聖女とメイリー
王都への旅は滞りなく進んだ。
馬車でずっと一緒だったオリアナとも日に日に会話が弾んでいき、カナメが語る冒険の話を聞いてオリアナは幼い少女のように体を揺らして無邪気に笑って楽しんでくれた。
高い市壁を抜けて、馬車はついに王都へと入る。美しい街並みが開けた。この間のドラゴンが落とした雷の被害で倒壊した建物もいくつも見受けられたが、もうすでに建て直しは始まっているようだった。
立派な石畳の道路を美しいレンガ造りの建物に囲まれながら進み、一行はアールリーミル神聖王国の中心アールリーミル城へと向かう。
ついにその城の姿が見えてきて、馬車の窓から顔を出してその荘厳さに息を飲んでいたカナメだが、馬車は城壁内へと通されこそしたものの正門からそれて脇へと向かう。
「あ、あれ?」
思わず声を出したカナメにオリアナが言う。
「アールリーミル城へは入りません。聖女様は聖堂におられます。私たちはそこへ向かっているのです。聖堂も含めてアールリーミル城の敷地となっていますけれどね。聖女様と国王様では管轄が違うのです」
アールリーミル城にぴったり寄り添うように、その裏側に一回り小さい建物が建っていた。華美と荘厳を絵に描いたような城とは対照的に、その建物は長い歴史を感じさせる古い造りとなっていた。
しかしその内部は立派なものだった。
属州ならば王の居城と呼んでもさしつかえないだろう。
馬車を降り聖堂正門から中へ通されるカナメ。いっしょに入るのはオリアナだけで、ここまで旅を共にしてきた兵士たちはどこかへと引き返していった。カナメとオリアナは十人は並んで上れるだろう幅の階段を上がって二階へと進む。
「オリアナは目が見えないんだろう? ほら」
階段を上るとき、手を貸そうと軽く指を触れてそんなことを言ってみたが、オリアナは目を閉じたまま微笑んだ。
「大丈夫ですよ。私は目は見えませんが、『視る』ことはできますから」
(気配とか雰囲気とかそういうものか? オリアナの閉じられた瞳は……光の代わりになにを見ているんだろう?)
オリアナに先導されてたどり着いた先は、やはり広大な大広間。
その大広間の奥の玉座には一人の少女が座っている。
あまりの美しさにカナメは一瞬息を飲んだ。
ゆったりした法衣に身を包んだ幼い少女。美しい銀髪は流れる水のように清浄な印象を見る者に与える。そしてその双眸ははるかな未来を見通すかのように澄んでいる。少女が立ち上がらなければ神の手による人形だと思っていたかもしれない。
金銀装飾の類は身に付けていないが彼女が聖女だとカナメには一目でわかった。
「聖騎士オリアナ、ただいま戻りました。<<守護の盾>>のギルドマスターをお連れしました」
「ご苦労様でしたねオリアナ。二人ともこちらへ」
意外なことに、立ち上がった聖女は親しみのこもった声色で言った。オリアナの帰還を、まるで外出から帰った友達を迎えるかのように。
玉座の横に立つ青髪の少女が口を開いた。
「オリアナ! 心配したんだぞ。その男になにか不快なことを言われなかったか? 目のことをからかわれたりとか、容姿を褒めて気を引こうとしたり――」
いきなりずいぶんな言われようだ。青の模様が入った豪華な白い衣服を身にまとっている。腰に剣さえ下げていなければちょっとした貴族の少女と思ったかもしれない。装甲の類は着ていないが、おそらく聖騎士。法衣姿のオリアナもそうだが、聖騎士は服装で判断できない。
気の強そうなきりっとした顔つきの彼女は、オリアナともひけをとらない美しさだ。
「お姉様……」
お姉様。つまりこの少女がオリアナの言っていた聖騎士第一位メイリーだろう。旅の道中それとなく聞いていた容姿とも一致する。
「ああ、そうだ。そんなに男とくっつくな。はやく離れるんだ。ほら、こっちへ――」
「お姉様!」
オリアナのよく通る声がメイリーをさえぎった。
言われたメイリーは顔に水をかけられたように愕然としている。
「ど、どうしたんだ……お前がそんなに大きな声を出すなんて。いったいその男となにがあったんだ? 馬車の長旅の間になにが……」
「カナメさんとはなにもありません。この方は王宮のどんな殿方とも違います。私はからかわれていませんし、なにもされていません。それどころか色々と楽しいお話をしていただいて、本当にいい人です」
