黒の鍵
リセッタが<<碧狼団>>の裏切りに遭う少し前。
聖騎士七十一位ライアンは自慢の金の長髪をキザったらしく手ではね上げて、ため息を吐いた。
「なぜこの私が自警団の真似事のような雑務を押し付けられなければならんのだ」
十余名の正規兵を引き連れて大通りから狭い道へと入る。
「仕方ないだろう。聖女様のお告げなんだ。王都に大いなる災いをもたらす者が侵入したとかなんとか」
ライアンと肩を並べて歩くのは、ぼさぼさの焦げ茶色の髪と口ひげを生やした冴えない中年男性。聖騎士六十八位のグレンだ。
「だからって聖騎士を二人も向かわせる必要があるか? こんな仕事は兵たちに任せておけばいいんだ」
「まあ聖女様のお告げは絶対、それがアールリーミルの鉄の掟だよ。お前も聖女様の力は知っているだろう」
聖女テミアリスは神の声を聴くことができるという。今回のお告げも神からもたらされたとなれば断れる人間は存在しない。
「聖女聖女って。お前の聖女様信仰も相当だな」
グレンは酒に酔ったように目をとろんとさせて宙を向く。
「そりゃあ一度でもあのお姿を拝見すりゃお前……その辺の女なんかイモやダイコンと変わらないって気になるぜ」
「自分の娘より若い相手になに言ってるんだ。少し離れて歩け。変態が感染る」
しっしっと手を振るライアン。グレンは哀れっぽく両手を合わせた。
「悪かったよ。頼むから妻にだけは黙っていてくれ」
「やれやれ」
一行は細い路地をいくつも曲がり、どんどんと人気のない寂れた場所へと進んでいく。
そして周囲から切り離されたようにぽつんと建つ倉庫の前までやってきたところで、ライアンたちは足を止めた。
「ここか。悪事を企む人間が潜むにはぴったりの場所だな」
ライアンはするどい目をグレンに向ける。
グレンもつい先ほどまでの弛緩した様子はなく、獰猛な目つきで言う。
「いるな」
「ああ」
ライアンも頷いて手をさっと振った。
兵士たちが左右に散り、入り口の引き戸に手をかける。
倉庫の戸が一気に引かれて、現れたのは聖職者風の男。
「こ、これは一体なんの……」
わけがわからないといった表情で怯えを見せる男。
「お前、本物の聖職者か? なぜこんな場所にいる」
「そ、それは……。旅の資金の節約で……ここで寝泊まりを。すみません、すぐに出て行きますから」
「金がないわりにはずいぶん上等な法衣を着ているじゃないか。まるで下ろしたてみたいだ」
「う……」
グレンに問い詰められて言葉に詰まる男。
「後ろの荷物の陰が怪しいな。他に連れがいるんじゃないか?」
倉庫の奥を照らすようにランプを掲げて訊く。
「わ、私一人です……」
「ちょっと中を改めさせてもらうぜ」
男の肩に手をかけて、ずいっと中へ入ろうとするグレン。
次の瞬間、グレンの喉元に鋭く突き出された白刃が迫った。
内側入り口脇に別の男が隠れていて、攻撃の隙をうかがっていたのだ。
しかしその一瞬の殺気を聖騎士は見逃さない。
「おっと」
グレンは身体を引いて剣を躱し、逆にその手を掴んで男を引っ張り出す。
「やっぱり連れがいるんじゃねえか。うそはよくないぜ」
「くっ、やるしかない!」
聖職者風の男も怯えの演技を捨てて懐に手を突っ込んだ。武器を出すつもりのようだ。
「遅い」
落ち着いた声はライアンのもの。
「ぐあっ……」
男の首に突き立つのは白く輝く光の針。
「私の【光針】は相手に反応の余地を与えん」
ライアンは同様の光の針を数本、二本の指で挟んでいた。
同時にグレンを突き殺そうとしていたほうの男も床に倒れる。そちらの首にも光る針が突き立っていた。
「速いのはいいけどよ。情報を吐かせる先がなくなっちまったぞ」
「ふん、わかっていて聞いてるんだろう? 試すような真似はよせ。……別口はまだ残っている」
すました態度のライアンに、グレンはにやりと笑う。
「どうやら、他の連中もやる気みたいだぜ。殺気がぷんぷんしてらあ」
倉庫内に積み上げられている荷物の木箱。
その陰から男たちが飛び出してきた。
「おらあっ! 【爆竜拳】!」
ズドオッ!
