の最終月、まだ肌寒い3月の下旬、3階の支店長に呼ばれ僕は京都支店への転勤を告げられる。
京都支店は証券業界の転勤では栄転である。
支店の抱える人数は約200名。
東京本店、大阪支店と並び全国の優秀なトップセールスが集まり、日本有数の上場企業が本社を置く、日本の都、桜咲き乱れる華やかな古都。
証券マンの階段として、誰もが喜ぶ転勤先だ。
支店長の話では「福岡での成績には高評価を与えてよい。今後の僕の成長に期待している。海外転勤の希望は知っているが、リーマンショック、東日本大震災の後、日本国内の足元を固めていくことが会社にとって大切な時期なので、その一翼を京都で担って欲しい。」ということだ。
感謝感激!中州にパーッと飲みにいくぜ!!
と、いきたい所だが、僕の笑顔はひきつっていく。
まったく嬉しくない。。
と、いうか絶望感。
一生懸命、仕事とお客様に向かってきたが、お客様に向き合えば向き合うほど百年に一度と称される乱高下する相場の中に飲み込まれていった。
毎日新しい目標数字が出現し、お客様の残高を漁る。
行ったこともない国の経済状況を自信満々に語っている。
既に、僕の頭と心は目標数字のプレッシャーとお客様の気持ちに答えられなかったという後悔。
そして、こんなことしたくないという子供のような逃げる気持ちに支配されていた。
彼女とのことは妻にバレないようにしていても、徐々にいたるところで亀裂は広がり、自分の心が作り出した家庭の不和にも押しつぶされそうになっていた。
それでも何とか取り繕いながら、妻や双方の両親の期待に答えてきたつもりだ。
だが、次の更なる激戦地で今までのような生活を続けるだけの気力と体力には自信はない。
暗闇を照らしてくれた彼女という光ももうすぐ失くなることは、もうそれは、絶望だったのだ。
証券会社に入社して5年。
慣れ親しんだ福岡の街には自分勝手で無責任な僕の創り出したドロドロが絡み付いている。
そして、そのドロドロは京都にまで付いて来ることになる。