「お話……楽しい……」
ゆるゆると伸ばした手の指先を閉じたり開いたりするメイリー。
「ああ……そんな……信じられない。オリアナが……男をそんな風に言うなんて……。だから私は反対だったんだ。今回の任務にオリアナを向かわせると言われて私は……そうだ私が行けばよかったんだ。そうすればこんなことには……うううぅぅ……」
メイリーはあからさまに落ち込んで肩を落とし、ぶつぶつとつぶやいている。
「二人とも、その辺に。仲がいいのはよいですが、まずはお話を」
「す、すみませんでした! 聖女様!」
聖女にたしなめられてばっと背筋を伸ばしてかしこまるメイリー。
(聞いていた話とだいぶ違うな……)
オリアナの話だと完全無欠の最強聖騎士。高潔にして勇猛。比類なき知性と礼と威厳を兼ね備えた人物という話だったが。
見る限り本当の妹のようにオリアナを溺愛するおっちょこちょいの姉といった感じだ。
「私が聖女テミアリス。そして彼女は聖騎士第一位のメイリーです」
大広間にはカナメたちの他には、彫像のように微動だにせず立ち控える兵士たちと、数人のメイドしかいない。
「聖女様自らの紹介とは恐れ入ります。俺は<<守護の盾>>のギルドマスター、カナメです」
「聖女様に直接口を聞くとはなんたる無礼っ」
メイリーが凄んだ。
カナメは軽く笑う。
「いけなかったか?」
「いいえ。私は聖女という役目を神から賜っているだけ。身分で話す相手を選んだりしません。気にしませんよ。むしろうれしいくらいです。私の周りには私を敬い恐れて距離を置く者たちばかりですから」
聖女は意外と話の分かる少女のようだ。
「カナメさん、お姉様を嫌わないで下さいね。私はお二人に仲良くなって欲しいのです」
オリアナが言うとまたメイリーも降参とばかりに苦笑いだ。
「仕方ないな。やれやれ……よくもまあオリアナをここまで信用させたものだ。あきれるよ」
「ほめ言葉と受け取っておくよ」
「遠路はるばるお越しいただいたのに、メイリーの非礼をお許しください」
なんと聖女テミアリスはカナメに対して頭を下げた。
「聖女様ぁ……」
メイリーはすねたような目をテミアリスに向けた。
焦ったのはカナメだ。まさか世界の最高権力者がこんな低姿勢でいいのかと思わず周囲を見回しても、控える従者たちは彫像のように微動だにしない。
「聖女様自ら頭を下げていただかなくても……。いや待てよ。それならなんで無理やり連れてくるような命令を出したんだ?」
テミアリスは首をかしげる。
「営業中のギルドに大勢で押しかけて、認可を取り消す、所属冒険者を指名手配にかけると言われたんだ。時間的猶予も与えられず即日連行。てっきり俺は英雄とは建前でなにかやってはいけない罪を犯したのかもとまで思ったのに」
「えっ!?」
そこではじめてテミアリスは少し大きな声を出した。控えめだが聖女としては最大級の驚きなのかもしれない。
テミアリスはさっとオリアナに目を向ける。
答えたのは真面目くさった顔のメイリーだ。
「聖女様の命令は絶対。召喚の命令が発せられたなら、絶対に、確実に、最大限素早く駆け付けなくてはいけません。これはアールリーミルに住む全国民の義務です」
テミアリスは表情を曇らせた。
「国を救った英雄として、あくまで丁重にお連れするようにと……。そんな脅しをするように言った覚えはありません」
「申し訳ありません聖女様。すべては私が至らなかったばかりに……」
「いいえ、オリアナ。私の言葉が足らなかったのです。召喚の内容をもっと子細に伝えていればこんなことにはならなかったでしょう。カナメさん、申し訳ありませんでした」
再び頭を下げるテミアリス。
「頭を上げてください。聖女様にそう何度も頭を下げていただくわけには……誤解だとわかればこれ以上なにも言うつもりはないです」
「ありがとうございます。では……長旅の疲れもあるでしょうし、話は日を改めてということにしましょうか」
テミアリスが少し視線を動かすと、控えていたメイドの少女がすっと歩み出た。
カナメはメイドに案内されて、その日は聖堂内の個室のうちのひとつで休むことになった。