振るわれたグレンの拳が炎を巻き上げ、竜の頭のような姿を一瞬作る。
餌食となった男は轟音と共に吹っ飛び天井を破壊して上空へと舞った。
グレンの拳が荒れ狂う。
剣を持とうが杖を構えようがお構いなし。相手の得物ごと叩き折ってそのまま倉庫の壁に叩きつける。【爆竜拳】の一撃を受けた男たちは内臓が吹き飛び、背骨が千切れて即死した。
ライアンは顔をしかめた。
「お前こそ手加減したらどうだ。汚い臓物が辺りに飛び散るのは不快だ。私の顔にでもかかったらどうするつもりだ」
倉庫に潜んでいた連中は全員が聖職者風の格好をしていた。
しかし使う武器はそれぞれ違っている。やはり本物の聖職者ではなく偽者だ。
ドゴオオオッ!
グレンの拳が初めて受け止められた。
拳を受け止めた男の盾はただの鉄製のように見えた。
「ふん、ちったあマシなやつがいるみてぇだな。俺の拳を止められる盾なんて王都にだってほとんどねえぞ」
「これは盾士スキル【盾強化】だ。俺のスキルにかかれば朽ちかけた木の盾ですら……ドラゴンのブレスをも防ぐ!」
グレンの笑みが深くなる。
「面白い。使えるサンドバッグがなくて困ってたところなんだ。俺の本気を受け止めてくれるってか」
「グレン、魔法だ」
「なっ……うおおおおおおお!?」
盾士の男の後ろから氷の槍が四本、うなりを上げて飛んできていた。
盾士の男が攻撃を防ぎ、その後ろから魔法士が攻撃。味方の男たちがあっという間に殺されていったというのに、少しも慌てる様子がない見事な連携。
この二人は他の連中とは格が違うようだ。
驚愕の声を上げて顔を手で覆ったグレンに、氷の槍が突き立つことはなかった。
グレンの目の前に光でできた盾が形成されていたのだ。
「【光針傘】。その程度の魔法で破れると思うな」
ライアンの【光針】。それが無数に集まり扇を広げるように展開することによって、攻撃を防ぐ盾を形成するスキルだった。
「ふう、助かったぜ。相変わらずお前の【光針】は便利だな」
「お前の【竜拳】が一直線すぎるんだ。まったく……美しくない」
「じゃあ今度はこっちの番だな。おらあっ! 砕けて吹っ飛べ! 【爆竜連打】!!」
ドガガガガガガガガ!!
一発一発が凄まじい威力の【爆竜拳】を、力任せに連打するグレンの得意技。
「ぐっ……お、おおおおおおおっ!?」
盾士の男はついに勢いに負けて、背後にいた魔法士の男も巻き込んで後方へと吹っ飛んだ。
仰向けに倒れた男たちの下へ歩いて行き、無造作にしゃがんでその顔を覗き込むグレン。
「さて……と。お前たちの目的を教えてもらおうか。大いなる災いをもたらすっつー……まあなんか、そんな感じのやつだろ?」
「ぐっ、ごほ……くっ……くくく……」
盾士の男は口から大量の血を吐きながらも、笑みを浮かべた。
「なにを笑ってやがる?」
「グレン!」
ライアンの鋭い叫び。
「なっ――」
グレンも気付いた。
倉庫の奥の奥。その角のほうから強烈な光が発せられていた。
二人は急いで駆け出す。
倉庫の奥では地面になにかを広げた男が、その表面に手のひらを当てて何事かをつぶやいていた。
「なんの板だ? 金属……?」
鈍色に輝く鉄板のような物。その表面には精緻な紋様が刻み込まれている。その文字列がまぶしい光を放っていた。
「なんだありゃ?」
男はちらりとライアンたちに目を向ける。
「城に侵入してから使う予定だったが……仕方ない。ここで使ってやる……」
「させん!」
ライアンが飛ばした無数の【光針】が男に突き刺さった。
男はにやりと笑う。
「儀式を手伝ってくれてありがとうよ。我が血を贄として……現れよ」
【光針】に全身を貫かれ流れた血は腕を伝って金属板へと注がれる。
板が紫色の光を放ち、黒い瘴気が立ち昇って立体的な文様を描き出す。
立体紋様はみるみるその体積を増していき、倉庫を破壊して広がった。
周囲の建材が崩落する。倉庫が潰れる予兆だ。
「くそっ! 出るぞ!」
駆け出したライアンとグレンが外へ飛び出すのと、凄まじい爆発が背後で起きるのは同時だった。
「うわああああああ!」
「ひぃぃいいいーー」
外で待機していた兵士たちは大混乱に陥っていた。
「あ、あれは……」
兵士の一人がつぶやいた。
「雲……か?」
月を覆い空を埋め尽くしていたのは、雲ではなかった。
カッ!
雷光が瞬き、その姿が露になる。
あまりにも桁外れな大きさの、それはドラゴンだった。




