<<幻狼>>のビリー
地上へ戻ったカナメはリセッタの手を引く男の姿を見つけて眉をひそめた。
「そいつは……」
「カナメお兄ちゃん!!」
リセッタが叫ぶ。
男の足元に倒れていたサリアが顔を上げる。
「ビリー……、冒険者ギルド<<碧狼団>>のマスター。リセッタ様を罠にハメて、拉致しようとした張本人です。黒の鍵を使った今回の事件も、裏で糸を引いていました」
サリアはリセッタを守ろうとして返り討ちにあったのだろう。口元から一滴の血が滴っていた。
「おっと、妙な真似はするなよ。お姫様を傷つけたくなかったらな」
リセッタの腕を固めて笑うビリーの顔は血まみれだった。足取りもふらついていておぼつかない。
油断なくビリーを見据えるカナメ。
「お前のそのけが。建物の崩落にでも巻き込まれたか? すぐにでも治療をする必要があるんじゃないのか? 人質を取る余裕があるようには見えないが」
「ふん、俺を揺さぶろうったってそうはいかねえ。黒の鍵を使うタイミングは計画通りとはいかなかったが……まだこのお姫様を取引材料にすれば、マレダフラニア州で反乱の旗を揚げさせることは可能なはずだ」
「無理だな。呼び出されたドラゴンは俺が追い払った。反乱の契機となるような混乱には至っていない。お前のたくらみは潰えたんだよ。さ、リセッタを解放しろ」
慎重にビリーとの距離を詰めるカナメ。
「近づくんじゃねえ!」
ビリーが吠えた。
取り出したナイフの先端をリセッタの首に当てたのを見てカナメは足を止める。
リセッタは真剣な目をしていた。恐怖におびえる様子など微塵も見せていない。
「お兄ちゃん……いいえ。ギルドマスター、カナメ。この者の言うことを聞いてはなりません。私は第二姫。その命にさしたる価値はありません。それよりもこの男を……」
これまでカナメの前で見せていた態度とはまるっきり違う。威厳あるマレダフラニアの姫としての言葉。
「……」
カナメは黙ってゆっくりと両手を上げた。
ビリーが笑う。
「よし。そのままだ。ゆっくり後ろへ下がれ。そうだ……なに!?」
ビリーの顔が強張る。
体が動かなくなっていることに気付いたようだ。
後ろから回り込ませていた【疑似生命流体】でビリーを縛ったのだ。
「この妙な煙みてぇなやつか……くそっ! スキルなのか!?」
どうやら上手く行ったようだ。
カナメは上げた手を下ろしてリセッタの下へ歩いて行き、その体を抱き寄せた。
「お兄ちゃん……うっ……ううっ……」
カナメの胸に顔を埋めて、リセッタの瞳から涙があふれる。ずっと気丈な態度を保っていたリセッタも、やっぱり見た目通りの女の子なのだ。
指一本動かせなくなったビリーは、リセッタを拘束していたときのポーズのまま固まっている。
「くっ……たいしたもんだぜ。さすがあのくそったれなドラゴンを一発で吹っ飛ばしただけはある。だがな、ナメてもらっちゃ困る。俺は<<碧狼団>>のマスター、<<幻狼>>のビリーよ。俺を縛ることは……神にも出来ん!」
ビリーの体がかき消える。
『対象消失』
【大魔道師の影】からの信じられない報告。
瞬間、夜の闇を割いて閃光が走る。
『空間歪曲を感知。対象の出現位置を特定。攻撃感知。自動反撃には【神光剣】を選択』
カナメとリセッタを挟んで反対側。ビリーは瞬間移動のようにナイフを振りぬいた姿勢で現れた。
「まさか……」
サリアのつぶやき。
そして……。
ドサリと倒れたビリーの背中には光の刃が突き立っていた。
「どんなスキルだったのか知らないが……【疑似生命流体】の束縛から逃れることができるとはな。そのまま逃げていれば捕まえることはできなかったかもしれない」
ビリーが反撃に転じてくれたおかげで【大魔道師の影】がビリー出現時の空間のわずかな歪みを感知して、対応することができたのだ。
しかしビリーは皮肉げに口の端を吊り上げる。
「ふっ、【幻神】派生スキル【幻影変化】は元々移動のためのスキルじゃない。俺自身を幻影に変えて相手に必殺の一撃を……いや、まあ……どうでもいいか。いまさら言っても意味はない。たとえ逃げに使っていたとしても、実体化の瞬間を捉えられていたことには変わらない――だろう?」
「……」
幻を作り出して相手を惑わせるのが【幻影】スキルの基本。実体ある物を幻影化することなどカナメは聞いたことがなかった。おそらくAランクのスキルだろう。
【神光剣】が突き刺さったビリーは、その効果によって体を光の粒子に分解されて……この世から消滅した。
カナメは【転移】ゲートを作り出した。
「さ、帰るぞ」
リセッタはカナメの腕の中でうなずいた。




