本当の覚悟
なぜこんなことになったのだろうか。
サナは薄暗い砦内の廊下を歩きながら思う。
最初は順調だったのだ。
砦に入ったサナたちは、次々と襲ってくるゴブリンたちを、剣で魔法でハンマーで思うさま蹴散らしていた。
しかし砦の奥へ奥へと進むうち、雲行きが怪しくなってきた。
フェリンの体調が目に見えて悪くなり、ゴホゴホと咳をし始めたのだ。
最初は毒かとも思ったがどうやら違う。スーが言うにはあのときゴブリンシャーマンが放ったのは魔法ではなく呪い。フェリンは呪いにかけられた可能性があるということだった。
「私がうかつだった。もっと早く可能性に気付いていれば……」
スーは普段の冷静沈着な口調ではなく、絞り出すような声だった。
「ゲホッ、ゲホッ……ごめんね、サナ」
フェリンはサナの肩を借りてやっと歩けるほどに消耗していた。
呪いの進行が早い。サナの【ヒール】では呪いを解くことはできない。
クエストは諦めて早くこの砦から脱出しなければいけなかった。
倒れるゴブリンの死体を踏み分けて、来た道を戻る三人。
階段を下りて一階に戻り、大広間に――。
「うそ……」
一階大広間に戻った三人は、信じられない光景を目にした。
「ゲギャギャギャギャギャ」「ケシャシャシャーー!」「ギゲッギヒヒヒ……」
ゴブリンの大軍。
待ち構えるように広間を埋め尽くしていた。
(逃げなきゃ――でもどこへ!?)
今降りてきた背後の階段の上からもゴブリンの足音が聞こえてくる。包囲されていた。
「ど、どうしよう……」
これが戦場だ。
どうしようもなく非情で、残酷な、死と隣り合わせの――。
「はああああああっ!」
叫び声。
フェリンが剣を振って、包囲を狭めようとするゴブリンの首を斬り飛ばした。
「サナ! しっかりして! 大丈夫相手はゴブリンだよ。なんとか包囲に穴を開けて出口へ――あうっ」
言葉は最後まで続かなかった。
フェリンは石畳に剣を突き立ててひざをついてしまう。
呪いに蝕まれた体が思うように動かないのだろう。気力だけで放った一撃だったのだろうが、さすがに無茶が過ぎる。
その隙をゴブリンたちは見逃してはくれなかった。濁った黄色い目がどん欲に光る。槍やこん棒を振りかぶってフェリンに殺到する――。
「ファイヤーボール」
フェリンに群がるゴブリンを牽制するようにスーの魔法。放たれた炎の塊がゴブリンの一体を火だるまにした。一瞬ゴブリンたちの間に動揺が走る。
「壁を背にして。こっち……」
スーの指示で三人は部屋の隅に陣取って、なんとかゴブリンたちの攻撃をしのぐ。
部屋の角ならば相手の攻撃方向を限定できる。しかし数が圧倒的すぎる。倒しても倒しても次が襲ってくるのだ。
死力を尽くして戦い続け、かろうじてフェリンを守るサナとスー。
追い詰められてからもう数十体は仕留めたはずだが、ゴブリンはまだ奥から湧いてくる。
「ファイヤー……だめ……魔力が」
スーの構える杖からはなんの魔法も出なかった。
フェリンもぐったりと倒れ込み、顔色は土気色だった。スーはその横に崩れ落ちるように座り込んでしまう。
「スーちゃん!?」
思わず声をかけるがスーは首を振った。
「魔力が切れた魔法士は……もう」
「そんな……」
ゴブリンが槍を投げる。棒切れにとがった石を付けただけの原始的な槍が、サナのすぐ横の壁に当って乾いた音を立てた。
「あ……あ……」
(怖い……怖い怖い怖い! いやだ、死にたくない! おじいちゃん!)
サナの脳裏に祖父の顔が浮かぶ。
いつも厳しい顔をしていた祖父は、だが誰よりもサナのことを理解してくれていた。
ある日家の地下の倉庫で見つけた巨大なハンマー。なんとなくそれを手に取って、持ち上げてみた。ハンマーは藁で出来てるかのように軽かった。そのとき祖父は言ったのだった。
『そのハンマーはじいちゃんの、さらにじいちゃんの、そのまたじいちゃんが使っていたものじゃ。石切りで鍛えた腕力自慢が使おうとして誰もまともに扱えんかった。逆にハンマーに振り回されておった。サナ、お前はご先祖様に認められたんじゃな』
恐怖に震えていた手に力が戻る。
自分の身長より長いハンマーの柄をしっかりと握り直す。
(私に本当にそんな力があるのなら……ご先祖様――どうか!)
「やあああああああああっ!!」
ブォン!
サナは巨大な金属の塊を、小さい体で軽々と振り回す。しかし巨大すぎるハンマーはどうしたって隙が大きい。
サナのハンマーは素早いゴブリンたちに易々と避けられ、サナはブンブンとハンマーを振り回して体力を消耗していく。
(速く……もっと速く!!)
荒れ狂う暴風のようなサナのハンマーが、ついに逃げ遅れたゴブリンを捉えた。数体まとめてめちゃくちゃに潰れて即死。
「グギギギギィ……」
ゴブリンたちが距離を取る。
何度目かに振りぬいたサナのハンマーが、石畳を打ちつけた。
石を敷き詰めた砦の床が、ズズンとひび割れてへこむ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
疲れて動きが一瞬止まったサナにゴブリンたちが襲いかかる。
「きゃああっ!」
投げられた槍がサナの腕を浅くえぐる。
焼けるような痛みが走って、ハンマーを持つ手を離してしまった。
続けて飛び掛かってきたゴブリンのこん棒を、無理矢理飛び退って避ける。
しかしその拍子につまずいて転んでしまった。ハンマーが床に落ちて、倒れた柄がカランと音を立てた。
尻もちを突いたサナは、結局フェリンとスーの横にうずくまることになった。
「ゲヒヒヒヒヒ!」「ゲギャギャギャギャ!」
包囲を狭めるゴブリンたち。飛びかかられたら……お終いだ。
槍にえぐられて痛む腕に、自分で【ヒール】をかける。
「ううぅ……。神様……たす、助け……え?」
傷口を押さえてつぶやくサナのとなりで、スーが立ち上がった。
「ごめん、サナまで怪我してるのに……魔力が切れたくらいで私があきらめてちゃダメだよね。無駄だと思うとすぐにあきらめる……私の悪い癖だ」
「スーちゃん」
「たとえ戦う力を失っても、それでも……ほんのわずかな間でも……食い止めて見せる。それが今、私にできるたった一つのことなんだ」
サナたちを庇うように、杖を握りしめてゴブリンの前に立つスー。しかしその後ろ姿は震えていた。
「だ……め……ゲホッ、ゲホッ……スー……いやだ……わた、しが」
息も絶え絶えに手を伸ばすフェリン。
立ち上がることもできないような有様なのに、必死に体を動かそうとしている。
サナは心の奥に、火が灯ったような気がした。
(今戦えるのは私だけなんだ。こんなケガ一つで……倒れてなんかいられない!)
意を決して腕を押さえながら立ち上がったサナの目の前に、青白い光が現れた。
「え……」
それはみるみる大きくなり、輪のように広がる。
青白い光の扉。
その中から、白く輝くもやをまとった人影が、すっと姿を現した。
「うそ……マスター……?」
カナメが三人に優しい目を向けた。
「がんばったな、お前たち。もう大丈夫だ」